嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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十月

消えた絵画 3

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「不審な人物を見た生徒はいない……と」
 週明けの火曜日の放課後、氷川は美術室に顔を出した。一週間もあれば、それなりに情報が集まって、運が良ければもう絵が戻ってきているのではと期待していた。おそらくは涌井や神森だって同じように考えていただろう。しかし現実は厳しく、犯人どころか目撃者の一人さえ出てこなかった。書道部員も不審な人物や、絵を外しているシーンに遭遇していなかったし、校舎から寮までの間に大勢いたはずの生徒も同様だ。
「消失トリックだな」
 美術部員のひとりが、能天気にもそんな風に言って涌井に叱られていたが、実際にそんな状況ではある。
 涌井は窓際の席で、中庭のデッサンをしている。その隣に陣取って、氷川も中庭を見下ろした。木々はまだ青々として、夕方の日差しにきらめいている。氷川の隣には神森もいた。彼は毎日、美術部を覗いていたらしい。
「先生方は調査に乗り気じゃない。探すなら止めないけど、学校を挙げて動くつもりはないみたいだ」
 憎々しげに涌井が言う。神森が溜息を吐いた。
「騒ぎにしたくないのでしょう」
「だろうね。体面さえ取り繕えればそれでいいんだ。来年度までにはあの額に飾る絵を選定して、それでお終い。一卒業生が描いた絵それ自体には価値なんてない」
「賞も取ってないし、資産的価値がないってのと、岩根さんが興味なさそうなのも理由かもね。あ、そういえば」
 訊こうと思いつつ忘れていた。思い出したのを幸いと、氷川は腹立ちを隠さない涌井に向き直った。彼は怒りながらもデッサンを続けている。
「絵の作者の方に連絡は取れたの? 岩根さんの叔父さんって話だったよね」
「いや……」
 言い淀んで、涌井が鉛筆を握り直す。神森が僅かに身じろいで、椅子がかたりと音を立てた。木立の下に立つ生徒を一人描き込んでから、涌井が口を開く。視線は中庭に向いたまま、目を細めている。
「あの絵の作者は岩根さん……岩根修一先輩の叔父の、岩根祥三さん。画家としては無名で、家業を手伝って生計を立ててた。あの作品は在学中に描かれたもので、特に何かの賞を穫ったものじゃない。当時の学院長が気に入って、買い取ったそうだ。持ち主は学院で、確かに神森の言う通り、学院の資産ではある」
「いや、そういう話じゃなくて」
「作者の岩根祥三氏ですが、彼は三年前に亡くなっています。悪性リンパ腫だったそうで」
 氷川の言葉に頷いて、神森が核心に切り込んだ。その説明に、氷川は眉をひそめる。涌井も神森も痛ましそうに顔をしかめていた。
 悪性リンパ腫は血液の癌だ。その病状に関して、氷川は詳しいことは知らない。全ての病がそうであるように、苦しいのだろうという程度しか。
「享年二十七歳。早世した天才を、神が手元に置きたがって連れて行ったと表現することがあるけど、残念ながら岩根祥三氏はそこまでの評価は得てない。ただ、神森みたいに凄く好きだって人もいる。そして岩根さんも、岩根祥三氏の作品を愛してた」
 涌井が木に葉を描き加えていく。氷川は首を捻った。
「でもこの間、そんな価値はないって言ってたような……失くなっても困らないとか」
「資産的な価値は確かにないだろうな。何せ所有者は学院なんだし。失くなって困るかってのも、その意味では同じだけど……岩根さん自身の気持ちは分からない。あれから、部に顔を出さないんだ。画材一式も持ってったまま」
 鉛筆が滑って、涌井が手を止めた。慣れた手つきで失敗した部分を消して、描き直す。
「そういえば、画材を持って行ってどこで描いてるんだろう。寮で描くスペースはないよね」
「ああ、氷川は知らないか。岩根さんはいつも外で描いてるんだ。庭園だったり校庭だったり、中庭だったり、まあ場所は色々だけど。見たことない?」
「ない、と思うけど、意識してなくて気付かなかったのかも」
「そういうこともありそうですね。外で絵を描くことを戸外制作と言います。岩根さんもですが、岩根祥三氏も戸外制作であの睡蓮の絵を描いたそうですよ」
「この学校、睡蓮なんてあったっけ? 睡蓮って沼地に咲くよね」
 学内探検はしていないが、沼地があればさすがに知っていそうなのに、見聞きした覚えがない。訊ねると、神森が表情を暗くした。
「昔あったそうです。十年ほど前に埋め立ててしまって、今は花壇になっています」
「どこの花壇?」
「庭園の花壇です。今見ても、分からないでしょうね」
「昔、事故があったんだ」
 涌井が端的に補足して、鉛筆を片付け始めた。デッサンが完了したらしい。スケッチブックを覗き込むと、鉛筆書きの素描で、中庭を俯瞰した光景が描かれていた。モノクロの写真のように緻密で、木の葉が風でさやさやと揺れそうだ。
「……上手いね」
 こんな時にごく自然に感嘆の声を上げられたらと思うが、ないものねだりだ。たった一言の素っ気ない賛辞に、涌井が頬を緩めた。
「ありがと。まあそういうわけだから、作者の意向は聞けないんだ。岩根さんがああ言うなら、頼りは学院としてどの程度真面目に探すつもりがあるかだけど、これもな……」
「難しいでしょうね。所詮は生徒の作品ですから」
「というわけで、気にかけて貰って悪いけど、うちはもう諦め気味。悪いな、神森」
「いいえ。部外者の僕が口出しできることでもありませんから」
 とても残念そうに肩を落として、神森がかぶりを振る。割と押しが強いというか、容赦のないタイプではないかと見ていたけれど、神森にも仕方のないことであるらしい。そうなれば、氷川にできることもない。絵を持ち出すのを誰も見ていなかった、あるいは気付かなかったのは不思議だが、考えても仕方のないことだ。
「そっか。力になれなくてごめんね」
「いや、気にしてくれただけでも嬉しいからさ。なんか進展あったら報せるわ」
「ありがとうございます」
「期待して待ってる。じゃあ、部活の邪魔しちゃってごめんね。またね」
 言って、氷川は鞄を肩にかける。神森も席を立った。涌井や他の部員達に礼をしながら、美術室を後にする。連れ立って美術室を出た所で、氷川は神森を見遣った。
「俺は図書室寄ってくけど、神森くんはどうする?」
「僕も一緒に行きます」
「今日は生徒会はいいの?」
「少しくらい遅れても構いませんよ」
 そう答えて、神森が先に歩き出す。それについて歩きつつ、氷川は首を傾げた。
 生徒会の活動日は火曜日と金曜日、他の委員会は金曜日に活動している。つまり、今日は活動日だ。しかも、忙しい時期はそれに限らない。来月の頭に文化祭を控えて、各学級すら準備に取りかかり始めている今この時期に、実行委員会と共に文化祭を主催する生徒会はとても忙しいのではないだろうか。
 階段を一階分下りて、図書室へ向かう。図書室は三教室分の広さがある大部屋で、同じ階には各校舎棟に一年生の教室、渡り廊下の先に学生食堂、そして同じフロアの階段と手洗いを挟んだ隣にカウンセリングルームがある。試読用の机しかない図書室は、蔵書を物色する人くらいしか利用しないが、このフロア自体は人気ひとけがないわけでもない。
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