嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭 二日目 2

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 機材を部活棟一階にある軽音部の予備室――いわば楽器置き場――に運び込み、過不足がないかチェックする。何も問題がないことを確認して、部活棟を出た。軽音部の部室からは、明日出番の軽音部員らが練習する音が漏れていた。
「文月くん、手伝ってもらっちゃってごめんね。凄い助かった、ありがとう!」
 橘が文月に頭を下げる。それに曖昧に頷いて文月は唇に笑みを浮かべた。
「いいステージだった」
「楽しんで貰えた?」
「最高に」
「なら、良かった」
 橘と文月が穏やかに言葉を交わす様子に、氷川はほっと胸を撫で下ろした。ここ最近の様子から、文月が橘に突っかかったりするのではと危惧したが、それには及ばなかったらしい。
「氷川はこのあとどうするんだ? 俺らは体育館戻るけど」
 二人の会話を聞くともなしに聞いていると、棚橋が思い出したように訊ねてくる。適当に校舎へ向かっているのかと思えば、行き先が決まっていたらしい。
「フロアのほう?」
「そう。トリに三年の先輩がいてさ、今からでもちょっとは見れるはずだし」
「あ、じゃあ俺も行こうかな」
「やめておけ」
 ばっさり切り捨てたのは文月だ。彼は振り返ると、僅かに眉をひそめる。
「さっきより顔色が悪い。保健室じゃなくてもいいから、少し休んだほうがいい」
「そう?」
 氷川は顔をしかめて頬に触る。自分では分からないが、そうだろうか。もうふらつきもしないのに。しばし氷川の顔を見つめて、橘が軽く肩をすくめた。
「俺も同感」
「氷川って案外虚弱体質? この間も倒れたんだろ」
「いや、全然。この前のはただの寝不足だし」
 心外だと棚橋に言い返すと、彼はからからと笑い声を上げた。
「とにかく休んどけ。そっちの、誰だっけ、氷川の友達。手伝ってくれて助かった。そいつ暴れないように見といてやってな」
「暴れるって……」
「文月だ。こちらこそ、貴重な体験させてもらった」
「ああ、またな」
「またね、氷川くん、文月くん」
 ひらりと手を振って、橘たちが体育館へ向かう。さてとと、文月が足を止めた。
「保健室と寮、どちらにする?」
「そんなに具合悪そうに見える?」
「見える」
 断言されて、氷川は口元に苦笑を浮かべた。今日は残り三十分、クラスでは特に片付けが必要な展示をしていないから、修正が必要な部分があったら明朝作業する運びになっている。だから、もう帰寮してしまっても構わないはずだ。
「じゃあ、部屋に帰るよ。早めに寝るようにするね」
「ああ……俺も一緒に行く」
「一人でも大丈夫だよ」
「残り三十分、一人で徘徊しろって?」
 三十分では何も出来ないようで、意外と長い。そこまで言われて邪険にするのも大人げないので、素直に同行を受け入れた。
 まだ時間が早いため、寮に戻る生徒は少ない。寮に戻る道中も、寮の中も妙に静かだ。
「A-909Bか。本当に予備の部屋を使ってるんだな」
 後からついてきた文月が、氷川が解錠した部屋の番号を見てごちる。九階は三年生の居室とその予備、自習室で構成されている。
「うるさくないのか?」
「廊下で騒ぐような人もいないからね。上がってく? お茶も出ないけど」
「折角個室なのに、ポットも冷蔵庫も持ち込んでないのか」
「……考えたこともなかった」
 そうか、部屋を快適な空間にするという手もあったのか。考えながら、扉を開く。文月は少し考えて、頷いた。
 フローリングの床は隔日で乾拭きしているし、部屋も整頓しているから、人を上げてもさして見苦しくはないだろう。それでも文月は興味深そうに室内を見回していた。
「片面家具がないだけでこんなに広々してるのか」
