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第十六話 愛は喜怒にて結び、縄解き難し
愛は喜怒にて結び、縄解き難し 七
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あれから一週間後、アルテルフがキャメロから代金を回収した。
なぜ一週間後なのか。それは怨恨の送り手五人を排除して、本当にストーカー被害が収まったかを確認したかったからだ。
そのため日になんどもアルテルフが上空から監視し、つきまとう影がないか確認した。そしてどうやらもう問題がないと判断し、無事解決となったわけだ。
しかしキャメロは数日ほど家から出なかった。
接触したアルテルフが言うには、
「熱出して寝込んでたみたいですよー」
とのことだった。
まあ、そうなるのも無理ないよ。だって、あの晩彼女は五人の死体をまのあたりにしたんだ。グロテスクな絵面ではなかったとはいえ、死に慣れていない女子がショックを受けずに済むとは思えない。一週間経つころには元の笑顔が戻ったというが、こころに傷を負っていないことを願うばかりだ。
なにはともあれ仕事は完遂した。穏便に済ませるという目的は果たせなかったが、ストーカーを炙り出すことには成功し、結果、被害は収まった。
ぼくとレオはリビングでくつろぎ、一種の反省会をしていた。
「まったく……わたしとしたことが失敗だったな」
「まあ、いいじゃない。解決したんだから」
レオはちょっぴりいじけていた。彼女が言うには、仕事はできて当然で、問題は思惑が外れたことだった。
「わたしはきっと、間違ったことは言ってなかったと思うんだ」
「うーん……そうなんだろうね」
サイウルスと結婚すると言った男に、サイウルスの結婚を非難する権利はない。つまり、自分はいいけど他人じゃ許さないというのは筋が通らない。これがレオの意見だ。
ぼくはこれが正しいのかどうか、よくわからない。だれだって自分だったらいいと思うに決まってる。
「だが実際、納得させることはできなかった。ということは、わたしが間違っていたか、あるいは正論を言ったところで無意味だったというわけだ」
レオはテーブルに置かれたジャーキーをほおばり、触れた指先を舐めた。塩気とスパイスの効いたそれはウィスキーのあてに最高で、つい食べ過ぎてしまうからと、あまり量は持ってきていない。
ぼくはホットココアを用意したことをやや後悔しつつ、ひとつつまんだ。ひと息にいかず、ちょっとずつしゃぶるのがぼくの好みだ。味が抜けてきたら丸ごと口に含んで、しっかり噛み締める。
そんなぼくの食べ方を見て、レオが言った。
「おまえ、まだその食い方してるのか。それではうまさが半減するというのに」
「いいじゃない。ぼくはこうするのが好きなんだよ」
「ふん……もったいない」
レオはウィスキーをごくごく飲み、ふぅ、とグラスを置いた。
そして、ぽつりと言った。
「ひとは思い通りにはならん……か」
「へ、なにが?」
「わたしは前にもおまえのジャーキーの食い方を正そうとした。なぜならジャーキーは表面のスパイスと中の肉汁が混じってこそ最もうまいからだ。だが、おまえは直さん」
「好みの問題じゃない?」
「それもあるが、おそらくわたしは正しい。だがおまえは言う通りにしない。たかだかジャーキーの食い方ひとつ正せんのだ。恋感情など、それこそ思い通りになるはずがない。感情は理屈では抑えられんということだ」
「ふぅん……そうだね」
ぼくはそれっぽくうなずいた。また難しいこと言ってる。ジャーキーと恋愛になんの関係があるんだろう。
なんでもいいや。とにかくぼくはジャーキーを好きに食べるよ。
「でも困っちゃうよね」
ぼくはふと思い、言った。
「なにがだ?」
「だって、ひとりの人間と愛し合えるのはひとりだけでしょ? それで思い通りにならなかったからって、恨まれちゃたまんないよ」
「そうだな。あきらめるなり、納得するなりしてもらわんと困る。世の中は、願っても、努力しても、叶わないことの方が多いんだ。わたしだってリリウムちゃんには裏切られたと思ったさ。だが恨んだところで苦痛しか残らん。それより明るい未来を祈ってやった方が、あとあと自分も気分がいい」
