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第五話 だらしない女
だらしない女 四
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”メガネは顔の一部”という言葉があるが、本当にメガネひとつでひとの印象は変わる。
ぼくらは庭に向かった。そうしたら廊下でシェルタンが歩いていた。
シェルタンはレオの飼っている黒猫で、本来道に迷ってしまうはずの魔の森に客が入るとき、その道案内をして招き入れる役目を担っている。子猫のころにレオに助けられたらしく、レオによくなついており、どういうわけだかレオと会話をすることができる。
が、ツンツンメガネのレオを見た瞬間、
「しゃー!」
シェルタンは本能剥き出しに牙を見せ、バケモノでも見たかのように逃げ去って行った。
「まあ、失礼な猫ちゃんね! こんな美人ママに牙を剥くなんて!」
いや、気持ちはわかるよ。だってこのメガネをかけたレオはやけにサディスティックな感じがするもの。
本来レオの眼差しは、キッとしていながらどこかやわらかで、眠たげなふたえまぶたが落ち着いた雰囲気をかもし出している。しかしこのメガネはそんなやわらかさを覆い隠し、とがり一直線にしてしまう。するとそこには甘さのかけらも感じられない、ひとをしばくことしか考えていなさそうなサディストの姿が完成する。
それは美しく、同時にひどく恐ろしい。ある種強烈な魅力があるものの、それはぼくがレオにいじめられ慣れてるからそう思えるのであって、子供や動物が見たら逃げ出すのも無理はない。
やがてぼくらは庭に出た。このごろは夏のにおいが漂いはじめ、色とりどりだった花の情景は鮮やかな緑の世界へと変わりつつある。陽射しもだいぶ強くなり、ほんのわずか陽光を浴びただけで肌の表面に汗がにじむのを感じた。
レオは溜め池の縁を囲う石に腰を降ろし、艶かしい脚を偉そうにクロスして言った。
「さあ、デネボラ。運動する前に軽くストレッチしなさい」
「い、いやですぅ」
「まあ! なんでよ!」
「だってぇ、運動ってだるいじゃないですかぁ。お昼寝したいですぅ」
「なにバカなこと言ってるの! だるいもクソもないの! さっさとしなさい! ママの命令よ!」
「ふえぇん」
デネボラは涙目になりながら庭の真ん中に出て、体の筋を伸ばしはじめた。それにしても彼女は我が強い。使い魔は基本、主人に絶対服従だ。なにせ彼女たちはもう本来の生き物ではない。主人の魂の一部として存在しており、生命はあるとも言えるし、ないとも言える。歳をとることもないし、主人が死ぬとき、彼女たちもいのちを失う。
魔術師によっては、こころを消してしまうこともあるらしい。そうすれば完全なる操り人形ができあがり、これ以上ない便利な道具となる。しかしレオはそれをしなかった。
「こころを消すなど、それこそ殺し以上の悪行ではないか。それに叩いても泣かないんじゃいじめがいがないしな」
意地がいいのか悪いのか、ともかくレオは使い魔に理性を残した。だからみんな、言うことを聞かずに好き勝手やったりする。とくにデネボラは自由気ままで、料理と馬としての仕事以外は一切を怠惰に過ごす。
「ほら、もっとしゃきしゃき動きなさい! ママ怒るわよ!」
レオはだらだらストレッチするデネボラに喝を入れた。相変わらず口調は変だし、自分をママと呼ぶことを忘れない。完全に”ママ”になりきっている。なんでまたこんな突拍子もないことをはじめたんだろう。
……でもまあいいか。この謎の遊びにぼくも付き合うとしよう。どうせ今日もやることなんてないんだし、考えようによってはいい暇つぶしだ。口調を変えるのはさすがにいやだけどね。
「アルテルフ! ママのところにいらっしゃい!」
レオが頭上に向かって叫んだ。するとどこからともなく「ぴょおー」と聞こえ、さーっと小さな鷹が舞い降りてきた。
——と思ったら着地する直前に変なポーズになり、そのままずででんとスッ転んだ。だ、大丈夫か!?