「棚とか入れたかったら入れて良いって言われたけど、そんなに本や小物もないから入れてないんだよね。だからがらんとしてるでしょ。ベッドでも椅子でも適当に座ってね」
 部屋の鍵を玄関脇のキーフックにかけ、脱いだジャケットをハンガーにかける。ネクタイを外して、ネクタイハンガーに吊るす。ベッドに座った文月が居心地悪そうに身じろいだ。
「着替えは……」
「さすがにしないよ。文月くんジャケット脱ぐなら貸して。かけとく」
「いや、いい。長居するつもりはない」
「まあ、何にもないもんね」
 苦笑して、氷川は備え付けの椅子に座った。氷川の部屋は一般的な高校生の部屋と比べれば娯楽が少ない方だろう。ほとんどDVDプレイヤーと化しているノートパソコンと、映画のDVDやBDが数枚あるだけだ。
「改めて、今日は来てくれてありがとう。手伝って貰ってごめんね。助かりました」
「なんで敬語……俺も楽しかった。知ってる奴がステージにいるってのも新鮮だったしな」
 文月が軽く笑んで言い、そしてふと真顔になる。彼は静かに氷川を見つめ、膝の上で手を握り込んだ。
「ステージからって、フロアはどれくらい見えるんだ?」
 何を言われるかと身構えた氷川は、文月の問いに一瞬、眉を寄せた。それから目を瞑って、先刻の情景を思い出す。強いライトが目を灼いて、暗い客席はあまり見通せなかった。だからこそ、あまり緊張せずにすんだのだろうが。
「眩しいからほとんど見えないよ。ステージが暗い時は、五列目くらいまでならなんとか見えたけど」
「そうか……」
「どうして?」
「川口達がいたの、気付いてたか?」
 文月の探るような問いに、氷川は顔をしかめた。フロアなんて、文月がいることしか認識していなかった。他に誰か来ているかもしれないなんて考えもしなかったし、知り合いの顔を探そうともしなかった。
「知らない。いたんだ?」
「ああ。野分と神森もな」
「そうなんだ。ちょっと恥ずかしいな」
 照れたふりを装って顔を隠す。気付かなかった。それに動揺したことを知られたくなかった。友人だと思っている相手くらい、暗闇の中でも、照明に目を灼かれても、見つけられてもいいのに。そう考えるのは、文月の声に、見つけられてしかるべきだと、僅かに責めるような色合いがあるように感じたためか。
 誤魔化した氷川に、文月が溜息を吐いた。
「なあ、もし俺が行くって言ってなくて、最前列にいなかったら……おまえはやっぱり気付かないのか」
 軋るような声に、氷川は目を眇めた。分からないという本音は、ひどく薄情なもののように思えて言えなかった。沈黙に諦めたように、文月が息を吐く。
「おまえ、何も言わないからさ。今日のだって、シフトが被らなければ言わなかったんだろ」
「それは、言おうと思ってたよ。タイミングが合わなかっただけで」
「タイミング? そんなのいつでも……」
「夜、練習してて寝不足だって言ったら、怒ると思って」
 苛立った文月の声に被せるように告げる。言葉を遮られた文月は、不快そうな素振りも見せずに目をまたたいた。怒らせたくなくてと付け加えると、彼は呻いて前髪に指を差し込んだ。
「そんな子供みたいな理由があるか」
「止めろって言うかなって。でも聞けないし、申し訳なくなるから」
 早く寝ろと言われても、氷川は練習を休もうとは思わなかった。貧血を起こしたと知られていなければ、金曜日も練習があっただろうし、参加したはずだ。それは案じてくれる相手への裏切りでもある。今しか出来ないことは、他の何かをないがしろにする言い訳にはならない。
「でも、ごめん。出るって決めた時に話すべきだった」
 椅子から立って頭を下げると、文月は無言で立ち上がった。三歩歩み寄って、腕を掴まれる。顔を上げれば、彼は痛みに耐えるような表情をしていた。
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