【短編小説】彼の死と唐突な発言

遠藤良二

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【彼の死と唐突な発言】

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 ここは北海道のとある町。今は極寒の真冬でこの辺の地域の最高気温は零下。
 今日は父の月命日で一月二十日。午前十一時にお坊さんが拝みに来てくれる予定。なので、今日の仕事は午後から行く。仕事は介護士で、今年で勤務して三年目になる。介護福祉士の受験資格を与えられる年数だ。勿論、受験しようと思っている。勤務している先は認知症老人が暮らすグループホーム。一ユニットに九名住んでいる。それが二ユニットあるので計十八名住んでいる。認知症老人なので、要介護度が一~五まである。要介護度が五くらいになれば、スタッフの事はほぼ覚えていないので、毎回会う度「初めまして」だ。そういうのも面白い。可愛いし。俺は岩見正孝いわみまさたか、三十五歳。バツ二。子どもは十歳になる女の子が一人いて、二人目の先妻と暮らしている。娘は岩見牧子いわみまきこという。軽い知的障がいがある。なので、小学校は特殊学級で勉強している。誰に似たのか凄く頑張り屋さんだ。一人目の先妻とはたまに会って食事をしたり、ホテルに行ったりしている。彼女とは体の相性が良い。だが、浮気をされて離婚した。一人目の先妻は、「浮気相手とは別れるから離婚しないで!」と懇願されたが、裏切り者は嫌いなので別れた。でも、今では友達として交流がある。二人目の元妻は、岩見優子いわみゆうこと言い、四十歳。娘の為に苗字は「岩見」のままだ。優子とは娘の牧子と会う為、毎月彼女のアパートに行っている。優子と別れた原因は彼女の浮気。俺は何故か浮気をされる。そんなに魅力がないのか。子どももいるというのに。優子の家庭は生活保護世帯。午前中だけ食堂の皿洗いの仕事に行っている。牧子は午前中で帰って来るので敢えて短時間勤務にしている。
 父のお参りまであと一時間くらいある。準備するか。お布施を包んで仏壇の台の上に置いた。馬鹿かと思うかもしれないが、父の死因は極寒の夜中に外で眠ってしまい凍死した。友人と呑みに行って、その帰りだった。だから、知り合いに死因を訊かれても本当の事は言わず、心筋梗塞と答えている。とてもじゃないが酔っぱらって外で凍死しただなんて恥ずかしくて言えない。それも先月の話し。
 あの時は驚いた。家の電話に連絡がかかってきたからこんな時間に誰だろうと思い、出てみると町内会の会長さんが夜、散歩途中に父を見付けた。会長さんもさぞかし驚いた様子。救急車を呼んで僕の家に電話をかけようとしたけれど電話番号が分からないとのことで、会長さんが救急車に乗り、病院まで行ってくれた。迷惑を掛けてしまった。父の事は昔から嫌いだったので、ショックは受けていない。嫌いな理由は酒ばかり呑んで二日酔いで仕事を休んでいたりしたから。俺は今、母と弟と俺の三人暮らし。母は花屋さんに務めていて、弟は土木作業員。皆、午後から出勤予定。
 母は仏間の掃除機掛けをして、弟は仏壇を拭いている。俺は灰を網に通してサラサラにしている。
 時刻は十時五十分。もうすぐ来るだろう。お坊さんが。そして、五分後に家のチャイムが鳴った。母が玄関に行き、応対する。お坊さんが来て仏間に行った。
 十五分くらいお経をあげてもらって母は、
「休んでいきませんか」
 と声を掛けた。
「あ、では少しだけお邪魔します」
 お坊さんは黒色の法衣に金色の袈裟をかけている。坊主頭で黒縁の眼鏡をかけており、ふっくらした体型だ。
 母は台所に行き、お茶を淹れている。
「寒いですね」
 お坊さんが言うと母は、
「そうですねえ、雪かきもしないといけないし、冬は嫌ですね。それに道路も滑るから車も運転しづらいし」
 と言った。
