深海を泳ぐ金魚

國灯闇一

文字の大きさ
4 / 4

手のぬくもりを忘れない

しおりを挟む
 肝を冷やす話を聞いたせいでまた喉が渇いてしまった。俺は携帯を膝に置き、地面に置くショルダーバッグから水を取り出して飲んだ。
 さっきよりも一口ほど多く飲んで、ペットボトルの中は空になってしまう。どこかゴミ箱がないかと見回したが、それらしきものは確認できなかった。後ろに振り返っても石造りの広場とぽつぽつと植木が見えるだけで、発光する自動販売機の姿も映らない。
 仕方なく空のペットボトルをショルダーバッグに戻し、それを機にベンチから腰を上げた。

「もう遅いから帰ろう」

 俺はベンチに腰かける泉希を見下ろし、そう声をかける。だが、泉希は立ち上がらない。ぼーっと地を見つめたまま、思慮にふける表情をしている。

「泉希?」

 物憂ものうげな瞳と薄く開いた唇。先ほどまであんなに笑っていたのに、今は別人のような顔つきをしている。
 どうしていいか分からず手をこまねいていると、泉希が小さな声で言った。

「私、頑張るから」

 張りつめた声が真っすぐ届いた。少しの衝撃でも砕けてしまいそうな、夜の影と街灯の光の間で震えている泉希が、語気を強めて囁くように言った。

「頑張るから、だから、見守っててほしい」

 泉希は息を呑み、続けてその猛々たけだけしい赤の唇で続ける。

「もし私が、何もできなくなったら、その時は……」

 泉希の膝の上に乗る両手は強く握られていた。マニキュアを塗るために少し長めにした爪は手のひらに食いこんでいるはずだ。

 俺は泉希の過去を知っている。これまで家族としてやってきて、いろいろと分かってきたことだってある。
 ミーハーで、牛乳が嫌いで、いたずら好きで、物をしまわずその辺に置くガサツ屋で、だけどこいつがいると空気が明るくなって、俺の生活はどんどん変わったんだ。

「その時は、俺を呼べ」

 俺は泉希の言葉に割って入る。泉希はわずかな驚きをブラウンの瞳に宿して俺を見据える。

「何ができるか分からないけど、こうして聞くことはできるし、話すことだってできる」

 俺は腑抜けた表情をする泉希に微笑む。

「俺もお前も、肩肘張るところは似てるからな。疲れたら休まなきゃ、だな」

 俺は手を差し出した。

「帰るぞ。これ以上遅くなると父さんがグチグチ言いかねない」

「うん……」

 泉希は薄く微笑んで、俺の手を取り立ち上がった。その笑みをはらむ瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる気がした。

 また2人で遊歩道を歩き出す。2人並んで。
 泉希が頑張りたいなら、俺は応援してやろうと思った。たぶん父さんと母さんは反対するだろうけど、俺は泉希の味方でいたかった。

 いつか、いや、そう遠くない未来、俺達は別々の道を歩むことになる。こうして2人並んで歩くことも、きっとなくなる。
 たとえそうなったとしても、これまで過ごしてきた時間はずっと俺達の中にあって、俺達しか知らないものが未来にはあったりするのだろう。

 ゆっくり、曲がりくねった遊歩道を歩いていく。
 また少し、強い風が吹いた。それと共に、道端に咲く、花達の甘い匂いが鼻孔びこうをくすぐる。
 自分の足で歩けるように、残された時間を、これからも互いに思い合って歩いていく。
 そう思った――忘れられない夏夜の誓いの日だった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...