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第十四話 運命はほどほどに
運命はほどほどに 三
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「おばあさん、大丈夫ですか?」
レオはおばあさんと目線を合わせてひざをつき、はきはきと丁寧な声で言った。
「かなり重そうですね。よろしければお手伝いいたしましょうか」
「あら、あら」
おばあさんはやや慌てた様子で立ち止まり、しかし老人特有の笑顔で言った。
「そんな、悪いよ」
そこでレオは、自身の胸に手のひらを当て、
「わたしはミドリ、そしてこっちは夫のクロです。我々は困っているひとを見ると放っておけなくて……どうか手伝わせていただけませんか?」
と、ふだんなら絶対にしないようなきれいな目で言った。すると、
「あらー、まあー!」
おばあさんは両の手を合わせ、
「なーんて美人さんでしょ! あたし、こんなきれいな子、見たことないわあ!」
「い、いやあ、そんな……」
レオはまんざらでもない顔でこめかみを掻き、えへへと笑って見せた。偽名を名乗ることで、おばあさんに顔が認識されたようだ。
……それにしても、すごい演技だなあ。だって、レオは普段こんなふうに謙遜しない。どれだけ誉められても、
「ふふん、あたりまえだろう」
と自慢げに鼻で笑う。さすがはプロの魔術師。ひとをだますことに関しては妥協がない。
「ささ、おばあさん。夫が荷物をお持ちしますので」
と、レオことミドリはぼくを呼んだ。
「あなた、ほら」
「あ、うん……」
あなた? あなただって?
……なんだか新鮮だなあ。こんなにうやうやしいレオははじめてだ。なんかドキドキしちゃうなあ。
「あの……ずいぶん重そうですね」
ぼくはおずおずと言った。
「ぼくが持ちますよ」
「あらー! かわいらしい!」
へっ?
「旦那さんなの? あらーまあー! 妹さんかと思っちゃった」
い、妹さん?
「あらごめんなさい、いやだった?」
「べ、別に……」
いやだったかって? そりゃあいやだよ。だってぼくは男だ。たしかに母親似で女みたいな顔だし、男にしては背も低い。高身長のレオといっしょに並ぶと、妹みたいに見えることもわかってる。でも、そんな悪意もなしにこころから言われると、正直むっとするよ。ご年配相手じゃなければひとこと言ってるところだ。
「ちょっとあなた、誉めてくださったんじゃないの。わたしはそんなあなたが好きよ」
「い、いや……ぼくは別に怒ってなんか……」
「それよりほら、荷物を持ってあげましょう。おばあさん、どちらまでおいでですか?」
レオは余計な話をぶった切って話を進めた。なんだかちょっとムカつくなあ。わたしの夫は男らしいですよ、くらい言ってくれてもいいのに。
「いいえ、いいのよ。あたしなら大丈夫だから」
おばあさんは手を振って断った。そりゃそうだ。見ず知らずの他人が突然荷物を持とうなんて、ふつう信用できない。物盗りと思うのが当然だろう。
だが、レオはその辺も考えてある。
「あ、もしや我々を物盗りと疑っているのでしょうか」
「いいえ、そういうわけじゃないのよ」
「いえ、そう考えるのがふつうです。怪しんでしかるべきです。では、これでどうでしょう」
レオは上着のポケットからじゃらじゃらと硬貨を取り出し、その中から数枚の金貨を選んで、
「これをお持ちください」
と差し出した。
「あららら、こんな大金」
「これだけの金額を得ようとすれば、かなり高額な盗みをしなければなりません。ですから、これをおばあさんにお預けしますから、どうか手伝わせてください」
「あらあ、どうしてそんな、ねえ」
「あははは。信じられないでしょうが、わたしは本当に親切が好きなのです」
うわあ、嘘ばっかり。
「と言っても、やはり私利私欲でしょうか。わたしは両親から、親切はやがて自分に返ってくると教わって育ちました。だからわたしは自分のために人助けをしているのです。おかげで体は健康だし、ステキな旦那さまと出会えたし、毎日がしあわせです」
「あらまあ~、それはいいことだわ」
「ですからどうか、お手伝いさせてくださいませんか?」
ひええ、ぼくは笑いを堪えるのに必死だよ。なんせレオといえば常にひとの不幸を望み、助けを求める客を地獄に叩き落として大よろこびする悪党だ。それが、なんてすがすがしい声で嘘を並べるんだろう。
しかしこれはレオを知っているぼくだから思うことだ。おばあさんは演技力に負けたらしく、
「そうねえ、じゃあ、お願いしようかしら」
「ははっ、よかったァ。これでみんな、しあわせになれますね」
みんなしあわせになれますね、だって? ひゃー!
