魂売りのレオ

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第二十話 アルテルフ二十四時

アルテルフ二十四時 一

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 人生は荒波の連続です。ふつうに暮らしているのに突然トラブルに襲われ、場合によっては職を失うこともあります。
 うちもけっこう大変だったそうです。家がなくなってしまうような大事件がなんどもあったらしく、いまも借金と戦っています。
 しかし父はくじけませんでした。家長としての責任でしょう。でも、わたしは思うのです。もし母がいなければ、いまごろどうなっていたのだろうと。母が支えてくれたから、父は立っていられたんじゃないのかと。
 女は偉大です。妻よりも母よりもありがたいものはありません。男が一丁前にでかい顔して歩けるのは、その影に女の苦労があるからです。丈夫じょうぶはみんな口を揃えて「母ちゃんには頭が上がらない」と言います。
 おいしい食事、あたたかいお風呂、きれいな布団で寝られるのは、いったいだれのおかげでしょう。わたしも母に感謝しないといけません。なにせこどおじですから。

第二十話 アルテルフ二十四時

 ——チチチ、チチチチ。
 窓の外から小鳥のさえずりが聞こえる。
 時計の針はきっかり七時。いつも通り一分のずれもなく目が開く。
「うん……ん……」
 朝か……
 あたしは布団を巻き込むように横になり、カーテンから漏れる光に背を向けた。
 顔に触れる空気が冷たい。昼間は花が咲き乱れるくらいあたたかいけど、朝晩だけはまだ冷える。夜はいいけど、寝起きのときが一番つらい。
 このまま眠りこけてしまいたい。二度寝できたらどんなに楽だろう。
 でも半からミーティングがある。毎日の家事がある。ほかの二匹ならまだしも、ちょうのあたしが寝坊なんてできるはずがない。
 あー、ぬくい。
 セールで買ったふかふかのパジャマ、すごくあったかい。毛布もシーツもふわっふわ。羽毛布団はちょっといいヤツ。ここからスパッと出られるのは、よっぽど意志の強いひとか、こころを抜かれた使い魔くらいだと思う。
 ゼータクな暮らししてるわよねぇ。野生のころじゃ考えらんない。料理もおいしいし、いまじゃ生肉なんて食べる気がしない。ま、タカと人間じゃ味覚が違うからしょうがないんだろうけど。あたしの舌もえたもんだわ。
 それにしても不思議よね。毎朝かならず七時に起きるんだから。日の出、日の入りじゃなくて、人間の作った数字でよ。しかも「あしたは早いから六時に起きなきゃ」って決めたら本当にそうなる。おもしろいわよねぇ、人間の体って。鳥も文字が読めればそうなるのかしら。
 …………もう七時八分。
 寝起きは時間が経つのが異常に早い。どうしてだろう。たのしいときや、集中してるときはすぐに時間が経つ。逆につまんないときは遅く感じる。待機時間なんかとくにそう。これも人間になってから思うようになった。
 時計を手に入れたから? 時計がなければ気づかなかった? それとも人間の体だから?
 あー、あれかな? ひとと付き合うからかな? 自分一匹だと自分のペースで生活するけど、人間は群れるからなー。相手に合わせて行動したり、時間に縛られたり、そうすると時間を感じるのかも。
 ……うーん、結局“時計”かな? でもあのころもの動きは感じてたし…………数字で分も秒も明確にすると、早い遅いをより強く感じるのかな? てゆーかそもそも、なんで状況によって時間の感じ方が違うの?
 ……え? もう十四分? 早くない?
 はぁ~、もうちょっとゆっくりしてたかったのに…………
 …………
 …………
 ………………起きなきゃ。
「んんっ、んーー!」
 あたしは上に思いっきり腕を伸ばし、
「……はぁっ」
 一瞬脱力して、布団をババっとめくり上げた。
「よいしょっ!」
 気合いのひと声で起き上がる。ベッドから降りて、カーペット脇のスリッパを履いて、ドアを開ける。
 廊下を歩いてトイレに直行。朝一番のおしっこをささっと済ませて、洗面台で二度顔を洗い、目ヤニが取れたのを確認してタオルで拭く。
 軽く髪をとかしながら、鏡を見つめて健康チェック。よしっ、健康! 今日もかわいい!
「あー、さむさむ!」
 寒いと勝手に声が出る。だれに言ってんだか。眠気も覚めたしさっさと行こう。廊下は寒いよぉ!
「おはよ~~~~」
 あたしは扉を開け、ミーティングルームに顔を出した。
