魂売りのレオ

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第二十話 アルテルフ二十四時

アルテルフ二十四時 七

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「さてと……」
 あたしはそろばんを仕舞い、帳簿を棚へした。
 本日の出金、記入完了。これで今日やらなきゃならないことはすべて終わり。あとは寝るだけ自由時間。
 時刻は十一時。ふだんならもう眠くてしょうがない時間。だけど今夜はコーヒーのおかげで頭がえてる。
 ……ちょっちトイレ。
 あたしは部屋を出てお手洗いに向かった。すると室内ではあまり聞こえなかった真夜中の声が、ぼちぼちはっきり聞こえるようになった。女みたいな男の鳴き声が二階から遠く響いてくる。
「……今夜は大変ねぇ」
 あたしはアーサー様の顔色を想像してクスリと笑った。声が悲鳴に近い。四人同時攻めでもされてるんだろう。
 お相手は、攻め好きのレオ様、淫乱痴女アクア様、ふんわりねっとりのスード、ちょっぴりチクチクのメリク。果たしてどんなことをしてるのか。……たぶんアレ突っ込んでんだろーな。あはは!
「あー、おもしろ」
 あたしはだれに言うでもなくつぶやき自室に戻った。そして本棚から一冊の分厚い本を抜き、テーブルに置いて、クッションにポスンと座った。
 タイトルは「トロミーの本当と嘘」
 これはかつて実在したとされる大魔術師“トロミー”を研究した学術本。彼は史上最も偉大な魔術師で、現存する魔法の半分は彼が発明したと言われている。
 中でも一番の功績は“使い魔へんげの術”を発明したこと。
 それまでも動物を使い魔として使役する魔法はあった。生きたまま魂を交流させ、魔力信号で単語程度の簡単なやりとりをするテレパシィ契約“使い魔の術”が一般的に使われていた。
 それが、トロミーの出現で一変した。
 “使い魔へんげの術”は“使い魔の術”とそもそも根本が違う。“使い魔の術”が単なる翻訳テレパシィ契約なのに対し、へんげの方はいのちを預かる。
 しもべは生きたまま死ななければならない。
 あるじは生きている限り魔力を送り続けなければならない。
 この互いに重い代償を背負う契約は、しもべの魂の芯にまで食い込み、ひとの姿とあるじの言語能力を与える。
 やり方によってはしもべの意識を消し去り、あるじがそっくり入ってしまうこともできる。
 歴史はこれを革命と呼び、人類史上最大の発明と呼んだ。
 だけどすごいのは効果だけじゃない。
 この魔法は、なんと普及から千年以上経ったいまなお、仕組みが解明されてない。
 ふつう、魔法はどれも科学されている。
 たとえば“顔を覚えられない魔法”は、他者からの精神的な認識を阻害するよう、魂をくもりガラスのような魔力で覆うことによって機能してる。
 それから“聞かれない魔法”は、対象の魂に、ぶにっとした粘性の高い魔力を染み込ませることによって、音の振動を吸収する機能を持たせている。
 どの魔法も、なぜそうなるのか、なぜそんな結果になるのか、すべて理屈で説明できる。
 だけど、トロミーの秘術“使い魔へんげの術”は、わかってない。
 どんな魔力を使えばいいのか、どんな手順で行えばいいのか、それは正確に口伝くでんされてる。ちょっと複雑で、呪術も混ざってるけど、どうやるかは本を読めば一発でわかる。
 なのに理屈が説明できない。どうしてこの手順でこの魔力を流すのか、なぜそれでこの結果になるのか、だれも知らない。
 そもそもが魔法の常識から外れてる。
 触れているならともかく、なぜかこの契約をすると、ずっと遠くに離れても魔力が送られ続ける。
 “かたちあるもの”がへんげできるのもおかしい。へんげは霊や精などの“かたちのないもの”しかできないはずなのに、使い魔は物質でありながら姿を変えられる。
 どうしたらこんなことができるのか。
 あたしはそんな謎の技術を解明するためにトロミーを研究してる。単なる生い立ちから噂程度のものまで、彼の資料なら手当たり次第に読み漁ってる。
 それは、ひとえにレオ様のため。
 レオ様は子孫を残せない。アーサー様の子供がほしいのに、小袋を失ったせいで生涯望みが叶わない。
 あたしはこの魔法こそが解決の糸口だと睨んでる。
 小さなクモも、大きな虎も、この魔法にかかれば人間の姿でいられる。羽毛だなんだと関係ない。体積の大小だいしょうを無視して、一日でも十日でもへんげし続けられる。
 それこそきっと、十月十日とつきとおかだって……
「うしっ、やるかー」
 あたしは硬い厚紙の表紙をめくり、目次をすっ飛ばして第一項を開いた。この本は途中まで目を通したけど、だいぶ前に読むのをやめちゃったから、また最初から手をつける。
 今日から勉強を再開する。大切な気持ちを思い出したから……
 そう思っていると、
 ——コンコンコン。
 だれかがドアをノックした。あまり大きな音じゃない。寝てれば気づかない音量だけど、明かりが点いてるから起きてるってわかったんだと思う。
「だれ?」
