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第十四話 運命はほどほどに
運命はほどほどに 四
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やがて、そこにたどり着いた。
「わあ……」
ぼくは歩き続けた疲れも忘れ、目の前の神秘的な景色に見惚れた。
それは神聖というほかなかった。
一本の巨大な樹木がある。
かなり太く、大人が十人手を繋いで囲ってもおそらく足りない。夜だからか、見上げてもてっぺんが見えない。木肌は灰色でがさがさしており、触れれば崩れそうなほど脆く見えるが、同時にがっしりと固そうでもある。
その周りを蛍が飛び回っている。
樹の足元には、池のような水たまりが広がっている。
それが、闇夜でも透き通っているのがわかる。
「どう? きれいでしょう」
ピクスさんはニコリと微笑み、言った。
それに対し、レオは唖然とした顔で、
「これは……まさか神木か?」
と、だれに言うでもなく言った。なぜか彼女の心音が聞こえる気がした。
「きっと、そうなんでしょうねえ」
ピクスさんの言葉にレオはハッとし、
「あ……あの、これはいったいどういうことでしょう」
「あたしはね、この樹に借り物を返しに来たの」
そう言うとピクスさんはぼくに振り返り、
「クロさん、重かったでしょう。ありがとうね。荷物を渡してもらえるかしら」
「あ、はい……」
ぼくは彼女に荷物を返した。するとピクスさんは、ざぶざぶと水たまりを歩き、樹の前にしゃがみ込んだ。
「長いあいだ、お借りしていました。いまお返しします」
そう言ってリュックからいくつもの木のふだを取り出した。そういえば中身がなにか知らなかったけど、口ぶりからしてこの樹から作った木札なのかな?
ピクスさんはそれを丁寧に樹の根元に立て掛けていった。よく見るとふだにはなにやら文字らしきものが書いてある。
それを見たレオが、
(呪術……!)
と小声で叫んだ。言われてみれば、よくレオが呪術を使うときの文字に似ている。それを、神木から借りたと言い、返している。
……このひと何者なんだ!?
ピクスさんは数十枚のふだを並べ終えると、
「ありがとう……そして、さようなら」
そう言ってざぶりと立ち上がり、頭を下げた。脚はもちろん、ズボンのお尻までびしょ濡れだった。
「さ、これで用はおしまい。あなたたちもありがとうね。それじゃあ帰りましょう」
彼女は何事もなかったかのように平然と来た道を戻ろうとした。しかしこれで黙っていられるレオではない。
「ピクスさん! いまのはなんですか! わたしにはただの板とは思えなかったのですが!」
そうだ、このまま帰るなんてできない。ぼくだってすごく気になる。いまピクスさんがしていたことは、きっとただならぬ大ごとだ。なにをしていたのか知らずに終わるなんて、生殺しもいいとこだ。
それに対し、ピクスさんはニコリとうなずき、
「そうだねえ、それじゃあ帰りに話してあげようかねえ」
そう言ってスタスタ歩き出した。
「……」
ぼくらは言葉を出そうとし、しかし声が出ず、黙ってあとを追った。
帰り道も、魔物の気配があった。
どれも襲ってくる様子はない。それどころか、遠巻きに見守っているようなきらいさえ感じる。
いったいこのおばあさんは何者なんだろう。神木ってなんなんだろう。いったいあの樹となにがあったんだろう。
ぼくらはただただ、うしろを歩いた。
そのうちに、ピクスさんはポツリと話しはじめた。
「あたしね、占い師だったの」
「”だった”?」
レオがピクリと反応した。
「いまは違うのですか?」
「ええ。力はお返ししてしまったわ」
「ですが占いとはそういうものではないはずです」
レオが言うには、占いは統計学だという。
たとえば星の流れがいつのとき、何月の何日に生まれたひとが、こんな人格で、こんな人生を送ったとする。
おなじ星の流れ、おなじ月、おなじ日に生まれた、別のひとの生涯がある。
そんな、ある特定の日に生まれたひとたちの人生をたくさん並べると、ある種の偏りがある。
その日に生まれたひとたちは、性格がある方向にかたむきやすく、生き方も似かよい、どんな運命かを判断できる。
だから占い師は生年月日とカレンダーを見て、
「あなたはこういう人生だから、これこれに気をつけて」
なんて言うそうだ。
なるほど、よくわかんないけど占いって暗記なのか。手相なんかもそうだとレオは言った。
「つまり、占いの技術とは返したり失ったりするものではないでしょう」
それに対し、ピクスさんは微笑ましく笑い、
「あなた勉強家なのね」
「えっ?」
「それはね、とても頭のいいひとたちが考えたことよ。まあ、半分は当たっているのだけれど」
「どういうことでしょうか……」
「みんなが見ている占いのデータは”答え”の書き写し。本当に未来が見えるひとは、世界に力をお借りしてるの」
「……」
レオは口を閉じてしまった。どうやら彼女にも理解できないらしい。そんな難しい話ぼくにわかるわけないけど、とりあえず思ったことを訊いてみた。
「つまりピクスさんは世界に力を借りてたってこと?」
「あら、あなた理解が早いわね。そういうことよ」
わあ、誉められちゃった! えへへ!
