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第一場 幽霊通訳熊吉の家の場
第一場 幽霊通訳熊吉の家の場
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第一場 幽霊通訳熊吉の家の場
本舞台 熊吉の家、下手玄関、土間は下駄造りの作業場も兼ねて広め、玄関表には「幽霊通訳始めました」という看板がかかっている。
通行人〇、□、△ 熊吉の家の前に掛けられている看板を見る。
通行人〇「幽霊通訳始めました?なんでえ?幽霊通訳って」
通行人□「なんか『冷やし中華始めました』みてえなノリで書いてあるけど、ここ下駄職人の熊吉んちだよな?商売替えしたのか?」
通行人△「ああ、オレは聞いてるぜ。なんでも熊吉がいうことにゃあ、世の中に幽霊が見えるやつは、そこそこいるが、自分みてえに幽霊と膝突き合わせて話ができるもんは、そうそういねえ。人様には聞こえねえ幽霊の言葉を通訳するってえ仕事だと」
通行人□「イタコや拝み屋とどこが違うんだい」
通行人△「その呼び方だと、文明開化の時代にあわねえって」
通行人〇「幽霊に文明開化もクソもあるか?で、下駄屋は廃業しちまったのか」
家の奥から熊吉の女房現れ、玄関外にパタパタと出て、
女 房「いいえ、廃業なんかしてませんよ!」
幽霊通訳の看板を外して家の中へ持って入る。
通行人、笑いながら退場。
入れ替わり、花道から熊吉が後を振り返りながら追われているかのように登場、玄関を開け急いで中へ入る。
女 房「おかえり、朝帰りたあ、いいご身分だね。ちょいと話があるんだけど」
熊 吉「嫌味も話も後にしてくれ!ああ、人が来たらオレはまだ帰ってこねえっていっとくれ」
熊吉、履物を持って上にあがり、衝立の陰にかくれる。
女 房「どうしたっていうんだい?ええ?」
花道から老婆(お貞)が駆けてくる。熊吉宅の玄関先で中へ向かって、
お 貞「ちょいと!熊吉さんはお帰りかい?」
女 房「これはお貞さん、うちの人は(チラと衝立をみて)まだ帰ってきてなくて…なにかあったのかい?」
お 貞「なにかあったかって?あったから、こうして来てんじゃないか」
女房、興奮しているお貞をなだめ、玄関先に座らせ白湯をもってくる。
白湯を飲み、やや落ち着くお貞。
お 貞「うちのセガレが、三月前に急に死んじまったのは、知ってるだろ?」
女 房「ああ、あの時は本当に…前の日に普通に町を歩いてるのを見かけたとこだったから、報せを聞いてびっくりしたよ」
お貞、すこし目頭を押さえながら
お 貞「本人もまさか自分が死ぬとは思っていなかったんだろうねえ。葬儀が終わったその日のうちから、夜になると、いつも寝ていた部屋の畳の上に、幽霊になったセガレが、しょんぼり座っているんだよ」
女 房「まああ、それは…」
お 貞「あまりに困った顔をしているので、なんぞ心残りな心配ごとでもあるのかい?と声をかけてみたが、涙をうかべてゆっくりかぶりを振るばかりで、なんにも言ってくれやしない。そんな話をね、熊吉さんにしたところ、『幽霊の心配ごとならオレに任せてくれ、ちょうどそういう商売を始めたところだから、今なら開店特値でお安くできるよ』と」
女房、あきれ顔で衝立の後の熊吉を見る。熊吉、肩をすくめる。
