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第十話 呪術師ライブラ
呪術師ライブラ 四
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そこはぼくらのよく行く街だった。
地方にしてはかなり栄えた街で、劇場が三つもあり、演劇好きのレオは最低でも週にいちどは通っている。
おなじ娯楽施設が複数存続できるほどの規模だから、もう地方都市と言っていいだろう。全体的に田舎臭さがなく、工業も発展し、宿も多い。人間も垢抜けていて、その分冷たい風が多いように思うけど、これは文明の発展とは切り離せない。
住民すべてが顔見知りで、ひとの繋がりがなくては生きていけない田舎と違い、ひとりでも生きていける都市ではどうしても人間が希薄になる。それは悲しいけど、進化しているということだろう。
でもここはまだマシな方で、少なくともおなじアパートにだれが住んでいるかくらいは知っている。街びとの様子を見ればそれくらいのご近所付き合いはあるとわかる。すべての人間があたたかいわけではないが、ここは実に住みよい街だ。
だがそんな人間模様を見れるのは昼間のことで、いまは真夜中だ。世間はとっくに寝静まっている。
街道と街を隔てる門は当然閉まっていた。
しかしゾスマのおかげで易々と外壁を越えることができた。彼女は蜘蛛の姿で壁を登り、上から糸でぼくらを引っ張り上げた。身長の二倍はある高さだが、彼女の糸なら重いデネボラも余裕だ。
ぼくらは日中の熱が抜け切らない石造りの道を歩いた。
もうほとんどひと気はない。酒場もほとんど閉まり、あとは色街に明かりを残すだけだが、それもまばらで、ぼくらの歩く市街地からは遠い。
「この家ですぅ」
ぼくらを先導するデネボラが言った。彼女は生まれ持った特殊な力でライブラの行き先を知り、道案内をしてくれていた。ちなみにぼくらはいまレオの”聞かれない魔法”で音を消しているので、だれかに見られでもしない限り大声を出しても気づかれない。
「ふむ……ふつうの家だな」
それはごくふつうの一軒家だった。そこそこ広い平屋で、見た感じ新しく、建ててからさほど年月は経っていない。装飾も豊かで、チューリップの板で表札を作るところなんか見ると、きっとあたたかい家庭が育まれているんだろう。
いったいこの家がなんのために呪術師なんて雇うんだろうか。地方とはいえ都市で家を持てるくらいだからそれなりに裕福だし、わざわざそんな禍々しいものと関わる必要なんてないんじゃないかな。
「守護のためか?」
レオはあごに手を当て言った。金持ちはなにかと争いごとが多く、魔法や呪いから家を守るために呪術師にまじないをしてもらうことがあるという。
「しかし、あの魂ではなぁ……」
ライブラが買ったのは過労死した主婦の魂だ。呪術はひとのこころを増減させたり、生き物の”念”をエネルギーに変換してわざを行う。それにはあの魂では力不足だという。
「まあ、とりあえず見てみよう。どこかいい覗き場所はないものか」
レオは家の周りを周回し、どうやら屋根裏部屋の窓に入れそうだと見込んだ。
「ゾスマ、頼んだぞ」
レオがそう言うと、ゾスマは蜘蛛に戻ってぼくらの視界から消えた。それから数分後、
がたん、
と窓が開き、ゾスマが、
「また糸で引っ張る?」
と訊いてきた。なるほど、蜘蛛なら小さな隙間から部屋に忍び込める。
ぼくらは再びゾスマの糸の世話になり、だれもいない屋根裏に入り込んだ。
「運がいいな。これは物置だ」
レオは魔法で明かりを灯し、言った。平家全体を覆う広さの屋根裏部屋は、一応の家具はあるものの、部屋としては使っておらず、乱雑な倉庫と化していた。
窓の近くにテーブルや椅子が置かれているあたり、元々なにかしらの部屋として使っていたのだろう。しかし一面埃が敷いてあり、しばらくひとの出入りはなかったようだ。
「これなら安心して覗きができるな」
レオはそう言って辺りを見回した。
ふと、床下からひとの気配がした。
「ふむ、声の出どころがふたつある。だがこれは声というより、いびきと泣き声か?」
ぼくらは耳を澄ませた。ひとつは男のいびき、もうひとつは赤ん坊の泣き声だった。
「よく聞くと赤ん坊をあやす声が混じっているな。家の中央あたりだ」
ぼくらは床の埃を軽く払って耳を当てた。
——おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。
——よしよし、いい子ね~。よしよし、よしよし。
若い女の声だった。おそらく夜泣きをあやしているのだろう。ということは、
「あっちは旦那か?」
レオはいびきの方へ行き、床に耳を当てた。
「うむ、やはりそうだ。この下品ないびきは男でなければ出せん。リビングかどこかで母親が子をあやし、父親は寝ているんだろう」
なるほど、その可能性が高い。しかし、
「ライブラはどこにいるんだろう」
と、ぼくは言った。それが疑問だった。
デネボラの能力はいつだって間違いない。彼女は対象がどこに向かうか、確実に探知する。
「この家で間違いないんだよね?」
「はぁい、絶対ここですぅ」
じゃあいったいどこに?