アルテルフはひとの姿に変げし、四つん這いでわめいた。
「いたたた! 痛ーい!」
「アルテルフちゃん大丈夫!?」
レオが駆け寄ると、
「それはこっちのセリフですよ!」
アルテルフは血相を変えて起き上がり、
「なんですかそのしゃべり方は! ママなんて言うからなんだろうと思って見たら変なメガネかけてるし、おかげでずっこけちゃいましたよ! レオ様どうしちゃったんですか!?」
「こら!」
——ビリビリッ!
「ぎゃっ!」
「ママと呼びなさい!」
「はあ!?」
「まったく、どれもこれもパパの教育がなってないからですよ! 幼いころからママって呼ばないと、子供は親を名前で呼ぶようになっちゃうんですから!」
「ごめんよママ。ぼくからも言っておくから」
「あ、アーサー様まで……ホントにどうしちゃったんですか……?」
アルテルフはアクアリウス同様引きつり、ずずっと足を退いた。そうだよね、わけわかんないよね。ぼくもそうなんだ。
「あのね、レオはいまママなんだよ。そしてぼくはパパ。たぶん君たちはぼくらの娘」
「はあ? おつむイカレてるんですかぁ?」
——ビリビリッ!
「ぴょー!」
「こら! パパに向かってなんて言葉使うの! おしおきするわよ!」
「ご、ごめんなさい、パパ、ママ……」
あ、気の強いアルテルフが折れた。いまの電撃は相当強かったな。気の毒に……
「わかればいいの。それじゃあアルテルフ、デネボラにトレーニングウェアを持ってきなさい。それからパパ。ウィスキーをロックで、あとつまみも少々ね」
え、お酒? 母親って昼間っからお酒飲むもんなのか?
「いいのよ! だって、わたしは働いてるんだから! パパと違ってお仕事忙しいのよ!」
い、忙しくはないと思うけどなぁ。
「働いてるから休日は昼間からお酒を飲むの! 文句があるならパパが稼いでくれないかしら!」
「別に文句言ってるわけじゃ……」
「それにデネボラが着替えるでしょ! あの子はもう幼くないのよ! パパに裸を見られたら恥ずかしいでしょ! デリカシーがないわね!」
「あ、そうか……」
ぼくは納得し、
「じゃあゆっくり行ってくるね」
そう言ってぼくはキッチンに行き、言葉通りゆっくりとサラミを切り、過去最高に薄くて枚数の多いサラミを用意した。
そうして皿に盛りつけていると、ふと頭によぎるものがあった。
——それにしても”ママ”か……
冷気のこもった魔法の箱から氷を取り出し、アイスピックで崩して、カラン、カラン、とグラスに放り込む。
——レオは子供ができないからなぁ。
そう、レオは子供ができない。彼女はかつて闇の中で襲われ、そのとき呪術かなにかで子袋が飛び出し、暴漢を潰し殺した。それを偶然か必然か通りがかったアクアリウスが治療し、子袋を失っていまがある。
レオはいつもお酒を飲んでだらだらしているが、ふと気がつくと書斎で本を読んだり、新たな魔法の開発をしている。それはいつか失った子袋を再生する魔法を探し、ぼくの子を成すためにほかならない。
——言わなきゃよかったかな。
——母親になれないレオに、母さんみたいだなんて……
ぼくはグラスにウィスキーを注ぎ、トレイで抱えてキッチンをあとにした。すると廊下でレグルスと顔を合わせた。
「あっ、アーサー様」
レグルスは顔を赤らめて視線を逸らした。彼女は先日の事件でぼくに気があることがわかってしまい、どうにも話しにくい状況にある。
「あ、あの……レオ様のお使いですか?」
レグルスはぎこちなく言った。どう見てもわかるぼくの状況を質問している。たぶんなにを話していいかわからないし、通り過ぎることもできないんだろう。本質は生粋の武人で、本来の姿は街ひとつ平気で崩壊させられるほどの巨大な虎なのに、恋だの性だのが関わると迷い子みたいにしどろもどろしてしまう。
