嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭 二日目 1

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 十一月二日日曜日は、昨日とは打って変わった晴天だった。秋晴れという言葉が相応しい、高い群青に、刷毛で撫でたような薄雲が層を描く。しかし、空を見上げている余裕はない。
 朝一番で機材の搬入を終え、八時半過ぎにリハーサルに入った。時間も短くサウンドチェックがせいぜいだが、ここで調整できるか否かがとても重要なのだと倉本が言った。
 本番同様前のバンドと交代で進行するのは、設営と撤収の練習も兼ねているのかもしれない。リハーサル順はいわゆる“逆リハ”で、出順の遅いほうからリハーサルを行なうため、氷川達は三組目だ。全体的に時間が押し気味だったので、この調子だと出演順の早い組はろくにリハーサル時間を確保できないだろう。
 集合場所と時間を決めて、解散したのは九時半前だった。
 出番が三時半からなら、午前中はあちこち見て回ろうと文月に誘われて合流したはいいが、どうにもそわそわとしてしまって落ち着かない。最上学年有志によるホラールームも、天文部の力作であるプラネタリウムも、美術部総出で作成された、校内の写真をタイル代わりにしたモザイクタイル風の作品すら、心に入ってこない。手芸部のタペストリーをぼんやりと見上げていると、文月が大きく嘆息して氷川の背中を叩いた。
「ちょっと早いけど、昼飯行くか」
「ん……なんか、ごめん」
「本番前だからな、そんなものだろ」
 諦めたように言われて、申し訳なさが胸を締めた。しかし、何を見ても落ち着かないのは変わらないので、申し出そのものはありがたい。
 食堂へ向かいながら、氷川は耳の下を擦った。
「本当ごめんね。良かったら他の人誘って回ってよ。俺は適当に本番まで時間潰してるから」
「時間潰すって、どこで?」
「食堂が空いてたら食堂でいいし、駄目なら適当に休憩所とか外のベンチとか、椅子があればどこでもいいから決めてないけど、なんなら寮に戻ってもいいわけだし」
 文月が食堂の扉を開く。今日は屋台が出せたから、昼食はそちらで済ませる生徒も多いのかもしれない。食堂は予想よりも空いていた。そのままその話題は打ち切って、メニューに向かい合った。十一月に入り、寮の食堂と同じタイミングで、冬季限定メニューが充実するようになった。いつか神森が言っていたシチューメニューをはじめとする煮込み料理などだ。
「何食べる?」
「んー、昼から粕煮ってもの微妙だしな。アジフライ定食でいいか」
「文月くんって、魚好きだよね」
「そうかもな。氷川は何食べるんだ」
「えっと……魚介のポトフ」
 なんとなく目についたメニューを押す。文月が片方の眉をちょっとだけ上げた。
「魚だな」
「そうだね」
 彼の好みが伝染したんだろうか。
 混雑していないことが幸いして、すぐに料理を受け取れた。窓際のカウンター席に並んで座り、いただきます、と唱和してカトラリーを取った。つや消しで装飾のないステンレスのスプーンは、口への当たりがやわらかい。下手に装飾が凝った、光沢のある仕上げの食器よりも、こういうもののほうが清潔感がある。おそらく、傷や水垢が残っても目立たないからだろうけれど。
 食事を進める間、文月は特に何も言わなかった。今の氷川からはまともなレスポンスが得られないと推測したためだろう。その判断は正しい。機械的に食事を進め、食器を下げてお茶を貰ってきた。いつの間にか、温かい緑茶も美味しいと感じる季節になっていた。
 お茶の紙コップを両手で持ち、文月がちらりと氷川を窺った。少しだけこちらに身体を向け、覗き込むようにして問いかける。
「設営は十五時からだったな」