「それでは念のため、これを受け取ってください。あなた、荷物をお持ちして」
「あ、うん」
ぼくは金貨を握ったおばあさんからリュックを受け取り、背負った。とうとう渡しちゃったなあ。レオに魂を狙われてるとも知らないで。まあ、どっちにしても死んじゃうことには変わりないから、幸か不幸かは知らないけどさ。
「うわ、けっこう重いや」
ぼくは荷物の重さに驚いた。男のぼくにはさほどではないが、これを女性、それも老人が背負うとなると、なかなかの重労働だろう。
「ああ、軽くなった。ありがとうね」
「いえ、でもよくこんな荷物運べますね。おばあさんとは思えないや」
「大したことないわよ。だって、毎日背負って歩いてるんだもの」
「えっ!?」
ぼくらは揃って声を上げた。い、いつも持ち歩いてるの? じゃあ代わりに持つのって変じゃない?
「でも、これも神様の思し召しかしらね。最後の日に、こうしてステキなご夫婦に助けてもらえるんだもの」
最後の日……?
ぼくらは笑顔も忘れて困惑してしまった。最後の日ってどういうことだ?
「それじゃ、案内するからいっしょに来てくれない?」
「は、はい……」
ぼくらは戸惑いながらもうなずき、彼女のあとをついていくことにした。
その道中、おばあさんは自分のことを話してくれた。
「あたしはピクスっていうの。この歳まで独り身でねえ。だからあなたたちみたいに仲のいい夫婦を見ると、本当にうらやましいわあ」
聞けば、歳は七十だという。すごいなあ。ふつうその歳でこんな元気に歩けない。荷物だって重いし、驚くほど健康だ。
「毎日歩いてるからねえ。人間は、歩かないとダメになっちゃうのよ」
なるほど、実際に健康なひとの意見は説得力がある。事実、ピクスさんは一時間近く歩いてるのに息ひとつ乱れてない。むしろぼくの方が疲れてきちゃった。
「あら、大丈夫? 少し休む?」
「ううん、大丈夫! ぼくまだまだ元気ですから!」
とは言ったものの、疲れたなあ。そこまで重くないリュックでも、長く背負ってれば負荷がすごいよ。このひと、これを毎日かあ……
「しかしピクスさん、いったいどこまで行くんですか?」
レオは笑顔ながらも怪訝そうに言った。だって、ぼくらは街から出ている。いま歩いているのは平原だけど、この先は森だ。空はもう暗くなりかけているし、こんな時間に野外を歩くなんてふつうじゃない。
「野獣と出会うかもしれません。それに、夜は魔物も怖い」
「ええ、そうねえ」
「では……」
「でも大丈夫。大丈夫なのよ」
そう言ってピクスさんはスタスタ歩き続けた。ぼくらは顔を見合わせて、その背中を見ながらこそこそ話した。
(ねえ、ちょっと変じゃない?)
(ちょっとじゃない、かなりだ)
(おばあさんがこんな時間に街の外に行くなんて、どうかしてるよ)
(いのち知らずもいいとこだ)
(……もしかして、この先で死んじゃうのかな? だって死相が出てるんでしょ?)