「あの……」
レオは息をのむように固く言った。
「先ほどの樹は神木ですよね」
「きっとそうね」
「それではやはり……あなたは……」
「そう、神木様から力をお借りしてたのよ」
「……」
レオは再び沈黙した。なにか考え込んでいるらしい。
それが、ふっと目の焦点が合い、
「すみませんが」
はっきりと、強い口調で言った。
「なにがあったのかお聞かせ願います」
「あら、ホントに勉強家ね」
「なぜあなたが神木に力を借りれたのか、知らずに帰れば今夜は眠れません」
「そうよねえ。あなたはそういう子だわ」
「……」
レオの固くなっていた表情がさらにこわばった。いままでで一番弱い彼女を見ている気がした。
「ふふ……」
ピクスさんは夜空を見上げ、おっとりと、
「あれはまだ、あたしが十代のころだったわ……」
そう言って話しはじめた。
ピクスは千年にひとりと評されるほどの美女だった。
顔立ちは美しく、スラリと伸びた長い手足は女からも憧れの的だった。
しかもただ美しいだけではない。
家の畑仕事で培われた肉体は、余計な肉を取り払い、引き締まった体を作った。
それでいて、出るべきところは出ている。
女の魅力を存分に引き出した、まさに天から与えられた美貌の持ち主だった。
それに頭もよかった。
読み書きができるのは当然のこと、学者の読むような本を趣味で読み漁り、小さな田舎町にはもったいないほど博識に育っていた。
さらには町長に口添えし、貴族の間違った徴税を正したりしていた。
これでモテないはずがない。都会なら、とっくにひとかどの人物になっていただろう。
彼女は町じゅうの男から言い寄られた。
だれもが彼女を望み、結婚の申し出が山のように届いた。
これに困ったのは父親だった。
できのよい娘が育ったのはうれしいが、どこに嫁がせればいいかわからない。
町長との付き合いは大事にしたい。
商業組合の長ともいい関係でいたい。
ほかにも恩人はひとりふたりではない。むかしながらの友人宅に送りたい気もする。
どこにも嫁がせたいし、どことも不義理にはできない。
悩みに悩んだ結果、世間の目を考えて、町長か組合長のどちらかを選ぶことにした。
しかし、ここからが難しかった。
町長は当然町で最も偉い男だ。彼にきらわれていいことはない。
しかし組合長も仕事上不義理にはできない。彼に睨まれれば村八分もあり得る。
どうするか、どうしたものか、そんなふうに頭を抱えるうち、彼は熱を出して寝込んでしまった。
これを見かねた娘は、なんとも思い切った行動に出た。
「あたし、ふたりと会って選ぶわ。だってあたしの結婚だし、それなら父さんが恨まれることはないもの」
まだ恋愛結婚がめずらしかった時代である。女が男を選ぶなど考えられない。
肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか、ともかく彼女は実行した。それぞれの家に手紙を出し、ふたりをディナーに誘った。
会ってみて、どちらも悪くはないと感じた。
町長の息子は体躯こそ並だが、都に留学するほどの知恵者で、おだやかながら強い自信と包容力を持っていた。
組合長の息子は少々気が荒そうだが、それだけ魅力的な男らしい男で、嘘のないまっすぐなまなざしをしていた。
そんなふたりが、熱烈に彼女を誘った。インテリからは歌うように愛を語られ、愚直からは燃えるような言葉を受けた。
どちらも魅力的で、どちらも選べなかった。
「少し、時間をください」
そう言ってひとまず解散したものの、彼女は父親以上に悩んでしまった。
地位はほとんどおなじである。どちらも行く末は権力者である。
なら違いは人間の魅力だ。だがそれが甲乙つけ難い。
彼女はその晩寝つけず、夜更けに畑を歩き回った。考えれば考えるほど頭が熱くなり、迷いは深くなるばかりだった。
ふと気がつくと、辺りが白い霧に包まれていた。
妙だった。夜霧の出るような時期ではない。
よく見れば、ただの霧ではなかった。
粒子が光っている。
蒸気であるはずの霧が、ひと粒ひと粒輝きを放ち、しかも羽虫のように動き回っている。
これはいったい——
そう思ったとき、腕に光の粒が乗った。
それは蛍だった。
——なぜこんなところに蛍が?
