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第二十二話 妖鳥は夜にまたたく
妖鳥は夜にまたたく 二
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「さて、どんなヤツが来るかな」
そう言ってレオはデッキチェアにゆったり腰掛け、ウィスキーを飲んだ。
「お金をたくさん落としてくださるといいですね」
言いながらレグルスが丸テーブルを運び、折りたたみ式の椅子といっしょに並べた。使い魔たちはミーティングの途中だったが、来客ということで彼女だけ急遽抜け出し、お付きをすることとなった。
「しかしよかったのか? まだ途中だったんだろう」
「アルテルフがいるから大丈夫でしょう。それにわたくしは長い会議というものが苦手で、むしろ助かったといいますか……アハハ」
レグルスはティーポットを置きながらバツが悪そうに笑った。でもその気持ちわかるなぁ。ぼくも座学はチンプンカンプンで、よく居眠りしては、騎士団の教育係に怒られる日々だった。兵士としての実績があったから助かったけど、本当なら即除名だったろう。
それを話すと、
「アハハ! アーサー様もそうでしたか!」
と、なんだかすごくうれしそうだった。ありゃ、もしかしてぼくの方がバカだと思って安心してたりして。そりゃないよ。こう見えて頭いいんだから。
そんなことを考えていると、
「お、来たぞ」
とレオが言った。それでぼくらも森の入り口に顔を向けた。
そこにはひとりの女が立っていた。
年齢はおよそ二十代前半。長袖の旅人衣装で腕まくりし、背中に大きめのリュックサックを背負っている。
旅が長いのだろう。服はかなり汚れている。栗色の髪はあぶらで固まっているのか、癖なくぎゅっと丸みを帯びて、肩先でまとまっている。肌も顔も日焼けで黒い。
顔立ちは精悍で整っている。だが、苦しげだ。それにかなりフラついている。木製の杖を支えにしているが、素手ならとっくに倒れているだろう。
「はあ、はあ……」
女はぼくらを視認すると、クタクタに歩き出した。杖、右足、左足……杖、右足、左足と、怪我でもしてるような足取りでこちらに向かってくる。首はがっくりうなだれて、前を向くこともできないというくたびれようだ。
「おい、レグルス」
「はい!」
レオがあごで女を示し、レグルスがダッと駆け出した。
「大丈夫ですか!」
レグルスは数十メートルの距離をひと呼吸で走り、女に肩を貸した。
「つかまってください! お運びします!」
「す……すみません……」
女が息絶えだえに言うと、レグルスはリュックのように軽々と背負い、ぼくらの元へと運んだ。彼女は細い木なら素手で引っこ抜けるほどの剛腕だ。今回たまたま彼女がお付きになったのは運がよかった。
「お座りください」
レグルスは女のリュックを脱がし、椅子に座らせた。女は机に両腕を置き、体重を預けている。その姿を見て、
「おまえ、よくまだ生きているな」
だらりとくつろぐレオが言った。
「おい、レグルス。秘薬を持ってこい。大急ぎだ」
「はい!」
指示を受け、レグルスが館に走った。
秘薬とは、レオの師匠アクアリウスが作る特別な薬だ。原材料に人間の魂を使っており、ほとんどエネルギーのかたまりといっていい。飲めば体力の補給になるし、軽い病気なら治してしまう。
それをレグルスが持ってきた。テーブルの上にドアノブほどの大きさの小ビンが置かれ、レオが手に取り、コルクを抜いた。
「紅茶を淹れろ」
レオに言われ、レグルスが紅茶をそそいだ。
「うむ、いい温度だ」
レオはティーカップに触れ、言った。紅茶は適温まで冷まされていた。
「ふむ、これくらいか?」
言いながら、レオは秘薬を少しずつ混ぜた。この薬は強力すぎて、量を間違えると劇薬になり得る。
それを女の前に差し出し、
「ゆっくり飲め。元気が出るぞ」
「ありがとうございます……」
女は苦しげに顔を上げ、少しずつのどに流し込んだ。すると、
「……う、ん?」