(ううむ……わからん。わたしにもさっぱりだ)
「ねえー、どうしたのー? こっちよー」
「あ、はーい!」
ぼくらはパッと笑顔を作り、あとを追った。
正直不気味だったが、ついて行くことにした。いざとなればレオがいる。レオならどんなバケモノ相手でも睨んだだけで殺せるし、そもそもぼくらには死相が出ていない。それに、
「ホテルを投げ出してここまで来たんだ。在庫を得ずに帰れるか」
とレオが意地になっているから、あとに引くという選択肢はなかった。
やがて、森に入った。
夕陽が沈み、夜が訪れた。
樹々はそれほど生い茂っていない。
月は丸く、星がまたたいているから、そこまで暗くはない。
でも、気配がある。
獣じゃない。
この感覚は……
(ねえレオ……)
(ああ、そこかしこにいる)
やっぱりそうだ。ぼくはレオといっしょに過ごす中で、ある感覚が常人より鍛えられている。
いわゆる”霊感”というやつだ。
幽霊や精、魔物、そういった目に見えない存在を”かたちのないもの”と呼ぶ。そしてぼくはそれが見えるし、気配も感じられる。
この森には、たくさんの見えない存在がひしめいている。きっと中には人間に害をおよぼすものもいるだろう。
だが……
(どうして近寄ってこないんだろう)
(さあ……わたしを恐れているのかもしれん。しかし……)
レオは口を濁した。頭のいい彼女にも理由はわからなかった。
こんな場所なのに、ピクスさんは黙々と歩いていた。
辺りを見回したりしない。うしろを振り返りもしない。ただ無言で突き進んでいく。
その背中からは、人外の土地に対する恐怖も、一切の不安も感じられなかった。
「ねえ、ピクスさん。いったいこの荷物どこに持って行くんですか? というか……なんでこんな夜遅く森に?」
ぼくはそう訊いてみた。森に入るあたりからずっと会話をしてなかったから、けっこう思い切りが必要だった。
すると、こう返事がきた。
「もうすぐわかるわ」
もうすぐわかる……ね。
ぼくはなんだかメンドくさくなってきた。ずうっと重い荷物を背負って、わけもわからず森を歩いて、こんなんなら、なんとしてでもレオとホテルに行けばよかった。本当ならいまごろディナーを食べ終わって、最高の夜を迎えているはずだったのに。
あーあ、こうなるとわかってたらランチでしいたけを我慢するんじゃなかった。今夜キスをしないなら、いくら食べたってよかったじゃないか。なんだか損してばかりだなあ。
ぼくがそんなことを考えながらしぶしぶ歩いていると、
「ほら、見えたわ」
ピクスさんが森の奥を指差した。それを見たぼくは、
「わ……なにあれ」
足を止め、目を見開いた。
薄闇の中に、小さな光の球が無数に浮いていた。
距離は百メートルかそこら。森の奥に、まるで夜空の星がゆらめくみたいに、光が集まって、動いていた。
「これは……蛍か?」
レオがつい素に戻って言った。
「ええ、そうよ。きれいでしょう」
そう言ってピクスさんは足を進めた。
「あっ、はい、行きましょう」
レオは咄嗟に丁寧語に戻り、ぼくらはひと呼吸、顔を合わせた。
——いったいこの先、なにが待っているんだろう。
ぼくはごくりとつばを飲んだ。レオの眉間にしわが寄った。
——なにはともあれ、行ってみよう。
レオがそんな意味合いでコクリとうなずいた。
ぼくもそれに小さくうなずいた。
そして、美しくも奇妙な世界へと足を向けた。
レオはおばあさんと目線を合わせてひざをつき、はきはきと丁寧な声で言った。
「かなり重そうですね。よろしければお手伝いいたしましょうか」
「あら、あら」
おばあさんはやや慌てた様子で立ち止まり、しかし老人特有の笑顔で言った。
「そんな、悪いよ」
そこでレオは、自身の胸に手のひらを当て、
「わたしはミドリ、そしてこっちは夫のクロです。我々は困っているひとを見ると放っておけなくて……どうか手伝わせていただけませんか?」
と、ふだんなら絶対にしないようなきれいな目で言った。すると、
「あらー、まあー!」
おばあさんは両の手を合わせ、
「なーんて美人さんでしょ! あたし、こんなきれいな子、見たことないわあ!」
「い、いやあ、そんな……」
レオはまんざらでもない顔でこめかみを掻き、えへへと笑って見せた。偽名を名乗ることで、おばあさんに顔が認識されたようだ。
……それにしても、すごい演技だなあ。だって、レオは普段こんなふうに謙遜しない。どれだけ誉められても、
「ふふん、あたりまえだろう」
と自慢げに鼻で笑う。さすがはプロの魔術師。ひとをだますことに関しては妥協がない。
「ささ、おばあさん。夫が荷物をお持ちしますので」
と、レオことミドリはぼくを呼んだ。
「あなた、ほら」
「あ、うん……」
あなた? あなただって?
……なんだか新鮮だなあ。こんなにうやうやしいレオははじめてだ。なんかドキドキしちゃうなあ。
「あの……ずいぶん重そうですね」
ぼくはおずおずと言った。
「ぼくが持ちますよ」
「あらー! かわいらしい!」
へっ?
「旦那さんなの? あらーまあー! 妹さんかと思っちゃった」
い、妹さん?
