二面性(リバーシブル)女との恋愛は期間限定

國灯闇一

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Lesson4 重なる二人の想い出

STEP⑮ 無限の色彩

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 社長は長机の手前に軽く腰でもたれ、目を瞑っている。俺もあの頃のことを思いだしながら、高校生になった社長を見ていた。
「あの頃の社長はものすごくませてて、手を焼かされました」
「っ……恥ずかしい話をしないでください! 私だって反省してちゃんと更生しました」
 社長は顔を紅潮させて地べたに座る俺を睨む。
「更生? 強引な所はまったく変わってないと思いますけど」
「青野さんに言われると無性に腹立たしいですね」
「すみません」
 社長はもう一度俺の描いた絵を見る。
「昔の青野さんの絵は、憂い、儚い理想、悲しみ、弱さといった負の感情が綺麗な線を軸に描かれていました。でも、この絵はたった一人のためだけに向けられた願いと祝福……。正の感情が表現されています」
 敵わないな、この人には。

「元彼女さんへのプレゼントですか?」
「はい」
「……」
 社長は俺をジッと見つめる。どこか不思議そうな目をしていた。
「晴れ晴れとした顔してますね」
「そうですか?」
「はい。やり切ったと言った方が正しいかもしれませんが」
「やり切った……。そうですね」

 少し間を置いて、社長が突然話を切り替えた。
「聞きましたよ。縣帝は結婚するそうですね」
 俺は鍵をかけた扉の中に入りこまれた気がした。
「相手は憶測ですが、青野さんの元カノ。そして、これはその人に向けた絵。祝福と願い。結婚おめでとう。幸せになってください……」
 脱力感が体を巡ってきて、思わず笑みが零れる。
「社長。あんまり口にしないでくださいよ。恥ずかしいから、言葉じゃなくてプレゼントにしたんですから」
「青野さん、一ついていいですか?」
「なんですか? 改まって」
「なんで悲しそうな顔しないんですか?」
 俺は不意に問われた質問に言葉を失う。社長は昔の幼女の時のように無垢な顔で俺を見つめる。その無垢な表情は凛としていた。

「この絵には悲しみが感じられません。青野さんの表情からも、それは感じられませんでした」
 社長は絵具や筆が置かれている長机の手前の端を、指先でなぞりながら俺から離れるように歩く。
「普通、好きな人が自分から離れて、他の人の所に行ってしまったら悲しいと思うんです」
「ああ、すみません。みんながはやし立てるんで、言いだせなかったんですけど、俺と彼女は正確に言うと付き合ってなかったんですよ。いわゆる恋人ごっこです。お互いが結婚してなかったんで、結婚に少しでも近づけるように経験しておこうみたいな感じで始まったんです。最初から別れるかもしれないという前提で始まったことなんで、悲しむ理由がないんですよ」
 俺は彼女の名前を伏せて簡単に説明する。だが、社長はあんまりしっくりきていないようだった。
「恋人ごっこじゃ、恋人じゃないんですか?」
「はい?」
「恋人って、青野さんはなんだと思いますか?」
「え? それは……」
 俺は急な質問に唸って考えてしまう。
「恋人はお互いが本物の恋人と認め合うことで、恋人になるんでしょうか? 一緒に買い物をしたり、食事をしておいしいねと言い合ったりするだけじゃ、恋人にはならないんでしょうか?」
 いきなり社長が問う言葉に、俺の頭に大量のペンキをかけられた錯覚に囚われる。
「ふふっ」
 俺の真剣に悩む様子に、社長が失笑する。

「私の個人的な考えですけど、恋人に定義なんて無いんですよ。人が人を想う。それだけで、そこに恋は生まれるんじゃないんですか?」
「社長も恋愛のこだわりとやらがあるんですか?」
「誰だって恋について少しくらい考えるものですよ」
 絵の具の匂いが俺をどうかさせたのかもしれない。普段立ち入ったことをかない俺だったが、流れに乗ることにした。
「社長は好きな人いるんですか?」
「いませんよ」
「……」
「……」
 沈黙の中で交錯する視線。
「……本当は?」
「しつこいと顔というキャンバスに今から油絵具を塗りたくってやりますが」
「申し訳ありませんでした……」
「そうじゃなくて、今は青野さんの話ですよ!」
 社長はやけに感情を高ぶらせて話を戻す。