しかし難しいのは、ぼくは彼女の恋に応えられないことだ。だって、ぼくにはレオがいる。レグルスがいかに美しくてかわいくて魅力的で胸がすごく大きくて気を抜くと欲情でこころが持っていかれそうでも、レオ以外を愛することはできない。でも、また気の置けない仲に戻りたいなぁ。なにかいい方法ないかなぁ。
あ、そうだ。
「ねえレグルス、お願いがあるんだけどいいかな?」
「お、お願いですか?」
「実はいまさ、レオがママでぼくがパパで、君たち使い魔が娘なんだ」
「は、はぁ?」
ぼくは事情を話した。憶測だがおそらくレオは母親を演じたがっている。だから協力してほしいと。
「ということなんだ」
「なるほど……もしそうなら主人の願いを叶えるのは我々しもべの役目ですし、わたくしも娘となりましょう」
「うん、それでね、お願いっていうのは……」
ぼくはレグルスの耳元に口を寄せ、ひそひそ話をした。親密な人間は近い距離で話すと本で読んだことがある。きっとこれだけ近づけば、レグルスは以前のように親密になってくれるに違いない。
「どうだろう、やってもらえるかな?」
ぼくは元の立ち位置に戻ってそう言った。すると、
「は、は、は、はい! お任せくださひぃ!」
あれ、さっきよりもっとギクシャクしてる? じゃあダメ押しでもうひと声!
「頼んだよ。ぼくはレグルスが大好きで、一番信用してるから君に頼むんだよ」
「そ、そ、そ、そんな、わたくしめを、はひ、はひぃ……」
レグルスは胸を押さえ、荒い息を吐きながら、
「お、お任せ下さい! わたくしめがかならずアーサー様のご要望にお応えします!」
と涙っぽい笑顔で言った。ぼくの目をまっすぐ見てくれている。ああよかった。きっと以前の仲に戻れたんだろう。これでぎくしゃくしないし、またいっしょに稽古ができるに違いない。
「じゃあよろしくね」
ぼくはそう言ってレグルスを見送り、庭に戻った。
するとすでにデネボラのダイエットははじまっていた。
「ほら、まだ十回しかしてないわよ!」
デネボラはレオの叱咤の元、腹筋を鍛えていた。大地に仰向けに寝そべり、ひざを立て、両手を後頭部に回して上半身をぐぐぐっと立たせたり寝かせたりしている。
「ふえぇん、つらいですぅ」
うわ、すごいなぁ。なにがって格好だよ。トレーニングスーツの上は肋骨あたりまでしかないぴちぴちのタンクトップで、下はふとももがほとんど丸出しのショートパンツだ。おかげでデネボラの白い肌が丸見えで、だらしない全身があらわになっている。腕も脚もむっちりと太く、上半身を縦にするたびにお腹の肉が集まって段差ができる。なるほどこれは少し痩せた方がいいかもしれない。
しかしやはり目につくのは胸だ。上半身が縦、横を繰り返すたび、たっぷん、ぽよん、たっぷん、ぽよん、それに合わせてぼくの目も動いてしまう。ああ、なんという光景だろう……
「ふえぇ、もうダメですぅ」
デネボラはバタンと倒れ、ぜーぜーと胸を上下させた。全身汗まみれでもう動けそうにない。
「バカ、まだちょっとしか動いてないじゃないの! ママは百回やるまで許しませんよ!」
「そんなぁ、やだぁ。お腹空きましたぁ」
「なにを言ってるのこの子は! そんな悪い子にはおしおきよ!」
そう言ってレオはどこから取り出したのか、すだれ状のムチで地面をピシィッと打ちつけた。
「ひぃん!」
「さあ、これで打たれたくなかったら百回やりなさい!」
「ち、ちょっと!」
ぼくは慌ててレオの腕を止めた。
「レオ! それはやりすぎだよ!」
「ママと呼べと言ってるでしょ!」
——ピシィッ!