お 貞「そういうことならと、熊吉さんにお任せすることにしたのが夕べの話だ。熊吉さんは、部屋に入ってじっとセガレの幽霊を見つめると、『お貞さん、朝までセガレさんの幽霊と二人っきりで話をさせてもらえませんか。それから決して朝までのぞかないでくださいよ』とまあ、なんだいまるでツルの恩返しみたいなことを言うもんだと思ったけど、言われるままに部屋を出た。なにか物音がするのも気になったが、約束だからと、のぞかずにいたのさ。それで、今朝になって顔を出した熊吉さんに、どうだったかと尋ねたところ」
熊吉、衝立からそーっと頭を出して様子を伺う。
お 貞「『セガレさんの幽霊とは話がついた、もう出ることもありますまい。それじゃどうも』と、そそくさと出ていく熊吉さんの懐が」
女房、身を乗り出して聞く。
お 貞「なにやら不自然に、もっこりとふくらんでいるじゃないか」
女房、驚いて熊吉を見る。
熊吉、ちがうちがうとかぶりを振る。
お 貞「家を出るなり熊吉さんが、一目散に駆け出したんで、こりゃなにか盗んだに違いないと、慌てて後を追ったけどアタシの足では追い付かなくて」
女 房「うちの人が!なにかを盗ったと」
熊吉、違うと手をふる。
お 貞「そうだよ、熊吉さんが」
女房、思わず衝立の後ろの熊吉に、
女 房「あんた!」
熊 吉「いや、違うって」
お 貞「熊吉さん!」
女房、衝立をどける。熊吉倒れたはずみに懐に抱えていた紙の束が床に広がる。
熊 吉「アッ!」
お貞がその紙を奪い取るように拾い、女房と一緒にのぞき込む。
女 房「こっ…これは!まさか!」
お 貞「しゅっ…しゅっ春画ア?」
あわてる女二人。紙の束をめくり、
お 貞「ああ…いやらしい」
女 房「いや、恥ずかしい」
お貞、顔を逸らしつつ横目で見る。
女房、手で顔を覆いつつ隙間から見る。
二人で「おお~~~!」と目をむいて画に顔をよせる。
熊吉、二人から画を取り上げ、
熊 吉「ああもう!内緒で処分するはずが、とんだ約束違いになっちまった!」
お 貞「約束とは、セガレとの?」
熊 吉「そうとも!セガレさんの幽霊の言うことにゃあ、こっそり集めて畳の下に隠しておいたこの春画の束を、おっかさんに見つかっちまったらと…考えただけでもう、恥ずかしすぎて死んだ方がマシだと!…(間)まあ、幽霊に死んだ方がマシといわれても、ちょっとわかんねえが」
女 房「それじゃあ、盗んだわけじゃなかったんだね」
熊 吉「当たり前だあ、おめえも余計なことしやがって、セガレさんの幽霊にオレはなんていえばいいんだよう」
女 房「ごめんね、っていっといてくれよ」
熊 吉「軽いんだよ!おめえは」
お 貞「こんなくだらないことで、悩んで化けて出てたとは…本当にもう、セガレときたら…情けないやら可愛いやら」
お貞、笑みをうかべながら涙をぬぐう。
お 貞「熊吉さん、疑って悪かったねえ。そのお詫びと今回のお礼といっちゃあなんだが、どうか、それをそっくりそのまま受け取っておくれよ」
熊 吉「え?え?お礼て?」
熊吉、手元の春画とお貞を交互に見てお貞を引き留めようとするが、
お 貞「なに、遠慮はいらないよ」
熊 吉「いや、ちょっとお礼は…」
お 貞「よかった、よかった」
お貞退場する。
熊 吉「ええ~…」
春画片手に、がっかりする熊吉。
冷たい目で熊吉を見る女房。
女 房「だからアタシは、最初からいったろう?幽霊なんとかなんて儲かるはずがないって」
熊 吉「いや、今回はたまたまだって!」
熊吉、話ながらふと玄関の内に看板が外されて置いてあるのに気づく。
熊 吉「あ!おいコラ、勝手に表の看板外しやがったな!」
女 房「ああ、外したとも!どうせやるならご近所にも恥ずかしくない真っ当な商売にしておくれ!家業の下駄屋がそんなに嫌なら、いっそ履物つながりで築地の靴工場(こうば)へでも働きにでたらどうなんだい?」