だるそうだった目がじわっと開いた。肩がまっすぐに立ち、心なしか血色もよくなっている。
「んくっ、んくっ、んくっ」
女ははじめてチョコレートをかじった子供のように目を輝かせ、ごくごく飲んだ。息をするのも忘れている。あとで聞いたら紅茶とは思えないほどおいしかったらしい。
「ぷはっ!」
すべて飲み干し、驚きに満ちた顔で、
「こ、これはいったい!」
「魂を溶かした薬だ。これで少しは気力が戻っただろう」
「戻ったどころではありません! 枯渇していた魔力がこんなに……! 疲れも吹き飛んで……!」
「そうか……少々入れすぎたかな? フフ」
そう言ってレオは満足げにウィスキーを飲んだ。レオは女性にやさしい。その分男をきらってひどいことをするが、今回の客にとっては幸運だろう。
「それで、なんの用だ?」
「はい、魂売りのレオ様にお願いがあって来たのですが、あなたが……」
「そうだ」
女はごくりと息をのんだ。妙に緊張している。
それにしてもよくひと目でレオがわかったなぁ。レオってわりかし男っぽい名前だし、魂売りってすごくおどろおどろしいイメージなのに。
「わ、わたしは退魔師のノクチュアと申します」
ノクチュアと名乗る女は硬い声で言った。
「実はいま、困っていまして……その、わたしが悪いのですが……」
「ほう?」
「“目”に追われてまして……」
「目に追われている……か。ふむ……」
ノクチュアは肩を落とし、頭を押さえた。わたしが悪いと言うあたり、どうやらうしろめたいことをしたらしい。だから言いにくいのだろう。なにか言おうと口を開くが、すぐに閉じて「うう」とうめくだけで、なかなか話をしない。
「黒猫に呼ばれたのだろう?」
「はい……」
「なんと言われた?」
「洗いざらい話せと。そうすれば、魂売りのレオ様がすべて解決してくださる、と」
「なら言え。わたしは天才だが、超能力者ではない。話を聞かんことにはなにもできんぞ」
「……そ、そうですよね。それでは……」
そう言ってノクチュアはがっくりとため息を吐き、とぼとぼと話しはじめた。
五日前、ノクチュアはとある山村を訪れた。
彼女は退魔師である。退魔師とは魔術師業の一種で、特殊な才能の持ち主である。
仕事はおもに、お守りの制作、結界の付与だ。ごくまれに魔物退治という大仕事もするが、基本的には魔物を寄せつけないための処置をする。
この仕事はひとつところに留まっていられない。たとえばある村に魔物が入れないよう結界を施したとする。するともうその村では仕事がない。
だから転々としなければならない。しかも大して儲からない。
大きな街には魔術師団があるから仕事がない。それゆえ小さな町村に赴くのだが、結界の規模と町村の財政で代金が決まる。
町ひとつ仕事をして、およそひと月分の生活費が手に入る。しかしその金は旅の支度でほとんど消え、結局は物々交換に近い。
しかも仕事があるとは限らない。いちど張った結界は、並の技量で三年ほど持たせられる。新しい町に着いたところで、別の退魔師がすでにわざを使っていた場合、断られることが多い。そんな町でも退魔のお守りはいくらか売れるが、それでは小遣いほどにしかならない。
仕事を求めて旅をしても安定せず、稼いだところで残らない。ほんの少し土地の名物を味わえばもうカツカツだ。
そんな彼女が山村に入ったのは、当然仕事を求めてのことだ。さいわい結界の寿命が近く、メインの仕事にありつけた。魔物の多い山や森では、結界の維持は必須であった。
お守りもそこそこ売れた。彼女の作るお守りは、魔物を寄せ付けない退魔の護符、魔物の接近を知らせるおふだなど、山での需要が高い。
とはいえ、大儲けとはいかない。ふだんより多く稼げたが、次の場所で仕事がなければトントンだ。場合によっては連続で成果なしということもある。
常に金がない。贅沢といえば、仕事の数日、宿や料理屋でくつろぐくらいだ。
ふだんの食事はほとんどが野の食材で、使い古した調理器具で火を通す程度。木の実や果物で酒も作るが、とてもじゃないが店で売るレベルには至らない。
あたりまえの幸福が遠い。それに、おしゃれにも興味がある。旅をする以上、服は仕方ないとして、光り物のひとつくらい身につけてみたい。
退魔師をやめれば楽になるのかもしれない。だがいちど、そう思って町で使用人をしたが、ひとに使われ拘束されるのに耐えられなかった。
それに旅はおもしろい。内陸、海沿い、川沿い、山地——各地さまざまな趣があり、景色を見て歩くだけでも気持ちがいい。まるで自分の体が自然と一体になったかのような充足感がある。土地ごとにいろんな食材が食えるのもうれしい。
ただ、金がない。こちらを立てればあちらが立たずというのは、退魔師に限らずなににおいても仕方のないことだろう。
それでも少しくらい贅沢がしたかった。小さなものでいい。ちょっとした宝石のついた指輪か、大人の香りのネックレスをつけて、池の水面に映してみたかった。
ささやかな願いは胸の裡に押し込め、時とともにどんどんふくらんでいった。
だから魔が差したのだろう。彼女はその日、宿で土地の話を聞いていた。各地の風土や伝承を聞くのも旅のたのしみのひとつだ。
そこで、こんなことを聞いた。
「山の中腹に夜鳥様の祠がございます」
なんでもこの山村には守り神がおり、祠に祀っているという。
「夜鳥様のおかげでこのあたりには魔物が寄りつきません。もっともゼロではございませんが」
ノクチュアはめずらしいものに目がない。仕事が終わり、村を発ったあと、ついでに寄っていくことにした。
宿で教わった道を歩くこと一時間。果たして、そこに祠があった。樹々生い茂る山の中、小さな岩壁に横穴を掘って、そこに木造の祠が置かれていた。
作りは簡素だ。だがなんども直した跡があり、大事にされているのがわかる。高さは子供の背丈ほどで、ノクチュアがしゃがむとちょうど目の高さに両開きの扉があった。
開けると、中には木彫りのフクロウが鎮座していた。
もっとも、写実ではない。全体的に丸みがあり、目が極端に大きく、子供が好むマスコットを木像にしたような感じだ。
これが夜鳥様か、とノクチュアは観察した。この手の守り神は実在することが多い。ひとびとの信仰が生み出した念のかたまりが、意思を持って存在を得ると守り神になる。あるいは精や魔物が崇拝されて、土地の神になる場合もある。
ただ、これはただの像だと思った。
なにせ魔力が薄い。大きめの樹が持つ程度の魔力しか感じない。
それより彼女が気になったのは、像の前に置かれた宝玉だ。
像の前に、握り拳ほどの大きさの真っ赤な宝玉がある。正方形の台座がついており、金の細工があしらわれている。
それが、厚めの金網に閉じられ、床に打たれている。盗まれないための処置だろう。
だが恐ろしくずさんだ。こんなもの、床を剥がすか工具を使えば簡単に取れてしまう。
ためにし少し揺らしてみた。すると、
——ベキッ。
なんと床が剥がれてしまった。雨や湿気で劣化していたのだろう。ノクチュアはしまったと思い硬直した。
同時に、あることが頭をよぎった。
ふと、周囲を見渡した。時刻は朝の九時。陽光が樹々の葉で半分になり、明るくも、暗くもない。
辺りにひとの気配はない。旅人暮らしで得た勘は、身をひそめる猛獣を容易に察知できる。
いまここには自分しかいない——。
ノクチュアは一瞬迷った。だが、次の瞬間には金網を床から剥がし、ナイフで木材を削った。
もし鏡があれば、黒目がどんな色に染まっていたか見えただろう。青ざめた真顔の上に、闇色の瞳がふたつ、ギラギラと光っていた。
彼女は疾った。近くに大きな街があり、その日のうちに金に変えた。宝石商はうたがいの目で見たが、ものがあまりに見事だったせいか深く詮索しなかった。
金貨二十枚という大金を得た。これだけあればかなりの贅沢ができる。節約すれば半年は持つだろう。
そこでノクチュアはエメラルドの指輪とアクアマリンのネックレスを買った。本当はダイヤで揃えたかったが、貧困生活で染みついた貧乏性が許さなかった。金貨二枚を払い、銀貨で釣りをもらった。