 ここはあたしたち使い魔の集合場所。広さはベッド三つ分くらいで、部屋の真ん中に背の高いテーブルと、回転する椅子が四つある。東に大きな窓があって朝から明るい。
「おはよう、アルテルフ」
 テーブル上に並んだ三つのカップにコーヒーを注ぐレグルスが、朝日をほほに、ちらりと言った。カーテンは全開で、南面に設置されたストーブがパチパチと火花の音をこもらせている。
 どっちもこの子の仕事。別に命じたわけじゃないけど、この子はいつも早起きして部屋の準備を整えてくれる。朝のコーヒーはもちろん、すでに朝食も用意してあった。
「おはよー」
 バタートーストをもしゃもしゃかじりながらゾスマが言った。この子はとっくに席に着いて、相変わらずのへらへら笑顔でぼけっとしてる。
 もうちょっと気が利かないものかしら。先輩のレグルスがいろいろやってるってのに、いっつも遅く来てのんびりしてるのよね。まあ、仕事はしっかりやるからいいけどさ。
「あったか~」
 あたしはいそいそとストーブの前でしゃがみ、バターの香りを感じながら火に当たった。
「アルテルフは二枚でいいか?」
「うん。それとゆでたまごある?」
「たまごは……ふたつあるな。じゃあゾスマとアルテルフで食べてくれ」
「うーい」
 朝のあたしはテンションが低い。というかレグルスが寝起きのくせに元気すぎるのよね。体温が高いから? この子、寝るとき裸だしね。冬でも肌着しか着ないし。
 今朝だってすごい薄着。下は色気のない地味ジミ~なショーツで、上は白いキャミソール一枚きり。ブラしてないからぷっくり乳首が浮いちゃって、めちゃくちゃセクシーでエロティック。破廉恥ハレンチが苦手なクセしてよくこんな格好でいられるわ。変なとこ鈍いのよね、この子。ここには女しかいないからいいけどさ。
「それにしてもゾスマ今日は早いじゃない。どしたの?」
 あたしはぼーっと火を見ながらゾスマに訊いた。この子があたしより早く来るなんて年に数えるほどしかない。
「レグルスのバタートーストが食べたかったから」
「それで早起きしたの」
「うん。昨夜からずっとたのしみだったんだ」
 はぁ~、呆れた。もうちょいマトモな理由でしっかりしてくんないかな。ゾスマとデネボラは食べることばっかなんだから。
「あはは、光栄だな。わたしなんかの料理でよろこんでくれるなんて。そんなに食べたければいくらだって作るぞ」
「じゃあ、あと二枚」
「よしきた」
 よーく食べること。ま、あたしたち使い魔は食べなきゃいけないんだけどさ。
「アルテルフ、ごめん」
「あ、はいはい」
 あたしはひょいと体を横に曲げ、のらりとけた。レグルスがトーストを網に乗せ、ストーブに入れる。トーストの表面にはごろっとバターのかけらが四つ乗り、これが熱で溶けてパンに染み込む。
 わぁ、いいにおい。あたしも食べよ。
「いただきまーす」
 あたしは席に着き、まだあたたかいトーストを手に取った。全体はカリカリで、はしの方はやや焦げたところもある。だけど白い面はバターのあとがどっぷりで、濃いところはじゅわっじゅわ、薄いところは絶妙にパリパリしてる。
 その、頭の悪そうなバター溜まり目がけて最初のひと口。
 ——ぱりっ、じゅわあっ。
 うわっ、これこれ。濃厚なバターの塩気。一瞬で口の中がバカになる。さらに舌を転がして、黄色い部分を直接舐めると、まともな味覚が吹っ飛んでバカ一直線。だけどこれが最ッ高においしい。
 ——ずずっ、ずー。
 あ~~~~、苦いコーヒーがいい~~~~。
「レグルスのトーストおいしいね」
「毎度ながらたまんないわ」
「ただバター乗せて焼いただけだぞ。デネボラに比べたらなんてこないだろう」
 たしかにデネボラと比べたらレベルは低い。あの子の料理は手間暇かかってるだけあって、複雑で深みがあって、一流レストランと肩を張るほどの味わいがある。
 だけどトーストはこれくらいがいい。雑で不器用で大味なレグルスの調理が、一流を超える無粋な味を引き出している。
「あはは、ほめられてるってことでいいのかな?」
「もーちろんっ」
 あたしは話しながらサクサクパリパリ一枚目をたいらげた。二枚目に入る前に、ゆでたまごを割りにかかる。そうしていると、
「あ、半だよ」
 ゾスマが時計を指差し言った。ミーティングの時間だ。
 ほんっと、朝は時間の流れが早いわよねぇ。どうしてこうゆっくりできないのかしら。ま、いつものことだけどさ。
「それじゃーミーティングはじめまーす。レグルスも準備できたら席着いてー」
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