「あらごめんなさい、いやだった?」
「べ、別に……」
いやだったかって? そりゃあいやだよ。だってぼくは男だ。たしかに母親似で女みたいな顔だし、男にしては背も低い。高身長のレオといっしょに並ぶと、妹みたいに見えることもわかってる。でも、そんな悪意もなしにこころから言われると、正直むっとするよ。ご年配相手じゃなければひとこと言ってるところだ。
「ちょっとあなた、誉めてくださったんじゃないの。わたしはそんなあなたが好きよ」
「い、いや……ぼくは別に怒ってなんか……」
「それよりほら、荷物を持ってあげましょう。おばあさん、どちらまでおいでですか?」
レオは余計な話をぶった切って話を進めた。なんだかちょっとムカつくなあ。わたしの夫は男らしいですよ、くらい言ってくれてもいいのに。
「いいえ、いいのよ。あたしなら大丈夫だから」
おばあさんは手を振って断った。そりゃそうだ。見ず知らずの他人が突然荷物を持とうなんて、ふつう信用できない。物盗りと思うのが当然だろう。
だが、レオはその辺も考えてある。
「あ、もしや我々を物盗りと疑っているのでしょうか」
「いいえ、そういうわけじゃないのよ」
「いえ、そう考えるのがふつうです。怪しんでしかるべきです。では、これでどうでしょう」
レオは上着のポケットからじゃらじゃらと硬貨を取り出し、その中から数枚の金貨を選んで、
「これをお持ちください」
と差し出した。
「あららら、こんな大金」
「これだけの金額を得ようとすれば、かなり高額な盗みをしなければなりません。ですから、これをおばあさんにお預けしますから、どうか手伝わせてください」
「あらあ、どうしてそんな、ねえ」
「あははは。信じられないでしょうが、わたしは本当に親切が好きなのです」
うわあ、嘘ばっかり。
「と言っても、やはり私利私欲でしょうか。わたしは両親から、親切はやがて自分に返ってくると教わって育ちました。だからわたしは自分のために人助けをしているのです。おかげで体は健康だし、ステキな旦那さまと出会えたし、毎日がしあわせです」
「あらまあ~、それはいいことだわ」
「ですからどうか、お手伝いさせてくださいませんか?」
ひええ、ぼくは笑いを堪えるのに必死だよ。なんせレオといえば常にひとの不幸を望み、助けを求める客を地獄に叩き落として大よろこびする悪党だ。それが、なんてすがすがしい声で嘘を並べるんだろう。
しかしこれはレオを知っているぼくだから思うことだ。おばあさんは演技力に負けたらしく、
「そうねえ、じゃあ、お願いしようかしら」
「ははっ、よかったァ。これでみんな、しあわせになれますね」
みんなしあわせになれますね、だって? ひゃー!
「それでは念のため、これを受け取ってください。あなた、荷物をお持ちして」
「あ、うん」
ぼくは金貨を握ったおばあさんからリュックを受け取り、背負った。とうとう渡しちゃったなあ。レオに魂を狙われてるとも知らないで。まあ、どっちにしても死んじゃうことには変わりないから、幸か不幸かは知らないけどさ。
「うわ、けっこう重いや」
ぼくは荷物の重さに驚いた。男のぼくにはさほどではないが、これを女性、それも老人が背負うとなると、なかなかの重労働だろう。
「ああ、軽くなった。ありがとうね」
「いえ、でもよくこんな荷物運べますね。おばあさんとは思えないや」
「大したことないわよ。だって、毎日背負って歩いてるんだもの」
「えっ!?」
ぼくらは揃って声を上げた。い、いつも持ち歩いてるの? じゃあ代わりに持つのって変じゃない?
「でも、これも神様の思し召しかしらね。最後の日に、こうしてステキなご夫婦に助けてもらえるんだもの」
最後の日……?
ぼくらは笑顔も忘れて困惑してしまった。最後の日ってどういうことだ?
「それじゃ、案内するからいっしょに来てくれない?」
「は、はい……」
ぼくらは戸惑いながらもうなずき、彼女のあとをついていくことにした。
その道中、おばあさんは自分のことを話してくれた。
「あたしはピクスっていうの。この歳まで独り身でねえ。だからあなたたちみたいに仲のいい夫婦を見ると、本当にうらやましいわあ」
聞けば、歳は七十だという。すごいなあ。ふつうその歳でこんな元気に歩けない。荷物だって重いし、驚くほど健康だ。
「毎日歩いてるからねえ。人間は、歩かないとダメになっちゃうのよ」
なるほど、実際に健康なひとの意見は説得力がある。事実、ピクスさんは一時間近く歩いてるのに息ひとつ乱れてない。むしろぼくの方が疲れてきちゃった。
「あら、大丈夫? 少し休む?」
「ううん、大丈夫! ぼくまだまだ元気ですから!」
とは言ったものの、疲れたなあ。そこまで重くないリュックでも、長く背負ってれば負荷がすごいよ。このひと、これを毎日かあ……
「しかしピクスさん、いったいどこまで行くんですか?」
レオは笑顔ながらも怪訝そうに言った。だって、ぼくらは街から出ている。いま歩いているのは平原だけど、この先は森だ。空はもう暗くなりかけているし、こんな時間に野外を歩くなんてふつうじゃない。
「野獣と出会うかもしれません。それに、夜は魔物も怖い」
「ええ、そうねえ」
「では……」
「でも大丈夫。大丈夫なのよ」
そう言ってピクスさんはスタスタ歩き続けた。ぼくらは顔を見合わせて、その背中を見ながらこそこそ話した。
(ねえ、ちょっと変じゃない?)