その疑問はすぐに解決した。
「母親といるよ」
床に耳を当てながらゾスマが言った。ちなみに彼女は床を払ってないので埃まみれだった。
「ほら、会話してる」
ぼくらは再び中央の床に耳を当てた。すると、
——ごめんなさいね、いつもならこんなに泣かないんですけど。
——構わないよ。赤ん坊は泣くのが仕事だからね。
「ホントだ。間違いないや」
それはライブラの声だった。床越しでややくぐもっているものの、話し方のクセですぐにわかった。
「ふむ。ということは母親が依頼人で、ふたりはおなじ部屋にいるのか」
レオはそう言ってニヤリとほくそ笑んだ。いったいなにを笑ってるんだろう。レオが笑うとろくなことがないからなぁ。
「よし、チャンスだ!」
レオはそう言っていびきのあたりに行き、なんと指を床に突き刺した。
「ちょっと! なにしてるのさ!」
「なに、覗き穴を作っているだけだ」
言いながらレオは、ふたつ、三つと穴を開けていった。どうやら魔法で指先に刃をつけているらしい。指を刺すたびに、ざくっ、ざくっ、と木を削る音がする。
「ひとんちだよ!」
「安心しろ。自分ちじゃやらん」
「そういう問題じゃないよ!」
レオは本当になにを考えているんだろう。ひと様の家に穴を開けるなんて迷惑もいいところだ。きっとあとで見てびっくりするぞ。
そうしてレオは四つほど穴を開け、
「どれどれ……」
と床下を覗き込んだ。
「うむ、やはりそうだ。おまえたちも見てみろ」
見てみろって……あとのこととか考えないのかなぁ。まあ、見るけどね。どうせ開けちゃったんじゃ見ない方が損だ。
「あ、本当だ」
そこは寝室だった。ベッドがふたつくっついて並んでおり、そのうちのひとつに太り気味の男が大いびきをかいて寝ている。穴が空いた分、それはよりはっきり聞こえた。
「おお、おお、醜いなぁ。見た感じまだ若いだろうに。ああはなりたくないものだ」
レオはそう言ってわざわざ穴にツバを吐いて見せた。
「やめなよ!」
「クククク、汚らしい豚め。死んでしまえ」
まったく、ほんっとうに性格悪いなぁ。そんなことしなくてもいいだろうに。もう十七になるんだろう? それなのにそんな子供のいたずらみたいなことして、いつか怒られるよ。まあ、レオに怒れるような強者はいないだろうけどさ。
「あのぉ、レオ様ぁ」
ふとデネボラが言った。
「赤ちゃん泣きやんでますよぉ」
「なに? じゃあそろそろはじまるか?」
ぼくらは顔を上げ、床に耳をつけた。そういえばこっちには穴を開けないのかな?
「バカ言うな。そんなことすれば気づかれるかもしれんだろう」
そういえばそっか。開けてくれたら目でも見れたのになぁ。どうせすでに開けてるんだから四つも五つもおなじだしさ。
ともかくぼくらは会話を聞いた。ライブラと奥さんはぼちぼち話しはじめた。
——ごめんなさい、おまたせして。
——いいさ、旦那が起きなきゃそれで。
旦那が起きなきゃいい? いったいなにをするんだろう。旦那に気づかれるとまずいことなのかな?
——それでは、早いうちにお願いします。
——ずいぶん急かすねぇ。決心が変わらないうちにってかい?
——いえ、なにせあのひと明日からしばらく遠征でいなくなってしまいますから。朝が来る前に、間違ってあのひとが起きてしまわないうちに、やってほしいんです。
——おいおい、あたしの呪術はどこにいようと追いかけるよ。別に家にいるときじゃなくたっていいんじゃないかい?
