嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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八月

夏期休暇:ボランティア 1

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 老人福祉施設訪問日の集合時間は朝の八時十五分と、通常の登校時間よりも早かった。処暑を目前に見ていても秋めいた風の気配すらなく、朝の日差しが容赦なく世界を焼き焦がす。氷川はぐったりと日陰に座った。脱いだハットで扇いでいると、笑い声が降ってくる。見上げれば、文月がおかしそうに頬を緩めていた。
「おはよう、文月くん」
「おはよう。朝から疲れてるな」
「疲れてるよ。俺、暑いの駄目。夏嫌い」
「知ってる」
 答えて、文月は制服が汚れるのも気にせずコンクリートの階段に座った。彼は夏が好きだそうで、機嫌も体調も良さそうだ。気温が二十五度を超えたあたりから頭が上手く働かなくなり、三十度を超えると体調も悪くなってしまう氷川には大変羨ましい話だ。
「そんなに具合が悪いなら、参加しなければ良かったのに」
「行くのが嫌ってわけじゃないし……それにあの雰囲気で行きませんなんて言えないよ」
 過日、生徒会室で説明を聞かされ、出欠を取られた際のことを思い出し、頭を振る。とてもではないが、参加しませんと表明できる雰囲気ではなかった。実際、誰一人として不参加を表明しなかった。はね除けることは不可能ではなくとも、悪目立ちするのは避けられない。悪印象を買うのは不本意だ。
「確かに。だから、行きたくなければ最初から生徒会室には行かないんだ」
「そうだったの?」
「そう。俺たちみたいな帰宅部はともかく、他は部を通して話を聞いて、参加する奴だけが説明を受ける」
「知らなかった。先に言ってよ」
 不満を隠しもせずに、氷川が文月を睨み付ける。文月が楽しそうな笑いを漏らした。どうやら彼は氷川が弱っているのが面白いらしい。
「いいだろ。俺だって最初は何も知らずに参加する羽目になったんだ」
「意趣返しは本人にやってよ……」
「そんなに嫌だったか?」
 訊ねる声は、またしても頭上から聞こえた。顔を上げると、今度は生徒会長の野分が正面に立っていた。
「おはよう、野分くん。嫌じゃないよ、それなりに楽しみ」
「おはよう、野分」
「おはよう。嫌じゃないなら、なんで嫌がってるんだ?」
 文月とは逆隣に腰掛けた野分が、訝しむように首をひねる。氷川は暑さに耐えきれず、鞄から扇子を引っ張り出した。和小物などと格好付けているのではなく、単なる暑い季節の必需品だ。開くと氷のような薄青と白で描かれた、図案化された波が広がる。見目に涼しい和紙でぱたぱたと風を送りながら、息を吐いた。暑い。
「夏が苦手で。もう暑くて死にそう」
「……まだ朝だぞ」
 息も絶え絶えに訴えた氷川に、野分が呆れたような視線を寄越した。だがそういう問題ではない。
「だってもう三十度くらいあるよ」
「そりゃあ夏だからな……まあ、氷川って名前で夏が大好きだったらちょっと面白いし、いいけど」
「名前は関係ないだろ」
「人格形成には名前は重要な役割を果たすんだ」
「人格じゃなくて体質だよ。ねえ野分くん、僕タクシー呼んでそれで行っていい?」
 目当ての老人福祉施設は、駅を挟んだ住宅地の中にある。校門からバス停まで十分、バスで十分、最寄りのバス停から徒歩八分というのが施設までの道程だ。その十分と八分の移動に耐えられそうにない。だというのに、野分は首を縦に振ろうとしない。
「そういう特別待遇は無理だろ。ほら、吹奏楽やブラバンの奴らなんて楽器背負って歩いてくんだしさ」
「氷川がもっと虚弱そうな外見だったら、先生も車の一台くらい出しただろうけど、そうじゃないもんな」
