嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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八月

夏期休暇 2

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 誰かがすぐ横に立ち止まった。南側の窓から、ガラスをすり抜けて襲いかかろうとする熱気が僅かに遮られる。
「よく晴れてるよ?」
 声をかけられて、そちらに顔を向ける。そこにはつい昨日顔を見たばかりの、生徒会の会計の橘がいた。彼の後ろに会長の野分もいる。
「あれ、橘くん、野分くん、今お昼?」
「うん。生徒会の仕事してて遅くなっちゃったんだ」
「そうなんだ。神森くんと平沢くんと山井くんは?」
「神森は外で食うんだと。山井と平沢は部活があるから付き合わせなかった」
「ね、神森くん付き合い悪いよね」
 橘が口先だけで神森を誹る。少しも不満などなさそうで、仲の良さが透けて見えた。アメリカ人のように肩をすくめた野分が、氷川に視線を戻す。
「おまえもこれから昼飯か?」
「そうだよ」
「じゃあ一緒に行こう。氷川くん一人でいるの珍しいね」
 先陣を切って歩き出しながら、橘が笑う。他意なく言われたその一言に、そうかなと返すのが精一杯だった。
 確かに氷川はあまり一人では行動しない。それはできるだけ他者と関わり、一緒に行動するように努めているからだ。移動教室や食事の際に、何も考えなければ一人だけで動いてしまう。それで孤立した経験があるため、誰かしらに声をかけたり、誘いを無下にしないようにしている。だが、元来賑やかさを得手としない性質だ、混雑を避ける名目で、慣れ親しんだ孤独と触れ合っていたのも事実だ。橘は何も言っていないのに、断罪された気分で後ろに続く。野分は不思議そうに首を傾げてから、氷川の隣に並んだ。
「氷川こそ遅い昼飯だな。どうしたんだ?」
「図書室に寄ってた。あそこ凄いよね、地震でも来たら生き埋めになりそう」
「確かに。しかもあれで、蔵書の三割だっていうからな」
「どっかに書庫があるんだ?」
「特別教室棟の地下にある。地下に階段が続いてるだろ」
 野分の言葉に首を捻った。特別教室棟の一階には音楽室と調理室、保健室が並んでいる。あまり利用頻度が高い施設ではなく、廊下を通り抜けることも多くはないので、きちんと見た記憶がなかった。
「そうだっけ」
「書庫と倉庫があるんだ。まあ、普通は用事がないだろうし、知らなくても無理ないだろ」
「氷川くんって図書室はよく行くの?」
 先を行く橘が食堂の扉を押し開け、押さえたままで訊ねる。
「ありがとう。最近はそこそこかな」
「どんな本読むの?」
 野分が礼を言って扉を抜ける。橘が手を離すと、扉が滑らかな動きで弧を描いて戻っていく。それは緩やかに揺らぎ、定位置に落ち着いた。
「恥ずかしいけど、本はそんなに読まないんだよね。今日も借りてきたのDVDだし」
「へえ、何を?」
「海洋系のドキュメンタリー」
「イルカとか出てくる奴?」
 橘が目を輝かせた。こんな海から離れた学校に来ておいて、魚好きなんだろうか。
「鯨って書いてあったよ。あとで見る?」
「うん。あ、食券買おう、何食べようかな」
 一足先に物色していた野分が、手を伸ばして券売機のボタンを押す。その時見えた文字に、氷川と橘は無言で目を合わせた。小さく頷き合ってから、券売機に向かう。氷川は少しだけ迷ってサラダうどんを選んだ。
 行儀良く並んで、カウンターで料理の皿を受け取る。冷茶と箸をトレイに載せて、くるりと食堂内を見回した。狙い通り、テーブルは空きが多い。
「あそこにしよう」