 俺は話しに参加している。でも、弟は出かけて行った。一緒にいるのが嫌なのかもしれない。内向的な性格なので人と上手くコミュニケーションをはかれないようだ。彼女も居ないみたいだし。友達は男性の幼馴染が一人いるくらい。弟は何でそんなに暗い性格なのか理解出来ない。何か障がいがあるわけでもないのに。独りを好むようだ。仕事だって、高校を卒業してから今まで辞めずにきているし。そこは凄いと思う。俺は何ヶ所か転職している。もっと明るい性格なら俺も人の事は言えないが結婚していただろう。年齢だって弟は三十にもなる訳だし。女に興味ないのかな。訊いた事は無いけれど。
 十五分くらい、お坊さんは母と喋って帰った。
達彦たつひこ、何処に行ったのかな」
 岩見達彦というのは俺の弟のこと。
 俺が母に話しかけた。すると母はこう言った。
「どこだろうねえ、わからないわ。こんなこと言いたくないけどちょっと変わってるから」
「何か障がいがある訳でもないのに。そういうのは無いんだろ?」
 俺は母に訊いた。
「小さい頃、学校の保健の先生に、もしかしたら自閉症かもしれないので一度病院で検査してもらって、と言われたけど病院には行ってない」
「何で行かなかった?」
「本当の事を知るのが怖かったからよ」
 それを聞いて俺はこう言った。
「現実から逃げたかったのか」
 母は苛っとした様子で、
「そういう言い方無いじゃない! 親として子どもに障がいが有るなんて認めたくないの!」と強い口調で言ってきた。
「そういうもんか」
「そういうものよ! あんたもいずれ親になったら分かるよ!」
 俺は黙って聞いていた。親か。俺は親になれるのかな。好きな女は居るが果たしてあの子とどういう関係になれるのか全く分からない。俺としては交際したい。食事にでも誘ってみようかな。彼女の名前は矢島やじまみゆきという。みゆきも同様に独身だ。でも、彼氏がいるかどうかは分からない。会いたいけれど断られるのが怖くて誘っていない。これなら母と同じ事かもしれない。現実から逃げる、という意味では。
 俺達が住んでいる家は二階建て。ローンはあと少しで払い終わるようだ。保証人は母だ。だから、支払い義務は母だけど生活に困窮している家庭だから弟にも協力を得て母に援助している。勿論、食事代は俺も弟も母に渡している。母だけの収入じゃやり繰り出来ないから。
 それにしても母は可哀想だ。父にあんな死に方されて、呆気に取られていた。
母は俺が父の事が好きじゃないということは知っているはず。だから、俺が父の死を知った時も不思議な顔はしなかった。でも、弟の達彦は号泣していた。きっと父の事が大好きだったのだろう。俺からしてみれば、父のどこを好きになれるのか分からなかった。以前、母に言われた事がある。それは何かと言うと、
「もっとお父さんに優しくしてやりなさい」
 というもの。俺は断固として断った。何であんな奴に優しく接しなければならないのか。
 勇気を出して、みゆきにメールをしてみよう。もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。受け入れてくれるというのは、交際してくれるという意味ではなく、食事の誘いに乗ってくれるということ。俺はスマートフォンを手に取りメールを打ち送信した。
〈こんにちは! 久しぶり。何してたの?〉
 メールが来たのは夜九時頃だった。俺はすぐにメールを開いた。
〈こんばんは。久しぶりねえ。元気だった? あたしは友達と会って、今、帰って来たところだよ〉
 みゆきとは高校生の頃、お互いバスケ部でそこで知り合った。彼女の身長は百七十センチくらい。俺は百八十センチくらいだ。バスケ部にいたくらいのことはある。早速、メールを送った。
〈元気だよ。今度、ご飯食べに行かないか?〉
〈それなら良かった。ご飯ね。ごめん、あたし、好きな人がいて見られたら困るから行けない。ほんとごめんね〉
〈そうだったのか、それは残念。じゃあ、カラオケならどうだ? 部屋に入るから見られないだろ〉
メールのやり取りはテンポが良かった。
