魂売りのレオ

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第八話 聖者ははかなくも夢を語る

聖者ははかなくも夢を語る 六

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 その場所にたどり着くまでにはかなり時間がかかった。なにせ館から遠く離れたところだ。樹々の緑で空は見えないが、暗さでもう陽が沈みかけているのがわかる。
 彼らがいたのはとある窪みだった。
 崖と言ってもいいかもしれない。大きな館がすっぽり収まってしまうような窪みの中に、深い闇が広がっている。
「レオ様、あれです」
 そう言ってアルテルフは案内を終え、崖から離れた。
「あたしは見たくないのでこっちにいますね」
 見たくない——いったいどんな状況になっているのか。彼女は彼らを「ほとんど生きている」と言った。そして「もう人間じゃない」とも言った。それはどういう意味なのか。
 ぼくらは恐る恐る崖ぎわに手をつき、うつ伏せに近い状態で崖下を見下ろした。すると、ほとんど闇に近い空間にわずかだが人間の動きが見えた。
「おおーい、みんないるのかー!?」
 ジェローム神父は叫んだ。すると、
「神父様!?」
 崖下深くから声が返ってきた。
「神父様ー! 生きてらっしゃったんですねー!」
「ここです! みんなここにいます!」
 彼らは口々に神父の名を叫んだ。しかし、
「バカ! 呼ぶな!」
「見られたらどうする!」
 と、叫びをはばかる声も聞こえた。
「ど、どういうことだ……」
 神父は戸惑っていた。再会をよろこぶ声だけが聞こえるはずなのに、拒絶の声が混じっている。見られてなにが困るのか。おそらく彼らはこの窪みから出られずに困っていたはずだ。見たところ登れるような場所はない。崖は三階建てのアパートのほどの深さがあり、壁面はほぼ垂直だ。
「ねえレオ、どういうことだろう」
 ぼくはこっそりレオに耳打ちした。すると、
「ククク……しょせんは”あさまし”ではないか。生き物を傷つけぬなどと正義ぶりおって」
 と、ほくそ笑んだ。
 レオは正義が大きらいだ。正義が正しいと聞けば苛立ち、悪業の話を聞くとワクワクする。そんなレオがこうして笑うのだから、きっと悪業が行われているに違いない。
 でも、いったいなにが?
 神父はおろおろとうろたえ、言った。
「代弁者様、彼らはどうしたのでしょうか。どうやら彼らは崖を登れず困っているようです。一刻も早く救い出してやりたいのですが……」
「救いたいか……そうだろう。汝はいま救いたいと思っていることだろう。いまはな」
「いまは……?」
 レオは知っている。アルテルフから話を聞き、この窪みで彼らが”人間じゃなくなった”ことの意味を理解している。
 そして、たのしんでいる。
「なあ、あやつらはなぜ助けてと言わんのだろうな」
「……」
「一週間だ。一週間もこんな崖の下に閉じ込められて、どうしてだれも助けてだの、ロープを降ろしてくれだのと言わんのだ? そもそもこんな飲み水もないところでどうやって一週間も生き延びた? ここのところ雨は降っておらんぞ。水も食料もないのにどうして生きられる? なあ、どうしてあやつらは助けを求めん?」
「な、なぜでしょう……」
 神父は困惑していた。というより怯えていた。彼もアルテルフの言った”人間ではない”を聞いている。そして、どうやらレオはそれをゆっくりと教えている。
 ぼくもまさかと思いはじめた。だって、そうだ。人間はなにかを口にしなければ生きていけない。肉、野菜、菜肉、このいずれかと水分を摂取しなければ飢え死にしていまう。とくに水は必須だ。食事は最悪取らなくても、水を飲まなければ三日も持たないと聞いたことがある。
 つまり彼らは水を飲んでいる。そしておそらく食事もしている。だって、すごく元気な声だった。水と草しか口にしていなかったジェローム神父があんなに弱々しい声だったのに、なにも食べるものがないはずの彼らの声はある種のパワーに満ちていた。
 まさか……でも、それしかない。それしかないよ……
 ぼくは最悪の事態を想像していた。そして、レオはにたりと微笑み、
「じゃあ見てみようか」
 と、水をすくうような動きで手を伸ばした。そして手のひらに白い輝きを生み出し、空中にふわりと放った。
 それは小さな太陽だった。月光よりも薄い、赤みのない光の玉が放物線を描いて飛び、窪みの中ほどで止まった。
 それは遭難者たちの状況を薄暗く教えてくれた。
「うあっ、あああ!」