おもて通りを歩きながら夕日に透かした。輝きにこころがはずみ、罪悪感はほとんど薄れていた。
事件は夜起こった。
彼女はレストランで食事をしていた。ふだんなら絶対に食えない分厚いステーキを意気揚々とほおばっていた。旅服は洗濯し、貸衣装屋で借りたカジュアルなドレスを着ている。風呂にも入った。
右手の中指にエメラルド、開いた胸元にはアクアマリン。ガサツな食い方は隠しきれないが、なるべく清楚をよそおった。
こんなことは今夜限りだ。今後を考えれば節約しなければいけないし、二度と盗みを働くつもりはない。いまはただ、金貨一枚の酒とディナーをたのしもう。
そう思った、そのとき、
「ハッ——!」
ノクチュアは強烈な視線を感じ、こわばった。
背後から何者かが見ている。それも、巨大ななにかが。
ノクチュアは咄嗟に振り返った。しかしだれもいない。あるのはただ、優雅な食事の風景と、何者かの気配だけ。
退魔師の彼女はすぐさま魔力を放ち、空気を浄化した。これで悪鬼は寄ってこれない。
だが、気配はじっとりと残っている。なにかに見られている。
気のせいではない。なんとなくで済む気配ではない。
「どうかなさいましたか、お客様」
ボーイに声をかけられ、なんでもないと返した。すごい汗だと指摘されたが、適当にごまかした。
気配は続く。だが襲ってはこない。
貧乏性の彼女はとにかく食事を続けた。警戒と不安で肉の味がしなかった。
店を出ても気配は続いた。
背後からずっと見られている。なんとなく巨大な目が迫ってくる気がする。
宿へ着いてもそれは続いた。本当ならすぐにここを離れたかったが、服が乾くまで動けなかった。
効果があるかわからないが、部屋じゅうに護符を張り、眠りについた。
すると、正体が現れた。
眠っている自分を、ふたつの大きな目がじっと見ている。
眠っていると、それが見える。
それは、あの木像の目だった。
作りものの巨大なフクロウの目が、黒目をまんまるに広げ、背後から覗き込んでいた。
「きゃああっ!」
悲鳴とともに目を覚ました。すると幻覚は消えた。だが視線は残っている。
その晩はもう眠れなかった。途中二度ほどうたた寝をしたが、そのたびに目が現れ、起きてしまった。
朝になって生乾きの服を着、街を出た。ドレスを返す余裕はなかった。視線はいつのまにか消えていた。
彼女は祠の反対方向へ旅立った。魔の力は距離が離れると薄まり、やがて届かなくなる。逃れるための進路だ。
だが、翌晩も視線は続いた。夜になると現れた。
どうやら日のあるうちは力が及ばないらしい。力のある魔は時にルールを設ける。理由はまちまちである。
おそらくフクロウだからだろう。それに村民は「夜鳥様」と呼んでいた。守り神は信者の妄想に影響を受ける。
その日も彼女は眠れなかった。いつも通りの野宿は、いつ背後から襲われるかという恐怖に満ちていた。
手は出してこない。だが、恐ろしい。
ノクチュアはクタクタになり、昼間、樹木に登って眠った。習慣を崩しての睡眠はひどく疲れた。その間ずっと退魔のわざや身を隠す魔法を使い倒し、疲労はなお増していった。
そうして逃げること四日間。昼、半端に眠り、夜は視線に苦しみ、身もこころもボロボロだった。
頭の中でなんども「すみませんでした」と謝った。声にも出した。宝玉を返すべきだと思ったが、まだ売れずに残っている保証などないし、あったとしても売値に持ち金が届くとは思えない。それにもう戻るだけの気力がなかった。
そんなとき、夢に黒猫が現れた。
「レオ様はこちらです」
夢の中の猫が口を利いた。黒猫は広い森の前に佇み、にゃあと人語を話した。
「魔にお悩みなら、魂売りのレオ様に助けてもらうのが一番です。事情を洗いざらい話し、救いを求めれば、レオ様がすべて解決してくださいます。レオ様の住む魔の森はこちらです」
そこまで聞いて目が覚めた。夕日のまぶしさに起こされた。
その、日の沈む方角から、一瞬「にゃあ」と聞こえた。それは魔でも生物でもない、不可思議な気配だった。
