魂売りのレオ

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第九話 アーサーのお留守番

アーサーのお留守番 六

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「アーサー様! お薬をお持ちしました!」
 そう言ってレグルスが入ってきたときは死ぬほど驚いた。
 なにせ彼女は素っ裸だった。そのうえ恥ずかしい部分をなにひとつ隠そうとしない。なにやらブローチのついた皮袋を片手に持っているだけで、すべて丸見えだった。
「れ、レグルス!?」
 ぼくは慌てて目を隠し、
「み、見えてる! 見えてるよ!」
 と、わめいた。しかしレグルスは、
「か、覚悟のうえです!」
 と身を固く縮こませながらも裸体を晒したまま、真っ赤に染まった顔で言った。
「じ、実は……」
 レグルスはことのいきさつを話した。それを聞いてぼくはなかばパニックになった。
 だって、レオがここ数日風邪っぽかったのは流行り病のせいだったんだ。それに聞けばぼくらはお互いの裸体に薬を塗り合わなくちゃいけないと言うし、ぼくはもうなにがなにやらだった。
「とにかく、まずはアーサー様です! アーサー様のお体に薬を塗らせていただきます!」
 そう言ってレグルスはぼくの体をバカ力で持ち上げ、湯船の外に座らせた。そして背後に回り、
「まずはお背中から塗らせていただきます!」
 と、まるで土のような粉薬を袋からすくってぼくの背中で伸ばしはじめた。
 ……しかしそんな病があったなんて知らなかった。でもよかったよ、薬があって。どうやらレオも治療済みみたいだし、多少恥ずかしいけどそれで無事に済むなら恥なんてないようなものだ。
 と、最初のうちは思っていた。背中に土のような薬を塗りたくられる感触はマッサージを受けてるみたいで心地よかった。しかしそれが首回り、肩や二の腕、そして脇腹に回ってくると、なんだかこそばゆくて、レグルスのやわらかな手の感触をよりはっきり感じるようになった。
 そうして背面が終わり、
「そ、それでは……前を……」
 とレグルスがぼくの前に座った。
「うっ!」
 ぼくは目をつぶった。だって、大きな胸がふたつとも丸見えなんだ。
「も、申し訳ありません」
 レグルスは震え声で謝った。
「し、しかし……恥ずかしいなどと言ってられません。恥を気にして塗り残しを作ってしまったら、わたくしはどれだけ詫びても詫びきれません」
 うう、レグルス……君はなんて強いんだ。だって、君は裸を見るのも、裸を見られるのも大の苦手だ。胸を見られるなんて想像しただけで泣いてしまうような子だ。きっとぼくの肌に触れるのも勇気のいることだろう。それに塗り残しがないようしっかりと見なければならない。前も、うしろも、真剣な場だっていうのに熱くなってしまったぼくの恥ずかしいところも。
「ごめんよ、レグルス……ぼく、騎士だってのにこんな……」
「そんな、アーサー様! 謝るのはわたくしです! わたくしめがアーサー様を困らせているのです! それに……お、大きくなった方が溝までしっかりと塗れるはずです!」
 そしてレグルスは塗ってくれた。ぼくの体をすべて治療してくれた。どれだけ恥ずかしくても、どれだけ怖くても、決して塗り残しがないよう丁寧にうしろのひだから子種袋こだねぶくろのしわ一本までまんべんなく。
「ぬ、塗り終わりました……」
 レグルスはハアハアと息を荒げ、涙目で言った。ぼくらの呼吸は尋常じゃなかった。
「申し訳ありません……い、痛かったでしょうか?」
「う、ううん……だ、大丈夫だよ」
「その、ち、小さな悲鳴を上げてらっしゃいましたので……やさしく塗ったつもりでしたが……」
 うん、とってもやさしかったよ。全然痛くなかった。むしろその逆さ。もうギリギリだったよ。
「そ、それではわたくしめにも……お、お塗りいただけますか?」
 レグルスはそう言って目をつぶり、仰向けに寝転んで手足を広げた。
「わっ、わっ!」
 ぼくは声を漏らした。だって、どこまでも丸見えだ!