「痛っ!」
ひ、ひどい! ちょっと名前で呼んだだけでぼくの手を!
「うふふ、どう? それほど痛くないでしょう?」
レオはそう言って再びムチを構え、ぼくの胴を二、三度打った。
痛いっ——けど、たしかにそんなに痛くない……
「これはドクター・アクアリウスからお借りした、音は大きいけどそれほど痛くないムチなの。こんどパパに使おうと思っていたけど、今日はデネボラの教育に使わせてもらうわ」
ま、また変なの借りてきたなぁ。アクアリウスもよくそんなの持ってるよ。……というかそれでぼくをムチ打つ予定だったのか。
「さあ、デネボラ起きなさい! すぐ運動を再開するのよ! さあ、さあ!」
「ひいぃ、無理ですぅ!」
「無理じゃないの!」
——ピシィ!
「あんっ!」
「さっさとしなさい!」
——ピシィ!
「ああんっ!」
うわぁ……なんだかすごい光景だ。ムチで打たれるたびにデネボラの体がビクビク跳ねて、大きな胸がぽよんぽよん揺れて……
「ビクンビクンする暇があったら動きなさい、この白豚!」
——ピシン、ピシン!
「あああんっ!」
「ほーら、だんだん肌が赤くなってきたわよ! さあ、動きなさい! 早くしないとどんどん打つわよ! おーっほっほっほっほっほっほ!」
なんだろう、これってトレーニングなのか? どっちかというと調教を見てるような気がする……というかこれ母親のすることじゃないよ!
レオ、間違ってる! 君のやってることは妖しいお店の女王様だ! いったいなにをどう間違えればそうなっちゃうんだよ!
ぼくらは庭に向かった。そうしたら廊下でシェルタンが歩いていた。
シェルタンはレオの飼っている黒猫で、本来道に迷ってしまうはずの魔の森に客が入るとき、その道案内をして招き入れる役目を担っている。子猫のころにレオに助けられたらしく、レオによくなついており、どういうわけだかレオと会話をすることができる。
が、ツンツンメガネのレオを見た瞬間、
「しゃー!」
シェルタンは本能剥き出しに牙を見せ、バケモノでも見たかのように逃げ去って行った。
「まあ、失礼な猫ちゃんね! こんな美人ママに牙を剥くなんて!」
いや、気持ちはわかるよ。だってこのメガネをかけたレオはやけにサディスティックな感じがするもの。
本来レオの眼差しは、キッとしていながらどこかやわらかで、眠たげなふたえまぶたが落ち着いた雰囲気をかもし出している。しかしこのメガネはそんなやわらかさを覆い隠し、とがり一直線にしてしまう。するとそこには甘さのかけらも感じられない、ひとをしばくことしか考えていなさそうなサディストの姿が完成する。
それは美しく、同時にひどく恐ろしい。ある種強烈な魅力があるものの、それはぼくがレオにいじめられ慣れてるからそう思えるのであって、子供や動物が見たら逃げ出すのも無理はない。
やがてぼくらは庭に出た。このごろは夏のにおいが漂いはじめ、色とりどりだった花の情景は鮮やかな緑の世界へと変わりつつある。陽射しもだいぶ強くなり、ほんのわずか陽光を浴びただけで肌の表面に汗がにじむのを感じた。
レオは溜め池の縁を囲う石に腰を降ろし、艶かしい脚を偉そうにクロスして言った。
「さあ、デネボラ。運動する前に軽くストレッチしなさい」
「い、いやですぅ」
「まあ! なんでよ!」
「だってぇ、運動ってだるいじゃないですかぁ。お昼寝したいですぅ」
