魂売りのレオ

休止中

文字の大きさ
122 / 178
第十七話 ウォルフの地獄巡り

ウォルフの地獄巡り 三

しおりを挟む
 ——あーあ、まさかこんなことになっちゃうとはね。おれも説明だけして引っ込めるつもりだったんだけどさ。ま、こうなっちゃったらしょうがない。君には試練を受けてもらうよ。まずはじめは畜生道。獣や鳥、虫の世界だ。大変だと思うけど、君が無事正気でいられることを祈ってるよ。祈るだけなら、タダだからね。

 鬱蒼うっそうしげる樹々の葉が、燦々さんさんと降り注ぐ陽光をやわらげていた。
 広場、と呼ぶのがふさわしいだろう。樹の並びがぽっかり空いた、ほどよい土草つちくさの間がある。
 そこに、オオカミの群れが団欒だんらんを作っていた。
 数は七匹。たったいま仕留めた獲物の肉をつつき、鼻先を赤く染めている。
 獲物は鹿であった。全員が腹を満たすには十分な大きさである。
 彼らはそれを、われ先にという動きで、しかし譲り合う秩序を持って食らっていた。
 そのうちの一匹が、妙に気だるげだった。
 食うには食うが、ほかの仲間のようにがっつかない。
 平たく言えば、食いざまがあまりうまそうではない。
 彼は単なるオオカミではなかった。
 ひとのこころを持っていた。
 というのも、彼は人間だった。
 ひとの身でありながら、獣の耳を持つ特殊な種族“獣耳”に生まれ、山間の秘境を住処としていた。
 ——ウォルフである。
 彼女は途方もなく長いあいだ、この世界にいた。
 死んでも生まれ変わり、なんどもなんども途切れることなくウォルフの精神を持って転生を繰り返していた。
 あるときは虫に生まれた。
 あるときは鳥に生まれた。
 あるときは魚に生まれ、あるときは獣に生まれ、あるときは蛇に生まれた。
 死ぬたびに別の畜生としてまた生まれる。しかし決して人間になることはない。ひたすら鳥獣の生を繰り返す。
 地獄であった。
 もし、ひとのこころがなければ、単なるひとつの生に過ぎない。獣には獣の、虫には虫の幸福がある。
 彼らはきっと、みずからの立場を卑屈に思うことなどないだろう。
 だが、ウォルフはそうではない。
 人間の暮らしがいかに快適か知っている。
 夜眠るときは、屋根のある安全な室内で、あたたかい布団をかぶっていられる。
 さまざまな食材を、何倍もうまく調理して、熱々あつあつの鍋で食える。
 酒があり、遊びがあり、愛がある。
 もちろん畜生にもないわけではない。
 血肉のある生き物は、言葉なくして、ある種言語を超えたテレパシィのような感情のやり取りをする。
 目と目のふれあい、些細な素振りが、言葉以上に想いを伝える。
 しかしできることといえば、体を擦り合わせたり、走って転げ回るくらいのことで、ひとの遊びに比べたら児戯じぎに等しい。
 とくに食がつまらない。
 基本、生肉である。
 うまいにはうまいが、料理の味を知っていれば、なんとも味気ない。
 生き物によっては果実、木の実であったり、魚であったりとバリエーションはあるものの、とにかくそのまま味調理である。
 あーあ、とため息を漏らすような顔色で、ウォルフは食う。
 ときたま、いっそ正気を失えばどんなに楽かと思う。
 そうなれば、いまの境遇を不幸に思うことはない。
 生物にはそれぞれたのしみがあることも、彼女は長い輪廻の中で知った。
 たとえば蜘蛛だ。彼女はふだん、巣を張ってひたすら微動だにせず獲物を待ち続ける蜘蛛を見て、疑問に思っていた。
 ——こいつらは退屈を知らないのか?
 自分にはできないと思っていた。何時間も動かず、糸に神経を注ぎ続けるなど苦行としか思えなかった。
 だが実際、蜘蛛になってみると話が違った。
 待つのがたのしい。心地よい。
 獲物を待って静止しているあいだ、意識は清らかな清流につらぬかれるような、澄んだ幸福感に満たされた。
 そこでなにかを考えるのも心地よい。なにも考えずぼうっとしているのも心地よい。
 そして実際に獲物がかかった瞬間、体じゅうからぶわっと快感が噴き出し、踊りたくなる。
 それが味わいたいから、巣を張るという大変な作業も苦に思わない。
 人間の頭ではわからなかったが、なってみると、生き物にはそれぞれ違うプログラミングがされていた。
 とくに魚や昆虫の感覚は特異だった。
 彼らには“痛み”がない。
 ふつう傷を負えば、痛みを味わう。
 だが、それがない。
 そのかわり、痛みとは別の苦痛がある。
 たとえるなら、腹の中で風船が膨れるような感触とでも言おうか。あるいは高熱でうなされる晩に頭がぐにゃりとする感じに近いかもしれない。
 それが、ぞくぞくと傷口を襲う。
 痛みとどちらがマシかは比べがたい。
 ただ、どちらも過ぎれば気絶するほどの苦痛であることに変わりはない。
 それをウォルフはなんども体験した。
 なんどもなんども生まれ、なんどもなんども死に、幾重いくえもの生を味わった。
 獣のよろこび。獣の苦しみ。
 鳥のよろこび。鳥の苦しみ。
 魚のよろこび。魚の苦しみ。
 虫のよろこび。虫の苦しみ。
 生まれる苦しみ。死ぬ苦しみ。
 無限とも思える回数、あらゆる鳥獣に生まれ、死に、その間ずっとウォルフの意識を引き継いできた。
 結果、こころがぼやけた。
 いつからか活力を失い、たいがいのことがどうでもよくなった。
 ギリギリこれが“試練”だということは覚えている。だれが言ったか忘れたが、何者かによってこの世界に送られ、狂わずに過ごせと言われたことも記憶している。
 だが、それ以外のことをほとんど覚えていない。なぜこんな目にあっているのかも、ここにくる前どんな人生を送っていたのかも、あらかた忘れてしまった。
 唯一、自分の名前と、魚の塩焼きが好きだということだけは、意識的に忘れないようにしている。
 それを忘れたら、きっと“狂う”ということなのだろう。
 根拠はないが、そう思う。
 しかし最近はどうでもよくなってきた。
 こころが摩耗まもうしている。
 これがいつまで続くのか、考えるとめまいがする。
 考えたくない。
 思考を失いたい。
 狂ってしまいたい。
 狂えば楽になる。
 狂えば楽になる。
 狂えば楽になる。
 だが、なぜか、目的などとうに忘れたというのに、彼女は正気を失うまいとしていた。
 ——なぜ?
 思い出せない。はじまりは、はるか昔のことだ。
 いったいおれは、どうしてこんなことを……
 と思考をめぐらせていた、そんなとき、
 ——がさり、と草木が鳴った。
 オオカミの群れは顔を上げ、音の出どころを睨んだ。
 直近ではない、しかし決して遠くないところからの物音だった。
 風はない。
 なにかが通らなければ音は鳴らない。
 小動物か。大型動物か。肉食獣か。
 空気がぎゅっとった。
 ウォルフたちは口の中に食肉を残したまま、わずかの気配も聞き逃すまいと石になった。
 しばし、無音——
 ……
 ……
 ……草はそれ以上鳴らなかった。
 群れは力を抜き、しずしずと食事に戻った。
(まったくよォ……)
 毎度ながら、ウォルフは思う。
(メシひとつ食うのも気が抜けねンだからなァ)
 それは、あたりまえのことかもしれない。
 外敵を気にせず暮らせる生き物などほとんどいない。生き物は常に不安と恐怖を浴びながら過ごしている。
 すなわち、に生まれることは地獄にほかならない。いや、そもそも生きるということ自体が地獄である。
 ウォルフは身を持って確信していた。そして、なかばその事実を受け入れつつ、しかしやはり、ひとの暮らしを懐かしんだ。
(たしか人間だったころは、酒飲んで寝っ転がって……ゆっくりのんびり……)
 と、記憶の底の底にうっすら沈殿する、砂粒のような思い出を必死に思い出そうとしていた。そのとき——
「がおおおっ!」
「ぎゃんッ!」
 それは一瞬のことだった。
 何者かが彼女の体に覆いかぶさり、太い爪かなにかをえぐり込ませていた。
 おそらくクマだろう。きっと先ほどの音の主がこっそり近寄っていたのだろう。
 が、もうそんなことはどうでもいい。
 彼女のろっ骨と、内側の重要な器官は、いまの一撃でぐしゃぐしゃにされていた。
 声をいくら上げても足りないほどの痛みが、彼女の痛覚を吹き飛ばした。
 死の間際である。
 意識はじわりと途切れていく。
 周囲からぎゃんぎゃん聞こえるオオカミの吠え声が、にじむようにフェードアウトしていく。
 聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚、すべての感覚が薄れ、真っ白になっていく。
(……まったくよォ)
 毎度ながら、ウォルフは思う。
(メシ食うのも……なにすんのも……ままならねンだからよォ………………)
 ……それが最期の意識であった。
 オオカミのウォルフはそこで終わり、次の瞬間には別の新たな生命に意識を移していた。
 そうしてやがて、再び生まれる。
 生まれるまでのわずかなあいだが唯一の安らぎだ。
 母の胎内で丸まっているあいだだけ、卵の中で眠っているあいだだけ、苦しまずにいられる。
 いつまでもこうしていたい。
 決しておもてには出ず、ずうっとこの平和な闇の中で眠っていたい。
 なぜなら、生まれれば、苦しむから。
 なんどでも、なんどでも……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

合成師

盾乃あに
ファンタジー
里見瑠夏32歳は仕事をクビになって、やけ酒を飲んでいた。ビールが切れるとコンビニに買いに行く、帰り道でゴブリンを倒して覚醒に気付くとギルドで登録し、夢の探索者になる。自分の合成師というレアジョブは生産職だろうと初心者ダンジョンに向かう。 そのうち合成師の本領発揮し、うまいこと立ち回ったり、パーティーメンバーなどとともに成長していく物語だ。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

処理中です...