〈そうね、カラオケなら良いよ〉
 みゆきに好きな男がいるとは……正直ショックだった。それでもカラオケには行ってくれるからまだ、諦めない。
〈ありがとな。因みにいくつの男性?〉
〈え? 何で?〉
〈いや、ちょっと気になったから〉
〈そうなんだ。四十歳よ〉
 何だ、年上か。しかも初老だし。そんな奴より若い俺の方が良いと思う。でも本人が好きだと言っているからそうなのだろう。悔しい! 俺の彼女にしたかったのに! でも、告白してまだフラれた訳じゃない。焦らず時間をかければ俺の方に振り向くかもしれない。
 俺は思った。みゆきが言っていた友達って、好きな男のことじゃないのか。訊いていないから分らないけどその可能性はある。俺はその事を訊いてみようと思い、メールを打った。
〈気になったからメールしたんだけど、友達ってもしかして好きな男のことか?〉
 暫く時間は経過し、数時間後にメールが来た。既に夜中だ。
〈まあ、そんなとこ〉
 やっぱりか……。抱かれたのだろうか。これは訊けないが。気にはなるけれど。
〈何でそんなに気になるの?〉
 今、俺の気持ちを言っても交際には結び付かないだろう、だから、
〈まあ、あれだよ。あれ〉
〈何よ、あれって〉
 電話の向こうでみゆきは笑っているだろう。まあ、いいけれど。
〈その内話すよ〉
〈そっか。実はね、あたしも聞いて欲しい事があるの〉
〈なんだ?〉
〈メールじゃ長いから電話でもいい?〉
〈ああ、良いよ〉
 彼女からすぐに着信があった。
「もしもし」
『もしもし、あのね……。あたしの好きな人、肝臓ガンなの……』
「まじか」
『うん、マジだよ。余命三ヶ月だって』
「そうなのか」
 みゆきが電話越しに洟をすすっているのが分かる。
『あたし……ショックで……』
 とうとう泣いてしまった。
「肝臓ガンって、その人は酒好きなのか」
『うん、めっちゃ好き。でも、お医者さんに余命宣告されて自暴自棄になっちゃって、この前なんか昼間っからビールや日本酒を浴びるように飲んでて、やめてって言っても、どうせ死ぬんだからいいんだ、お前には関係ないって言われてそう言われた事もあたしとしてはショックで。止めても無駄なの。あたしって、無力だなって思ってさ……』
「今から来いよ、俺のアパートに」
『うん、こんな時ばっかり正孝を利用しているみたいでごめんね……』
「そんなことないよ。利用されてるなんて思ってないよ」
『ありがと、優しいのね、正孝は。じゃあ、今から行くね』
「気を付けて来いよ」
『うん』
 俺は思った。みゆきは彼の傍に居なくていいのかと。でも、俺の部屋に来てくれるのは嬉しいから余計な事は言わないでおこう。
 一時間くらいして俺の部屋のチャイムが鳴った。俺は急いで玄関に向かった。「はい」
 と言うと、
「あたし、みゆき」
 そう聞えたのでドアを開けてやった。号泣したせいか彼女の顔は赤く腫れていた。
「上がれよ」
「うん」
 俺はみゆきから話し出すのを待った。
「来ちゃった」
「良いだろ、来たって」
 彼女はブーツを脱ぎ玄関から上がった。そして抱き着いてきた。俺は黙ってみゆきの頭を撫でた。
「うう……っ」
 と、みゆきは唸るようにまた泣き出した。
「泣きたいだけ泣け」
 俺はそう言ったが、返事もせず彼女はひたすら泣いていた。その男の死が目前なのが余計悲しいのだろう。今はそうっとしておこう。いずれ、ほとぼりもさめる。時間が解決してくれるはずだ。
 暫くして、みゆきは喋り出した。
「あたし、好きになる相手間違えたかも」
「え? そうなのか」
 みゆきは黙っていたが、暫くして喋り出した。
「病気だから仕方ないけれど、その原因となったのは毎晩の大量の飲酒だと思う。酔っぱらったら暴力を振るう時があって、下手な事言えないのよ」
 初耳だ。そんな男のどこがいいのだろう。俺は言った。
「そのままでいいのか」
「あーあ……。好きになる相手が正孝みたいに優しい男だったら良かったのになぁ」
 今がチャンス!