——いえ……目の前で、間違いなく確認したいので……
——そうかい……じゃあしょうがないねぇ。
どうやら女は旦那になにかをしたいらしい。そしてライブラの仕事が”朝まで”なのは、旦那がどこかへ出かける前に、確実に効果を確認したいという客の要望があってのことだった。
目の前で確認したい呪い……いったいなんだろう。あ、そういえば太ってたから痩せる呪いかな? それは目の前で見たいだろうなぁ。
ぼくがそんなことを考えていると、レオが不意に言った。
「おい、アーサー。ひとつ注意がある」
「なに?」
「なにがあっても絶対に手を出すなよ」
レオは真剣な目をしていた。さっきまであんなふざけたことしていたのに、よほど重要なことらしい。
「別に手を出す気なんてないけど……なんで?」
「これはあいつの仕事だからだ」
「どういうこと?」
「そもそも呪術師の仕事を覗き見すること自体いかんのだが……それ以前に、ヤツのやり方を尊重せねばならん。ひとの生き死にに関わる人間は仕事に対して強いポリシーがある。わたしもそうだ。死者の魂を扱い、ひとを救ったり殺したりする。そんな重い仕事をする以上、いいかげんなことはできない。だから本気で考え、本気で行動する。きっとあいつもそうだろう。だからアーサー、絶対にあいつの仕事を邪魔したり、口出しなんかするなよ」
「……うん、わかった」
そう言ってぼくはすぐに聞き耳に戻った。”ポリシー”って単語の意味を思い出すのに必死であんまり聞いてなかったけど、とりあえず手出ししなければいいんだね。簡単じゃないか。
とにかく、会話を聞いた。
——ま、あたしもしつこいけどさぁ。一応最後にもういちどだけ訊いておくよ。いいかい、これが最後だよ。本当にやるのかい?
どうやらライブラはやめるよう意見しているらしい。でもそれじゃお金がもらえないんじゃないのかな。あ、そうか。それで”金がもらえるかわからない”って言ってたのか。
でもなんでそんなこと言うんだろう。ふつう客が乗るように仕向けるのが営業ってもんじゃないのか? 魂だってけっこうな金額だぞ。レオはきっとクーリングオフなんて受けつけないから、無駄にしたら大変だ。
しかし女はこう言った。
——ずっと、我慢してきたんです。
声が少し震えていた。
——わたし、あのひとのこと愛していました。愛してるからなんでもできました。どんなことも苦労だと思いませんでした。だけど、いくらなんでもつらい……だって、わたしは毎日あのひとのことを想って料理して、言われた通り毎日掃除して、洗濯して、あのひとがやったこと、ご近所に頭下げて回って。この子の世話だってしながら、毎日、毎日、わたし……それなのにあのひと、毎晩お酒飲んで、女遊びして、この子のためにお金貯めようって言ったくせに、頭に来たらすぐ手を上げるし……飲んで食べて遊んで、ぶくぶくぶくぶく太って、ひどいことばっかりして……もういやよ。わたしだって人間よ。どうして、どうしてこれ以上我慢できるっていうのよ……
「なんてひどい夫だ……」
ぼくは聞いてて向かっ腹が立ってきた。奥さんをなんだと思ってるんだろう。そりゃ家事子育ては女の仕事だからつらいのはしょうがないけど、少しくらいねぎらってやってもいいじゃないか。それなのにまるでひとのこころを裏切るみたいなことばっかりして、とんでもないや。
ああ、そうか。きっと夫のこころを改心させるんだね。酒飲みや女遊びをやめて、家に帰って家族と過ごすよう呪術でこころを操作するに違いない。なにせ呪いは精神を増減できる。遊びの欲求を減らし、奥さんへの愛を高めれば、家族三人しあわせな家庭のできあがりだ。
——そうかい……どうやら変えられそうにないね。
ライブラが言った。そのひとことを言うまでに大きなひと呼吸があった。
——はい、やってください。お願いします。
——わかったよ。でも後悔するんじゃないよ。
——フフ。
女が鼻で笑った。
——後悔なんて……するはずないじゃないですか。
——そうかい……やっぱりそうなっちまうかい。
それから、間があった。一分近く沈黙が続いた。
そしてライブラが言った。
——わかったよ。じゃあ早速はじめようか。
地方にしてはかなり栄えた街で、劇場が三つもあり、演劇好きのレオは最低でも週にいちどは通っている。
おなじ娯楽施設が複数存続できるほどの規模だから、もう地方都市と言っていいだろう。全体的に田舎臭さがなく、工業も発展し、宿も多い。人間も垢抜けていて、その分冷たい風が多いように思うけど、これは文明の発展とは切り離せない。