熊 吉「冗談じゃねえやい!いいかい?靴ってのはな、牛の皮で作るんだよ?オレみてえなタチのもんがそんなもん仕事にしたら、夜な夜な枕元に哀れな牛の幽霊が出てきて耳もとで、コウ悲しそうに、モウ、モウ…って泣きやがって、ちっとも眠れなくなっちまうだろうよ」
女 房「こないだ旨そうに牛鍋食ってたやつがなにいってんだい」
女房、ぶつぶつと文句を言いながら、さっきお貞に出した白湯の茶碗を片付ける。
熊吉は春画の束を手に取り、情けない風情で見返している。
喜久五郎が花道から入場。
喜久五郎「はて、看板が出ているからわかるはずと聞いてきたが、それらしいものは見当たらないな」
喜久五郎が、きょろきょろしていると、子どもが通りかかる。
喜久五郎「おお、坊や、この辺で幽霊通訳をしている熊吉さんという方のお宅を知っているかい?」
子 供「幽霊なんとかは知らねえが、下駄職人の熊吉さんちなら、そこの家だよ」
熊吉の家を示されて、喜久五郎、玄関の外から声をかける。
喜久五郎「もうし」
熊吉と女房は気づかない
。
喜久五郎「もうし!あのう、熊吉さんのお宅は、こちらでよろしいので?」
女 房「ええ、はい、熊吉宅はこちらですが、(はっと思い出し)あいにくとまだ帰ってきてはおりません」
熊 吉「その件はさっきので終いだよ。へい、御在宅でエございます」
喜久五郎「幽霊通訳?の熊吉さん…で間違いはござんせんか?」
女 房「あいにくそれは、先ほど廃業いたしまして」
熊 吉「いえ!たった今、新装開店いたしました」
熊吉、春画の束を自分の座布団の下に雑に隠して玄関を開ける。
喜久五郎「ああ、よかった。道に迷って、ようやくたどり着いたところで」
熊 吉「そりゃわざわざと、ありがとうございます。それにしても旦那、ずいぶんとまたいいお声で、まるで五代目喜久五郎みてえな…」
熊吉、喜久五郎の顔をよく見て、動きが止まる。
熊 吉「こいつはびっくりした。声ばかりか姿までもがそっくりだ」
女 房「ああ、なにいってんだい、こりゃ正真正銘乙輪屋の…」
喜久五郎、あわてて止めて、周りを見回して中へ入って玄関を閉める。
熊吉、喜久五郎を部屋にあげ、客用の座布団をすすめ座らせると煙草盆を探す。
熊 吉「えー煙草盆はどこだ?」
喜久五郎「どうぞ、お構いなく」
喜久五郎、熊吉の座布団からはみ出た画の束に気づき片手を添えてのぞき込む。
喜久五郎「豊国?」
熊 吉「あーーっ!そいつはいけねえヤツで!」
熊吉、画にまた座布団を深く覆いかぶせ、座布団ごと後へずらしながら女房へ。
熊 吉「ほれ!こいつはそっちだ!な?」
女 房「ああああ、こっちだね」
女房、さらに後に隠す。
熊吉は畳に直に座り笑って誤魔化す。
女房はお茶を持ったまま喜久五郎の顔に見惚れているが、熊吉に促されて我に返ってお茶を置く。
熊 吉「それにしても、乙輪屋の旦那がどうしてオ…あたしに幽霊通訳の相談なぞ…は!もしかして四谷…!」
熊吉、とびあがって腰をぬかし、ブルブル震えながら平伏する。
熊 吉「ああ…どうか!どうか!ソレばかりは!ご勘弁を~~~!いくらなんでも、荷が重すぎますう!」
喜久五郎「いえ違います違います。今日の相談は自宅に出る幽霊の方で」
熊吉、ぴたりと震えが止まる。
