きっと、忘れられない恋になる。

りっと

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第五話 記憶の忘却

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 由宇と接触したことで、感情が制御できないときの青葉になってしまったのだろうか。恭矢への異常な執着心、依存心を見せつけられた由宇は、大きな瞳でしっかりと青葉を見ながら、言い聞かせるように告げた。

「……安心して。わたしは決して、相沢くんのことを好きにならないわ」

「その言葉だけは、信じられないよ。恭ちゃんから自分のことを本当に忘れさせたかったのなら、恭ちゃんが由宇ちゃんの仕事を知ったとき、すぐにでも記憶を消しちゃえばよかったのに。恭ちゃんに少しでも長く、自分のことを覚えていてほしかったんだよね? だから恭ちゃんがおかしくなるまで、そばに置いておいたんだよね?」

「……確かに、すぐにでも記憶を消さなかったのは、相沢くんにわたしのことを知っていてほしいと思ったわたしの我儘だった。でも、男のひととして好きというわけじゃない」

「だったら! 由宇ちゃんはどうして、恭ちゃんの唇にキスしたの? 記憶を消すだけだったら、手でも頬でもどこでもよかったでしょ?」

 青葉の詰問に対して、由宇はひどく顔を赤らめ、明らかな動揺を見せた。

「青葉、知っていたの……?」

「……知らないよ。わたしだったらそうするから、由宇ちゃんもそうだろうと思っただけ。……でも言いすぎた、ごめんなさい。恭ちゃんを卑怯なやり方で自分のそばに置いていた、わたしが責められることじゃなかった」

 青葉が謝ると、二人はしばらく口を開かなかった。恭矢は二人の会話に、どう入っていいのかわからなかった。自分についての話をしているようだが、女同士の会話は感情的で抽象的、とても難しくて、詳細を把握できるものではなかったからだ。

「そ、それで……青葉はお母さんに会って、何をされたんだ? 覚えている範囲でいいし、言いたくなければ言わなくてもいいから……できる範囲で話してもらってもいいか?」

 恭矢が話を戻そうとすると二人も緊張を解いたようで、この場の空気が少しだけ緩和した。青葉は緑茶を一口飲んで、ゆっくりと話し始めた。

「……公園内で恭ちゃんを待っていたわたしに声をかけて来た女性――お母さんはね、はぐれてしまった子どもを探してるって言ってた。わたしはお母さんの顔を知らなかったから、綺麗な奥さんだな、としか思わなかった。それで、お母さんが子どもの写真を見せてくれたんだけど……写っていたのは、スーパーで買い物をしているわたしの姿だった。愕然とするわたしに、お母さんは笑いながらわたしのこめかみを押さえつけて、わたしの額に唇を触れさせた。すぐにわたしは意識を失って、目を覚ましたときにはもうお母さんの姿はなかったけれど……たったそれだけで、わたしは……今まで忘れていた記憶を取り戻していたの」

 なんだよ、それ。青葉の話を聞いていたら、腹の中から沸々と怒りが込み上げてきた。いくら二人の母親だとしても、彼女がとった行動は人として許容できる範囲を十分に超えた、非人道的な行動だ。

「……これから、青葉はどうしたいんだ? 忘れていた記憶を思い出すことを強制されたことに対して、もう一度お母さんに会って、今までの不満を言いたい? 文句を言いたい? 平手打ちをかましてやりたい? 青葉がしたいと思ったことを、俺は全力で協力するつもりだぞ」

 怒りは増す一方だが、自分の感情より青葉の感情が優先されなければならないことくらいはわかっている。恭矢が問いかけると、青葉は恭矢の手をより強く握った。

「……わたしより……由宇ちゃんに、聞いてほしいな。わたしは今日まで、由宇ちゃんと恭ちゃんにずっと守られて来たから、平気だよ」

 青葉の力のない笑顔を見たとき、抑えこんでいた恭矢の激情はついに振り切れて、防波堤を突破した。

「青葉が平気でも、俺が平気じゃない! ふっざけんな! 勝手に出ていって母親業を放棄したくせに、勝手に青葉に接触しやがって! 青葉は玩具じゃねえんだよ!」

「……わたしが油断していたのも悪いんだよ。知らないひとにあんなに接近されたのに、不審に思わなかったんだもん。普段、家に居過ぎて警戒心が鈍くなっちゃったんだね、きっと」

「俺には訳がわからないほど執着するくせに、どうして自分を守ることに疎いんだよ! そういう問題じゃないだろ⁉ 他にもなんかされてないよな⁉ 青葉に何かあったら俺、死ぬほど嫌だからな!」

 青葉の体を引き寄せて抱き締めると、彼女の瞳にゆっくりと涙が滲み始めた。そして色素の薄い瞳からぼろぼろと涙を零して、恭矢の胸にしがみついた。

「……怖いよ……本当は怖かったよ……今だって、どうしたらいいのかわかんないよ! う、うわあああああ!」

 堰を切ったように泣く青葉を胸に抱くと、由宇は何も言わずに恭矢たちの姿を目に焼き付けるように見ていた。
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