「うん。でも、十四時半には控えに来ててって言われてるよ。橘くん達と話して、十四時に行くことにした」
「あと二時間くらいか」
 時刻を確認した文月が呟く。無為に潰すには長い時間だ。しかし、展示や公演などには集中できないだろう。映像作品すら、頭に残らない可能性が高い。
「見に来てくれるなら三時過ぎに入れば最前列入れると思うよ。橘くんは向かって右側で、倉本くんが左側。棚橋くんが左奥で、戸田くんが右奥ね」
「氷川は真ん中?」
「うん」
 確認する文月に頷く。彼は二回ほど浅く頷いて、目を細めた。
「なら、マイクスタンドの正面に行くから」
「そう……?」
「ああ。それで、どうする、移動するか?」
 お茶を飲み干した文月が、とんとんとスマートフォンの縁を叩く。氷川は目をまたたき、首を横に振った。
「いいよ、文月くん好きなとこ見に行って。俺はどっかで仮眠しとくことにしたし」
「仮眠って……」
「部屋でも、何ならベンチでもいいし。寝てたら二時間くらいすぐだもん」
 何にも集中できないなら、身体と頭を休ませるのがいい。消去法で出した結論だったが、文月は何が不満なのか顔をしかめた。
「寝過ごすなよ」
「大丈夫。俺、寝坊しない体質なの」
「それならいいが。念のため、二時前に電話する」
 そう言って、文月が椅子から降りる。温かな手がさらりと氷川の頭を撫でた。
「時間まで適当に見て回ってる。一緒に回る気になったら連絡してくれ」
「うん……また、後でね」
 紙コップを手に、ダストボックスのほうへ歩いて行く文月を見送る。彼は視線を感じでもしたのか、軽く振り返って手を振った。
 純粋に、付き合わせるのは悪いからと断ったけれど。氷川は息を吐いた。追い払ったようだったかなと思ったのは、彼が食堂を出て行ってしまってからだった。

 十四時前、目覚ましアラートと文月からのモーニングコールで覚醒した氷川は、バックステージの扉を開いた。
 前の出演者の撤収が済み、ステージの用意が整うのを待って、セッティングを行なう。現在の進行は十分押しで、巻けとは言わないがこれ以上遅くならないように気をつけてくれと、手伝ってくれた生徒に念を押された。
 対面では、五人組のバンドがエモーショナルなラウド・ロックを演奏している。激しいシャウトが耳に痛い。
 ステージに音を返すための転がしモニターの位置を調整して、マイクスタンドの高さを確かめる。そこまでで作業を中断し、氷川はステージの縁に腰を下ろした。縁のギリギリに黄色のテープが貼ってあるが、無視して足を揺らす。降りないでくださいと言われたことはもちろん覚えている。ステージと客席の間には柵すらなく、そもそも降りたら上がってこられるか分からない。今は比較的空いている最前列に、カメラを提げた生徒がいた。新聞部の生徒だろう。人混みを掻き分けて、一人の生徒が最前列に入った。
「お疲れ」
 轟音の中、文月が微笑んで言った。氷川はステージから飛び降りる。五十センチの跳躍で、足元が小さく揺れた。
「文月くん、来てくれてありがとう」
「そりゃ来るだろ。何演るんだっけ?」
「オアシスのコピー。曲名分かる?」
「悪い、分からない」
 文月が申し訳なさそうに否定する。年代的にはそういうものだろう。
「そっか。でも分かんなくても、聞いたことはあるかもって感じの選曲になってるから」
「ああ。もし分からなくてもドラムに合せて手を上げればいいんだろ?」
「うん」
「氷川くん、戻ってきて」
 ステージ上から橘に呼ばれて、氷川はわかった、と叫ぶように返した。そうしないと声も届かないのだ。
「じゃあ行くね。楽しんで貰えたら嬉しい」
「頑張れよ」
「……ありがとう」
 両手をステージに置いて、片足ずつ上に戻る。橘の所に行く途中で、実行委員の生徒に、本番では降りないでくださいねと念を押された。