「……レオは偉いね」
「は?」
ぼくの言葉を聞いて、レオは怪訝そうな顔をした。
「だって、あんなに大金貢いで、時間もこころも明け渡して、積み上げた期待を裏切られて、なのに相手のしあわせを祈ってあげられるんだよ」
「その方が自分が楽だからだ。恨みごころなど損しか生まん」
「けどそれができればみんな苦労しないよ。だからキャメロはストーカー被害にあったんでしょ?」
「まあな……」
レオはトスンとソファにもたれかかり、ふぅ、と細いため息を吐いた。
そして、じっと遠くを見つめ、しみじみ言った。
「わたしはしあわせ者だな……」
「なにが?」
「おまえは妻が悋気に狂って、しかもまだぐちぐち言っているというのに、平気で笑ってくれる。こんなにこころの広い夫はそうおらん」
なあんだ、そんなことか。だって慣れちゃったんだもの。いっつもいやらしいことばっかりされて、さんざん目の前でぼく以外のひとに性欲を向けられて、最近じゃレオがまともな方がびっくりしちゃうくらいだ。
でもぼくはそんなレオが好きなんだ。きっとそういうメチャクチャなところも含めて愛してるんだ。
だから、好きにしていいよ。ぼくはぜんぶ受け止める。
「はぁ……」
レオは両脚を閉じ、もじもじ揺らした。
「どうしたの?」
「いや……温めているとはいえ、冬は冷えるのでな。どうしても近くなる」
あ、トイレか。行ってくればいいのに。
「しかしおまえと離れたくない。いっときでも多くいっしょにいたいんだ」
尿意で身を縮ませたレオが、うっすら赤いほほをぼくに向けた。途端、
——ドキッ!
と胸がときめいた。こんなにかわいいレオはなかなか見られない。
「じ、じゃあ、ぼくもいっしょに行くよ。我慢は体に悪いからね」
ぼくは声がうわずってしまった。いまの彼女はある意味裸より色っぽかった。
そこに、レオがいたずらっぽく言った。
「そうだ。おまえに飲んでもらうのはどうだ?」
「へっ!?」
「この前し損じただろう。おまえ、なんでも言うことをきくと言っていたよな? わたしのためならなんでもすると」
「いや……その……」
「どうした。愛する妻の願いだぞ」
レオは、女を押し倒そうとする男みたいに身を寄せ、顔を近づけた。ぼくはレオが寄った分うしろにのけ反り、その分レオはさらに前にかたむき、追い詰められた。
「さあ言え。よろこんで言う通りにすると」
「あ、あ……」
ぼくはしどろもどろになり、ほとんど声が出なかった。まさかあのときのことを蒸し返されるなんて思ってもいなかった。突然で、こころの準備ができていない。
ごくりと息をのんだ。体が震え、催眠術にかかったように目を逸らせなくなった。
「ぼ……ぼく……」
ぼくはやっとのことで声を出そうとした。そのとき、
「プッ、あははは!」
レオが笑った。そして体を起こし、
「冗談だ。こんなにいやがっているのに、無理やりするわけがなかろう」
へ?
「まったく……あのときはわたしもどうかしていたよ。いくら興味があるからといって、夫にそんなことをさせようなどとはなぁ。ものには限度があるというのに」
……冗談、か。
「悪かった。おまえを困らせるのがたのしくて、ついな」
レオはまだ笑いを残したまま立ち上がり、
「すぐ戻る」
そう言って背を向け、ドアノブを握った。
ぼくはホッとした。
とんでもないことをしないで済んだ。
だけど、なぜか妙に口惜しく感じる。
肩透かしを食らった気がして、全身に寂しい風がすうっと吹き抜けている。
ぼくは……ぼくは………………
「あのさっ!」
それは、ほとんど無意識の声だった。
「れ……レオの願いなら、なんだって言う通りにするよ!」
「は?」
レオは立ち止まり、不思議そうにぼくを見つめた。
ぼくは真っ赤だった。
鏡を見なくても、顔の熱さで耳まで真っ赤なのがわかった。
そして、レオは気づいた。
気づいてしまった。
「お、おまえ……!」
途端にレオも赤くなり、信じられないものを見る目でぼくを見つめた。
だけどそれはすぐに愉悦の表情に変わった。
驚きがどろりと溶け、愛と情欲を秘めた静かな笑みが浮かび上がった。
——ああ、大好きな顔だ……ぼくの一番好きな、レオの顔………………
ドクン、ドクン、と心臓が鳴る。
体が震え、呼吸を抑えようとして苦しくなる。