住民すべてが顔見知りで、ひとの繋がりがなくては生きていけない田舎と違い、ひとりでも生きていける都市ではどうしても人間が希薄になる。それは悲しいけど、進化しているということだろう。
でもここはまだマシな方で、少なくともおなじアパートにだれが住んでいるかくらいは知っている。街びとの様子を見ればそれくらいのご近所付き合いはあるとわかる。すべての人間があたたかいわけではないが、ここは実に住みよい街だ。
だがそんな人間模様を見れるのは昼間のことで、いまは真夜中だ。世間はとっくに寝静まっている。
街道と街を隔てる門は当然閉まっていた。
しかしゾスマのおかげで易々と外壁を越えることができた。彼女は蜘蛛の姿で壁を登り、上から糸でぼくらを引っ張り上げた。身長の二倍はある高さだが、彼女の糸なら重いデネボラも余裕だ。
ぼくらは日中の熱が抜け切らない石造りの道を歩いた。
もうほとんどひと気はない。酒場もほとんど閉まり、あとは色街に明かりを残すだけだが、それもまばらで、ぼくらの歩く市街地からは遠い。
「この家ですぅ」
ぼくらを先導するデネボラが言った。彼女は生まれ持った特殊な力でライブラの行き先を知り、道案内をしてくれていた。ちなみにぼくらはいまレオの”聞かれない魔法”で音を消しているので、だれかに見られでもしない限り大声を出しても気づかれない。
「ふむ……ふつうの家だな」
それはごくふつうの一軒家だった。そこそこ広い平屋で、見た感じ新しく、建ててからさほど年月は経っていない。装飾も豊かで、チューリップの板で表札を作るところなんか見ると、きっとあたたかい家庭が育まれているんだろう。
いったいこの家がなんのために呪術師なんて雇うんだろうか。地方とはいえ都市で家を持てるくらいだからそれなりに裕福だし、わざわざそんな禍々しいものと関わる必要なんてないんじゃないかな。
「守護のためか?」
レオはあごに手を当て言った。金持ちはなにかと争いごとが多く、魔法や呪いから家を守るために呪術師にまじないをしてもらうことがあるという。
「しかし、あの魂ではなぁ……」
ライブラが買ったのは過労死した主婦の魂だ。呪術はひとのこころを増減させたり、生き物の”念”をエネルギーに変換してわざを行う。それにはあの魂では力不足だという。
「まあ、とりあえず見てみよう。どこかいい覗き場所はないものか」
レオは家の周りを周回し、どうやら屋根裏部屋の窓に入れそうだと見込んだ。
「ゾスマ、頼んだぞ」
レオがそう言うと、ゾスマは蜘蛛に戻ってぼくらの視界から消えた。それから数分後、
がたん、
と窓が開き、ゾスマが、
「また糸で引っ張る?」
と訊いてきた。なるほど、蜘蛛なら小さな隙間から部屋に忍び込める。
ぼくらは再びゾスマの糸の世話になり、だれもいない屋根裏に入り込んだ。
「運がいいな。これは物置だ」
レオは魔法で明かりを灯し、言った。平家全体を覆う広さの屋根裏部屋は、一応の家具はあるものの、部屋としては使っておらず、乱雑な倉庫と化していた。
窓の近くにテーブルや椅子が置かれているあたり、元々なにかしらの部屋として使っていたのだろう。しかし一面埃が敷いてあり、しばらくひとの出入りはなかったようだ。
「これなら安心して覗きができるな」
レオはそう言って辺りを見回した。
ふと、床下からひとの気配がした。
「ふむ、声の出どころがふたつある。だがこれは声というより、いびきと泣き声か?」
ぼくらは耳を澄ませた。ひとつは男のいびき、もうひとつは赤ん坊の泣き声だった。
「よく聞くと赤ん坊をあやす声が混じっているな。家の中央あたりだ」
ぼくらは床の埃を軽く払って耳を当てた。
——おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。
——よしよし、いい子ね~。よしよし、よしよし。
若い女の声だった。おそらく夜泣きをあやしているのだろう。ということは、
「あっちは旦那か?」
レオはいびきの方へ行き、床に耳を当てた。
「うむ、やはりそうだ。この下品ないびきは男でなければ出せん。リビングかどこかで母親が子をあやし、父親は寝ているんだろう」
なるほど、その可能性が高い。しかし、
「ライブラはどこにいるんだろう」
と、ぼくは言った。それが疑問だった。
デネボラの能力はいつだって間違いない。彼女は対象がどこに向かうか、確実に探知する。
「この家で間違いないんだよね?」
「はぁい、絶対ここですぅ」
じゃあいったいどこに?
