魂売りのレオ

休止中

文字の大きさ
上 下
136 / 178
第十九話 廃業の危機

廃業の危機 二

しおりを挟む
 店内は静まりかえっていた。
 それまで騒がしかった客たちは、テーブル席の立ち上がったふたりの男から離れ、固唾を飲んで見守っていた。
 怒号の主は割れた酒ビンを握っていた。
 その対面の男が、ふところから折り畳みナイフを抜き、ピンとを開いた。
 どちらも若く、人相が悪い。腕も太く、全身ゴツゴツと固そうで、声の調子からして話し合いより暴力を好むタイプと見受けられる。
 そんなふたりが、凶器片手に睨み合っている。
 ナイフの男が言った。
「落ち着けよ。おれはアドバイスしてるだけだぜ」
 割れビンの男がでかい声を出した。
「てめえの言うことは気に入らねえんだよ! 難癖ばっかつけやがって!」
「しょうがねえだろう。おめえがバカやろうとしてんだから」
「て、てめえ! おれをバカだっつうのか!?」
「やろうとしてることはバカだ」
「こ、このやろう……!」
 どうやら口論らしい。ナイフの男は存外冷静だ。しかし酒でほほが赤い。自衛のためのナイフだろうが、身を守るためには最悪血を見ることになる。
 殺伐とした空気がぎゅっと凝縮した。まさに一触即発。あと一歩どちらかの感情がたかぶれば、睨み合いは殺し合いに変わるだろう。
 そんな強烈な場面で、レオはのんびりと様子を眺めていた。
「ふふん、おもしろいショウだ」
 レオはごきげんに言った。
「せっかくのたのしみを邪魔されて、殺してやろうかと思ったが、どうやらあいつが殺してくれるらしい」
 なるほど、それで機嫌がいいのか。
 レオはひとの死がわかる。彼女は生まれつき“死相”が見える。
 それは見ようと思って見るものじゃない。なんでも死のさだめにあるひとは顔に死の色が浮かび、死期が近づくにつれ濃くなっていくという。
 レオはこの能力があるからこそ魂売りをしている。
 ひとが死ぬと魂は肉体から浮き出し、天へと昇る。魂を捕らえようと思ったら死後すぐでなければならない。しかしそれが難しい。病院にでも張り込めば多少タイミングがつかめるかもしれないが、四六時中見張っているわけにもいかないし、そもそも関係者以外は危篤きとく患者に近づけない。
 でもレオなら道端で死者を拾える。あのひとは来週あたり死にそうだなと思ったら、その日のうちに尾行して行動エリアを把握したり、そのときを迎えそうな場所の目星をつけて、当日だけ追跡すればいい。運がよければ即日の死相を見ることもある。
 そしてこの男は“即日”だった。
「きっとあのナイフだろう。ああ、たのしみだ。わたしは殺しを見る趣味などないが、気に食わないヤツが死ぬのは大歓迎だ。さあ、殺せ」
 まったく、趣味悪いよ。そりゃ魂売りは死人が出なきゃ商売にならないから、ひと死にに抵抗がなくなるのはしょうがないけどさ。だからってそんなうれしそうな顔しないでほしいや。
 ふつう刃物の向け合いなんて見たら恐怖するんだよ。ほら、周りを見てごらん。みんな真っ青な顔して戦慄してる。殴り合いのときはこぞって盛り上がるのに、だれも息してないみたいに静かだ。マスターだってこの通り……
 ……あれ?
 ぼくはふと、店主が落ち着いていることに気づいた。なんで平気な顔してるんだろう。自分の店でこんなことが起これば止めに入るか、大慌てするか、とにかく顔色が変わるはずなのに、妙に落ち着いている。
 いったいどうして……
 そう思っていると、
「騒ぎか?」
 奥の扉からひとりの男が顔を出した。
 途端、空気がずしりと重くなった。
 歳ははっきりとわからない。黒髪の半分は白髪で、高齢者特有のシミと、筋ばったしわが、男の年輪を刻んでいる。しかし肉体に老いは見えず、スーツから浮き出る筋肉の膨らみから、牛馬ぎゅうばの肌に似た分厚い重みを感じる。
 背は高く、顔立ちは無骨。
 太めの眉と、あごに敷き詰められたひげが羽毛のように毛羽立ち、シックだが荒々しい雰囲気をかもしだしている。