 楽器の配置が終わったらしい。それぞれモニターの確認や、アンプを調整して、予想よりもスムーズにセッティングは完了した。場内向けスピーカーが使えず、外音は出せないので、ステージ内だけで最終確認を行なう。最終的な音響はPA頼りだ。なんとかしてくれることを祈るしかない。
 場内に絶叫が響き、照明が落ちた。十五時四十分。時間だ。
 苦悩の残響に、ベースの音が混じる。登場SEが鳴らせない環境で、空気を引き寄せるために橘と倉本、棚橋が考えた演出がこれだった。低いベースの音に、やがてギターが絡み、そしてスネアが遠慮がちに加わる。Bステージの照明が少しずつ、明るさを増していく。最前列には既に人が満ちている。三列目までは埋まっていて、Aステージに向いていた意識が少しずつ、こちらに向けられるのが分かる。フロアがゆっくり、Bステージへと流れる。その波紋が広がりきる前に、途切れるように音が消えた。照明が一気に明るくなり、フロアにレーザーライトが放射状の線を描く。スティックのカツカツというカウント。一曲目はノリのいい曲を選んだ。音が弾ける。文月の笑顔を見つけて、氷川は呼吸しやすくなる自分に気付いた。口角が上がる。
 ハンドクラップを求めれば、前列からさざ波のように手が上がる。拳も同じで、前方の生徒がフィストバンギングをすれば、後ろまで広がる。しかし、表拍と裏拍、それ以外が入り乱れてちょっとリズム感がひどい光景だ。シャッフル・ビートはノリやすいと思っていたが、どうしたことか。
 煽りとMCを橘に丸投げし、氷川はただ歌を歌うだけで四曲三十分弱のステージを終わらせた。白いライトが青みを帯びて暗くなり、ステージに闇が降りる。時間が終われば、すぐさま撤収作業に取りかからなければならない。
 水を含んだように重い身体を叱咤して、マイクスタンドを袖に運び込む。他の機材も降ろさなくては。二往復目の途中で、不意に荷物の重量が消えた。驚いて顔を上げれば、いつの間にステージに乗り上げたのか、文月がエフェクターを抱えていた。
「袖に下げればいいんだろ。おまえちょっと休んでろ」
「……ごめん。それ倉本くんのやつだから」
 ふらふらしている自覚はあったので、素直に頼んだ。酸欠気味だと理解はしている。とはいえ、休んでいる暇はない。次の組のためにできれば五分で撤収したいし、それが済んだら搬出作業だ。
 アンプは二人で運ぶ。ハイハットは一人で大丈夫。マイクスタンドは一人で運ばないと危ない。昨日と今日で学んだことを思い出しながら作業をすると、撤収は思いの外スムーズに済んだ。戸田や倉本が応援を頼んでくれたお陰だろう。不慣れな氷川は役立たずもいい所だった。
「氷川くん」
 やや高めの声に呼ばれて、氷川はそちらに歩み寄った。戸田がドラムセットを台車に載せて、固定する作業をしている。手を伸ばして、動かないように押さえた。
「戸田くん、今日はありがとう。楽器とかって軽音部の予備室に運ぶんだっけ?」
「こちらこそ、楽しかった。部活棟まで遠いけどよろしくね」
「台車が使えて良かったね。そうじゃなかったら何往復もするところだった」
「うん。よし、できた。支えてくれてありがとう。じゃあ氷川くん、この台車よろしくね」
 固定作業が済んだらしく、戸田が立ち上がる。弦楽器組も機材を台車に積み終わったようだ。ケースに入れた楽器を背負って、手を振っている。戸田がケースに入れたバスドラムを抱え上げる。氷川は任された台車の取っ手に手をかけた。いつの間にか頭数に入れられたのか、あちらでは文月が予備のギターを背負っている。不慣れなせいか、見るからに重そうだ。
「じゃあ出ます。お世話になりました!」
 橘に続けて、氷川達も実行委員らに礼を告げる。彼らは嬉しそうに手を振った。フロアからは、激しいパターンのリズムが聞こえてくる。ブラストビートというのだと、運搬途中に戸田から聞いた。
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