 そう言うと、静かに扉が開き、黒髪褐色肌の美女が顔を出した。不安そうな声で、
「……起きてる?」
「ええ」
「……ちょっといいか?」
「………………どうぞ」
 あたしは一瞬迷ったけど、まあいいかと思ってレグルスを招き入れた。
 あーあ、せっかくやる気になってたのに。でもまあ、しょうがないか。最近来なかったし、あしたは休みだしね。
 それに、こうなったのもあたしのせいだし。
「……遅くにすまない」
 レグルスが肩をもじもじさせながら部屋に入った。今夜はパジャマを着ている。ふだんは薄着だけど、こんな夜はあえてそうしてる。
「どしたの?」
 あたしは幼児に問いかけるような声で言った。わざと知らないそぶりで、できるだけそっけなく、少しだけ嘲笑ちょうしょうを混ぜて。
「その……眠れなくて……」
 レグルスは目を逸らし、べにをさしたようなほほでぼそりと言った。両腕を体に押しつけるみたいにちぢこまって、右手はパジャマの真ん中すそをつかんで下に引っ張ってる。
 毎回この子はこんなポーズで、おなじ言葉を言う。あたしはそれが、精一杯のおねだりだと知っている。
「そっか、眠れないんだ」
 あたしはパタンと本を閉じた。その音で、レグルスは本の存在に気づいて、
「あ……勉強してたのか? そ、それじゃあ邪魔しちゃったかな……」
「いいよ。ドア閉めて」
「……」
 レグルスは無言で扉を閉めた。顔がどんどん赤くなっていく。目がじわっと潤んで、閉じた口がもごもごして、心臓の高鳴りを見せつけるみたいに肩と胸が上下する。苦しくって我慢できない呼吸が、湯気になりそうな熱さで小さな鼻息を鳴らす。
「フフッ」
 あたしは両手でニンマリ頬杖ついて、どーしてやろうか考えた。見れば見るほどいじめがいがある。最強の巨獣のくせに、あたしの前だとこんなに弱っちい。
 ……そーだ。
「あんた、今夜は猫ちゃんね」
「えっ?」
 目だけがあたしを向いた。すごく不安そうに、たっぷりの期待といっしょに。
「そ、猫ちゃん。猫ちゃんならどうお返事すればいいかわかるよね?」
「………………にゃん」
 そうそう、いい子。ちゃんとできて偉いねー。だけどさ、
「ねえ、なんで猫が服着てるの?」
「え、あ……ごめんなさい」
「違うでしょ。猫はしゃべんないでしょ」
「に、にゃん……」
「それよりさ、あたし、猫がなんで服着てんだって訊いてんの。人間みたいに二本足で突っ立ってるしさ。おかしいと思わない?」
「にゃ……」
「早く脱げよ」
「にゃんっ!」
 レグルスはすぐさまあたしの命令を実行した。従順でとってもいい子。
 それにしても、ほんっと好きよねー。困った顔してよろこんじゃってさ。きっと命令されるだけでうれしいんだろーね。
 そんなんだからあたし、しつけちゃったんじゃない。
 はじめてへんげしたときすぐわかったわよ。こいつ、とんでもないドマゾだってさ。そしたら手を出したくなっちゃうのもしょうがないじゃない。
 だってあたしはレオ様の使い魔だよ? 女が好きで、弱っちいヤツをいじめるのが大好きなんだよ? こんなの我慢できるはずないじゃない。
 それに実際、相性抜群だしさ。この子すっかりあたしのものになっちゃった。最近じゃアーサー様に恋感情なんていだいてるみたいだけど、なんだかんだ言って毎晩あたしの名前呼びながら抱き枕と遊んでるしさ。今日みたいに部屋が明るいと遊びに来ちゃうし、結局はあたしのもんなのよね。
「に……にゃあ…………」
 おーおー、泣きそうな顔しちゃって。四つん這いになって、おっきな果実がブルンブルン丸見え。破廉恥はれんちが苦手なのにこんなことさせられたら、いったいどんだけ恥ずかしいのかしら。
 でもそれが好きなんでしょ? あたしに恥ずかしいことさせられるとジンジンしちゃうんでしょ? 恥ずかしい命令、大好きだもんね。
「下もぜんぶ脱いだ? ちゃんと見せなさい」
「にゃあぁ…………」
 うわっ、もうぐしょぐしょ。垂れちゃいそうじゃない。
 やば、ゾクゾクしてきた。
「にゃあっ、にゃあっ」
 なに? 恥ずかしいの? うれしいの? その声は悲鳴? それともおねだり?
 ……両方よね。すっごく恥ずかしくて、苦しくて、でもそれがたまんなくて、もっともっとほしいのよね。
 いいよ、あげる。いっぱいかわいがってあげる。だってあんたはあたしのおもちゃだから。
 おなじあるじのしもべだろうが、男に恋してようが関係ない。あんたはあたしのもの。あたしだけのもの。
 だれにも渡さないから。一生あたしからのがれらんないよう、こころと体に教え込んでやるから。
 しあわせでしょ? こんなにやさしいご主人様がいて。
「ちゃんと言う通りにできて偉いねー。いい子いい子。それじゃ今日はその格好でタオル取りに行こっか。大丈夫、あたしもいっしょに行って、近くで見ててあげるから。なに? いやなの? 言うこと聞けないの? できるよね? あたしがやれって言ってんだからやるよね? わかったら返事」
「……にゃあ」
「うん、いい子。それじゃ行こっか」
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