(ちょっとじゃない、かなりだ)
(おばあさんがこんな時間に街の外に行くなんて、どうかしてるよ)
(いのち知らずもいいとこだ)
(……もしかして、この先で死んじゃうのかな? だって死相が出てるんでしょ?)
(ううむ……わからん。わたしにもさっぱりだ)
「ねえー、どうしたのー? こっちよー」
「あ、はーい!」
ぼくらはパッと笑顔を作り、あとを追った。
正直不気味だったが、ついて行くことにした。いざとなればレオがいる。レオならどんなバケモノ相手でも睨んだだけで殺せるし、そもそもぼくらには死相が出ていない。それに、
「ホテルを投げ出してここまで来たんだ。在庫を得ずに帰れるか」
とレオが意地になっているから、あとに引くという選択肢はなかった。
やがて、森に入った。
夕陽が沈み、夜が訪れた。
樹々はそれほど生い茂っていない。
月は丸く、星がまたたいているから、そこまで暗くはない。
でも、気配がある。
獣じゃない。
この感覚は……
(ねえレオ……)
(ああ、そこかしこにいる)
やっぱりそうだ。ぼくはレオといっしょに過ごす中で、ある感覚が常人より鍛えられている。
いわゆる”霊感”というやつだ。
幽霊や精、魔物、そういった目に見えない存在を”かたちのないもの”と呼ぶ。そしてぼくはそれが見えるし、気配も感じられる。
この森には、たくさんの見えない存在がひしめいている。きっと中には人間に害をおよぼすものもいるだろう。
だが……
(どうして近寄ってこないんだろう)
(さあ……わたしを恐れているのかもしれん。しかし……)
レオは口を濁した。頭のいい彼女にも理由はわからなかった。
こんな場所なのに、ピクスさんは黙々と歩いていた。
辺りを見回したりしない。うしろを振り返りもしない。ただ無言で突き進んでいく。
その背中からは、人外の土地に対する恐怖も、一切の不安も感じられなかった。
「ねえ、ピクスさん。いったいこの荷物どこに持って行くんですか? というか……なんでこんな夜遅く森に?」
ぼくはそう訊いてみた。森に入るあたりからずっと会話をしてなかったから、けっこう思い切りが必要だった。
すると、こう返事がきた。
「もうすぐわかるわ」
もうすぐわかる……ね。
ぼくはなんだかメンドくさくなってきた。ずうっと重い荷物を背負って、わけもわからず森を歩いて、こんなんなら、なんとしてでもレオとホテルに行けばよかった。本当ならいまごろディナーを食べ終わって、最高の夜を迎えているはずだったのに。
あーあ、こうなるとわかってたらランチでしいたけを我慢するんじゃなかった。今夜キスをしないなら、いくら食べたってよかったじゃないか。なんだか損してばかりだなあ。
ぼくがそんなことを考えながらしぶしぶ歩いていると、
「ほら、見えたわ」
ピクスさんが森の奥を指差した。それを見たぼくは、
「わ……なにあれ」
足を止め、目を見開いた。
薄闇の中に、小さな光の球が無数に浮いていた。
距離は百メートルかそこら。森の奥に、まるで夜空の星がゆらめくみたいに、光が集まって、動いていた。
「これは……蛍か?」
レオがつい素に戻って言った。
「ええ、そうよ。きれいでしょう」
そう言ってピクスさんは足を進めた。
「あっ、はい、行きましょう」
レオは咄嗟に丁寧語に戻り、ぼくらはひと呼吸、顔を合わせた。
——いったいこの先、なにが待っているんだろう。
ぼくはごくりとつばを飲んだ。レオの眉間にしわが寄った。
——なにはともあれ、行ってみよう。
レオがそんな意味合いでコクリとうなずいた。
ぼくもそれに小さくうなずいた。
そして、美しくも奇妙な世界へと足を向けた。
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