蛍は水辺の虫である。ここには池も川もない。
彼女は無意識に周囲を見回した。
途端、息が止まりそうになった。
目の前に巨大な樹が生えていた。
足元には水が張っていた。
見渡せば、森の中。
ほんの数秒前まで畑にいたはずが、なぜか見知らぬ森の、大きな樹の前に立っていた。
彼女は一瞬パニックを起こしかけた。
が、不思議とこころが落ち着いた。
——ここは、悪いところじゃない。
空気が清く、冷たく、心地よい。
ごうごうと滝がさかのぼるような無音を感じ、冷水がぴちょんとひと雫落ちるような静けさに満ちている。
ここにいると、悩んでいた頭がスッキリし、ざわついていた胸がすうっと軽くなった。
すると、目の前の樹に興味を持った。
なぜかはわからないが、この樹があたしを呼んだと思った。
それは思うというより確信に近い。蛍の棲まう巨大な樹木は、いままで見たどんなものより雄大で、同時に知性的なものを内包していると感じた。
——でも、なぜ。
呼ばれたからには意味がある。なにか目的があってここにいるはずだ。
そう思ったとき、カラン、と樹の根本で音が鳴った。
見ると、大量の木札が落ちていた。
彼女は躊躇することなく水たまりを歩き、それを一枚拾った。
片面に、読めない文字で「愛」と書かれていた。
——どうして?
知らない文字だった。だが、文字とわかったし、意味も知っていた。
胸がドクンと音を立てた。ふだを見つめる瞳が細かく揺れ、のど奥から吐息が漏れた。
次の瞬間——
「あっ!」
彼女の意識にふたつの映像が流れ込んだ。
ひとつは、村長の息子との生活であった。おだやかで知的な青年はなにかと理屈っぽく、些細なことでぐちぐち言い、言葉尻から揚げ足を取るいやらしい側面で彼女を苦しめた。
もうひとつは、組合長の息子との生活だった。彼は見た目通り暴力的で、妻が逆らうことを一切許さなかった。間違いを正論で正そうとも、すべて腕力で押し込められた。
どちらも一瞬のことであった。
いったいなんの映像なのか——などという疑問は浮かばなかった。
これは未来の映像だ。もし彼らといっしょになったらどうなるか、木札はそれを見せたのだ。
いまのふだには「愛」と書かれていた。では、他はどうか。
いろいろなものがあった。金、仕事、夢、友……その中からためしに”旅”を拾ってみると、再び映像が見えた。
ピクスは方々を旅し、占い師として活躍していた。決して金持ちではない。財布を覗き、硬貨の枚数を険しい表情で数えたりもしていた。
しかし、魅力的だった。
彼女は故郷があまり好きではなかった。男はみな酒と女を抱くことばかりで、女は男の機嫌を取っては、子育てと野良仕事に追われる日々。泥臭くて、野暮ったくて、生きる意味を問いたくなるような変わり映えのない生活。
それに比べて映像の中の自分は華やかだった。高価な衣装で着飾り、都会のおしゃれな空気を味わったり、地方の食や祭りを堪能していた。
そのとき、彼女は自分が旅をしたがっていたことに気づいた。だからあたしは、あんなに本を読んでいたんだ。だからいま「旅」というふだを選んだんだ——と。
ふと、樹が微笑んでいる気がした。
いままで感じなかったが、得体の知れないなにかが周囲を埋め尽くしていると知った。
そいつらが、笑っている。
パチパチと手を叩き、祝福している。
見えも、聞こえもしないが、花びらを撒き散らすような盛大な闇に包まれている。
その日、彼女は故郷を捨てた。
のちに頼りを書くことも、二度と家に戻ることもなかった。
「わあ……」
ぼくは歩き続けた疲れも忘れ、目の前の神秘的な景色に見惚れた。
それは神聖というほかなかった。
一本の巨大な樹木がある。
かなり太く、大人が十人手を繋いで囲ってもおそらく足りない。夜だからか、見上げてもてっぺんが見えない。木肌は灰色でがさがさしており、触れれば崩れそうなほど脆く見えるが、同時にがっしりと固そうでもある。
その周りを蛍が飛び回っている。
樹の足元には、池のような水たまりが広がっている。
それが、闇夜でも透き通っているのがわかる。
「どう? きれいでしょう」
ピクスさんはニコリと微笑み、言った。
それに対し、レオは唖然とした顔で、
「これは……まさか神木か?」