「わ、わたくしめには前からお願いします……先に恥ずかしいのを終わらせてください……」
「う、うん……」
 ぼくの荒かった息がいっそう激しくなった。だって、こんなの見てるだけで頭がおかしくなる。
「は、早く……」
 ぼくはうながされるままに薬を手に取り、水で湿らせた。そして震えでこぼれないようゆっくりと彼女の胸の前まで持っていった。
 ……まんべんなくだ。そう、まんべんなく。とくに溝やしわの部分をしっかりとだ。
 恥ずかしがってる場合じゃない。やらなきゃいけないんだ。これは治療なんだ。レグルスのいのちを守るためなんだ。
 だけど、ああ……ぼくはこれをしたら止まらなくなってしまう気がする。レオという妻がいながら、レオと約束をしていながら、きっと裏切ってしまう。だけど、だけど……
 ぼくはその肢体したいに息をのんだ。”それ”は大きく揺れていた。レグルスの激しい呼吸に合わせ、肺とともにたぷたぷと上下していた。わずかな体のよじれも逃さず伝わり、プリンのように波打っていた。
 それを見ていると、ぼくの心音がドクドク止まらなくなった。全身が脈打ち、体が一個の心臓に変わった。
 耳が鋭敏になる。すべての血管から鳴り響く音を一身に受け、周りの音が消えていく。鳥のさえずりも、水面の揺れる音も、ぼくらの息遣いも、そして、なぜか聞こえてくる皮袋の声もかき消えていく……
 ……皮袋の声!?
 ぼくはハッとした。いままで触られる緊張で気づかなかったけど、なんで薬の袋から声が聞するんだ!?
「レグルス! この薬変だよ!」
「えっ!?」
 ぼくらはバッと起き上がり、皮袋を近く見つめた。すると、ふたりの女の会話が聞こえた。
 ——あら、どうしたのかしら。もしかしてあれがただの土だって気づいたのかしら。
 ——まさか。アーサーはバカです。あいつに土と薬の区別がつくはずがありません。
 ——そう……それにしてもどうして音が聞こえなくなっちゃったのかしらね。もしかして受信と送信を間違えて着けちゃったとか?
 ——いや、完璧なわたしがそんなミスをするはずがありません。おそらくブローチがなにかの拍子で破損したのでしょう。かたちが大きく変われば魔法は解けてしまいますから。
 ——やあねえ。せっかくアーサー君とレグルスちゃんの喘ぎ声が聞けると思ったのに。
 ——まったく、なにをしてるんだ。さっさと浮気せんか。
 は、は、は、はあー!?
 嘘!? 浮気!? ただの土!?
 じゃあこれ……薬じゃなくて土!? とするともしかして病の話も嘘ってこと!? ぼくに無駄撃ちするなって約束させておいて、反故にするよう手回ししてたってこと!?
 そういえばおかしいと思ったよ! どうりで使い魔がこぞっていやらしいことをしてくると思った! アルテルフやスード、メリクならともかく、デネボラやレグルスはこんなことしないもの!
「はあ~~~~!」
 ぼくはとてつもなく大きなため息を吐いた。怒りを通り越して呆れ返った。そりゃレオとアクアリウスがいたずら好きなのは知ってるけど、まさかここまでやると思わなかった。まったく、なにやってるんだ。
 ぼくはがっくりうなだれた。激しい緊張から解放された体が力を失っていた。するとその横で、
「ふ、ふええん!」
 レグルスがボロボロ泣き出した。
「ど、どうしたの!?」
「ごめんなさい! わたくしが、わたくしのせいで!」
 ああ、そういうことか。レグルスも利用されたんだな。だって彼女はこういうことに加担しない。きっと本当にこの土が病に効く薬だと思って塗りに来たんだろう。あんな恥辱ちじょくを覚悟して。
「謝ることなんてないよ。だって君もだまされてたんじゃないか」
「いいえ、いいえ、ごめんなさい!」
「いいんだって。君も被害者だろう」
「違うのです! わたくしが悪いのです!」
 へ?