「実はな、俺、みゆきの事……好きなんだ。だから……だから、俺と付き合わないか?」
「え! マジで?」
「大マジだよ」
 彼女は困っているように見えた。そして、こう言った。
「急に言われても……気持ちの整理が出来てないよ。少し考えさせて?」
「ああ、勿論だよ。焦ってないから。だから、じっくり考えてくれ」
「ありがと、沢山泣いたからスッキリした」
「なら、良かった。その男は余命三ヶ月なのに入院してないのか?」
「それがさ……言ったと思うけど自暴自棄になってて、お医者さんの話しも聞かずに毎晩お酒呑んでるよ。どうせ、死ぬんだからって」
「あー……そうなのか。でも、年だって四十歳で人生これからなのに余命宣告されたら夢も希望もなくてそうなるかもな。分からなくは無い」
 そう言うとみゆきの表情は見る間に悲し気なものになった。
「……正孝もそう思う?」
「思うよ」
 彼女は懸命に泣くのを堪えているように見えた。
「だから、我慢すんなって。泣きたかったら泣け!」
 俺は強い口調で言った。すると、みゆきは泣きながら喋った。
「めんどくさい女だって思わないでね……」
「馬鹿だなぁ……思う訳無いだろ、そんな事」
 みゆきは笑っているのか、泣いているのか分からなかった。こういう所も可愛いんだよなぁ。だから、俺はどんなみゆきでも好きなんだ。自信を持って言える。
 今日は俺の娘と会う約束をしている日だ。何時に待ち合わせするかまだ、優子と話していない。今日は夜勤なので十六時には出勤する。十六時三十分には勤務開始だ。俺は優子にメールをした。
〈オッス! 今日、牧子と会える日だ。それと夜勤だから午前中から会わないか? ランチを食べよう。〉
 メールはなかなか来ない。小学校の特殊学級の担任の先生と電話で話しをしているのだろうか。確か、先月から予定は組んであるはずだ。
 朝九時になってようやくメールが来た。すぐに本文を見てみた。
〈今日、中止にしない? 私は生理でお腹痛いし、牧子は風邪気味だし。悪いけど〉
 何だ! 楽しみにしていたのに。でも、牧子は風邪気味か。
〈牧子、熱は無いのか?〉
 また、少ししてからメールが来た。優子はお腹が痛いせいか、返信が遅い。仕方ないなぁ。
〈熱は少しあるから、学校も休ませるよ〉
〈大丈夫か? 何か必要な物があったら買っていくぞ〉
〈大丈夫。そこまで貴方に甘えられない〉
 水臭いなぁと思いつつ、わかったよ、と送った。
 待ちに待った日なのに牧子と会えないなんて……。凄く残念だ。仕方ない、仕事に行く用意をする時間まで寝ていよう。
 俺は夢をみた。どんな夢かと言うと、みゆきと彼が交際するというもの。肝臓ガンも治り幸せに過ごしているという夢。そこで俺は目覚めた。嫌な夢だ。みゆきは俺と付き合うんだ、と勝手な想像をしてみる。現実は彼の病気は治っていなくて余命も三ヶ月だろう。僕は密かに彼の死を望んでいる。

 ガンは若い人の方が進行が速いという話しを聞いた事がある。その通りなのか、みゆきの好きな男は二ヶ月半で他界した。葬儀は近親者のみで行われたらしい。覚悟を決めていたからか、その事を電話で聞いた時は泣いていなかった。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
 でも、声は明らかに沈んでいた。それは、やむを得ないだろう。可哀想だが仕方ない。
「俺の部屋にくるか? 独りじゃ寂しいだろ?」
『うん……行く……。用意するね』
「ああ、気を付けて来いよ」