と、だれに言うでもなく言った。なぜか彼女の心音が聞こえる気がした。
「きっと、そうなんでしょうねえ」
ピクスさんの言葉にレオはハッとし、
「あ……あの、これはいったいどういうことでしょう」
「あたしはね、この樹に借り物を返しに来たの」
そう言うとピクスさんはぼくに振り返り、
「クロさん、重かったでしょう。ありがとうね。荷物を渡してもらえるかしら」
「あ、はい……」
ぼくは彼女に荷物を返した。するとピクスさんは、ざぶざぶと水たまりを歩き、樹の前にしゃがみ込んだ。
「長いあいだ、お借りしていました。いまお返しします」
そう言ってリュックからいくつもの木のふだを取り出した。そういえば中身がなにか知らなかったけど、口ぶりからしてこの樹から作った木札なのかな?
ピクスさんはそれを丁寧に樹の根元に立て掛けていった。よく見るとふだにはなにやら文字らしきものが書いてある。
それを見たレオが、
(呪術……!)
と小声で叫んだ。言われてみれば、よくレオが呪術を使うときの文字に似ている。それを、神木から借りたと言い、返している。
……このひと何者なんだ!?
ピクスさんは数十枚のふだを並べ終えると、
「ありがとう……そして、さようなら」
そう言ってざぶりと立ち上がり、頭を下げた。脚はもちろん、ズボンのお尻までびしょ濡れだった。
「さ、これで用はおしまい。あなたたちもありがとうね。それじゃあ帰りましょう」
彼女は何事もなかったかのように平然と来た道を戻ろうとした。しかしこれで黙っていられるレオではない。
「ピクスさん! いまのはなんですか! わたしにはただの板とは思えなかったのですが!」
そうだ、このまま帰るなんてできない。ぼくだってすごく気になる。いまピクスさんがしていたことは、きっとただならぬ大ごとだ。なにをしていたのか知らずに終わるなんて、生殺しもいいとこだ。
それに対し、ピクスさんはニコリとうなずき、
「そうだねえ、それじゃあ帰りに話してあげようかねえ」
そう言ってスタスタ歩き出した。
「……」
ぼくらは言葉を出そうとし、しかし声が出ず、黙ってあとを追った。
帰り道も、魔物の気配があった。
どれも襲ってくる様子はない。それどころか、遠巻きに見守っているようなきらいさえ感じる。
いったいこのおばあさんは何者なんだろう。神木ってなんなんだろう。いったいあの樹となにがあったんだろう。
ぼくらはただただ、うしろを歩いた。
そのうちに、ピクスさんはポツリと話しはじめた。
「あたしね、占い師だったの」
「”だった”?」
レオがピクリと反応した。
「いまは違うのですか?」
「ええ。力はお返ししてしまったわ」
「ですが占いとはそういうものではないはずです」
レオが言うには、占いは統計学だという。
たとえば星の流れがいつのとき、何月の何日に生まれたひとが、こんな人格で、こんな人生を送ったとする。
おなじ星の流れ、おなじ月、おなじ日に生まれた、別のひとの生涯がある。
そんな、ある特定の日に生まれたひとたちの人生をたくさん並べると、ある種の偏りがある。
その日に生まれたひとたちは、性格がある方向にかたむきやすく、生き方も似かよい、どんな運命かを判断できる。
だから占い師は生年月日とカレンダーを見て、
「あなたはこういう人生だから、これこれに気をつけて」
なんて言うそうだ。
なるほど、よくわかんないけど占いって暗記なのか。手相なんかもそうだとレオは言った。
「つまり、占いの技術とは返したり失ったりするものではないでしょう」
それに対し、ピクスさんは微笑ましく笑い、
「あなた勉強家なのね」
「えっ?」
「それはね、とても頭のいいひとたちが考えたことよ。まあ、半分は当たっているのだけれど」
「どういうことでしょうか……」
「みんなが見ている占いのデータは”答え”の書き写し。本当に未来が見えるひとは、世界に力をお借りしてるの」
「……」
レオは口を閉じてしまった。どうやら彼女にも理解できないらしい。そんな難しい話ぼくにわかるわけないけど、とりあえず思ったことを訊いてみた。
「つまりピクスさんは世界に力を借りてたってこと?」
「あら、あなた理解が早いわね。そういうことよ」
わあ、誉められちゃった! えへへ!