その疑問はすぐに解決した。
「母親といるよ」
床に耳を当てながらゾスマが言った。ちなみに彼女は床を払ってないので埃まみれだった。
「ほら、会話してる」
ぼくらは再び中央の床に耳を当てた。すると、
——ごめんなさいね、いつもならこんなに泣かないんですけど。
——構わないよ。赤ん坊は泣くのが仕事だからね。
「ホントだ。間違いないや」
それはライブラの声だった。床越しでややくぐもっているものの、話し方のクセですぐにわかった。
「ふむ。ということは母親が依頼人で、ふたりはおなじ部屋にいるのか」
レオはそう言ってニヤリとほくそ笑んだ。いったいなにを笑ってるんだろう。レオが笑うとろくなことがないからなぁ。
「よし、チャンスだ!」
レオはそう言っていびきのあたりに行き、なんと指を床に突き刺した。
「ちょっと! なにしてるのさ!」
「なに、覗き穴を作っているだけだ」
言いながらレオは、ふたつ、三つと穴を開けていった。どうやら魔法で指先に刃をつけているらしい。指を刺すたびに、ざくっ、ざくっ、と木を削る音がする。
「ひとんちだよ!」
「安心しろ。自分ちじゃやらん」
「そういう問題じゃないよ!」
レオは本当になにを考えているんだろう。ひと様の家に穴を開けるなんて迷惑もいいところだ。きっとあとで見てびっくりするぞ。
そうしてレオは四つほど穴を開け、
「どれどれ……」
と床下を覗き込んだ。
「うむ、やはりそうだ。おまえたちも見てみろ」
見てみろって……あとのこととか考えないのかなぁ。まあ、見るけどね。どうせ開けちゃったんじゃ見ない方が損だ。
「あ、本当だ」
そこは寝室だった。ベッドがふたつくっついて並んでおり、そのうちのひとつに太り気味の男が大いびきをかいて寝ている。穴が空いた分、それはよりはっきり聞こえた。
「おお、おお、醜いなぁ。見た感じまだ若いだろうに。ああはなりたくないものだ」
レオはそう言ってわざわざ穴にツバを吐いて見せた。
「やめなよ!」
「クククク、汚らしい豚め。死んでしまえ」
まったく、ほんっとうに性格悪いなぁ。そんなことしなくてもいいだろうに。もう十七になるんだろう? それなのにそんな子供のいたずらみたいなことして、いつか怒られるよ。まあ、レオに怒れるような強者はいないだろうけどさ。
「あのぉ、レオ様ぁ」
ふとデネボラが言った。
「赤ちゃん泣きやんでますよぉ」
「なに? じゃあそろそろはじまるか?」
ぼくらは顔を上げ、床に耳をつけた。そういえばこっちには穴を開けないのかな?
「バカ言うな。そんなことすれば気づかれるかもしれんだろう」
そういえばそっか。開けてくれたら目でも見れたのになぁ。どうせすでに開けてるんだから四つも五つもおなじだしさ。
ともかくぼくらは会話を聞いた。ライブラと奥さんはぼちぼち話しはじめた。
——ごめんなさい、おまたせして。
——いいさ、旦那が起きなきゃそれで。
旦那が起きなきゃいい? いったいなにをするんだろう。旦那に気づかれるとまずいことなのかな?
——それでは、早いうちにお願いします。
——ずいぶん急かすねぇ。決心が変わらないうちにってかい?
——いえ、なにせあのひと明日からしばらく遠征でいなくなってしまいますから。朝が来る前に、間違ってあのひとが起きてしまわないうちに、やってほしいんです。
——おいおい、あたしの呪術はどこにいようと追いかけるよ。別に家にいるときじゃなくたっていいんじゃないかい?