 氷川は天井を見上げて、空調の吹き出し口の側を示した。
 適当に席を決めた氷川の両隣に、野分と橘がそれぞれトレイを置く。挟まれると思っていなかったので少しばかり驚きつつ、椅子を引いた。
 ちらりと右を見ると、トマトの冷製パスタを前にした橘が、半眼で氷川の更に隣を見遣っている。左隣に視線を向ければ、そちらに座った野分が片眉を上げた。
「どうした?」
「いやあ、俺らの話聞いてたのにそれ頼める神経が凄いなって」
 苦笑した橘が、野分の皿を指差す。そこにはシーフードたっぷりのパエリアが置いてあった。海老や貝、輪切りになった烏賊が、トマト色のライスと一緒に行儀良く皿に収まっている。流石に学食では、フライパンで提供とは行かないらしい。
「……流石に鯨肉は入ってないと思う」
 野分が決まり悪そうに弁明する。橘が呆れた風にかぶりを振った。
「そう言う問題じゃないよ」
「野分くんって、水族館で魚見て美味しそうって言っちゃうタイプでしょ」
「分かる。牧場で羊と戯れた直後に平気でラムやマトン食べそう」
「無神経で悪かったな」
 仏頂面の野分が、スプーンを皿に差し込んだ。表情ほどは不機嫌ではないと、所作や声で分かる。つつきすぎるのはやめようと、氷川も箸を持った。輪切りのトマトが目に眩しい。
「まあ、俺も平気なほうだけど」
「俺も。アジとかイワシとか泳いでたら新鮮で美味しそうって思っちゃう」
 パスタをフォークに絡めながら、橘が唇を緩める。野分が眉間に皺を寄せて、氷川と橘を睨め付けた。
「おまえらな……」
「ごめんね、野分くんだけが無神経で強心臓なわけじゃないよ。万物は弱肉強食なんだよ」
「そろそろ怒るぞ、橘」
「謝ってるじゃんかあ」
 アニメのように身体の左右でにらみ合いをされて、氷川は肩を揺らした。橘は誰と一緒にいても賑やかで、その場を和ませてしまう。氷川などよりも彼のほうが余程、一人でいるところが想像できない人物だった。
 こうして誰かと過ごすことを楽しいと感じるのも嘘ではない。ただ少し、身の丈に合わない武装をしてしまったような後悔がある。鎧の重さに疲労して、休みたくなる。それは自分に力が足りないためだ。充分な力があれば、少しばかり重厚な鎧を身につけたとしても普通に過ごしてけるだろうに。
 本当は武装などせずに生きていけるのが一番楽だ。だが誰しも、何かしらで己を着飾り、守ることで社会に参加している。その当たり前のことができなくて、氷川は前の学校からはみ出した。失敗したくないと自ら選んだ偽装ならば、重いと投げ出すのは自分に対して無責任にすぎる。やるべき事は力を付けることだ。そう分かっていても弱音を吐きそうになるのは――夏の暑さで気力と体力が削られているせいかもしれない。
 クレソンをつついて息を吐く。じゃれ合いをしていた橘が不安そうに氷川を覗き込んだ。
「ごめん、うるさかった?」
 案じる眼差しに慌てて、氷川は箸を置いた。橘に向き直って、軽く目を伏せる。
「大丈夫、ごめんね、ちょっとぼうっとしちゃってたみたいで」
「夏バテか?」
「それもなくはない、かも」
「自分のことだろうが」
 野分が頭が痛そうな表情で嘆息する。こめかみに指を当てる所作が俳優みたいだ。
「夏はぼんやりしやすいんだよね……心配させてごめん、食べよう」
「まったく……無理するなよ」
「体調が悪いならボランティアは断ってくれても良かったのに」
「普通普通、でも心配してくれてありがとう、橘くん、野分くん」
 気遣いが暖かくもこそばゆく、誤魔化すように感謝を告げる。百点満点の照れ隠しに、野分は呆れたように眉をひそめ、橘は諦めた風に破顔した。リトマス試験紙並みに対照的な反応だ。
「しょうがないな、誤魔化されてあげる。熱心な参加者がいること自体はありがたいもんね。ね、野分くん」