「あの……」
レオは息をのむように固く言った。
「先ほどの樹は神木ですよね」
「きっとそうね」
「それではやはり……あなたは……」
「そう、神木様から力をお借りしてたのよ」
「……」
レオは再び沈黙した。なにか考え込んでいるらしい。
それが、ふっと目の焦点が合い、
「すみませんが」
はっきりと、強い口調で言った。
「なにがあったのかお聞かせ願います」
「あら、ホントに勉強家ね」
「なぜあなたが神木に力を借りれたのか、知らずに帰れば今夜は眠れません」
「そうよねえ。あなたはそういう子だわ」
「……」
レオの固くなっていた表情がさらにこわばった。いままでで一番弱い彼女を見ている気がした。
「ふふ……」
ピクスさんは夜空を見上げ、おっとりと、
「あれはまだ、あたしが十代のころだったわ……」
そう言って話しはじめた。
ピクスは千年にひとりと評されるほどの美女だった。
顔立ちは美しく、スラリと伸びた長い手足は女からも憧れの的だった。
しかもただ美しいだけではない。
家の畑仕事で培われた肉体は、余計な肉を取り払い、引き締まった体を作った。
それでいて、出るべきところは出ている。
女の魅力を存分に引き出した、まさに天から与えられた美貌の持ち主だった。
それに頭もよかった。
読み書きができるのは当然のこと、学者の読むような本を趣味で読み漁り、小さな田舎町にはもったいないほど博識に育っていた。
さらには町長に口添えし、貴族の間違った徴税を正したりしていた。
これでモテないはずがない。都会なら、とっくにひとかどの人物になっていただろう。
彼女は町じゅうの男から言い寄られた。
だれもが彼女を望み、結婚の申し出が山のように届いた。
これに困ったのは父親だった。
できのよい娘が育ったのはうれしいが、どこに嫁がせればいいかわからない。
町長との付き合いは大事にしたい。
商業組合の長ともいい関係でいたい。
ほかにも恩人はひとりふたりではない。むかしながらの友人宅に送りたい気もする。
どこにも嫁がせたいし、どことも不義理にはできない。
悩みに悩んだ結果、世間の目を考えて、町長か組合長のどちらかを選ぶことにした。
しかし、ここからが難しかった。
町長は当然町で最も偉い男だ。彼にきらわれていいことはない。
しかし組合長も仕事上不義理にはできない。彼に睨まれれば村八分もあり得る。
どうするか、どうしたものか、そんなふうに頭を抱えるうち、彼は熱を出して寝込んでしまった。
これを見かねた娘は、なんとも思い切った行動に出た。
「あたし、ふたりと会って選ぶわ。だってあたしの結婚だし、それなら父さんが恨まれることはないもの」
まだ恋愛結婚がめずらしかった時代である。女が男を選ぶなど考えられない。
肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか、ともかく彼女は実行した。それぞれの家に手紙を出し、ふたりをディナーに誘った。
会ってみて、どちらも悪くはないと感じた。
町長の息子は体躯こそ並だが、都に留学するほどの知恵者で、おだやかながら強い自信と包容力を持っていた。
組合長の息子は少々気が荒そうだが、それだけ魅力的な男らしい男で、嘘のないまっすぐなまなざしをしていた。
そんなふたりが、熱烈に彼女を誘った。インテリからは歌うように愛を語られ、愚直からは燃えるような言葉を受けた。
どちらも魅力的で、どちらも選べなかった。
「少し、時間をください」
そう言ってひとまず解散したものの、彼女は父親以上に悩んでしまった。
地位はほとんどおなじである。どちらも行く末は権力者である。
なら違いは人間の魅力だ。だがそれが甲乙つけ難い。
彼女はその晩寝つけず、夜更けに畑を歩き回った。考えれば考えるほど頭が熱くなり、迷いは深くなるばかりだった。
ふと気がつくと、辺りが白い霧に包まれていた。
妙だった。夜霧の出るような時期ではない。
よく見れば、ただの霧ではなかった。
粒子が光っている。
蒸気であるはずの霧が、ひと粒ひと粒輝きを放ち、しかも羽虫のように動き回っている。
これはいったい——
そう思ったとき、腕に光の粒が乗った。
それは蛍だった。
——なぜこんなところに蛍が?