「なにバカなこと言ってるの! だるいもクソもないの! さっさとしなさい! ママの命令よ!」
「ふえぇん」
デネボラは涙目になりながら庭の真ん中に出て、体の筋を伸ばしはじめた。それにしても彼女は我が強い。使い魔は基本、主人に絶対服従だ。なにせ彼女たちはもう本来の生き物ではない。主人の魂の一部として存在しており、生命はあるとも言えるし、ないとも言える。歳をとることもないし、主人が死ぬとき、彼女たちもいのちを失う。
魔術師によっては、こころを消してしまうこともあるらしい。そうすれば完全なる操り人形ができあがり、これ以上ない便利な道具となる。しかしレオはそれをしなかった。
「こころを消すなど、それこそ殺し以上の悪行ではないか。それに叩いても泣かないんじゃいじめがいがないしな」
意地がいいのか悪いのか、ともかくレオは使い魔に理性を残した。だからみんな、言うことを聞かずに好き勝手やったりする。とくにデネボラは自由気ままで、料理と馬としての仕事以外は一切を怠惰に過ごす。
「ほら、もっとしゃきしゃき動きなさい! ママ怒るわよ!」
レオはだらだらストレッチするデネボラに喝を入れた。相変わらず口調は変だし、自分をママと呼ぶことを忘れない。完全に”ママ”になりきっている。なんでまたこんな突拍子もないことをはじめたんだろう。
……でもまあいいか。この謎の遊びにぼくも付き合うとしよう。どうせ今日もやることなんてないんだし、考えようによってはいい暇つぶしだ。口調を変えるのはさすがにいやだけどね。
「アルテルフ! ママのところにいらっしゃい!」
レオが頭上に向かって叫んだ。するとどこからともなく「ぴょおー」と聞こえ、さーっと小さな鷹が舞い降りてきた。
——と思ったら着地する直前に変なポーズになり、そのままずででんとスッ転んだ。だ、大丈夫か!?
アルテルフはひとの姿に変げし、四つん這いでわめいた。
「いたたた! 痛ーい!」
「アルテルフちゃん大丈夫!?」
レオが駆け寄ると、
「それはこっちのセリフですよ!」
アルテルフは血相を変えて起き上がり、
「なんですかそのしゃべり方は! ママなんて言うからなんだろうと思って見たら変なメガネかけてるし、おかげでずっこけちゃいましたよ! レオ様どうしちゃったんですか!?」
「こら!」
——ビリビリッ!
「ぎゃっ!」
「ママと呼びなさい!」
「はあ!?」
「まったく、どれもこれもパパの教育がなってないからですよ! 幼いころからママって呼ばないと、子供は親を名前で呼ぶようになっちゃうんですから!」
「ごめんよママ。ぼくからも言っておくから」
「あ、アーサー様まで……ホントにどうしちゃったんですか……?」
アルテルフはアクアリウス同様引きつり、ずずっと足を退いた。そうだよね、わけわかんないよね。ぼくもそうなんだ。
「あのね、レオはいまママなんだよ。そしてぼくはパパ。たぶん君たちはぼくらの娘」
「はあ? おつむイカレてるんですかぁ?」
——ビリビリッ!
「ぴょー!」
「こら! パパに向かってなんて言葉使うの! おしおきするわよ!」
「ご、ごめんなさい、パパ、ママ……」
あ、気の強いアルテルフが折れた。いまの電撃は相当強かったな。気の毒に……
「わかればいいの。それじゃあアルテルフ、デネボラにトレーニングウェアを持ってきなさい。それからパパ。ウィスキーをロックで、あとつまみも少々ね」
え、お酒? 母親って昼間っからお酒飲むもんなのか?