ノクチュアは黒猫を信じることにした。魂売りなら魔法、呪術に長けている。それにもう、良し悪しを判断できるほど頭が働かなかった。
そう言ってレオはデッキチェアにゆったり腰掛け、ウィスキーを飲んだ。
「お金をたくさん落としてくださるといいですね」
言いながらレグルスが丸テーブルを運び、折りたたみ式の椅子といっしょに並べた。使い魔たちはミーティングの途中だったが、来客ということで彼女だけ急遽抜け出し、お付きをすることとなった。
「しかしよかったのか? まだ途中だったんだろう」
「アルテルフがいるから大丈夫でしょう。それにわたくしは長い会議というものが苦手で、むしろ助かったといいますか……アハハ」
レグルスはティーポットを置きながらバツが悪そうに笑った。でもその気持ちわかるなぁ。ぼくも座学はチンプンカンプンで、よく居眠りしては、騎士団の教育係に怒られる日々だった。兵士としての実績があったから助かったけど、本当なら即除名だったろう。
それを話すと、
「アハハ! アーサー様もそうでしたか!」
と、なんだかすごくうれしそうだった。ありゃ、もしかしてぼくの方がバカだと思って安心してたりして。そりゃないよ。こう見えて頭いいんだから。
そんなことを考えていると、
「お、来たぞ」
とレオが言った。それでぼくらも森の入り口に顔を向けた。
そこにはひとりの女が立っていた。
年齢はおよそ二十代前半。長袖の旅人衣装で腕まくりし、背中に大きめのリュックサックを背負っている。
旅が長いのだろう。服はかなり汚れている。栗色の髪はあぶらで固まっているのか、癖なくぎゅっと丸みを帯びて、肩先でまとまっている。肌も顔も日焼けで黒い。
顔立ちは精悍で整っている。だが、苦しげだ。それにかなりフラついている。木製の杖を支えにしているが、素手ならとっくに倒れているだろう。
「はあ、はあ……」
女はぼくらを視認すると、クタクタに歩き出した。杖、右足、左足……杖、右足、左足と、怪我でもしてるような足取りでこちらに向かってくる。首はがっくりうなだれて、前を向くこともできないというくたびれようだ。
「おい、レグルス」
「はい!」
レオがあごで女を示し、レグルスがダッと駆け出した。
「大丈夫ですか!」
レグルスは数十メートルの距離をひと呼吸で走り、女に肩を貸した。
「つかまってください! お運びします!」
「す……すみません……」
女が息絶えだえに言うと、レグルスはリュックのように軽々と背負い、ぼくらの元へと運んだ。彼女は細い木なら素手で引っこ抜けるほどの剛腕だ。今回たまたま彼女がお付きになったのは運がよかった。
「お座りください」
レグルスは女のリュックを脱がし、椅子に座らせた。女は机に両腕を置き、体重を預けている。その姿を見て、
「おまえ、よくまだ生きているな」
だらりとくつろぐレオが言った。
「おい、レグルス。秘薬を持ってこい。大急ぎだ」
「はい!」
指示を受け、レグルスが館に走った。
秘薬とは、レオの師匠アクアリウスが作る特別な薬だ。原材料に人間の魂を使っており、ほとんどエネルギーのかたまりといっていい。飲めば体力の補給になるし、軽い病気なら治してしまう。
それをレグルスが持ってきた。テーブルの上にドアノブほどの大きさの小ビンが置かれ、レオが手に取り、コルクを抜いた。
「紅茶を淹れろ」
レオに言われ、レグルスが紅茶をそそいだ。
「うむ、いい温度だ」
レオはティーカップに触れ、言った。紅茶は適温まで冷まされていた。
「ふむ、これくらいか?」
言いながら、レオは秘薬を少しずつ混ぜた。この薬は強力すぎて、量を間違えると劇薬になり得る。
それを女の前に差し出し、
「ゆっくり飲め。元気が出るぞ」
「ありがとうございます……」
女は苦しげに顔を上げ、少しずつのどに流し込んだ。すると、
「……う、ん?」
だるそうだった目がじわっと開いた。肩がまっすぐに立ち、心なしか血色もよくなっている。
「んくっ、んくっ、んくっ」
女ははじめてチョコレートをかじった子供のように目を輝かせ、ごくごく飲んだ。息をするのも忘れている。あとで聞いたら紅茶とは思えないほどおいしかったらしい。