 慰めるように文月が肩を叩く。手が温かくてげんなりした。
 彼の言わんとすることも理解は出来る。これが転んだだけで骨でも折れそうな外見だったら、炎天下の徒歩移動を案じて貰えただろう。だが生憎、氷川は百七十センチというまあ平均的な身長と、特段鍛えてはいないものの貧弱とまでは言われない程度の身体を持っている。そういう人間には世界は優しくない。
「本当に気持ち悪くて動けなかったら、背負ってやるから、とりあえず頑張れ」
 スパルタなことを言って、野分が腰を上げた。砂を払って歩いて行く先には、教師の姿がある。参加する二十人ほどの生徒は既に揃っていて、あとは引率待ちだったのだ。気になって時間を確かめれば、既に集合時刻を五分過ぎている。ついでに調べてみると、今日の予想最高気温は三十四度で、一日を通して晴天らしい。現在気温は二十五度というが、この手の測定値は信用できない。
 熱気の向こうから集合がかかるのを聞いて、氷川はハットを被り直す。時間ぎりぎりまでは日陰にいて、歩く時も影を選ぼうと固く決意した。南東に向かって進むことになるとも知らずに。
 バス停までの道は長くもない影に身を潜めるようにして歩いた。定刻よりも六分遅れてやってきた乗り合いバスは、冷房の利きが悪く、削られた体力を回復させる手伝いをしてはくれない。ぬるく淀んだ空気が満ちた車体から降りると、影の気配もないアスファルトの照り返しに迎えられた。うんざりと顔をしかめた氷川を尻目に、他の生徒も教師も意気軒昂と隊列を成して進んでいく。
 どうしてあんなに元気なんだろう。恨みがましい気持ちで視線を落とした。
 厳しい日差しの下をとぼとぼと歩く。最初から最後尾を歩いていたが、気付けば前方集団とかなりの距離が開いていた。
「暑いの駄目なら、速く歩いて日陰に入ったほうが賢いんじゃないか?」
 そう訊ねてくるのは、文月と同じで夏が平気らしい野分だ。返答する気力もなく、氷川は黙々と足を動かす。答えたのは文月だった。
「その気力もないんだろ。せめて日傘でも用意すればいいのにな」
「日傘ね、男が日傘ってのもどうよ」
「年寄りみたいによろよろ歩くのとどっちがマシかって話だ」
「おいおい、これから老人ホーム行くのにその発言はまずいって」
「施設では気をつけるよ。ほら氷川、もうちょっと急ごう。着いたら冷たい水くらい恵んで貰えるだろ」
 文月に呆れたように促されて、氷川は低く呻いた。急げるものなら急いでいる。顎を伝う汗をぬぐう余裕もないのに、速度を上げるなんてできるはずがない。
「……本当に負ぶさるか?」
 さすがに不安になってきたのか、野分が提案してくれる。だがさほど体格の変わらない野分にそれを頼むのは、いくらなんでもプライドが許さない気がした。矜持というのは時にやっかいだ。捨ててしまえば楽に生きられる気がする。
 首を横に振ることで否定して、足を踏み出す。辻がゆらめき、逃げ水がきらめいている。ぱしりと熱いものが手を掴んだ。そしてぐいと引っ張る。
「急ごう。熱中症になると困るし、あんまり遅いと心配かける」
 その野分の言葉で、手を引かれたのだと理解した。反対側から失笑の気配がして、そちら側の手も掴まれる。
「仕方ないな、確かにこのほうが早いか」
「連行される宇宙人、って言うには氷川は小さくないな」
 随分と古典的なネタを持ち出してきた野分を無視して、文月が足を速めた。腕に負荷が掛かって、氷川が軽く顔をしかめる。野分は嘆息して、文月と歩調を合わせた。両側から引きずられれば、否応なく速度を合せる羽目になる。お陰で、予想していたよりは早く施設に着いた。他の生徒や引率の生徒会顧問には呆れられたり笑われたりしたが、相手をする気力も残っていなかった。

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