嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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野分彩斗

外出 1

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 十一時に氷川の部屋を訪れた野分は、薄手の上着を手に氷川に外出の準備を促した。
「たまには美味いコーヒーが飲みたいだろ」
「まあ、そうだね」
 食堂で供されるコーヒーも一応はドリップしたものだが、いまひとつ物足りない仕上がりであることは否定できない。値段や環境を考えれば贅沢は言えないものの、たまには美味しいコーヒーが飲みたいと思い、気付けば近隣の多くもない喫茶店は制覇してしまっていた。同じような生徒は少なくないはずだ。
「上着いる?」
「どうかな、寒くはないけど、少し風がある」
「じゃあ薄いのでいいか。準備してくるからちょっとだけ待って」
 野分を廊下に残して扉を閉める。姿見とクローゼットの中身を見比べ、少しだけ悩んでジャケットを羽織った。財布をポケットに突っ込み、鍵を手に部屋を出る。野分は扉の脇にもたれてスマートフォンをいじっていた。扉が開くのに気付いたのか、顔を上げる。
「お待たせ」
「いや、全然。じゃあ行くか。どこの店がいいとか何食いたいとかある?」
「さっき野分くんが言ったじゃない、美味しいコーヒーが飲みたい」
「そうだったな」
 野分がエレベーターの降りボタンを押す。時間帯的に利用者が多いのか、エレベーターはなかなか着かなかった。その気になれば階段で下りてもいいのだが、お互いにそう提案はしない。氷川も相当に睡眠不足と疲労が蓄積していたが、野分の激務の度合いは更に上を行く。足を使って九階分、階段を下りようとは言えなかった。
 しばし待って到着したエレベーターで一階に下り、寮を出る。東京都内とはいえ山地に近く、都市部より標高が高いこの辺りは、山から吹き下ろした冷たい風がよく吹いている。咄嗟にジャケットの前をかき合わせた氷川を笑って、野分が道を急かした。
 公共交通機関を用いずとも、何件か喫茶店や飲食店はある。それでも駅に近い辺りまで出たほうが店は増える。バスで駅前に出、路地を進んで野分お勧めの店に入った。さして高くないビルの一階部分がカフェで、上にはアパレルショップや小規模書店、雑貨店などが入っているようだ。窓は大きくはなく、スクリーンが下がっていて、よくあるチェーンのコーヒーショップのような明るい内装ではない。木目調の内装に調和する、どっしりしたカウンターが奥にあり、同様に重厚なテーブルセットが二十ばかり並んでいる。平日の昼時という時間帯もあって、店内は思ったよりも混雑していた。哀愁漂うボサノヴァが、ゆったりした空気を演出している。
 窓際の席を選ぶと、ほどなく店員が水とメニューを運んでくる。礼と共に受け取った野分が、くるりと裏返してメニューを置いた。
「ここ入ったことは?」
「コーヒーと、イングリッシュスコーンが絶品だった気がする。クロテッドクリームが美味しかった」
「そうそう、あれいいよな。でもランチもいける。チキンドリアが美味い。準備手伝わせたお詫びに奢ってやる」
「太っ腹だね。じゃあ折角だから、それをいただこうかな。ランチセットでいいの?」
「うん、スープとサラダが選べるから」
 野分の指がメニューの枠を叩く。並ぶ文字列は誰にでも分かりやすい名称で、気取らなさが気分がいい。決まったかの問いに頷くと、野分が店員を呼んだ。二人分のランチセットを頼み、氷川に組み合わせを訊ねる。
「チキンドリアと、グリーンサラダ、オニオンコンソメスープでお願いします」
「俺はチキンドリアと根菜のタルタルサラダとコンソメスープを。それから、食後にコーヒーを二人分……ブレンドでいいのか?」
「うん」
 氷川が頷くと、店員は注文を復唱し、伝票を置いてカウンターに戻っていった。それを視界の端に捉えながら、手持ち無沙汰に水を含む。氷が軽い音を立てて揺れた。
「遊びに行くなら都内まで出るって言ってたけど」
「よく覚えてたな」
 記憶を頼りに言うと、野分が目を丸くした。
 遊ぶなら近隣ではなく都内まで出てしまうと聞いたのは、夏期休暇の終わり頃だった。生徒会主催のボランティア活動で少しばかり問題が起き、気晴らしにと遊びに誘ってくれた。あの時の埋め合わせを、そういえばまだしていない。
「四年いる人にゲーセンなんてあったのかって言われればね。その後、見つけた?」
「ああ、行ってみた。まあ……懐かしい感じの品揃えだったな」
「そう、レトロってほど古ければそれはそれで味になりそうだけど、こう微妙に古めかしいっていうか。クラスメイトは寂れてるって言ってたけど、それを否定できない感じ?」
 失礼なことを言う氷川に、野分が失笑する。
「氷川はああいう所で遊んでそうな雰囲気じゃないよな」
「そうだね、誘われれば行くこともあるけど、反射神経が悪いからゲームは苦手かな。野分くんは?」
「俺も自分からは行かない。行かないから上達しない」
 尤もなことを言って、野分が軽く肩をすくめた。水で唇を湿らせ、氷川は軽く指を振った。
「まあゲーセンはいいんだけど。このお店はよく来るの? 野分くんは近所のお店なんて知らないかと思ってた」
「ここの上の本屋はたまに使ってるんだ」
「へえ、野分くんは本読むんだ?」
「読むのレベルに依るが、まあ多少は」
 多少とはどの程度だろう。少なくとも、ろくに本を読まない氷川よりも少ないことはないはずだ。どうもこの学校に入ってから、周囲が読書家ばかりなようで居心地が悪い。その感情のまま身じろぎ、行儀悪く卓に肘を置いた。
「俺もちょっとでいいから本読むべきかなあ」
「忙しいなら無理しなくてもいいだろう」
「忙しい、ってこともない、かも」
 首を傾げる。これで検定試験対策をはじめれば忙しいも忙しくもないもない時間のなさになるが、それも決めかねている。軽く笑った野分が、舐めるように水を飲んだ。
「それなら読書の習慣を身につけて損はない。どうせ進学すれば、テキストは教員の著書になることも少なくないしな。活字が苦手って人種じゃないだろ」
「そうなんだよね……折角だから何か買って帰ろうかな」
 感化されたように呟く氷川に、野分が指で上を示す。
「そこで?」
「じゃなくてもいいけど、どうして?」
「ここの上に入ってる店はSF専門店だから。そりゃ読みやすいもんもあるけどな、子供向けとか」
「子供向けね……」
 馬鹿にしている風ではないが、つい胡乱な表情で繰り返してしまう。野分が宥めるように手を広げた。
「フィクションの中でもSFとミステリは難解なもんに分類されやすいし、実際に面倒な話も多い。子供向けってのは要するに初心者向けってことでもある」
「それはわかるよ。ブレードランナーは今見ても面白いけど、易しい話じゃないよね」
 米国映画ブレードランナーは、氷川達が生まれるよりも前の作品だ。今ほどCG技術が発達する前の作品にしては、演出の技術も高く、また後々の作品に多大な影響を与えたということも理解できる。新宿歌舞伎町を参考にした、無国籍で雑多な街並みが果たして未来的かはともかく。
「ブレードランナーの原作は、フィリップ・ディックの長編小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。原作ではブレードランナーって単語すら出てこないから、映画化にあたって色々と用語が変更された例のひとつだろうな。ディックの作品としては難解じゃないほうだとはいえ、誰にでも読みやすい作品とは言い難いけど、読めれば心底面白い作品でもあるよ。読むなら貸すけど」
 資料もなしにすらすらと話す野分は楽しげだ。好きなものについて話す時、人は誰でも活き活きとしている。少し考え、氷川は首を横に振った。
「やめとく。今の俺にはハードルが高そう」
 その返答も予想していたのだろう、野分は特に残念そうでもなく頷いた。
「そっか。氷川はどんなものに興味がある? 一口に本って言っても色々ある。小説だけでもジャンルは幅広いけど、それだけじゃない。専門書は分野の数だけ分かれてる。逆に社会問題とか、政治や経済を扱ったもののが読みやすいんじゃないか」
「それはあるかも。普段から読んでるニュースの延長だもんね」
「新聞記事をまとめただけの代物だったりもするしな。学校図書にもそこそこ揃ってるけど、買うなら駅の北側に品揃えがいい店がある」
「翻訳も?」
「もちろん。目当ては?」
「ラテンアメリカを扱ったものがあると嬉しい。歴史と政治を浅くでいいからまとめたものっていうか。それが分かれば経済の見通しも読めるから」
「中南米か……ちょっとごめん」
 野分がスマートフォンを取り出し、何か操作してから仕舞う。そうしている間に、注文したものが届いた。とろけたチーズにはほどよい焦げ目がついていて、いかにも美味しそうだ。野分がフォークを手に氷川のトレイに視線を向けた。
「レタス美味そうだな」
「……半分ね」
「やった」
 物欲しげな表情と言葉に負けて、サラダの皿を渡す。野分はグリーンサラダを半分ほど自分の皿に移し、根菜のタルタルサラダを半分ほど氷川の皿に移動させた。行儀が良くないが、大目に見て貰おう。氷川はスプーンでくるくるとスープカップをかき混ぜた。湯気と共に、コンソメの香ばしい香りが立ち上る。
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