「いいのよ! だって、わたしは働いてるんだから! パパと違ってお仕事忙しいのよ!」
い、忙しくはないと思うけどなぁ。
「働いてるから休日は昼間からお酒を飲むの! 文句があるならパパが稼いでくれないかしら!」
「別に文句言ってるわけじゃ……」
「それにデネボラが着替えるでしょ! あの子はもう幼くないのよ! パパに裸を見られたら恥ずかしいでしょ! デリカシーがないわね!」
「あ、そうか……」
ぼくは納得し、
「じゃあゆっくり行ってくるね」
そう言ってぼくはキッチンに行き、言葉通りゆっくりとサラミを切り、過去最高に薄くて枚数の多いサラミを用意した。
そうして皿に盛りつけていると、ふと頭によぎるものがあった。
——それにしても”ママ”か……
冷気のこもった魔法の箱から氷を取り出し、アイスピックで崩して、カラン、カラン、とグラスに放り込む。
——レオは子供ができないからなぁ。
そう、レオは子供ができない。彼女はかつて闇の中で襲われ、そのとき呪術かなにかで子袋が飛び出し、暴漢を潰し殺した。それを偶然か必然か通りがかったアクアリウスが治療し、子袋を失っていまがある。
レオはいつもお酒を飲んでだらだらしているが、ふと気がつくと書斎で本を読んだり、新たな魔法の開発をしている。それはいつか失った子袋を再生する魔法を探し、ぼくの子を成すためにほかならない。
——言わなきゃよかったかな。
——母親になれないレオに、母さんみたいだなんて……
ぼくはグラスにウィスキーを注ぎ、トレイで抱えてキッチンをあとにした。すると廊下でレグルスと顔を合わせた。
「あっ、アーサー様」
レグルスは顔を赤らめて視線を逸らした。彼女は先日の事件でぼくに気があることがわかってしまい、どうにも話しにくい状況にある。
「あ、あの……レオ様のお使いですか?」
レグルスはぎこちなく言った。どう見てもわかるぼくの状況を質問している。たぶんなにを話していいかわからないし、通り過ぎることもできないんだろう。本質は生粋の武人で、本来の姿は街ひとつ平気で崩壊させられるほどの巨大な虎なのに、恋だの性だのが関わると迷い子みたいにしどろもどろしてしまう。
しかし難しいのは、ぼくは彼女の恋に応えられないことだ。だって、ぼくにはレオがいる。レグルスがいかに美しくてかわいくて魅力的で胸がすごく大きくて気を抜くと欲情でこころが持っていかれそうでも、レオ以外を愛することはできない。でも、また気の置けない仲に戻りたいなぁ。なにかいい方法ないかなぁ。
あ、そうだ。
「ねえレグルス、お願いがあるんだけどいいかな?」
「お、お願いですか?」
「実はいまさ、レオがママでぼくがパパで、君たち使い魔が娘なんだ」
「は、はぁ?」
ぼくは事情を話した。憶測だがおそらくレオは母親を演じたがっている。だから協力してほしいと。
「ということなんだ」
「なるほど……もしそうなら主人の願いを叶えるのは我々しもべの役目ですし、わたくしも娘となりましょう」
「うん、それでね、お願いっていうのは……」
ぼくはレグルスの耳元に口を寄せ、ひそひそ話をした。親密な人間は近い距離で話すと本で読んだことがある。きっとこれだけ近づけば、レグルスは以前のように親密になってくれるに違いない。
「どうだろう、やってもらえるかな?」
ぼくは元の立ち位置に戻ってそう言った。すると、
「は、は、は、はい! お任せくださひぃ!」
あれ、さっきよりもっとギクシャクしてる? じゃあダメ押しでもうひと声!