 まるで巨大な猛禽もうきんだ。小さいはずのふたつの黒目は、この店内のなによりも大きく、強烈に場を支配した。先ほどまでのギラギラした空気が消え、代わりに猛禽の放つ重圧が濃い静寂を生み出していた。
「な、なんだてめえは!」
 割れビンの男がどもりながら言った。
「自治会だ」
 猛禽が答えた。
 自治会とは、用心棒家業だ。いわゆるやくざ者で、ショバ代でメシを食う犯罪組織だ。
 おもな仕事は暴力。護衛契約した店を守り、街を荒らすチンピラを排除し、国外の怪しい人間を潰す。その手法は“軽い暴行”と“殺人”のふたつで、どちらも非合法だが、役人が手を出せないほどの腕自慢が揃っている。
 彼がいたから店主は余裕だったんだと、ぼくは気づいた。自治会と聞いて萎縮しない市民はいない。彼らにはそれだけの実力がある。事実、割れビンの男はたじろいでいた。
「なんか収まりそうだよ」
 ぼくはこっそりレオに言った。すると、
「はて……」
 レオはあごに手を置き、猛禽の顔をじっと見ていた。
「あの男、どこかで……」
 どうやら彼の顔に見覚えがあるらしい。森でひっそりと暮らすレオに顔見知りがいるなんてめずらしい。ふるい知人かな? 親戚とか、親の友人とか。
 まあ、なんでもいいや。それよりぼくはこのあとどうなるかが、すごく気になる。だってレオは割れビン男に死相を見た。おそらくナイフに刺されて死ぬはずだった。それが、止め役が出てきたってことは、きっと別の運命が待っているのだろう。
 猛禽と戦うのかな? だったらいいなぁ。すごく強そうだし、強者の戦いを見るのは大好きだ。なんならぼくも混じりたいや。
 そう思って見ていると、
「お客さん、暴力はいけない」
 猛禽がゆっくりと歩きながら言った。
「他のお客さんに迷惑だ。出て行ってくれ」
「なにを!?」
 割れビン男が前のめりになり、凶器の先端を相手の視線に向けた。体から湯気が出るほど顔が真っ赤で、あらゆる感情が抑えられないようだった。
「やめろ! 落ち着け!」
 ナイフ男は前を塞ぐように手を伸ばし、酔っ払いの胸を止めた。
「出ていきます! すいませんでした! さあ、ほら、おまえも謝れ!」
 彼は全力で従う姿勢を見せた。当然自治会の恐ろしさを知っているからだ。彼の腕は老齢の倍近く太いが、それでも争うべきでないと判断していた。
「どけ! おれをナメたヤツはぶっ殺してやる!」
「いい加減にしろ! おまえは飲み過ぎだ! 相手を考えろ!」
「うるせえ! あんなりつべこべ言うと——!」
 アッ、とナイフの男が慌てた。彼の持っていた自衛のナイフが友人の腕を少し切ってしまったのだ。
 酔っ払いに傷。感情は爆発する。
「こっ、このやろおッ!」
 男の顔が酒と怒りでぐにゃぐにゃにゆがんだ。表情筋が暴走し、子供の絵のように正しい並びが崩れ、目や肌の血管が全開になった。
 そして、
「なにしやがる!」
 ズン、と友人の胸を突いた。一瞬のできごとだった。
「っ!」
 ギャラリーから小さい悲鳴がいくつか聞こえた。ナイフがこぼれ落ちた。ビンを突き立てた位置はちょうど心臓だ。致命傷を受け、男はがぶがぶとなにか血声でうめき、ばったり仰向けに倒れた。
 こうなってはもう、ただでは終わらない。
 チンピラはハーハーと肩で息をしながら、
「てっ、てめえが悪ィんだ! てめえがっ、おれをバカにするからっ!」
 とみずからを肯定する声を上げていた。そこに、
「……やったな」
 猛禽がチンピラの前に立ち、睨みつけた。
 背はチンピラの方がやや高い。体格も男子全盛期とあって、めちゃくちゃに肉づいている。たったいま見せた殺しの手腕は、パワー、スピード、ともに申し分なかった。
 猛禽は老齢だ。それに肉厚といっても若者ほどではない。
 だが、ぼくには勝敗が見えていた。どう見ても猛禽の方が圧倒的に強い。ひげを見ればわかる。あご一帯をふさふさと、長すぎず短すぎず、白と黒を美しく調和させた見事な姿は、彼が負けるはずがない、というか負けてほしくないという期待感を、おそらく見た者すべてに持たせた。
 猛禽は言った。
「おれたちが守ってる店で、ずいぶんなことをしてくれたな」