喜久五郎「実は拙宅に、毎年、こうして夏になると出る女の幽霊がおりまして。まあ、悪さをするわけじゃあないので、ずっと放っておいたのですが、やはり気味が悪いと嫌がるものもいたため、偉いお坊様にお願いして念仏をあげてもらいましたが、まったく効き目がないのです。お坊様によると、どうもこの幽霊は成仏したくないらしいと。さて、どうしたものかと困りはてていたところ、幽霊と話ができる人がいるという熊吉さんの噂を聞いて、こうしてこちらへ訪ねてきたわけで。なんとか幽霊をして説得してもらえないでしょうか」
熊 吉「はああ、成仏する気がねえ幽霊とは、難儀なことでございますねえ。ですが、旦那、ちょっとお聞きしますが、その幽霊の生前になにか恨みを買ったようなおぼえは、ねえ、で、しょうね?」
熊吉、喜久五郎の顔をじっと睨む。
女 房「ちょっと!」
喜久五郎「いや、それが…」
熊 吉「それが?」
喜久五郎「わたしも若い折りにはあちらこちらで、その…随分と乱暴をいたしまして…、夫婦約束した女も数知れず」
熊 吉「数知れず!」
喜久五郎「あまりにたくさんおぼえがありすぎ、どの娘のことかと、ようよう思い出せず…そのあたりも幽霊に訊いてもらえればと」
熊吉、やってられないなあという風で、ちらと女房の方を振り返る
女房は喜久五郎をみながら、さもありなんとうなづいているのを手ではたく。
熊 吉「へい、わかりました。困った人と幽霊の、間に立って橋渡しするのが、オレの役目だ。どれ!今から早速おうかがいいたしましょう」
熊吉、立ち上がって玄関へ。
喜久五郎「あ、いやそれは」
熊 吉「万事早い方がいい」
喜久五郎「ですが」
熊 吉「江戸が東京に名を変えても、江戸っ子は江戸っ子だ。ぐずぐずするのは性に合わねえ。さ、さ、案内してくださいよ!」
喜久五郎「いや、日が落ちぬ明るいうちは」
女 房「でるもんかいね、幽霊が!」
熊 吉「ああ、幽霊通訳のオレとしたことが、こいつはうっかりにもほどがある」
(第一場 幕)
本舞台 熊吉の家、下手玄関、土間は下駄造りの作業場も兼ねて広め、玄関表には「幽霊通訳始めました」という看板がかかっている。
通行人〇、□、△ 熊吉の家の前に掛けられている看板を見る。
通行人〇「幽霊通訳始めました?なんでえ?幽霊通訳って」
通行人□「なんか『冷やし中華始めました』みてえなノリで書いてあるけど、ここ下駄職人の熊吉んちだよな?商売替えしたのか?」
通行人△「ああ、オレは聞いてるぜ。なんでも熊吉がいうことにゃあ、世の中に幽霊が見えるやつは、そこそこいるが、自分みてえに幽霊と膝突き合わせて話ができるもんは、そうそういねえ。人様には聞こえねえ幽霊の言葉を通訳するってえ仕事だと」
通行人□「イタコや拝み屋とどこが違うんだい」
通行人△「その呼び方だと、文明開化の時代にあわねえって」
通行人〇「幽霊に文明開化もクソもあるか?で、下駄屋は廃業しちまったのか」
家の奥から熊吉の女房現れ、玄関外にパタパタと出て、
女 房「いいえ、廃業なんかしてませんよ!」
幽霊通訳の看板を外して家の中へ持って入る。
通行人、笑いながら退場。
入れ替わり、花道から熊吉が後を振り返りながら追われているかのように登場、玄関を開け急いで中へ入る。
女 房「おかえり、朝帰りたあ、いいご身分だね。ちょいと話があるんだけど」
熊 吉「嫌味も話も後にしてくれ!ああ、人が来たらオレはまだ帰ってこねえっていっとくれ」
熊吉、履物を持って上にあがり、衝立の陰にかくれる。
女 房「どうしたっていうんだい?ええ?」
花道から老婆(お貞)が駆けてくる。熊吉宅の玄関先で中へ向かって、
お 貞「ちょいと!熊吉さんはお帰りかい?」
女 房「これはお貞さん、うちの人は(チラと衝立をみて)まだ帰ってきてなくて…なにかあったのかい?」