「ぷはっ!」
すべて飲み干し、驚きに満ちた顔で、
「こ、これはいったい!」
「魂を溶かした薬だ。これで少しは気力が戻っただろう」
「戻ったどころではありません! 枯渇していた魔力がこんなに……! 疲れも吹き飛んで……!」
「そうか……少々入れすぎたかな? フフ」
そう言ってレオは満足げにウィスキーを飲んだ。レオは女性にやさしい。その分男をきらってひどいことをするが、今回の客にとっては幸運だろう。
「それで、なんの用だ?」
「はい、魂売りのレオ様にお願いがあって来たのですが、あなたが……」
「そうだ」
女はごくりと息をのんだ。妙に緊張している。
それにしてもよくひと目でレオがわかったなぁ。レオってわりかし男っぽい名前だし、魂売りってすごくおどろおどろしいイメージなのに。
「わ、わたしは退魔師のノクチュアと申します」
ノクチュアと名乗る女は硬い声で言った。
「実はいま、困っていまして……その、わたしが悪いのですが……」
「ほう?」
「“目”に追われてまして……」
「目に追われている……か。ふむ……」
ノクチュアは肩を落とし、頭を押さえた。わたしが悪いと言うあたり、どうやらうしろめたいことをしたらしい。だから言いにくいのだろう。なにか言おうと口を開くが、すぐに閉じて「うう」とうめくだけで、なかなか話をしない。
「黒猫に呼ばれたのだろう?」
「はい……」
「なんと言われた?」
「洗いざらい話せと。そうすれば、魂売りのレオ様がすべて解決してくださる、と」
「なら言え。わたしは天才だが、超能力者ではない。話を聞かんことにはなにもできんぞ」
「……そ、そうですよね。それでは……」
そう言ってノクチュアはがっくりとため息を吐き、とぼとぼと話しはじめた。
五日前、ノクチュアはとある山村を訪れた。
彼女は退魔師である。退魔師とは魔術師業の一種で、特殊な才能の持ち主である。
仕事はおもに、お守りの制作、結界の付与だ。ごくまれに魔物退治という大仕事もするが、基本的には魔物を寄せつけないための処置をする。
この仕事はひとつところに留まっていられない。たとえばある村に魔物が入れないよう結界を施したとする。するともうその村では仕事がない。
だから転々としなければならない。しかも大して儲からない。
大きな街には魔術師団があるから仕事がない。それゆえ小さな町村に赴くのだが、結界の規模と町村の財政で代金が決まる。
町ひとつ仕事をして、およそひと月分の生活費が手に入る。しかしその金は旅の支度でほとんど消え、結局は物々交換に近い。
しかも仕事があるとは限らない。いちど張った結界は、並の技量で三年ほど持たせられる。新しい町に着いたところで、別の退魔師がすでにわざを使っていた場合、断られることが多い。そんな町でも退魔のお守りはいくらか売れるが、それでは小遣いほどにしかならない。
仕事を求めて旅をしても安定せず、稼いだところで残らない。ほんの少し土地の名物を味わえばもうカツカツだ。
そんな彼女が山村に入ったのは、当然仕事を求めてのことだ。さいわい結界の寿命が近く、メインの仕事にありつけた。魔物の多い山や森では、結界の維持は必須であった。
お守りもそこそこ売れた。彼女の作るお守りは、魔物を寄せ付けない退魔の護符、魔物の接近を知らせるおふだなど、山での需要が高い。
とはいえ、大儲けとはいかない。ふだんより多く稼げたが、次の場所で仕事がなければトントンだ。場合によっては連続で成果なしということもある。
常に金がない。贅沢といえば、仕事の数日、宿や料理屋でくつろぐくらいだ。
ふだんの食事はほとんどが野の食材で、使い古した調理器具で火を通す程度。木の実や果物で酒も作るが、とてもじゃないが店で売るレベルには至らない。
あたりまえの幸福が遠い。それに、おしゃれにも興味がある。旅をする以上、服は仕方ないとして、光り物のひとつくらい身につけてみたい。
