月歌~あなたの歌声は、月光のように温かい~

古紫汐桜

文字の大きさ
22 / 65

届かない横顔

しおりを挟む
うちのお店には制服がある。
青いシャツに赤いネクタイ(男性は青いネクタイ)、紺のセーターまでは会社支給。
けれど“下”だけは各自で用意する決まりだ。

 色は紺か黒ならOKで、スカートでもパンツでも自由。

 一方、男性社員は紺のパンツ指定なので、上下そろって支給されている。
だから森野さんは、いつも制服姿だ。

 私は巻きスカート風のキュロットを履いているから見える心配はないものの――
寝転がっていた体勢のままでは、さすがに恥ずかしくて、慌てて体育座りになった。

「な、なんで森野さんがここに……?」

 裏返った声に、自分でもびっくりする。

「はあ? ここ、俺の休憩所」

 当然のように言いながら、ズボンのポケットからタバコを取り出す。

 咥える前の、ほんの一瞬の“間”。
視線はどこか遠くを見ていて、普段の怒った顔しか知らない私はつい見とれてしまった。

「森野さん……タバコ吸ってたんですか?」

 ぽつりとこぼれた疑問に、森野さんは一瞬だけ目を見開いた。

「……たまにな」

 火をつけると、白い煙がひゅうっと冬の風に溶けていった。

 その仕草が妙にサマになっていて、目が離せないでいると──

「さっきの歌」

 突然、森野さんが口を開いた。

「えっ、き、聞いてたんですか!!?」

 一気に顔に血が上る。

「人聞き悪いな。聞いてたんじゃなくて──聞こえたんだよ」

 少しむっとしたように眉を寄せて、こちらを見る。

 そして次の瞬間。
ふっと、何かが変わった。

 白い煙越しに、真っ直ぐこちらを射抜くような視線。

 ──ドクン。

 胸が跳ねた。
切れ長の目の奥で、漆黒の瞳が揺れて、何かを訴えているように見えた。

 視線を逸らせない。
吸い寄せられたみたいに、森野さんの瞳に捕らえられてしまう。

 どれだけ見つめ合っていたのだろう。
ほんの数秒のはずなのに、妙に長く感じた。

 ふっと表情が緩み、視線が外れた。

「……お前、歌が下手だな」

「ぎ、ぎゃ~~~~~~!!!!!」

 燃えるような恥ずかしさに、思わず絶叫したその瞬間──

「馬鹿、声がデカい!」

 後ろから口を塞がれた。

 唇に触れたのは、長くて大きくて、少しゴツゴツした男の手。
思ったより冷たくて、きっとずっと外にいたのだと分かる。

 息をのんで黙ると、森野さんはそっと手を離した。

「あ……悪い。ここがバレたら、俺の居場所がなくなるからさ」

 ぽつりと呟いて、再びタバコに火をつける。

 その横顔はすぐ隣にあるはずなのに、やけに遠く感じられた。

「……休憩室、行かないんですか?」

 思わず聞く。

「外野がうるさい」

 それだけ。

 そういえば噂で聞いた。
森野さんは容姿もスタイルも良すぎて、どこへ行ってもバイトの子たちが群がるらしい。

「あ……じゃあ、私も邪魔ですよね。すみま──」

 慌てて立ち上がろうとした瞬間。

「バ~カ。お前が先客だろ。
それに……邪魔なら声かけねぇよ」

 小さく笑う。

 その笑顔に胸がギュッと痛くなるように締め付けられた。
思わず胸を押さえた時──

「……お前、本当に好きなんだな」

「え?」

 不意に落ちた言葉に、思わず聞き返す。

「さっきの顔。
あの曲、聞いてる時のお前……すげぇ良い顔してた」

 視線を外しながらそう言い、森野さんはタバコを携帯灰皿に押し込む。

「悪かったな」

「……え?」

 その言葉の意味を理解する前に、静かに続けた。

「お前がそんなに大切にしてるとは思わなくて、けなして悪かった。
……その歌ってる奴もさ。
お前みたいに大事に思ってくれるファンがいるなら……嬉しいんじゃねぇか」

 本当に独り言のような、静かな声。

 胸の奥がじんと熱くなった。

「……そうだといいですけど」

 照れくさく笑うと、森野さんは小さく微笑んだ。

「そんなに大切にしてる人を悪く言われたら、腹立つよな」

 横顔は静かで、どこか寂しげで。
隣にいるはずなのに、どうしてこんなに遠いんだろうと思う。

「そんな……私こそ、森野さんに失礼なことをたくさん言いましたし……お互い様です」

 やっと絞り出した言葉。

 森野さんは一度だけ私を見ると、小さく笑った。
けれどすぐに視線を遠くへ戻す。

 その瞳は、何も映していないようで。
私には触れられない“どこか”だけを見ているようだった。

 まるで──これ以上近付くな、と言われているみたいに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完】ベッドの隣は、昨日と違う人

月村 未来(つきむら みらい)
恋愛
朝目覚めたら、 隣に恋人じゃない男がいる── そして、甘く囁いてきた夜とは、違う男になる。 こんな朝、何回目なんだろう。 瞬間でも優しくされると、 「大切にされてる」と勘違いしてしまう。 都合のいい関係だとわかっていても、 期待されると断れない。 これは、流されてしまう自分と、 ちゃんと立ち止まろうとする自分のあいだで揺れる、ひとりの女の子、みいな(25)の恋の話。 📖全年齢版恋愛小説です。 しおり、いいね、お気に入り登録もよろしくお願いします。 📖2026.2.25完結 本作の0章にあたるエピソードをNOTEにて公開しています。 気になった方はぜひそちらもどうぞ!

処理中です...