 レグルスは胸を隠し、縮こまって言った。
「わたくしは……わかっていたのです!」
「ど、どういうこと?」
「おかしいと思いました! どう見てもただの土だと思いました! 胴体に薬を塗っただけで伝染病が治るはずがないと思いました! しかし……それを知ったうえでわたくしはだまされたのです!」
「な、なんで……」
「あの夜が忘れられなかったのです!」
 ——あっ。
 そうか、あの夜か。
 ぼくも覚えている。芋酒で頭に霧がかかっていたけど、しかし体に、肌に刻み込まれている。
 獣耳の里でぼくとレグルスは愛し合った。それが酒のいきおいだったとしてもぼくは前のめりになってしまったし、レグルスも本心を晒していた。
 そう、レグルスはぼくに想いを持っている。恥じらいの下に劣情を抱えている。
「いけないことだと思いました! あるじの夫に恋心を抱くなど、ましてや手を出すなどあってはならないことです! しかしわたくしは、だまされてしまえばアーサー様にさわれると思いました! だまされてしまえば、たとえ治療という名目でもその手でれていただけると思いました! 嘘でも! 偽りでも!」
 ああ、レグルス。君は……
「わたくしは悪党です! わたくしは使い魔失格です! 破廉恥はれんちです! この罪、どうつぐなえばよいか……!」
 レグルスはなにもかもを話した。そうして崩れた姿勢で座ったまま、ただただ嗚咽を漏らした。
 黙っていればわからなかっただろう。自分も被害者でいられただろう。すべてうやむやにして逃げることができただろう。
 彼女の姿は罰を待っているように見えた。ぼくはそれが哀しげで、しかしとても美しいと思った。
「いいよ」
 ぼくはそっとレグルスを抱き寄せた。
「やっ……!」
「君は苦しんでたんだね」
「あ、アーサー様!? おやめください!」
「君は真面目だからね。ずっと気持ちを抑え込んで黙ってたんだね」
「あ……」
「いいんだよ。そんなに苦しまなくて」
「あ、あ……」
 レグルスは戸惑っていた。身を離そうとしていた。だけど手だけはぼくにしがみつき、大粒の涙を流しながらぼくの目を見ていた。
「ねえ、ぼくら泥だらけだ。いっしょに水風呂に入ろう」
「あの……その……」
「ね」
 ぼくらは肩を並べて水風呂に浸かった。入る前にほとんど泥は落としたけど、多少は残り、水は濁ってしまった。
 それがぼくらの小さな身じろぎで揺れ、水中に静かな土煙を作る。ほとんど波立たない水面の下でゆらゆらと曇り、やがて底に沈み砂利となる。
 外からチチチチと鳥の鳴く声が聞こえる。
 ぼくはふと、思い立つように言った。
「ねえ、レグルス」
「はい……」
「君は強いね」
「は……え?」
「だって、君はちょっとでもいやらしいことがあると泣いちゃう子だったでしょ。それが、あんなことができるなんて、すごい勇気だよ」
「そ、そんなこと……あんな、ただ破廉恥なだけで……」
「ううん、すごいことだよ。自分の殻を破ったんだ」
「……」
 レグルスは水面に口を沈めて視線を落とした。顔は真っ赤っかだ。
「ねえ、レグルス」
「はい……」
「こんど、いっしょにお酒を飲もうよ」
「へっ!?」
 レグルスはざぶんと飛沫を上げてぼくを見た。
「今日はレオと約束があるからまたこんどだけど、明日か、明後日か、そのあとでも、君の空いているときにさ」
「し、しかしアーサー様にはレオ様が……!」
「別にお酒を飲むだけだよ」
「ですがご存知でしょう!? わたくしが酔えばきっと、わ、わたくしは……!」
 ぼくはクスリと笑った。そして静かに言った。
「ぼくにはだまされてくれないの?」
 レグルスはハッとし、のど奥から吐息のような小声を漏らした。
 左右に震える瞳がじわりと潤んだ。
 それを隠すように前を向き、バシャバシャと顔を洗った。そして、ためらうように、
「……お酒を飲むだけですからね」
 そう言って小さく笑った。どこか遠くの山を眺めるような目をしていた。
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