『うん、ありがと』
 二時間くらい経過してからみゆきは来た。いつもなら一時間くらいしたら来るのに時間がかかっているということは、相当な精神的ダメージを受けたのだろう。部屋のチャイムが鳴った。俺は玄関に向かい「はい」と言い、ドアを開けた。
「お、来たか。上がれよ」
みゆきは頷いて黒いブーツを脱ぎ、上がった。先に歩いて居間に行こうとした僕に後ろからみゆきが抱き着いてきた。
「抱いて!」
 大きな声で言われた。
「どうしたんだよ、急に」
「いいから抱いて」
「わかったよ、寝室に行って服脱げ」
 みゆきは言われた通りにした。だが、今は冬だから寒い。なので、ストーブをたいてやった。俺も服を脱ぎ全裸になり、彼女にキスをした。
 約一時間後、行為を終えた。
「ありがとう。気持ち良かった」
「セックスしたかったのか?」
「というより、誰かと繋がりたかった」
「そうなのか」
「夕ご飯食べた?」
「いや、まだだよ」
「じゃあ、作ってあげる」
 そう言うとみゆきは冷蔵庫を開けた。
「あら、何にも無いじゃない」
「ああ、殆ど弁当買ってるからな。作るの面倒で。疲れて帰って来るからさ」
「じゃあ、買いに行こ?」
「ていうか、みゆき、元気だな。もっと元気ないかもと思ったけど」
「元気ないよ。空元気よ」
「だよなー。でも、偉いよ、みゆきは」
「偉い?」
「うん。落ち込んだ所みせないんだから。やっぱ、女は強いよ」
 みゆきはかぶりを振った。
「そんなことない、我慢してるだけよ」
「そうなのか、てっきり、もう大丈夫かと思ったよ」
「そんなわけないじゃない。好きな人に死なれて」
「そうだよな」
 俺はエンジンスタータ―で家の中から車のエンジンをかけた。
「今日、めっちゃ寒いな」
「そうだね」
「十分くらい経ったら行くから」
「わかった」
 みゆき、俺の方に振り向かないかな。亡くなった彼のことがまだ好きなのかな。訊いてみたいけどもし、まだ好きだよ、と言われたらいつまで待てばいいのかわからない。俺の事を嫌ってはいないと思う。ただ、俺に恋愛感情がないのだろう。俺に恋愛感情を抱いてくれるのは一体いつになるのかな。もっと、俺という人間をアピールするべきなのか。俺はみゆきの事がこんなに好きなのに。気持ちが伝わらないのはとても辛い。彼女は俺の気持ちは知っている。考えさせて、と言っていた。
「十分経ったな。行くか」
「うん」
 さっきまで降ってなかったのに、雪が降って来た。積もらない事を祈る。子どもの頃は雪が降ると嬉しいし楽しかったのに、大人になった今は車を運転する際にいらないものだ。滑って事故る可能性もあるし。単独事故ならまだしも、相手を巻き込んでの事故は厄介だ。俺は以前、圧雪アイスバーンで滑ってしまい電柱に激突して倒してしまった事がある。その時は三十万くらいかかった。それ以来、電柱の傍を走る時はスピードを落としている。
 十分くらい走ってスーパーマーケットに着いた。
「何が食べたいの?」 
 みゆきは訊いてきた。
「そうだな、すき焼きがいいな」
「わかった。じゃあ、あたしが具材選んでもいい?」
「うん、それは任せるよ」
 こうやって二人でカートにかごを載せて買い物をしていると恋人同士か、夫婦みたいだ。何だか嬉しい。それを照れ臭いけれど、みゆきに伝えた。すると、
彼女は笑いながら、
「そうね」
 と言った。これはチャンスかも、そして思いの丈を伝えた。
「俺の恋人になってくれよ」
 みゆきは苦笑いを浮かべながらこう言った。