「頼んだよ。ぼくはレグルスが大好きで、一番信用してるから君に頼むんだよ」
「そ、そ、そ、そんな、わたくしめを、はひ、はひぃ……」
レグルスは胸を押さえ、荒い息を吐きながら、
「お、お任せ下さい! わたくしめがかならずアーサー様のご要望にお応えします!」
と涙っぽい笑顔で言った。ぼくの目をまっすぐ見てくれている。ああよかった。きっと以前の仲に戻れたんだろう。これでぎくしゃくしないし、またいっしょに稽古ができるに違いない。
「じゃあよろしくね」
ぼくはそう言ってレグルスを見送り、庭に戻った。
するとすでにデネボラのダイエットははじまっていた。
「ほら、まだ十回しかしてないわよ!」
デネボラはレオの叱咤の元、腹筋を鍛えていた。大地に仰向けに寝そべり、ひざを立て、両手を後頭部に回して上半身をぐぐぐっと立たせたり寝かせたりしている。
「ふえぇん、つらいですぅ」
うわ、すごいなぁ。なにがって格好だよ。トレーニングスーツの上は肋骨あたりまでしかないぴちぴちのタンクトップで、下はふとももがほとんど丸出しのショートパンツだ。おかげでデネボラの白い肌が丸見えで、だらしない全身があらわになっている。腕も脚もむっちりと太く、上半身を縦にするたびにお腹の肉が集まって段差ができる。なるほどこれは少し痩せた方がいいかもしれない。
しかしやはり目につくのは胸だ。上半身が縦、横を繰り返すたび、たっぷん、ぽよん、たっぷん、ぽよん、それに合わせてぼくの目も動いてしまう。ああ、なんという光景だろう……
「ふえぇ、もうダメですぅ」
デネボラはバタンと倒れ、ぜーぜーと胸を上下させた。全身汗まみれでもう動けそうにない。
「バカ、まだちょっとしか動いてないじゃないの! ママは百回やるまで許しませんよ!」
「そんなぁ、やだぁ。お腹空きましたぁ」
「なにを言ってるのこの子は! そんな悪い子にはおしおきよ!」
そう言ってレオはどこから取り出したのか、すだれ状のムチで地面をピシィッと打ちつけた。
「ひぃん!」
「さあ、これで打たれたくなかったら百回やりなさい!」
「ち、ちょっと!」
ぼくは慌ててレオの腕を止めた。
「レオ! それはやりすぎだよ!」
「ママと呼べと言ってるでしょ!」
——ピシィッ!
「痛っ!」
ひ、ひどい! ちょっと名前で呼んだだけでぼくの手を!
「うふふ、どう? それほど痛くないでしょう?」
レオはそう言って再びムチを構え、ぼくの胴を二、三度打った。
痛いっ——けど、たしかにそんなに痛くない……
「これはドクター・アクアリウスからお借りした、音は大きいけどそれほど痛くないムチなの。こんどパパに使おうと思っていたけど、今日はデネボラの教育に使わせてもらうわ」
ま、また変なの借りてきたなぁ。アクアリウスもよくそんなの持ってるよ。……というかそれでぼくをムチ打つ予定だったのか。
「さあ、デネボラ起きなさい! すぐ運動を再開するのよ! さあ、さあ!」
「ひいぃ、無理ですぅ!」
「無理じゃないの!」
——ピシィ!
「あんっ!」
「さっさとしなさい!」
——ピシィ!
「ああんっ!」
うわぁ……なんだかすごい光景だ。ムチで打たれるたびにデネボラの体がビクビク跳ねて、大きな胸がぽよんぽよん揺れて……
「ビクンビクンする暇があったら動きなさい、この白豚!」
——ピシン、ピシン!
「あああんっ!」
「ほーら、だんだん肌が赤くなってきたわよ! さあ、動きなさい! 早くしないとどんどん打つわよ! おーっほっほっほっほっほっほ!」
なんだろう、これってトレーニングなのか? どっちかというと調教を見てるような気がする……というかこれ母親のすることじゃないよ!
レオ、間違ってる! 君のやってることは妖しいお店の女王様だ! いったいなにをどう間違えればそうなっちゃうんだよ!
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