 神父はおののき、仰向けにひっくり返った。
「げえっ!」
 とウォルフが口を押さえ、耐えきれず胃の中のものを吐き出した。
 ぼくはただただ目を見開き、その惨劇を震えながら見つめていた。
 あさましだ。
 彼らはもう人間ではなかった。
 十人前後の男たちがいた。
 彼らはぼくらを見上げ、あるいは体の正面を隠そうと手で覆った。
 彼らの正面は血にまみれていた。
 顔じゅうを真っ赤に染め、その色は服をもひたしていた。
 崖の側に二体、ひとだったものが横たわっていた。
 それはほとんど原型をとどめていなかった。
 ただ、頭だけは手つかずで残っている。
 首から下をほとんど骨だけにされた人間の残骸が、それほど血を撒き散らさずに横たえられていた。
「食べたんだ……」
 ぼくはなかば呆然とした意識で言った。
「食べるのもがないから、人間を食べたんだ……」
「そうだ」
 レオは言った。
「見ろ、血がほとんどこぼれていない。まずは血をすすったんだろう。貴重な水分だからな。それに血は野菜の薬効が流れているから薬にもなる。だから殺してから、あるいは死んでからか? まずは血をすすり、それから肉を食らったんだ」
 そう言ってレオはクククとあざ笑った。実に満足そうな笑いだった。
 その声が夜の森に響く。樹々に反響し、ざわざわと草葉を揺らし、窪みの中へと吸い込まれて行く。
 薄明かりでモノクロ色に照らされた”あさまし”どもは声を失い、ただただ血の赤黒さだけを鮮明に映した。
 それはひとであり、ひとでなかった。
「おお、どうして! どうしてそんな!」
 ジェローム神父は仰向けに倒れたまま、おうおうと泣いた。あと一歩で子供の泣きじゃくりという荒れようだった。
 その声に触発されたか、窪みの下からも鳴き声が上がった。ほとんど同時に、彼らは一斉に泣き叫んだ。
「どうかお許しを! どうか!」
「助けてください! ここから出してください!」
「仕方なかったのです! 生きるにはこうするしかなかったのです!」
 口々に叫んだ。
「そうなのです! 飢えていたのです!」
「みんな死にたくなかったのです!」
「これはやむないことなのです!」
 仕方がなかった。やむないことだった。そんな言いわけを聞いて、神父は顔を手で覆って涙を流した。
「バカな……だからって、ひとを食べていいわけがないじゃないか……」
 彼はそう言ったきり、めそめそ泣くしかなかった。そうだろう。だって、裏切られたんだから。
 彼らはジェローム神父の仲間だ。生き物を傷つけず生きたい、そう願って賛同した同志だ。だれよりもやさしく、なによりも立派な精神の友だ。それを、飢え死にしたくないからって仲間の肉を食らうだって? 人間が人間を食うだって!?
「バカやろおー!」
 ぼくは立ち上がり、怒りのままに叫んだ。
「言いわけするなよ外道ども! なんで食った! 生きるためにひとを殺すようなクズどもが人間のふりするな!」
「違う! こいつらは死んだんだ! 殺したんじゃない!」
「だったら葬ってやれよ! おなじ人間だろ! それを食った時点でおまえらは外道だろ! なにが助けてだ! だれが助けるもんか!」
「そ、そんな! おれたちは仕方なく……」
「仕方なくなんかない!」
 ぼくは、自分からこんな濃い叫びが出るのかと驚くほどの怒号を発した。気づけばぼくも泣いていた。
「……に、人間じゃないか。ぼくらには人間の誇りがあるんじゃないか……それを捨てたら、死ぬより悲しいことだって、なんで……なんでわかんないんだよ。う、う……」
 ぼくはしゃがみ込み、レオにしがみついていた。だって、悲しいんだ。レオに泣きつきでもしなきゃ耐えられない。
「アーサー、おまえの言う通りだ」
 レオは身を起こし、ぼくの頭を撫でた。
「人間には誇りがある。そして生き方がある。わたしのように酒を飲んでだらだら生きるのも、この神父のように他を気遣って生きるのも、みな生き方だ。自分の決めた生き方、自分がこうしたいと思った生き方を目指すのが人間だ。だが死にかけているからといってそれを忘れてしまえば、そいつはもうひとではない。ましてや仲間の肉を食らうなど、まさにケダモノだ」
 レオはぼくの手を取り、崖から離れてうずくまっていたウォルフを呼び寄せ、
「さ、行くぞ。もういいだろう?」
 とジェローム神父に言った。
 神父は訊いた。
「これも……神の気まぐれなのでしょうか」
 レオは答えた。
「いいや、人間のしわざだ。残念だがな」
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