38 / 119
第四章
友頼の母の死
しおりを挟む
その日から、翡翠はこの家に通うようになる。
自分の立場を知らず、普通に仲良くしてくれる友達ができて翡翠は嬉しかった。
しかし、十の歳になった頃、友頼の母が体調を崩しがちになっていた。
翡翠はまだ性別が定まらず、村人たちから無言の圧を感じていた。
村にいるのが苦しくなり、つい友頼の家へと身を寄せる日々を送っていた。
一方、豪鬼は結婚した相手と子を成したが、それは子を成さなければ妻が責められ、離縁されて他の女を充てがわれることを分かっていたからだった。
しかし、豪鬼の妻となった“初”は、心の広い女性だった。
豪鬼が誰を想い、どんな過去を抱いているのかを理解した上で、それを咎めることなく受け止めていた。
そんなある日、翡翠が人の家に入り浸っていること──そして、人間の母親が病を患っているということが豪鬼の耳に入る。
同じ頃、翡翠の性別が確定しないのは「人と交わっているからだ」との噂が、村中に広がっていた。
豪鬼は翡翠を呼び出し
「人間と親しくすれば後が辛くなる」
と伝えたが、豪鬼の言葉に翡翠は小さく首を振った。
その瞳の奥には、決意の色が宿っていた。
豪鬼は、かつて自分がそうであったように、
翡翠と友頼が村の掟に縛られ、引き裂かれて苦しむことを恐れていた。
それでも──どうにかして人間の親子を鬼ヶ村に移せないかと、村人たちに働きかけた。
少しずつ偏見は薄れてはいたが、長く虐げられてきた遺恨は簡単には消えない。
やがて、友頼の母が床から起き上がれなくなる頃、豪鬼は村人たちの制止を振り切り、彼女のもとへ駆けつけた。
痩せ細り、命の灯が今にも消えそうな友頼の母。
豪鬼は、かつて愛したその人を献身的に看病した。
──けれど、祈りも虚しく、母は息子が十一の歳になるのを待たずに、豪鬼の腕の中で静かに息を引き取った。
その夜、豪鬼の屋敷には灯が絶えなかった。
妻の初は、黙ってその灯を守っていた。
彼が誰のもとで涙を流したのか、初はすべて知っていた。
「どうか……行ってくださいませ、旦那様」
出立の前、初は静かにそう告げた。
声は柔らかく、けれど揺るぎない芯を持っていた。
「……すまぬ、初」
豪鬼が深く頭を下げると、初は小さく首を振った。
「謝らないでくださいませ。
旦那様がその方を想うように、私は旦那様を想っております。
それだけのことです」
夜更けに戻った豪鬼の衣を、初は何も問わず整えた。
泥にまみれ、涙の跡が残る袖を静かに拭いながら、
「お疲れさまでございます」
とだけ呟いた。
その手つきが、あまりにも優しかった。
──愛は友頼の母へ。
──情は初のもとに。
豪鬼はその温もりに救われた。
翌朝、初は穏やかな声で言った。
「旦那様。あの子を、私にお預けくださいませ」
その声音には、誰も逆らえぬ強さがあった。
「人の子であろうと、母を失った子を見捨てるわけには参りません。それが、女の務めでございます」
豪鬼は静かに頷いた。
初の中にある“強く優しい母”の一面を、このとき初めて心から美しいと思った。
こうして、天涯孤独となった友頼は、豪鬼の妻・初のもとに引き取られることとなった。
最初は村人から疎まれていたが、母譲りの美しい容姿と優しい性格で、少しずつ村に馴染んでいく。
その中で、友頼の支えは翡翠ただ一人だった。
豪鬼の子どもたちと共に暮らす中、翡翠が後ろ盾となっていたため、友頼は村人達から直接的な迫害を受けることはなかった。
むしろ、翡翠が結界の外へ出ることも減った。
友頼がそばにいる時だけは、おとなしく座学や掟に従う。
そうしているうちに、いつしか友頼は翡翠に仕える“従僕”のような存在となっていた。
そして月日は流れ、十三の歳で元服を迎える頃──
鬼ヶ村の娘たちは、こぞって彼の名を口にした。
性格はおとなしく、誰にでも優しく穏やか。
嗜む笛の音は美しく、聡明でもある。
人間でありながら鬼の里で受け入れられた友頼の評判を耳にするたび、翡翠の胸には黒い影のような感情が静かに広がっていった。
それがいつからだったのか──
翡翠自身にも、もう分からなかった。