「……そうだな」
「でも、氷川くんはどうしてそんなに熱心に参加してくれるの? 評価のため?」
 橘がくるくるとパスタを巻き付けたフォークを口に運ぶ。持ち直した箸で千切りの胡瓜と大根を口に入れてから、氷川はんん、と唸った。
 別に熱心なわけではなく、誘われた流れでしかないのだが、評価が必要なのは事実なので否定はしない。ただしその理由は受験対策ではなく、ねじ込む形で転入した穴埋めなのだが、人には言えない。無難でもっともらしい理由を探して、くるりと視線を巡らせた。未だそれなりに繁盛している食堂には、これといったヒントはなかった。シーリングファンがゆったりと首を振っているくらいだ。
「評価目当てだったら、部活でも入るか、それこそ生徒会に潜り込むよ。前の学校じゃあボランティア活動なんてやったこともなかったし、興味本位かもね」
 調子の良さそうな理由を並べると、二人はそれなりに納得したらしい。
「面白いか?」
「というより、意外? 学校でやるボランティアって、ゴミ拾いくらいのイメージだったから」
「ああ、そういうことね。ゴミ拾いっていうか、地域清掃は美化委員主導だから、生徒会は噛んでないだけだよ」
 橘が、皿に残った茄子をどうにか綺麗にフォークで刺そうと奮闘しながら教えてくれる。ひとつ頷いて、野分がスプーンを置いた。いつの間にか皿が空になっている。二人とも食べるのが速い。
「美化委員は他に、園芸部と合同で地域緑化運動もやってるし、氷川が思うような活動はそっちの領分だろうな。生徒会はもう少し、地域交流色が強い活動をしてる」
「老人ホームと児童施設だもんね」
「あと、先月は児童館の七夕イベントを手伝ったりとか、公民館のイベントの手伝いの時もあるし、月一だけど色々やってるんだよ」
 橘が自慢げに補足を述べる。昨年度は役員を務めてはいなかったというが、活動には参加していたのかもしれない。その中で気になる単語を見つけて、氷川は首を捻った。
「七夕?」
「そう。マリナ……近くの女子高の生徒会と合同でね。笹飾り作って飾ったり、短冊書いたり。いい年して恥ずかしいかなって思ったけど、子供が喜んでくれると嬉しいんだよね」
「おまえ、子供よりはしゃいでたろ」
「かもね」
 野分のからかうような言葉に、橘は怒りもせずに笑ってみせる。大人びた対応に毒気を抜かれたのか、野分が咳払いをして水を飲んだ。
「ボランティアの目的は、良い企業人、経営者になるために、社会貢献の意識を高めるってお題目だけど、要するにていのいい何でも屋だな。まあ、勉強になるし、良い経験になるから悪くはないと思ってる。氷川がこれからも参加してくれるなら助かるよ」
「楽しいしね」
 橘が念を押すように付け加える。野分は肩をすくめて首を横に振った。否定ではなく、さあね、という感じのポーズだ。どこか微笑ましいやりとりに、氷川は頬を緩めた。
「うん。こちらこそ、お世話になります」
「ああ。ところで」
 綺麗に話が纏まったところで、野分がちらりと氷川の皿に視線を向けた。そこにはまだ、サラダうどんのトッピングが一部分残っている。片栗粉の薄い衣が輝く豚肉が三枚、花びらのように波打って、胡麻ドレッシングに身を埋めていた。どうにも食指が動かなくて、一枚も減らないままで皿の片隅に整列していたことに、野分は気付いていたらしい。
「食べないならその冷しゃぶくれ」
 氷川は渡りに船とばかり頷いた。
 栄養士が男子高校生の胃袋事情を考慮して、ボリュームのあるメニューにしてくれた気遣いは分かるが、食指が動かないものは仕方がない。そう言い訳して、左側に皿を寄せた。
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