魂売りのレオ

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第十一話 悪徳! 海の家

悪徳! 海の家 三

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「申し訳ございません。わたくしのせいでアーサー様にご迷惑を……」
 波打ち際にへたり込むレグルスが涙ながらに頭を下げた。
「ううん、悪いのはぼくだよ」
 そう、悪いのはぼくだ。謝らなくちゃいけないのはぼくの方だ。
「ですがわたくしのせいであんな卑猥ひわいな目に……」
 ……まあ、あれには参ったけどね。なにせ海上でレグルスが溺れないよう抱きながら立ち泳ぎしてまったく身動きが取れない中、レオとアルテルフにもてあそばれて、まさか……そう、まさか海の中で……なんてさぁ。
「しょうがないだろう。罰なんだから」
 そう言ってレオは笑った。
「いやがることをしなければ罰にはならんだろう。それにおまえ、なんだかんだ言いながらよろこんでしまったということではないか」
「ち、違うよ! 体が反応しただけで、よろこんでなんか……」
「だが海が白く煙るほどだったぞ。よほど濃かったに違いない」
「おかげで力が抜けて沈みそうだったんだよ!」
「しかしああしなければ収まらなかっただろう。おまえ、亀を水着から飛び出させたまま海から上がるつもりだったのか?」
 う……そ、それは……
「罰ではあるが、おまえを守るためでもあったわけだ。まったく、感謝しろよ」
 むう……悔しいけどレオは頭がいいからなぁ。もしかしたらすべて計算のうえかもしれない。ぼくがレグルスに抱きつかれたときから反応してしまうとわかって、ぼくを助けるために……
「ご、ごめん。ありがとうレオ」
「ぷふー! アーサー様信じてる!」
 アルテルフが口を手で押さえて笑った。あれ、もしかして嘘なの?
「なんでもいいじゃないか。結果よければすべてよしだ」
 うーん……たしかに。
「ところでそろそろ昼だが、おまえたち、腹が減らないか?」
 そういえばお昼か。夢中で遊んでて気づかなかったけど、言われてみればお腹ぺこぺこだ。泳ぐのってかなり体力を使うしね。
 ほかのみんなもそうだった。アルテルフも、レグルスも、そして動いていないはずのデネボラも、
「わたしもすっごくお腹空きましたぁ。早くごはん食べたいですぅ」
 と、ぽよぽよのお腹に手を当てて訴えた。それに続いてゾスマがカニみそをじかにしゃぶりながら、
「わたしも。海のごはんたのしみ」
 と言った。こう見えて彼女はグルメだ。体は細いがぼくらの中で一番よく食べる。釣りをしていたのも海の幸をほお張るためだった。
「あっちに海の家があったな。行ってみようか」
 海の家——おもに行楽地としてのビーチに建っている商店だ。たいていは飲食店か海水浴グッズを売る店で、客間が柱と屋根だけで組まれた風通しのよい造りになっていることが多い。
 浜と街道の境に連なるそれらは大盛況だった。どこもひとがいっぱいで、とくに若者グループや家族連れが目立った。意外と中年やご年配も散見し、屋根の下で思い思いに軽食をほおばっている。
 中でもとある一軒は異常なほどに客が群がっていた。食事スペースはいっぱいで、それでもおもてに面したカウンターに長蛇の列が三列も並んでいた。
 カニを模した看板に「カニ・クラブ」と書かれたその店からは、名前にそぐわずスパイシーな肉のにおいが漂った。
「ほう、あそこは大盛況だな」
 とレオが腕を組み、言った。
「混んでるね。あっちの店なんかどう? ずいぶんいてるよ」
 と、ぼくは提案したが、
「いや、あそこにしよう」
「ええ? ずいぶん待つよ」
「いや、待つといっても列の分だけだ。見ているとほとんどの客が安紙に包んだホットドッグや串物を持ってかじりながら出ていく。アルテルフたちに敷物を用意させ、あそこで適当に買って、浜でゆっくり食おう。なに、椅子とテーブルで食うよりその方が海に来た感じがする。それに空いている店というのは相応に悪い理由があるものだ。その逆、混んでいる店はそれだけ評判がいい」
「たしかにそうだね」
「そうだろう。あれだけ並ぶのだからよほどうまいに違いない。まあ、あの混み方は少し妙だが……ともかく並ぼう。多少待つかもしれんが、腹が減った方がよりうまく食える。たのしみじゃないか」
 そうしてぼくらは列に並んだ。使い魔には場所の用意をしてもらい、ぼくとレオのふたりで食事を買うことにした。
 そしてレオの言った通り持ち帰り客が多いから、列の消化もかなり早かった。
 しかし気になるのはやけにリピーターが多いことだった。ふとうしろを見ると、さっき買って食べた客がまた列に並んでいたりする。
 カウンターで買って、その横で食べて、すぐに列に戻る。
 ふたりにひとりはそうする。
 なんだろう。なんとなくいやな予感がする。ていうか変だよ。いくらお腹が空いてるからってそんなことするか? それにみんな、妙に笑顔で気持ち悪い。リピーターのほとんどがいやに見開いた目をキラキラ輝かせ、口の周りを舌で舐めとっている。男も、女も、子供も、大人もだ。
 やがて、ぼくらはかなり前の方まで来た。
 元々においが強いと思っていたが、ここまで来ると香辛料のにおいが磯の香りを完全に消し去っている。
 ぼくはなにが置いてあるんだろう、と店の奥を覗き込んだ。
 すると、
「あれ、あのひと……」
 見覚えのある顔があった。
「どうした、アーサー」
「もしかしてあのひとキャンサーじゃない?」
「なに? キャンサーだと?」
「ほら、あれ」
「うん? どれだ。見当たらないぞ」
「ほら、あの走り回ってる細いひと」
「細い? あいつが? ……あ、あれか!? あの白いシャツの!」
「そうそう、あの顔キャンサーだよね」
「本当だ。間違いなくあいつだ」
 そこにいたのはキャンサーだった。
 キャンサー——巨大歓楽街に住む大型カジノのオーナーだ。
 元はギャンブルに狂い、借金で自殺しようとしていた木工職人だったが、レオがきっかけでカジノオーナーに救われ、その後彼の陰謀によってオーナーが衰弱死。果てはカジノを乗っ取り新たなオーナーとなった。
 その後彼はなんどもレオの館を訪ねており、そのたびに高級酒や高価な珍味を持って来て、
「レオさんとは仲よくしておきたいでやすからねぇ。絶対敵には回したくないし、味方にいてこれほど心強いひとはいないでやんす」
 と下手な敬語で汚らしい本性をあけすけに語った。
 ふつうこんなはっきりみつぐヤツはいない。「ちょっと近くを寄ったものだから」なんて言いながら、「たまたまいいものが手に入りまして」と品物を渡し、「いつもお世話になってますので」とおべっか使うのが世の常識だろう。それをこうも堂々とされると逆にうさんくさく感じるものだ。
 しかしレオはキャンサーを気に入っており、
「ろくでなしだが、変に頭が回るし、実行力があってなんともおもしろい。それに悪党だしな。今後も遊びに来たら相手をしてやろう」
 と来訪のたびに酒席をもうけ、だれをおとしいれたとか、どんな悪業をしているとか、そんな話をたのしそうにニコニコ聞いていた。
 だがそれは出会ってひと月そこらのことで、しばらく彼の来訪はなかった。
 ばったり来なくなって、
「せっかくおもしろい男だったのに。なにかあったのだろうか」
 と残念がっていたが、まさか彼が海の家の厨房で汗だくになりながら働いているなどと思わなかった。