自分の立場を知らず、普通に仲良くしてくれる友達ができて翡翠は嬉しかった。
しかし、十の歳になった頃、友頼の母が体調を崩しがちになっていた。
翡翠はまだ性別が定まらず、村人たちから無言の圧を感じていた。
村にいるのが苦しくなり、つい友頼の家へと身を寄せる日々を送っていた。
一方、豪鬼は結婚した相手と子を成したが、それは子を成さなければ妻が責められ、離縁されて他の女を充てがわれることを分かっていたからだった。
しかし、豪鬼の妻となった“初”は、心の広い女性だった。
豪鬼が誰を想い、どんな過去を抱いているのかを理解した上で、それを咎めることなく受け止めていた。
そんなある日、翡翠が人の家に入り浸っていること──そして、人間の母親が病を患っているということが豪鬼の耳に入る。
同じ頃、翡翠の性別が確定しないのは「人と交わっているからだ」との噂が、村中に広がっていた。
豪鬼は翡翠を呼び出し
「人間と親しくすれば後が辛くなる」
と伝えたが、豪鬼の言葉に翡翠は小さく首を振った。
その瞳の奥には、決意の色が宿っていた。
豪鬼は、かつて自分がそうであったように、
翡翠と友頼が村の掟に縛られ、引き裂かれて苦しむことを恐れていた。
それでも──どうにかして人間の親子を鬼ヶ村に移せないかと、村人たちに働きかけた。
少しずつ偏見は薄れてはいたが、長く虐げられてきた遺恨は簡単には消えない。
やがて、友頼の母が床から起き上がれなくなる頃、豪鬼は村人たちの制止を振り切り、彼女のもとへ駆けつけた。
痩せ細り、命の灯が今にも消えそうな友頼の母。
豪鬼は、かつて愛したその人を献身的に看病した。
──けれど、祈りも虚しく、母は息子が十一の歳になるのを待たずに、豪鬼の腕の中で静かに息を引き取った。
その夜、豪鬼の屋敷には灯が絶えなかった。
妻の初は、黙ってその灯を守っていた。
彼が誰のもとで涙を流したのか、初はすべて知っていた。
「どうか……行ってくださいませ、旦那様」
出立の前、初は静かにそう告げた。
声は柔らかく、けれど揺るぎない芯を持っていた。
「……すまぬ、初」
豪鬼が深く頭を下げると、初は小さく首を振った。
「謝らないでくださいませ。
旦那様がその方を想うように、私は旦那様を想っております。
それだけのことです」
夜更けに戻った豪鬼の衣を、初は何も問わず整えた。
泥にまみれ、涙の跡が残る袖を静かに拭いながら、
「お疲れさまでございます」
とだけ呟いた。
その手つきが、あまりにも優しかった。
──愛は友頼の母へ。
──情は初のもとに。
豪鬼はその温もりに救われた。
翌朝、初は穏やかな声で言った。
「旦那様。あの子を、私にお預けくださいませ」
その声音には、誰も逆らえぬ強さがあった。
「人の子であろうと、母を失った子を見捨てるわけには参りません。それが、女の務めでございます」
豪鬼は静かに頷いた。
初の中にある“強く優しい母”の一面を、このとき初めて心から美しいと思った。
こうして、天涯孤独となった友頼は、豪鬼の妻・初のもとに引き取られることとなった。
最初は村人から疎まれていたが、母譲りの美しい容姿と優しい性格で、少しずつ村に馴染んでいく。
その中で、友頼の支えは翡翠ただ一人だった。
豪鬼の子どもたちと共に暮らす中、翡翠が後ろ盾となっていたため、友頼は村人達から直接的な迫害を受けることはなかった。
むしろ、翡翠が結界の外へ出ることも減った。
友頼がそばにいる時だけは、おとなしく座学や掟に従う。
そうしているうちに、いつしか友頼は翡翠に仕える“従僕”のような存在となっていた。
そして月日は流れ、十三の歳で元服を迎える頃──
鬼ヶ村の娘たちは、こぞって彼の名を口にした。
性格はおとなしく、誰にでも優しく穏やか。
嗜む笛の音は美しく、聡明でもある。
人間でありながら鬼の里で受け入れられた友頼の評判を耳にするたび、翡翠の胸には黒い影のような感情が静かに広がっていった。
それがいつからだったのか──
翡翠自身にも、もう分からなかった。
0
あなたにおすすめの小説
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる