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横峰春久
三学期 5:日常
しおりを挟むあれから、横峰とは以前と変わらない距離感に戻った。毎回ではないが移動教室の際一緒に行動し、毎日ではないが昼食や夕食を一緒に摂り、時に勉強を教わる間柄だ。だが時折、横峰は猫が動くものを見るような眼差しで氷川を見つめる。そしてしばらく経つと、我に返ったように視線を逸らす。氷川はその一連の所作全てに気付いていないかのように振る舞っていた。
日々は充実している。氷川は資格試験対策のために簿記科目の教師に師事しに行ったり、横峰も部活動や関連の会議や折衝があったりと、互いに忙しく毎日を送っている。
冬至から一ヶ月強が過ぎ、日足も僅かずつ伸びてきた。学内は今週末の予餞会を前に、どこか慌ただしい空気が漂っている。そんな二月の初め、氷川と横峰が夕食を摂っている卓に、川口と丸山がやってきた。この取り合わせで、この場に来るのは珍しい。
「相席良いよな。お邪魔」
「いきなり悪い、お邪魔します」
川口と丸山が順に言って、それぞれトレイを置く。赤田と異なり、丸山はトレイを持ったりしない。川口はカツカレー、丸山はカツ丼と、受験生でもないのに縁起を担いだメニューが並んでいた。
「美味しそうだね」
「唐揚げと交換してもいいよ」
食べやすいサイズにカットされたカツを掬い、川口が氷川の皿を示す。本日の和定食の主菜は鶏の竜田揚げだ。皿を寄せると、未使用のスプーンが唐揚げをひとつ浚っていく。代わりに、カレーが少し載ったカツが一切れ、こちらの皿に移された。
「にしても、川口くんが俺と同じテーブルに来るなんて珍しいね。赤田くんは?」
「外出中。ライブがあるんだって」
横峰の不思議そうな問いに、川口が肩をすくめた。
「白沢くんと大原くんも?」
「そう。明日の朝イチから体育なの忘れてそうだった」
「また首が動かないって騒ぐだろうな」
淡々と頷いた川口に、丸山がおかしそうに笑って言う。川口が口の端を意地悪そうに上げた。
「ま、武道じゃないだけなんとかなるだろ。せいぜい首を固定させて走ればいい。それより氷川、約束のやつは?」
スプーンを皿の縁に置き、川口が氷川に視線を向ける。黒目がちな瞳がまっすぐ向けられると、何故か落ち着かないような気分になった。彼の隣で丸山が、その向かいで横峰が、それぞれ訝しげに川口と氷川を見遣る。
「約束って、なんの話?」
「なんか約束してるの?」
順に訊かれて、川口が頷いた。氷川は内心で首を傾げつつ、視線を巡らせる。何か、約束していただろうか。川口が目を伏せてちらりと舌先で唇を舐め、氷川を一瞥した。
「上手くいったならお礼くれるって話だったでしょ」
視線が氷川の右手へ動き、戻る。それでようやく思い出した。確かに、川口のアドバイスに従って関係を修復できたならケーキを奢れと言われていた。氷川は手にしたままだった箸を置き、財布を取り出す。
「そうだったね。えっと、いくらだっけ、二百円だった?」
「おい、金だけ出すなんて色気ない真似するか普通。買ってきて。早く」
「や、俺まだ食べてる途中だし、川口くんだってデザートでしょ」
あまり早く貰ってきたら常温になってしまう。正論しか言っていないはずなのに、川口が行儀悪く舌打ちした。丸山は大筋が読めたのか、食事中だというのに声を上げて笑っている。ひとり置いてけぼりの横峰が、氷川の腕に触れた。
「たかられてるの?」
「人聞き悪いこと言うなっつうの」
「お礼は気持ちだよ、強要するのはたかりでしょう」
愉快そうな川口に対して、横峰の声音には余裕がない。氷川は溜息を殺して横峰の腕に手を置いた。
「約束だから。食べ終わったら取りに行くよ」
横峰と川口、順に声を掛ける。横峰はどことなく納得いかない様子ながらも食事を再開する。川口も本心から急かしたわけではないようで、それで構わないと頷いた。
手早く食事を済ませ、席を立つ。こちらのほうが先に卓に着いていたのに、既に川口も丸山も食べ終わりそうだ。横峰が視線を上げた。
「俺も一緒に行こうか?」
「いいよ、座ってて。飲み物も貰ってくる?」
「じゃあコーヒー」
「俺はお茶」
「横峰くんもお茶でいいよね」
「うん、ありがとう」
飲み物はセルフサービスだ。遠慮の欠片もない川口と丸山とは異なり、横峰は申し訳なさそうだ。四人分の飲み物くらい、大した手間でもないのに。
券売機で食券を購入し、デザートの受け取り口に向かう。チルド商品は食事のカウンターとは別所で受け取る仕組みだ。これは厨房で作っているものではなく、近隣の洋菓子店へ発注しているらしい。ピースあたり現金価格で二百円という値段設定も、仲介業者を入れずに取引をしているお陰で実現できているらしい。
トレイを手に卓に戻ると、いつの間にか食器のトレイは綺麗に片付いていた。中央に開いたスペースに、遠慮なくトレイを下ろす。
「お待たせ」
「サーブは?」
「はいはい。どうぞ川口くん、これが俺のお礼の気持ちです」
ホットコーヒーとガトーショコラの皿とを川口の前にセットし、ついでに丸山と横峰の前にも並べてやる。氷川はコーヒーだけだ。
「え、俺らにも?」
「悪い、そんなつもりなかったけど」