「考えさせてって言ったじゃない。あんまり何度も言わないで。忘れてないから。まあ、それだけあたしの事が好きだと言う気持ちは分かるけど」
「ごめん、しつこかったな」
「いや、良いけどさ」
 みゆきはかごに具材を入れていった。牛肩ロース・春菊・椎茸・長ネギ・焼き豆腐・しらたき・料理酒・みりん・醤油・ざらめ・牛脂・卵。
「具だくさんだな。旨そう!」
「美味しいよ。あたしの母がこの具材を入れてるから真似したんだけどね」
 彼女は笑っている。母親思いだな、と感じた。それだけ優しいという事だろう。
「会計は俺に任せろ」
「いやいや、正孝だけに払わせる訳にいかないわよ。あたしも食べるんだから」
「そうか? まあ、その方がみゆきも食べ易いよな」
 俺は声を出して笑った。
「そういうお金の話しは控えよう?」
「そうだな、嫌らしいよな」
 みゆきは黙っていた。嫌な思いをさせてしまったかな、そう伝えると、
「少しね、大丈夫だけどさ」
「そうか、すまん」
 彼女は笑みを浮かべながら、「謝らなくていいよ」と言った。
 部屋に戻って来て俺は、
「腹減ったからすぐに作って欲しいな」
 と言うと、
「うん、そのつもりだよ。包丁あるよね?」
 俺はあまり料理をしないのであるかどうか曖昧だ。なので、シンクの下の戸を開けて確認してみると無かった。
「包丁ないね、また買いに行くのかぁ、面倒だなぁ」
「すまんな、殆ど料理しないから買ってなかった」
「まあ、しないなら仕方ないね。もう一回行こう」
 そう言ってもう一度部屋を出た。今度はホームセンターに向かった。そこで普通の包丁と刺身包丁を買った。今回は俺が払った。
「あ! カセットコンロも無い。それとすき焼き用の鍋もない。無いものだらけだ。それも買おう! この際だから料理する為の道具を揃えようかなあ」
 あと皿も無い。コンビニ弁当ばかり食べている俺は駄目だな。まあ、とりあえずは今夜使う分だけ買おう。
 俺の部屋に着いて荷物を降ろし、部屋の中に入れた。みゆきは、
「まず、買ったものをしまうから、洗わないと」
 俺はタグを外してみゆきに渡した。彼女が台所で洗ってくれている。流石に食器を洗うスポンジと食器用洗剤はある。次々に洗っていき、俺が拭いていく。みゆきは手際がいい。自炊しているだけのことはある。俺は皿を拭いていて手を滑らせ床に落としてしまい割ってしまった。
「あ! やっちまった!」
 みゆきは呆れた顔付きになり、
「何やってるのよ……全く。ほうきと塵取りどこにあるの?」
「無いよ、そんなもん」
「え? じゃあ、掃除機は?」
「それならあるよ」
 彼女は大きな破片だけ集めて、さっき買い物で使った買い物袋に入れた。その時だ。
「痛っ!」
「どうした?」
「破片で指切っちゃった」
 見てみると、出血していた。
「今、絆創膏ばんそうこう持って来るから待ってろ」
「うん」
 みゆきは患部を水で洗い流していた。俺はすぐに絆創膏を貼ってやった。
「痛いだろ、すまん。俺が皿割ったばかりに」
「大丈夫よ、ありがとね」
 みゆきは笑みを浮かべていた。続けて、
「優しいところもあるのね」
 と言うと、
「そりゃあ怪我してるのにほっとけないだろ」
 みゆきは穏やかな表情を浮かべている。
「続き出来そうか? 一応、水に濡れても剥がれにくい絆創膏なんだけど」
「あ、それなら出来るよ」
「わかった」
 全てみゆきは洗い終えて、俺は慎重に皿を拭き上げた。
「皿をしまう茶箪笥が無いんだわ」
「今度は家具が無いんだ。仕方ないからシンクの上に置いておこう。今度、買いに行こうね」