退魔師をやめれば楽になるのかもしれない。だがいちど、そう思って町で使用人をしたが、ひとに使われ拘束されるのに耐えられなかった。
それに旅はおもしろい。内陸、海沿い、川沿い、山地——各地さまざまな趣があり、景色を見て歩くだけでも気持ちがいい。まるで自分の体が自然と一体になったかのような充足感がある。土地ごとにいろんな食材が食えるのもうれしい。
ただ、金がない。こちらを立てればあちらが立たずというのは、退魔師に限らずなににおいても仕方のないことだろう。
それでも少しくらい贅沢がしたかった。小さなものでいい。ちょっとした宝石のついた指輪か、大人の香りのネックレスをつけて、池の水面に映してみたかった。
ささやかな願いは胸の裡に押し込め、時とともにどんどんふくらんでいった。
だから魔が差したのだろう。彼女はその日、宿で土地の話を聞いていた。各地の風土や伝承を聞くのも旅のたのしみのひとつだ。
そこで、こんなことを聞いた。
「山の中腹に夜鳥様の祠がございます」
なんでもこの山村には守り神がおり、祠に祀っているという。
「夜鳥様のおかげでこのあたりには魔物が寄りつきません。もっともゼロではございませんが」
ノクチュアはめずらしいものに目がない。仕事が終わり、村を発ったあと、ついでに寄っていくことにした。
宿で教わった道を歩くこと一時間。果たして、そこに祠があった。樹々生い茂る山の中、小さな岩壁に横穴を掘って、そこに木造の祠が置かれていた。
作りは簡素だ。だがなんども直した跡があり、大事にされているのがわかる。高さは子供の背丈ほどで、ノクチュアがしゃがむとちょうど目の高さに両開きの扉があった。
開けると、中には木彫りのフクロウが鎮座していた。
もっとも、写実ではない。全体的に丸みがあり、目が極端に大きく、子供が好むマスコットを木像にしたような感じだ。
これが夜鳥様か、とノクチュアは観察した。この手の守り神は実在することが多い。ひとびとの信仰が生み出した念のかたまりが、意思を持って存在を得ると守り神になる。あるいは精や魔物が崇拝されて、土地の神になる場合もある。
ただ、これはただの像だと思った。
なにせ魔力が薄い。大きめの樹が持つ程度の魔力しか感じない。
それより彼女が気になったのは、像の前に置かれた宝玉だ。
像の前に、握り拳ほどの大きさの真っ赤な宝玉がある。正方形の台座がついており、金の細工があしらわれている。
それが、厚めの金網に閉じられ、床に打たれている。盗まれないための処置だろう。
だが恐ろしくずさんだ。こんなもの、床を剥がすか工具を使えば簡単に取れてしまう。
ためにし少し揺らしてみた。すると、
——ベキッ。
なんと床が剥がれてしまった。雨や湿気で劣化していたのだろう。ノクチュアはしまったと思い硬直した。
同時に、あることが頭をよぎった。
ふと、周囲を見渡した。時刻は朝の九時。陽光が樹々の葉で半分になり、明るくも、暗くもない。
辺りにひとの気配はない。旅人暮らしで得た勘は、身をひそめる猛獣を容易に察知できる。
いまここには自分しかいない——。
ノクチュアは一瞬迷った。だが、次の瞬間には金網を床から剥がし、ナイフで木材を削った。
もし鏡があれば、黒目がどんな色に染まっていたか見えただろう。青ざめた真顔の上に、闇色の瞳がふたつ、ギラギラと光っていた。
彼女は疾った。近くに大きな街があり、その日のうちに金に変えた。宝石商はうたがいの目で見たが、ものがあまりに見事だったせいか深く詮索しなかった。
金貨二十枚という大金を得た。これだけあればかなりの贅沢ができる。節約すれば半年は持つだろう。
そこでノクチュアはエメラルドの指輪とアクアマリンのネックレスを買った。本当はダイヤで揃えたかったが、貧困生活で染みついた貧乏性が許さなかった。金貨二枚を払い、銀貨で釣りをもらった。
おもて通りを歩きながら夕日に透かした。輝きにこころがはずみ、罪悪感はほとんど薄れていた。
事件は夜起こった。
彼女はレストランで食事をしていた。ふだんなら絶対に食えない分厚いステーキを意気揚々とほおばっていた。旅服は洗濯し、貸衣装屋で借りたカジュアルなドレスを着ている。風呂にも入った。