驚いた様子で丸山が財布を取り出した。横峰もコインケースを探っている。その二人に氷川は手を振った。
「だって川口くんにだけ買うってなんかあれでしょ。ついでがあるほうが買いやすかったから」
そう告げると、横峰が顔をしかめて席を立った。
「なら、俺が氷川くんにケーキを買っても良いよね」
「え、いや、え、なんで?」
自分は特に甘味を必要としないから購入しなかっただけだ。氷川は甘いものも嫌いではない、むしろお菓子もケーキも好きではあるが、今はそこまで食べたい気分でもない。そんな腹事情など知りもしない横峰は、不服そうな表情で氷川を見下ろした。
「俺が、氷川くんに、チョコレートをお返ししたいからだけど?」
「……直球だな」
何も言えずに口を閉じた氷川の代わりに、丸山が呟く。横峰が眉を跳ね上げた。
「おかしい?」
「おかしかないけど、思った以上だな……横峰」
ケーキフォークを置き直し、川口が静かに横峰を呼んだ。座ったまま、顎を上げて横峰を見上げる。前髪が流れて、普段は影になりがちな瞳が露わになった。
「おまえが俺のことあんまり好きじゃないの知ってるけど、俺はおまえのこと嫌いじゃないよ」
川口の言葉に横峰が目を見張った。そして、小さく苦笑する。
「俺も、嫌いじゃないよ」
軽く手を振って、横峰が券売機に歩いて行く。氷川は川口と丸山に視線を向けた。
「ええと、どういうこと?」
「そりゃ、まさかの義理のオマケ扱いに拗ねたんだろ」
ケーキフォークでガトーショコラの三角部分を切って、川口が笑う。氷川は目を伏せてこめかみに指をあてた。意味が分からないと言えたらどんなに良いだろう。
「そういう風なつもりはなかったんだけど」
「氷川がどういう意図で動くかと、それを他人がどう受け取るかは別の問題だからな」
「でも、あんたはこれ、仕組んだっしょ。氷川があんたの分だけ買ってこようが、全員分調達しようが、同じようなことになっただろうし」
呆れた表情で、丸山が緑茶を舐めるように飲む。川口は子供のように首を左右に揺らした。川口は横峰がいるタイミングを狙って、ここへ来たらしい。理由も目的も不明だが、大方からかって遊ぶつもりだったのだろう。見事に踊らされている。
「さてね。で、おまえはどうすんの、氷川」
「どうって、何を」
「横峰。上手く行き過ぎちゃったみたいに見えるけど?」
生クリームがすくい取られ、ひび割れたケーキの天辺を飾る。氷川は苦笑した。
「川口くんのアドバイスには感謝してるよ。お陰で、ちゃんと話せた。遅くなったけど、ありがとう」
「どういたしまして」
「氷川はもうちょっと、慌てたり困ったりしてもいいと思うな」
首をすくめた川口を補足するように、丸山が優しい表情で言う。氷川はこめかみを指で叩いた。
「充分、困ってるし慌ててる。でも、それは川口くんのせいじゃないからね。まごついてる時に助けて貰ったのは本当だし、それは確かに有り難かったよ。それだけで済まないとは予想してなかったけど」
「へえ……実際、どんなことになってんの」
愉快そう川口が瞳をきらめかせる。二人とも偏見がなさそうなのは助かるが、面白がられるのは本意ではない。氷川は肩をすくめた。
「どんなことにもなってないよ。普通に、友達。多分」
「それは可哀想に」
「いや、氷川にも色々あるっしょ。というか、氷川は平気なの」
気遣わしげな丸山の問いに、氷川は視線を巡らせてから頷いた。
「今のところは、割と。ふわっとした感じだから平気なのかな」
「そう、まあ、氷川がいいならいいけどよ」
「変な揉め方さえしなきゃ、俺らには関係ないもんな」
丸山が頭が痛そうに眉を寄せた。川口がコーヒーを飲み、静かにカップを置く。氷川はカップを両手で包み込み、川口を窺った。
「そういえば……いつも気にしてくれてるよね」
「ああ、雰囲気悪いの嫌だから。揉めてる奴が一人でも二人でもいると、ぎすぎすして落ち着かねえっしょ」
まるで自分本位な行動であるかのように、川口が軽く告げる。丸山が喉の奥で笑いを噛み殺した。その額を、川口がしかめつらで強く弾く。
「痛っ……」
「うるっさい。別に氷川を助けようとか、そういうんじゃねえし」
「うん、でも俺は助かったから。ありがとね」
居心地悪そうに口調を荒くする川口に、感情そのまま礼を述べる。彼は照れたように頬を赤くした。思わずこみ上げた笑いに、口元を押さえる。川口のつま先が、卓の下で氷川の足を軽く蹴った。
軽い音がして、卓にトレイが増える。いつの間に戻ってきたのか、横峰が呆れたように右の眉を上げた。
「なに騒いでんの」
「なんでもない。遅かったな」
氷川と丸山の機先を制するように、川口が横峰を見上げる。横峰は苦笑いで視線を滑らせた。
「意外と混んでてね。氷川くん、どうぞ。お返し」
「あー、うん、ありがと」
川口達に購ってきたのと同じ、生クリームを添えたガトーショコラの皿が氷川の前に置かれる。つや消しの銀のフォークが、蛍光灯の光を反射してきらめいた。
「じゃあ、いただきます」
この一皿にどんな感情が込められているか、考えない振りをして、氷川はそっとフォークを手に取った。
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