顔の熱が一層濃くなり、それを隠すようにぼくは下を向いた。
直後、ガチャリと鍵の閉まる音がした。
床を見る視界の端に、レオの足とズボンが映り込んだ。
見上げると、ぼくの大好きな顔が、うれしそうに見下ろしていた。
なぜ一週間後なのか。それは怨恨の送り手五人を排除して、本当にストーカー被害が収まったかを確認したかったからだ。
そのため日になんどもアルテルフが上空から監視し、つきまとう影がないか確認した。そしてどうやらもう問題がないと判断し、無事解決となったわけだ。
しかしキャメロは数日ほど家から出なかった。
接触したアルテルフが言うには、
「熱出して寝込んでたみたいですよー」
とのことだった。
まあ、そうなるのも無理ないよ。だって、あの晩彼女は五人の死体をまのあたりにしたんだ。グロテスクな絵面ではなかったとはいえ、死に慣れていない女子がショックを受けずに済むとは思えない。一週間経つころには元の笑顔が戻ったというが、こころに傷を負っていないことを願うばかりだ。
なにはともあれ仕事は完遂した。穏便に済ませるという目的は果たせなかったが、ストーカーを炙り出すことには成功し、結果、被害は収まった。
ぼくとレオはリビングでくつろぎ、一種の反省会をしていた。
「まったく……わたしとしたことが失敗だったな」
「まあ、いいじゃない。解決したんだから」
レオはちょっぴりいじけていた。彼女が言うには、仕事はできて当然で、問題は思惑が外れたことだった。
「わたしはきっと、間違ったことは言ってなかったと思うんだ」
「うーん……そうなんだろうね」
サイウルスと結婚すると言った男に、サイウルスの結婚を非難する権利はない。つまり、自分はいいけど他人じゃ許さないというのは筋が通らない。これがレオの意見だ。
ぼくはこれが正しいのかどうか、よくわからない。だれだって自分だったらいいと思うに決まってる。
「だが実際、納得させることはできなかった。ということは、わたしが間違っていたか、あるいは正論を言ったところで無意味だったというわけだ」
レオはテーブルに置かれたジャーキーをほおばり、触れた指先を舐めた。塩気とスパイスの効いたそれはウィスキーのあてに最高で、つい食べ過ぎてしまうからと、あまり量は持ってきていない。
ぼくはホットココアを用意したことをやや後悔しつつ、ひとつつまんだ。ひと息にいかず、ちょっとずつしゃぶるのがぼくの好みだ。味が抜けてきたら丸ごと口に含んで、しっかり噛み締める。
そんなぼくの食べ方を見て、レオが言った。
「おまえ、まだその食い方してるのか。それではうまさが半減するというのに」
「いいじゃない。ぼくはこうするのが好きなんだよ」
「ふん……もったいない」
レオはウィスキーをごくごく飲み、ふぅ、とグラスを置いた。
そして、ぽつりと言った。
「ひとは思い通りにはならん……か」
「へ、なにが?」
「わたしは前にもおまえのジャーキーの食い方を正そうとした。なぜならジャーキーは表面のスパイスと中の肉汁が混じってこそ最もうまいからだ。だが、おまえは直さん」
「好みの問題じゃない?」
「それもあるが、おそらくわたしは正しい。だがおまえは言う通りにしない。たかだかジャーキーの食い方ひとつ正せんのだ。恋感情など、それこそ思い通りになるはずがない。感情は理屈では抑えられんということだ」
「ふぅん……そうだね」
ぼくはそれっぽくうなずいた。また難しいこと言ってる。ジャーキーと恋愛になんの関係があるんだろう。
なんでもいいや。とにかくぼくはジャーキーを好きに食べるよ。
「でも困っちゃうよね」
ぼくはふと思い、言った。
「なにがだ?」
「だって、ひとりの人間と愛し合えるのはひとりだけでしょ? それで思い通りにならなかったからって、恨まれちゃたまんないよ」
「そうだな。あきらめるなり、納得するなりしてもらわんと困る。世の中は、願っても、努力しても、叶わないことの方が多いんだ。わたしだってリリウムちゃんには裏切られたと思ったさ。だが恨んだところで苦痛しか残らん。それより明るい未来を祈ってやった方が、あとあと自分も気分がいい」
「……レオは偉いね」
「は?」
ぼくの言葉を聞いて、レオは怪訝そうな顔をした。
「だって、あんなに大金貢いで、時間もこころも明け渡して、積み上げた期待を裏切られて、なのに相手のしあわせを祈ってあげられるんだよ」
「その方が自分が楽だからだ。恨みごころなど損しか生まん」
「けどそれができればみんな苦労しないよ。だからキャメロはストーカー被害にあったんでしょ?」
「まあな……」
レオはトスンとソファにもたれかかり、ふぅ、と細いため息を吐いた。
そして、じっと遠くを見つめ、しみじみ言った。
「わたしはしあわせ者だな……」
「なにが?」
「おまえは妻が悋気に狂って、しかもまだぐちぐち言っているというのに、平気で笑ってくれる。こんなにこころの広い夫はそうおらん」
なあんだ、そんなことか。だって慣れちゃったんだもの。いっつもいやらしいことばっかりされて、さんざん目の前でぼく以外のひとに性欲を向けられて、最近じゃレオがまともな方がびっくりしちゃうくらいだ。
でもぼくはそんなレオが好きなんだ。きっとそういうメチャクチャなところも含めて愛してるんだ。
だから、好きにしていいよ。ぼくはぜんぶ受け止める。
「はぁ……」
レオは両脚を閉じ、もじもじ揺らした。
「どうしたの?」
「いや……温めているとはいえ、冬は冷えるのでな。どうしても近くなる」
あ、トイレか。行ってくればいいのに。
「しかしおまえと離れたくない。いっときでも多くいっしょにいたいんだ」
尿意で身を縮ませたレオが、うっすら赤いほほをぼくに向けた。途端、
——ドキッ!
と胸がときめいた。こんなにかわいいレオはなかなか見られない。
「じ、じゃあ、ぼくもいっしょに行くよ。我慢は体に悪いからね」
ぼくは声がうわずってしまった。いまの彼女はある意味裸より色っぽかった。
そこに、レオがいたずらっぽく言った。
「そうだ。おまえに飲んでもらうのはどうだ?」
「へっ!?」
「この前し損じただろう。おまえ、なんでも言うことをきくと言っていたよな? わたしのためならなんでもすると」
「いや……その……」
「どうした。愛する妻の願いだぞ」
レオは、女を押し倒そうとする男みたいに身を寄せ、顔を近づけた。ぼくはレオが寄った分うしろにのけ反り、その分レオはさらに前にかたむき、追い詰められた。
「さあ言え。よろこんで言う通りにすると」
「あ、あ……」
ぼくはしどろもどろになり、ほとんど声が出なかった。まさかあのときのことを蒸し返されるなんて思ってもいなかった。突然で、こころの準備ができていない。
ごくりと息をのんだ。体が震え、催眠術にかかったように目を逸らせなくなった。
「ぼ……ぼく……」
ぼくはやっとのことで声を出そうとした。そのとき、
「プッ、あははは!」
レオが笑った。そして体を起こし、
「冗談だ。こんなにいやがっているのに、無理やりするわけがなかろう」
へ?
「まったく……あのときはわたしもどうかしていたよ。いくら興味があるからといって、夫にそんなことをさせようなどとはなぁ。ものには限度があるというのに」
……冗談、か。
「悪かった。おまえを困らせるのがたのしくて、ついな」
レオはまだ笑いを残したまま立ち上がり、
「すぐ戻る」
そう言って背を向け、ドアノブを握った。
ぼくはホッとした。
とんでもないことをしないで済んだ。
だけど、なぜか妙に口惜しく感じる。
肩透かしを食らった気がして、全身に寂しい風がすうっと吹き抜けている。
ぼくは……ぼくは………………
「あのさっ!」
それは、ほとんど無意識の声だった。
「れ……レオの願いなら、なんだって言う通りにするよ!」
「は?」
レオは立ち止まり、不思議そうにぼくを見つめた。
ぼくは真っ赤だった。
鏡を見なくても、顔の熱さで耳まで真っ赤なのがわかった。
そして、レオは気づいた。
気づいてしまった。
「お、おまえ……!」
途端にレオも赤くなり、信じられないものを見る目でぼくを見つめた。
だけどそれはすぐに愉悦の表情に変わった。
驚きがどろりと溶け、愛と情欲を秘めた静かな笑みが浮かび上がった。
——ああ、大好きな顔だ……ぼくの一番好きな、レオの顔………………
ドクン、ドクン、と心臓が鳴る。
体が震え、呼吸を抑えようとして苦しくなる。
顔の熱が一層濃くなり、それを隠すようにぼくは下を向いた。
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