お 貞「なにかあったかって?あったから、こうして来てんじゃないか」
女房、興奮しているお貞をなだめ、玄関先に座らせ白湯をもってくる。
白湯を飲み、やや落ち着くお貞。
お 貞「うちのセガレが、三月前に急に死んじまったのは、知ってるだろ?」
女 房「ああ、あの時は本当に…前の日に普通に町を歩いてるのを見かけたとこだったから、報せを聞いてびっくりしたよ」
お貞、すこし目頭を押さえながら
お 貞「本人もまさか自分が死ぬとは思っていなかったんだろうねえ。葬儀が終わったその日のうちから、夜になると、いつも寝ていた部屋の畳の上に、幽霊になったセガレが、しょんぼり座っているんだよ」
女 房「まああ、それは…」
お 貞「あまりに困った顔をしているので、なんぞ心残りな心配ごとでもあるのかい?と声をかけてみたが、涙をうかべてゆっくりかぶりを振るばかりで、なんにも言ってくれやしない。そんな話をね、熊吉さんにしたところ、『幽霊の心配ごとならオレに任せてくれ、ちょうどそういう商売を始めたところだから、今なら開店特値でお安くできるよ』と」
女房、あきれ顔で衝立の後の熊吉を見る。熊吉、肩をすくめる。
お 貞「そういうことならと、熊吉さんにお任せすることにしたのが夕べの話だ。熊吉さんは、部屋に入ってじっとセガレの幽霊を見つめると、『お貞さん、朝までセガレさんの幽霊と二人っきりで話をさせてもらえませんか。それから決して朝までのぞかないでくださいよ』とまあ、なんだいまるでツルの恩返しみたいなことを言うもんだと思ったけど、言われるままに部屋を出た。なにか物音がするのも気になったが、約束だからと、のぞかずにいたのさ。それで、今朝になって顔を出した熊吉さんに、どうだったかと尋ねたところ」
熊吉、衝立からそーっと頭を出して様子を伺う。
お 貞「『セガレさんの幽霊とは話がついた、もう出ることもありますまい。それじゃどうも』と、そそくさと出ていく熊吉さんの懐が」
女房、身を乗り出して聞く。
お 貞「なにやら不自然に、もっこりとふくらんでいるじゃないか」
女房、驚いて熊吉を見る。
熊吉、ちがうちがうとかぶりを振る。
お 貞「家を出るなり熊吉さんが、一目散に駆け出したんで、こりゃなにか盗んだに違いないと、慌てて後を追ったけどアタシの足では追い付かなくて」
女 房「うちの人が!なにかを盗ったと」
熊吉、違うと手をふる。
お 貞「そうだよ、熊吉さんが」
女房、思わず衝立の後ろの熊吉に、
女 房「あんた!」
熊 吉「いや、違うって」
お 貞「熊吉さん!」
女房、衝立をどける。熊吉倒れたはずみに懐に抱えていた紙の束が床に広がる。
熊 吉「アッ!」
お貞がその紙を奪い取るように拾い、女房と一緒にのぞき込む。
女 房「こっ…これは!まさか!」
お 貞「しゅっ…しゅっ春画ア?」
あわてる女二人。紙の束をめくり、
お 貞「ああ…いやらしい」
女 房「いや、恥ずかしい」
お貞、顔を逸らしつつ横目で見る。
女房、手で顔を覆いつつ隙間から見る。
二人で「おお~~~!」と目をむいて画に顔をよせる。
熊吉、二人から画を取り上げ、
熊 吉「ああもう!内緒で処分するはずが、とんだ約束違いになっちまった!」
お 貞「約束とは、セガレとの?」
熊 吉「そうとも!セガレさんの幽霊の言うことにゃあ、こっそり集めて畳の下に隠しておいたこの春画の束を、おっかさんに見つかっちまったらと…考えただけでもう、恥ずかしすぎて死んだ方がマシだと!…(間)まあ、幽霊に死んだ方がマシといわれても、ちょっとわかんねえが」
