セキワンローキュー!

りっと

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第三Q 生き様を証明せよ

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「……嘘だろ? 第一、名前が違うじゃねえか」

 呆然と呟いた雪之丞に、紗綾が小さい声で説明を付け加えた。

「……ミサって本名じゃなくて、ニックネームなの。両親が離婚して苗字が変わったけど……わたしの旧姓は、風見かざみ紗綾。名前の真ん中を取って、ミサって呼ばれてた」

 ミサの苗字すら知らなかった雪之丞にとって、納得せざるを得ない回答のはずなのだが、すんなり「そうだったのか」と呑み込める話ではなかった。

「……いや、でも……紗綾先輩とミサじゃ、性格も全然違うし……」

 雪之丞は敬語を使うのも忘れる程、動揺していた。

「……感情に流される自分を、変えたかったから。昔のままじゃまた同じ過ちを繰り返すかもしれない、また誰かを傷つけるかもしれないって思ったら、怖くて仕方がなかった。常に冷静でいることを意識して生きていくように心掛けていたら、感情が上手く顔に出せなくなって、何を考えているのかわからないって言われるようになっちゃったけど……」

「じゃあ……どうして黙っていなくなったんだよ? 急に会えなくなって、俺……」

 寂しかった、とは気恥ずかしくて言えなかった。

「肝心なときに何もできなくて、会わせる顔がなかったの。一つ年上で、普段は偉そうにお姉さんぶっていたくせに……あの事故が起こったとき、わたしはただ涙するだけだった。もっと強く大吾を引き止めていたら、もっと早く帰ろうと提案していたら……皆、今とは違う未来があったはずだから」

「……そんな自分勝手なこと……言ってんじゃねえよ……!」

 紗綾も大吾も、雪之丞の左手がなくなったのは自分のせいだと思い込み、苦しんだ挙句に何も言わずに離れていった。胸を引き裂かれる想いで、雪之丞は右手の拳を強く握り締めた。

「……ジョーを学校で見たとき、すごく驚いたけれど嬉しかった。だけど……わたしがミサだってバレるのが怖かった。ジョーはわたしの顔なんて見たくもないだろうなって思ったから。それでも……近づかずにはいられなかった。ジョーともう一度仲良くなりたいって、欲が出てしまったの」

 紗綾は自虐気味に笑い、夏希の方を見た。

「わたしは『ミサ』だってことを隠してジョーに接近した。でも、夏希に話しかけられたとき……夏希の昔と変わらない笑顔を見たとき、白状しなきゃって思ったの。……さっき、ジョーに言われたね。自分勝手だって。それは間違ってない。ジョーに近づいたのも、今こうして隠してきた事実を話していることも、本当に最低なわたしの我儘だから」

 紗綾の弁明を聞き終えた雪之丞は、彼女に近づいた。握っていた右手の拳を紗綾の頬に寄せると、

「ジョー! 駄目よ!」

 暴力を予想した夏希から声があがったが、紗綾は覚悟を決めているのか雪之丞から目を逸らさなかった。雪之丞は大きく息を吐いて、親指と人差し指で彼女の白い頬をつまみ、大きくごつい手からは想像もできないほど優しく抓った。

「……くっっっっだらねえ! 自分が自分が~って、そんなにウジウジしていたいなら勝手にしてろ!」

 紗綾は頬を抓られながらもまだ視線を逸らさず、じっと雪之丞を見ていた。彼女の澄んだ瞳に妙に照れ臭そうに映っている自分が見え、舌打ちをした。

「あー……その、俺はたとえミサ相手でも、優しい言葉をかけて慰めるなんて器用な真似はできねえ。そんなことができるなら、俺はもっとモテているはずだ」

「……後者については疑問が残るわね」

 茶々を入れる夏希に「うるせー」と悪態をついた。

「……でも、ミサと再会しなかったら俺は間違いなくバスケを始めることはなかった。それだけは事実だ。バスケを知らない人生なんて今は考えられねえし、マジで感謝してんだ。だから……」

 雪之丞は紗綾の頬から手を離し、白い歯を見せた。

「俺ともう一度出会ってくれて、ありがとな」

 心からの感謝を口にすると、紗綾はその大きな瞳から大粒の涙を流した。

 何年も彼女を苦しませてきた、罪の意識。それが許されたことによる安堵からの涙は拭っても拭っても止まることはなく、星空の下で紗綾はひたすらに泣き続けた。
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