蛍は水辺の虫である。ここには池も川もない。
彼女は無意識に周囲を見回した。
途端、息が止まりそうになった。
目の前に巨大な樹が生えていた。
足元には水が張っていた。
見渡せば、森の中。
ほんの数秒前まで畑にいたはずが、なぜか見知らぬ森の、大きな樹の前に立っていた。
彼女は一瞬パニックを起こしかけた。
が、不思議とこころが落ち着いた。
——ここは、悪いところじゃない。
空気が清く、冷たく、心地よい。
ごうごうと滝がさかのぼるような無音を感じ、冷水がぴちょんとひと雫落ちるような静けさに満ちている。
ここにいると、悩んでいた頭がスッキリし、ざわついていた胸がすうっと軽くなった。
すると、目の前の樹に興味を持った。
なぜかはわからないが、この樹があたしを呼んだと思った。
それは思うというより確信に近い。蛍の棲まう巨大な樹木は、いままで見たどんなものより雄大で、同時に知性的なものを内包していると感じた。
——でも、なぜ。
呼ばれたからには意味がある。なにか目的があってここにいるはずだ。
そう思ったとき、カラン、と樹の根本で音が鳴った。
見ると、大量の木札が落ちていた。
彼女は躊躇することなく水たまりを歩き、それを一枚拾った。
片面に、読めない文字で「愛」と書かれていた。
——どうして?
知らない文字だった。だが、文字とわかったし、意味も知っていた。
胸がドクンと音を立てた。ふだを見つめる瞳が細かく揺れ、のど奥から吐息が漏れた。
次の瞬間——
「あっ!」
彼女の意識にふたつの映像が流れ込んだ。
ひとつは、村長の息子との生活であった。おだやかで知的な青年はなにかと理屈っぽく、些細なことでぐちぐち言い、言葉尻から揚げ足を取るいやらしい側面で彼女を苦しめた。
もうひとつは、組合長の息子との生活だった。彼は見た目通り暴力的で、妻が逆らうことを一切許さなかった。間違いを正論で正そうとも、すべて腕力で押し込められた。
どちらも一瞬のことであった。
いったいなんの映像なのか——などという疑問は浮かばなかった。
これは未来の映像だ。もし彼らといっしょになったらどうなるか、木札はそれを見せたのだ。
いまのふだには「愛」と書かれていた。では、他はどうか。
いろいろなものがあった。金、仕事、夢、友……その中からためしに”旅”を拾ってみると、再び映像が見えた。
ピクスは方々を旅し、占い師として活躍していた。決して金持ちではない。財布を覗き、硬貨の枚数を険しい表情で数えたりもしていた。
しかし、魅力的だった。
彼女は故郷があまり好きではなかった。男はみな酒と女を抱くことばかりで、女は男の機嫌を取っては、子育てと野良仕事に追われる日々。泥臭くて、野暮ったくて、生きる意味を問いたくなるような変わり映えのない生活。
それに比べて映像の中の自分は華やかだった。高価な衣装で着飾り、都会のおしゃれな空気を味わったり、地方の食や祭りを堪能していた。
そのとき、彼女は自分が旅をしたがっていたことに気づいた。だからあたしは、あんなに本を読んでいたんだ。だからいま「旅」というふだを選んだんだ——と。
ふと、樹が微笑んでいる気がした。
いままで感じなかったが、得体の知れないなにかが周囲を埋め尽くしていると知った。
そいつらが、笑っている。
パチパチと手を叩き、祝福している。
見えも、聞こえもしないが、花びらを撒き散らすような盛大な闇に包まれている。
その日、彼女は故郷を捨てた。
のちに頼りを書くことも、二度と家に戻ることもなかった。
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