女 房「それじゃあ、盗んだわけじゃなかったんだね」
熊 吉「当たり前だあ、おめえも余計なことしやがって、セガレさんの幽霊にオレはなんていえばいいんだよう」
女 房「ごめんね、っていっといてくれよ」
熊 吉「軽いんだよ!おめえは」
お 貞「こんなくだらないことで、悩んで化けて出てたとは…本当にもう、セガレときたら…情けないやら可愛いやら」
お貞、笑みをうかべながら涙をぬぐう。
お 貞「熊吉さん、疑って悪かったねえ。そのお詫びと今回のお礼といっちゃあなんだが、どうか、それをそっくりそのまま受け取っておくれよ」
熊 吉「え?え?お礼て?」
熊吉、手元の春画とお貞を交互に見てお貞を引き留めようとするが、
お 貞「なに、遠慮はいらないよ」
熊 吉「いや、ちょっとお礼は…」
お 貞「よかった、よかった」
お貞退場する。
熊 吉「ええ~…」
春画片手に、がっかりする熊吉。
冷たい目で熊吉を見る女房。
女 房「だからアタシは、最初からいったろう?幽霊なんとかなんて儲かるはずがないって」
熊 吉「いや、今回はたまたまだって!」
熊吉、話ながらふと玄関の内に看板が外されて置いてあるのに気づく。
熊 吉「あ!おいコラ、勝手に表の看板外しやがったな!」
女 房「ああ、外したとも!どうせやるならご近所にも恥ずかしくない真っ当な商売にしておくれ!家業の下駄屋がそんなに嫌なら、いっそ履物つながりで築地の靴工場(こうば)へでも働きにでたらどうなんだい?」
熊 吉「冗談じゃねえやい!いいかい?靴ってのはな、牛の皮で作るんだよ?オレみてえなタチのもんがそんなもん仕事にしたら、夜な夜な枕元に哀れな牛の幽霊が出てきて耳もとで、コウ悲しそうに、モウ、モウ…って泣きやがって、ちっとも眠れなくなっちまうだろうよ」
女 房「こないだ旨そうに牛鍋食ってたやつがなにいってんだい」
女房、ぶつぶつと文句を言いながら、さっきお貞に出した白湯の茶碗を片付ける。
熊吉は春画の束を手に取り、情けない風情で見返している。
喜久五郎が花道から入場。
喜久五郎「はて、看板が出ているからわかるはずと聞いてきたが、それらしいものは見当たらないな」
喜久五郎が、きょろきょろしていると、子どもが通りかかる。
喜久五郎「おお、坊や、この辺で幽霊通訳をしている熊吉さんという方のお宅を知っているかい?」
子 供「幽霊なんとかは知らねえが、下駄職人の熊吉さんちなら、そこの家だよ」
熊吉の家を示されて、喜久五郎、玄関の外から声をかける。
喜久五郎「もうし」
熊吉と女房は気づかない
。
喜久五郎「もうし!あのう、熊吉さんのお宅は、こちらでよろしいので?」
女 房「ええ、はい、熊吉宅はこちらですが、(はっと思い出し)あいにくとまだ帰ってきてはおりません」
熊 吉「その件はさっきので終いだよ。へい、御在宅でエございます」
喜久五郎「幽霊通訳?の熊吉さん…で間違いはござんせんか?」
女 房「あいにくそれは、先ほど廃業いたしまして」
熊 吉「いえ!たった今、新装開店いたしました」
熊吉、春画の束を自分の座布団の下に雑に隠して玄関を開ける。
喜久五郎「ああ、よかった。道に迷って、ようやくたどり着いたところで」
熊 吉「そりゃわざわざと、ありがとうございます。それにしても旦那、ずいぶんとまたいいお声で、まるで五代目喜久五郎みてえな…」
熊吉、喜久五郎の顔をよく見て、動きが止まる。
熊 吉「こいつはびっくりした。声ばかりか姿までもがそっくりだ」
女 房「ああ、なにいってんだい、こりゃ正真正銘乙輪屋の…」