「私が言いたいのは、偽物の恋人だろうが本物の恋人であろうが関係ないってことです。人が人を想い、そして二人の思い出があるなら、それも恋なんです」
「そうなんですか? ……俺には難しいですね」
「わざとやってます? 青野さん」
 社長が顔をしかめ、疑念を差してくる。
「いや、ほとんど恋愛経験ないんですからしょうがないじゃないですか」
「それ以前の問題のような気もしますが……」
「でも、恋だったとしても、悲しむ必要なんかないですよ。だって、結婚して幸せになるんですから」
「青野さんは、それで幸せなんですか?」
「当たり前ですよ」
「本当はそこに自分がいられたらなんて思ってないんですか?」
「それはないですよ。だって、俺とあの人じゃ、釣り合わないですから」
 俺は立ち上がり、背筋を伸ばす。背中の骨がポキッと音を立てる。
「そういうことをいてるんじゃないですが、まあ、言及するのもお節介おばあさんみたいで嫌なんで、これくらいにしておきますが」
 社長は視線を外してボソッと呟く。
「そう言われると余計に気になりますよ」
「じゃあ、それに関することをきます」
 少し間を置いて、社長は俺を探るように真っすぐ俺を見つめた。

「彼女さんに、?」
「いや、俺はその、恋人ごっこをしていた相手に恋愛感情は無かったんで」
「嘘ですね」
 きっぱり言われてしまった。社長は何を持ってそう言っているのかは分からないが、社長の目は確信に満ちていた。
「好意が無ければあの絵は描けません」
 ……。
「人の良い青野さんのことです。どうせ、彼女さんには好きな人がいることを知ってしまい、自分ではなく、縣帝さんの方が彼女さんのためになるんじゃないかと思い、身を引いたって所ですかね」
「……あなたはエスパーですか?」
 俺は自嘲して笑った。
「図星のようですね」
「言えるわけないじゃないですか。俺はただのアルバイトでお金もない。かといって、この事務所を辞めて、忙しさに埋もれる日々に身を投じる根気もない。恋人ごっこをしていた相手は、高校で男子から人気の女の子だったんです。俺は影の薄い普通の高校生。昔も今も、俺と彼女じゃ天と地の差ですよ。カッコよくて、お金持ちで、優しい縣さんといた方が、いいんですよ……」
 俺は長机の端に覇気なくもたれる。
「あの人なら、彼女を幸せにしてくれる。そう思えたから悲しみはなかったし、後悔なく身を引けたんです」
「そうですね。私も青野さんに辞められると困ります。でも給料を上げるのは難しいですね。青野さんも知っての通り、うちの事務所は貧乏事務所ですから」
「ええ。これから依頼を受けまくって忙しくなるのも嫌ですし」
 俺は吹っ切れたような顔でそう言い切る。

「私はこの事務所の従業員は素晴らしいと思っているんですよ」
 社長は柔らかな笑みを浮かべて天井を見上げる。
「倉井さんは様々な視点と想像力を持つ天才肌。法堂さんは柔らかな質感を出せて、3Dも2Dもできる。小坂さんはずば抜けた色彩感覚。鹿賀里さんと満志さんは正確な情報処理と事務処理ができるうちの看板娘。そして、綺麗な線と筆圧を自由に操り、絵に洗練さを与える魔法を持つ青野さん」
 社長はニッコリと笑みを向けてくる。
「この全員がいて、うちのpaletteは無限に色を作りだせるんです」
「……」
 俺は言葉も出ない。正直、嬉しくて泣きそうなくらいだ。
「でも、青野さんの気が変わって、バリバリ働いて彼女に相応しい男になるぞーという理由で辞めるのなら、私は承諾しますよ。まあいずれにせよ、私は青野さんが後悔しないように努めるべきだと思いますけどね。相手の気持ちもあるんで、無理に彼女さんを引き止めろとは言いません。彼女さんはどう思っているか分かりませんしね」
「社長って、高校生らしくないですよね」
「精神年齢おばはん並みと言いたいんですか?」
 社長は静かな怒りをたたえて俺を問いただしてくる。
「いい意味で言ったんですよ」
「青野さんの言葉は分かりにくいんですよ」
「すみません」
 ほがらかな空気が、部屋の中を包んでいるようだった。ずっと誰にも言えなかった秘めた想いを話せたのは、俺にとって良かったのかもしれない。これで、前へ進めるから……。
 俺は完成した絵を手に取り、館花さんの喜ぶ顔を思い浮かべる。絵の具が空気を彩るこの部屋は、まさにpaletteのようだった。
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