 彼は二歩の手前でズボンのポケットに手を突っ込んでいた。見上げ、睨み合うかたちだった。
「迷惑料だ。金貨十枚用意しろ」
 それは迷惑料にしては多い金額だった。たしかにこんなことがあっては数日営業が止まるかもしれないから、多少は必要だが、店の規模からして二、三枚が相場だろう。
 チンピラは歯を噛み砕くいきおいで歯ぎしりし、
「ナメてんじゃねえぞ!」
 びゅんっ——とビンを突き出した。並の剣士では目で追えない一瞬の閃光だ。腕が伸び切るまでの中間の動作は、ほとんどないに等しい。
 が、くうを切った。
 猛禽の首がかたむき、髪の毛に触れるか触れないかの位置を凶器が通り過ぎていた。
 その手首を、歳経た手が握っていた。ぼくはビンの動きは見えていたが、空手は結果しか見えなかった。
 チンピラの目が驚きに開いた。猛禽はなにも言わなかった。
 一瞬の静寂——。
 直後、ぎゅうっと濡れ布を絞るような音が響いた。
「がああっ!」
 割れビンが床に落ちて砕けた。しかし、ガラスの割れる音より手首を絞る音の方が大きい気がした。
 ゴキン! と骨が砕けた。男の悲鳴が高くなった。
 だがそれはすぐに収まった。
 ドスン! ドスン! と二発のボディーブローが打ち込まれた。どちらも目視不可の速さで、チンピラの跳ねる背中でそうだとわかった。
 もう彼はわめかなかった。二発目と同時に口からドバッと血を吐き、声もいのちも失っていた。
 力が抜け、解体される獣肉のように吊り下げられた彼は、どさりと床に落とされた。
 床にふたつの死体。周囲には血のしたたり。
 暖炉であたためられた室内は、外気が染み込むように薄暗く冷えた。だれも声ひとつ上げない。唯一、店主がコップを布で拭く音だけが、きゅっ、きゅっ、と聞こえる。
 そんな中、凄腕の男は店主に金貨を一枚放り、
「これで」
 と、ひとこと言った。すると店主はカウンターの上の金貨にちらと目をやり、酒棚から高級ウィスキーをひとつ取り、たくさんのグラスを並べて氷を入れはじめた。
 そのあいだ、男は死体を片付けた。二度に分けて引きずり、扉の向こうに入れ、残った血糊を濡れ布で拭った。
 おかげで床はほんのり黒ずむほどになった。ちょうどそのあたりで、店主がトクトクと酒をグラスに注ぎはじめた。
 小気味よい音を背後に、
「みなさん、大変お騒がせしました」
 男は堅苦しく頭を下げ、言った。
「暴力を振るう人間はいなくなりました。我々がいる以上、今後も危険はありません。当店はどこよりも安全です。どうかこれからもご贔屓ひいきに願います」
 笑顔ではない。無表情に近い、武者むしゃの声だ。客はだれも応えず、動きもしない。
「これはわたくしからのお詫びです。どうぞごゆるりとおたのしみください」
 そう言って男は消えた。カウンターの上には人数分の酒が並んでいた。
 それでやっと客は身動きを取り戻した。まるで縛り付けていた縄が解かれたように、はぁ、と肩の力を抜いて、ふだんありつけない高級酒におどおどと近づき、それぞれ手に取った。
「すごかったね、レオ」
 ぼくはすばらしい劇を見たような気持ちで言った。
「あのひとすごく強かったよ。思わず見惚みとれちゃった。それにスマートでかっこいいし、お酒もおごってもらえてラッキーだね」
 元騎士のぼくは血に慣れていた。ほかの客はおっかながっていたけど、ぼくはひたすら強者の姿をたのしんでいた。
 だけど、レオはそうではなかった。
「……」
 口を手で覆い、真っ青になって黙っていた。
 どうして? 殺しも死も見慣れてるはずのレオが、なにを青くなることがあるんだろう。
 そう思っていると、
「おかしい……」
 レオはぼそりと言った。
「あの男、死んだぞ」
「それが?」
「わたしはあの男に死相を見なかった」
「えっ?」
 そういえばレオがアルテルフに頼んだかごはひとつだ。だけど死んだ人間はふたり……
「わたしはあの酔っ払いに死相を見た。だが、ナイフの男には死相を見なかった」
「……」
「死ぬ人間は、かならず死相が現れる。だが、あの男には………………」
しおりを挟む

処理中です...