喜久五郎、あわてて止めて、周りを見回して中へ入って玄関を閉める。
熊吉、喜久五郎を部屋にあげ、客用の座布団をすすめ座らせると煙草盆を探す。
熊 吉「えー煙草盆はどこだ?」
喜久五郎「どうぞ、お構いなく」
喜久五郎、熊吉の座布団からはみ出た画の束に気づき片手を添えてのぞき込む。
喜久五郎「豊国?」
熊 吉「あーーっ!そいつはいけねえヤツで!」
熊吉、画にまた座布団を深く覆いかぶせ、座布団ごと後へずらしながら女房へ。
熊 吉「ほれ!こいつはそっちだ!な?」
女 房「ああああ、こっちだね」
女房、さらに後に隠す。
熊吉は畳に直に座り笑って誤魔化す。
女房はお茶を持ったまま喜久五郎の顔に見惚れているが、熊吉に促されて我に返ってお茶を置く。
熊 吉「それにしても、乙輪屋の旦那がどうしてオ…あたしに幽霊通訳の相談なぞ…は!もしかして四谷…!」
熊吉、とびあがって腰をぬかし、ブルブル震えながら平伏する。
熊 吉「ああ…どうか!どうか!ソレばかりは!ご勘弁を~~~!いくらなんでも、荷が重すぎますう!」
喜久五郎「いえ違います違います。今日の相談は自宅に出る幽霊の方で」
熊吉、ぴたりと震えが止まる。
喜久五郎「実は拙宅に、毎年、こうして夏になると出る女の幽霊がおりまして。まあ、悪さをするわけじゃあないので、ずっと放っておいたのですが、やはり気味が悪いと嫌がるものもいたため、偉いお坊様にお願いして念仏をあげてもらいましたが、まったく効き目がないのです。お坊様によると、どうもこの幽霊は成仏したくないらしいと。さて、どうしたものかと困りはてていたところ、幽霊と話ができる人がいるという熊吉さんの噂を聞いて、こうしてこちらへ訪ねてきたわけで。なんとか幽霊をして説得してもらえないでしょうか」
熊 吉「はああ、成仏する気がねえ幽霊とは、難儀なことでございますねえ。ですが、旦那、ちょっとお聞きしますが、その幽霊の生前になにか恨みを買ったようなおぼえは、ねえ、で、しょうね?」
熊吉、喜久五郎の顔をじっと睨む。
女 房「ちょっと!」
喜久五郎「いや、それが…」
熊 吉「それが?」
喜久五郎「わたしも若い折りにはあちらこちらで、その…随分と乱暴をいたしまして…、夫婦約束した女も数知れず」
熊 吉「数知れず!」
喜久五郎「あまりにたくさんおぼえがありすぎ、どの娘のことかと、ようよう思い出せず…そのあたりも幽霊に訊いてもらえればと」
熊吉、やってられないなあという風で、ちらと女房の方を振り返る
女房は喜久五郎をみながら、さもありなんとうなづいているのを手ではたく。
熊 吉「へい、わかりました。困った人と幽霊の、間に立って橋渡しするのが、オレの役目だ。どれ!今から早速おうかがいいたしましょう」
熊吉、立ち上がって玄関へ。
喜久五郎「あ、いやそれは」
熊 吉「万事早い方がいい」
喜久五郎「ですが」
熊 吉「江戸が東京に名を変えても、江戸っ子は江戸っ子だ。ぐずぐずするのは性に合わねえ。さ、さ、案内してくださいよ!」
喜久五郎「いや、日が落ちぬ明るいうちは」
女 房「でるもんかいね、幽霊が!」
熊 吉「ああ、幽霊通訳のオレとしたことが、こいつはうっかりにもほどがある」
(第一場 幕)
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真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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