「そうだな」
 俺はスマートフォンをジーンズのポケットから取り出し時間を確認した。二十一時を過ぎていた。
「じゃあ、今から具材とか切るから待ってて」
「うん」
 四十五分くらい経過しただろうか。ぐつぐつとお湯が沸いている音が心地いい。
「ご飯炊いてあるの?」
「いやあ、炊いてないよ」
「まじで? じゃあ、今から炊くよ。お米はあるんでしょ?」
「あるよ。古いかもしれないけれど」
「そんなに時間経ってるの?」
「多分だけど、半年くらいかな」
「それくらいなら大丈夫じゃないかな。新しくはないけど」
 そう言って彼女は米を研ぎ始めた。
「食べてていいよ、すぐ終わるから」
「いやあ、待ってるよ。みゆきにばかりさせてるからな」
 俺は一旦ガスを止めた。そして彼女が来るのを待った。ピッという炊飯の音と共にみゆきは戻って来た。
「お待たせ―」
 俺は再度ガスに火を点けた。お湯が沸騰してきたので、肉を一枚剥ぎ取り熱湯に通した。肉の色が白くなった。また忘れ物があることに気付いた。しゃぶしゃぶのタレを買って来るのを忘れた。
「あちゃー、折角のすき焼きが……」
「仕方ないね! 醤油でいいよ!」
 俺は台所にある醤油を持って来た。それに付けて食べた。俺は、
「うん! 旨い! 醤油でも十分いける!」
 と言うと、
「ホントだ! 意外だね! 美味しい」
 彼女は、
「野菜も食べてね。正孝は栄養の偏りがあるみたいだから」
 俺は苦笑いを浮かべた。図星だ。
 それから四十分くらい経ち、ご飯が炊けた。みゆきは、
「ご飯食べる? お腹いっぱいなんじゃないの?」
「いや、食べる。ご飯としゃぶしゃぶの相性は格別だろ」
「あたしはもういいや。美味しかった」
 肉や野菜の残りは僅か。でも、ご飯と一緒に食べる分には申し分ない。
「正孝、食べる量が半端じゃないね。健康的だわ」
 俺は笑いながら、
「だろ? 俺は健康なんだよ。みゆきが心配してくれるのは有難いけど、大丈夫なんだ」
「そうみたいだね」
 俺は大きく頷いた。
 夕食のすき焼きをみゆきと一緒に食べられた事は凄く嬉しかった。それを本人に伝えて、
「みゆきはどう思った?」
 と訊いた。
「うん。そうね。すき焼きは美味しかったし、いろいろハプニングだらけだったけど、楽しいよ」
「そっかー、なら良かった」
 みゆきは、クスッと笑った。
「どうした、何で笑うの」
「だって、正孝を見てると子どもみたいで可愛いと思って」
「子ども? 可愛い? マジか」
 俺の反応に今度は大笑いしている。
「そんなに可笑しいか」
「ごめん、面白い」
「人をお笑い芸人のように言うなよ」
「いいじゃない」
「まあ、いいけどな」
 みゆきは天井を見ながら、
「どうしよっかなー」
 と独り言を言っている。
「どうしたんだ?」
「正孝と付き合うかどうか考えてるの」
「お、可能性あるのか!」
「そりゃ、勿論。よし! 決めた! 付き合ってあげる。その代わり約束して欲しいことがあるの」
「なに?」
「部屋の中をもっと綺麗にして」
「なんだ、そんなことか。わかったよ」
「んじゃあ、よろしく」
 とみゆきは言った。俺も。
「こちらこそよろしく!」
 唐突だったので驚いた。嬉しいのは勿論嬉しい。約束を守り俺とみゆきなら上手くいくだろう。その自信はある。お互い協力して仲良くやっていきたい。これが唯一の願望。

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