——いえ……目の前で、間違いなく確認したいので……
——そうかい……じゃあしょうがないねぇ。
どうやら女は旦那になにかをしたいらしい。そしてライブラの仕事が”朝まで”なのは、旦那がどこかへ出かける前に、確実に効果を確認したいという客の要望があってのことだった。
目の前で確認したい呪い……いったいなんだろう。あ、そういえば太ってたから痩せる呪いかな? それは目の前で見たいだろうなぁ。
ぼくがそんなことを考えていると、レオが不意に言った。
「おい、アーサー。ひとつ注意がある」
「なに?」
「なにがあっても絶対に手を出すなよ」
レオは真剣な目をしていた。さっきまであんなふざけたことしていたのに、よほど重要なことらしい。
「別に手を出す気なんてないけど……なんで?」
「これはあいつの仕事だからだ」
「どういうこと?」
「そもそも呪術師の仕事を覗き見すること自体いかんのだが……それ以前に、ヤツのやり方を尊重せねばならん。ひとの生き死にに関わる人間は仕事に対して強いポリシーがある。わたしもそうだ。死者の魂を扱い、ひとを救ったり殺したりする。そんな重い仕事をする以上、いいかげんなことはできない。だから本気で考え、本気で行動する。きっとあいつもそうだろう。だからアーサー、絶対にあいつの仕事を邪魔したり、口出しなんかするなよ」
「……うん、わかった」
そう言ってぼくはすぐに聞き耳に戻った。”ポリシー”って単語の意味を思い出すのに必死であんまり聞いてなかったけど、とりあえず手出ししなければいいんだね。簡単じゃないか。
とにかく、会話を聞いた。
——ま、あたしもしつこいけどさぁ。一応最後にもういちどだけ訊いておくよ。いいかい、これが最後だよ。本当にやるのかい?
どうやらライブラはやめるよう意見しているらしい。でもそれじゃお金がもらえないんじゃないのかな。あ、そうか。それで”金がもらえるかわからない”って言ってたのか。
でもなんでそんなこと言うんだろう。ふつう客が乗るように仕向けるのが営業ってもんじゃないのか? 魂だってけっこうな金額だぞ。レオはきっとクーリングオフなんて受けつけないから、無駄にしたら大変だ。
しかし女はこう言った。
——ずっと、我慢してきたんです。
声が少し震えていた。
——わたし、あのひとのこと愛していました。愛してるからなんでもできました。どんなことも苦労だと思いませんでした。だけど、いくらなんでもつらい……だって、わたしは毎日あのひとのことを想って料理して、言われた通り毎日掃除して、洗濯して、あのひとがやったこと、ご近所に頭下げて回って。この子の世話だってしながら、毎日、毎日、わたし……それなのにあのひと、毎晩お酒飲んで、女遊びして、この子のためにお金貯めようって言ったくせに、頭に来たらすぐ手を上げるし……飲んで食べて遊んで、ぶくぶくぶくぶく太って、ひどいことばっかりして……もういやよ。わたしだって人間よ。どうして、どうしてこれ以上我慢できるっていうのよ……
「なんてひどい夫だ……」
ぼくは聞いてて向かっ腹が立ってきた。奥さんをなんだと思ってるんだろう。そりゃ家事子育ては女の仕事だからつらいのはしょうがないけど、少しくらいねぎらってやってもいいじゃないか。それなのにまるでひとのこころを裏切るみたいなことばっかりして、とんでもないや。
ああ、そうか。きっと夫のこころを改心させるんだね。酒飲みや女遊びをやめて、家に帰って家族と過ごすよう呪術でこころを操作するに違いない。なにせ呪いは精神を増減できる。遊びの欲求を減らし、奥さんへの愛を高めれば、家族三人しあわせな家庭のできあがりだ。
——そうかい……どうやら変えられそうにないね。
ライブラが言った。そのひとことを言うまでに大きなひと呼吸があった。
——はい、やってください。お願いします。
——わかったよ。でも後悔するんじゃないよ。
——フフ。
女が鼻で笑った。
——後悔なんて……するはずないじゃないですか。
——そうかい……やっぱりそうなっちまうかい。
それから、間があった。一分近く沈黙が続いた。
そしてライブラが言った。
——わかったよ。じゃあ早速はじめようか。
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