 いったいなぜこんなところにいるのだろう。彼はカジノを経営しているはずだ。
 それにずいぶん痩せている。
 といっても痩せこけているわけではない。身長に対してほどよい健康具合だ。
 しかしかつての彼を知っていれば”痩せ過ぎ”と言うほかない。
 彼はかなりの贅沢太りだった。大金を得てからというもの欲望の限りをつくしたらしく、会うたびに贅肉が増え、最後に見たときはぶよぶよのぼてんぼてんだった。
「ねえ、レオ。ちょっと声かけてきていい?」
「ああ。列はわたしが並んでおく。わたしも気になるからわけをしっかり訊いてこい」
 ぼくは列を抜け、カウンターまで走った。すると、
「お客さん、ちゃんと並んでくださいよ」
 と店員に言われ、
「あ、いや、知り合いがいるから声をかけようと思って」
 ぼくは店の奥で汗をまき散らすキャンサーらしき男に向かって、
「おおーい! キャンサー!」
 と手を振った。すると、
「おや、だれだい。おれの名前を呼ぶのは」
 やはり彼だったようで、名前に反応してキョロキョロした。
「こっちこっちー!」
「んん? 聞き覚えのある声だが……」
 キャンサーはカウンターのそばまで来て、
「あんたかい? おれの名前を呼ぶのは」
「ひさしぶり、キャンサー」
「んん?」
 彼はぼくの顔を険しく覗き込み、頭痛を抑えるように頭に手を置き、
「なんだ? こいつの顔を見ようとすると頭がぼやっとして……ううん」
「ぼくだよ。わからないの?」
「あんただれだ」
「アーサーだよ。覚えてないの?」
 ぼくがそう言った途端、キャンサーはピリッと目の焦点が合い、一瞬の驚きと、満面の笑顔を作った。
「おお! だれかと思えばアーサーさんでやんすか! いやあ、失礼な言葉遣いを申し訳ないでやんす!」
「ううん、いいよ! それよりひさしぶりだね! ずっと来なかったけどどうしてたの?」
「ああ、そ、それでやすが……」
 キャンサーは言いかけて、言葉を濁した。
 どうしてだろう。あっ、もしかして話しにくいのかな? だって大金持ちのはずがこんなところであくせく働いているんだ。いろいろあったに違いない。
 ひとは会わないうちにいろんなことが起きる。たとえばぼくだって家族が殺されて都から秘境に落ち延びているし、親友の兵士コジャッブは魔術師になっていた。きっとキャンサーも事件があったのだろう。
 と思ったが、そうではないらしい。
 彼の目はこころを伏せておらず、不思議そうにぼくの体を見て固まっていた。言葉を濁したというより声を失っているようだった。
 なんだろう。変なの。
 しかし変なのはぼくだった。
「ええっと……アーサーさんって女だったでやんすか?」
「へ?」
 言われてぼくは自身の胴体に目を下ろした。
 途端、
「ああーーーー!」
 ぼくは世界が割れるほどの叫びを上げた。
 忘れていた。
 ぼくは女もののビキニを着ていた。
 それもかわいいピンク色で、縦長三角形の上と、ローライズな下だ。”もの”は隠れているが、”あれ”の分はモッコリ生地が膨らんでいる。
「なんだあの子、叫んだりして」
「おい、あれ男じゃないか? モッコリしてるぞ」
「まあ! 変態よ! 女装変態だわ!」
 周囲が騒ぎ出した。
 大量の視線がぼくを滅多刺しにし、視界がぐるぐる回った。
「み、見ないで! 見ないでえーー!」
 ぼくはしゃがみ込み、女みたいに胸と下半身を隠した。頭は完全にパニック状態だった。
「あのバカ! 名乗ったな!」
 とレオが大慌てで駆けて来た。
「名を名乗れば”顔を覚えられない魔法”が解けてしまうというのに……ああもう!」
「見ないでー! 見ないでえーー! わああーー!」
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