右手の中指にエメラルド、開いた胸元にはアクアマリン。ガサツな食い方は隠しきれないが、なるべく清楚をよそおった。
こんなことは今夜限りだ。今後を考えれば節約しなければいけないし、二度と盗みを働くつもりはない。いまはただ、金貨一枚の酒とディナーをたのしもう。
そう思った、そのとき、
「ハッ——!」
ノクチュアは強烈な視線を感じ、こわばった。
背後から何者かが見ている。それも、巨大ななにかが。
ノクチュアは咄嗟に振り返った。しかしだれもいない。あるのはただ、優雅な食事の風景と、何者かの気配だけ。
退魔師の彼女はすぐさま魔力を放ち、空気を浄化した。これで悪鬼は寄ってこれない。
だが、気配はじっとりと残っている。なにかに見られている。
気のせいではない。なんとなくで済む気配ではない。
「どうかなさいましたか、お客様」
ボーイに声をかけられ、なんでもないと返した。すごい汗だと指摘されたが、適当にごまかした。
気配は続く。だが襲ってはこない。
貧乏性の彼女はとにかく食事を続けた。警戒と不安で肉の味がしなかった。
店を出ても気配は続いた。
背後からずっと見られている。なんとなく巨大な目が迫ってくる気がする。
宿へ着いてもそれは続いた。本当ならすぐにここを離れたかったが、服が乾くまで動けなかった。
効果があるかわからないが、部屋じゅうに護符を張り、眠りについた。
すると、正体が現れた。
眠っている自分を、ふたつの大きな目がじっと見ている。
眠っていると、それが見える。
それは、あの木像の目だった。
作りものの巨大なフクロウの目が、黒目をまんまるに広げ、背後から覗き込んでいた。
「きゃああっ!」
悲鳴とともに目を覚ました。すると幻覚は消えた。だが視線は残っている。
その晩はもう眠れなかった。途中二度ほどうたた寝をしたが、そのたびに目が現れ、起きてしまった。
朝になって生乾きの服を着、街を出た。ドレスを返す余裕はなかった。視線はいつのまにか消えていた。
彼女は祠の反対方向へ旅立った。魔の力は距離が離れると薄まり、やがて届かなくなる。逃れるための進路だ。
だが、翌晩も視線は続いた。夜になると現れた。
どうやら日のあるうちは力が及ばないらしい。力のある魔は時にルールを設ける。理由はまちまちである。
おそらくフクロウだからだろう。それに村民は「夜鳥様」と呼んでいた。守り神は信者の妄想に影響を受ける。
その日も彼女は眠れなかった。いつも通りの野宿は、いつ背後から襲われるかという恐怖に満ちていた。
手は出してこない。だが、恐ろしい。
ノクチュアはクタクタになり、昼間、樹木に登って眠った。習慣を崩しての睡眠はひどく疲れた。その間ずっと退魔のわざや身を隠す魔法を使い倒し、疲労はなお増していった。
そうして逃げること四日間。昼、半端に眠り、夜は視線に苦しみ、身もこころもボロボロだった。
頭の中でなんども「すみませんでした」と謝った。声にも出した。宝玉を返すべきだと思ったが、まだ売れずに残っている保証などないし、あったとしても売値に持ち金が届くとは思えない。それにもう戻るだけの気力がなかった。
そんなとき、夢に黒猫が現れた。
「レオ様はこちらです」
夢の中の猫が口を利いた。黒猫は広い森の前に佇み、にゃあと人語を話した。
「魔にお悩みなら、魂売りのレオ様に助けてもらうのが一番です。事情を洗いざらい話し、救いを求めれば、レオ様がすべて解決してくださいます。レオ様の住む魔の森はこちらです」
そこまで聞いて目が覚めた。夕日のまぶしさに起こされた。
その、日の沈む方角から、一瞬「にゃあ」と聞こえた。それは魔でも生物でもない、不可思議な気配だった。
ノクチュアは黒猫を信じることにした。魂売りなら魔法、呪術に長けている。それにもう、良し悪しを判断できるほど頭が働かなかった。
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