嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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野分彩斗

デート 2-2:彼の親戚ふたたび (2)

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 カウンター席へ向かう背中から視線を外し、氷川は冷めたコーヒーをひとくち飲む。野分が自分のトレイからクッキーを氷川のトレイに移動させた。
「ありがとう」
「どういたしまして。何、ナンパでもされてたの?」
「そう思う?」
 冗談めかした野分に問い返すと、彼は苦笑した。氷川は貰ったクッキーを割って口に入れる。チョコチップとナッツが入ったアメリカンクッキーは、この季節だからかココアが混ざっていてほろ苦い。野分が手を伸ばして残った半分をつまんで持ち去る。
「そういう雰囲気じゃないわな」
「うん。おうちの話を聞いてた。街角悩み相談みたいな感じ。このクッキー美味しいね」
「ああ、バランスいいな。で、なんで氷川に?」
 ペーパーで手を拭いて、野分がコーヒーを飲む。氷川は首を捻った。直接的な理由は氷川が促したからだが、何故話してくれたかは分からない。
「ほぼ初対面の他人で部外者だけど、完全な部外者でもない距離感が丁度良かったとか」
「悩み相談は親しくない相手のがしやすいって話か」
 野分が二、三度頷き、そして大きく息を吐いた。伏せた瞼を縁取る睫毛が、下瞼に影を落とす。
「それにしても……祖父さんには、俺が優しくて面倒見のいい子供に見えてたのか。ろくに会って話したこともないのに」
 呟く横顔が寂しげで、氷川は思わず手を伸ばした。卓に置かれた左手の指先を掴む。氷川の手を握り込み、野分が唇の端を歪めた。
「祖父さんにとっちゃ、家族は茂木の親子だったんだろうな。俺たちじゃなく」
「野分くん、あのね」
 何かを言わなければとそれだけ口に出し、愕然とする。繋げるべき言葉を氷川は持っていない。あの、と繰り返して口を閉じる。野分は宥めるように氷川の手の甲を撫でた。
「いい、僻んでもないし、悲しくもない。実際、俺らは家族になるには他人行儀過ぎた。それで、茂木はなんだって?」
 優しく促され、氷川は視線を落とす。茂木には話しても良いと言われた。野分が知りたいならば、伝えるべきだろうか。彼にとって、面白い話ではないかもしれないし、茂木の願いは一言のもとに切り捨てられるかもしれない。だがそれを決めるのは、当事者であるべきだ。
「茂木くんはね……野分くん達と、仲良くしたいって言ってたよ。好かれてないのも、邪魔にされてるのも分かってるけど、それでも、親戚関係に……多分、憧れみたいなみたいなものがあるんだろうね」
 言われた内容を整理して伝えると、野分は大きく息を吐いた。強く氷川の手を握り込む、その触れ方がまるで縋るようで、身じろぐことさえためらってしまう。野分が緩くかぶりを振った。
「なあ、氷川。俺はずるいかな」
「どうして?」
「あいつがそう思ってることを薄々勘付きながら、見ない振りをしてた。都合が悪いからだよ。茂木が面倒事を増やしたことにしたほうが楽だったからだ。従兄姉や伯母たちと変わらないな」
 暗く沈んだ声が白いテーブルクロスに落ちる。そんなことはないと言うべきかもしれない。だが、上辺だけの否定は空虚で無価値なものだ。詳しく事情を知りもしない氷川が何を言ったところで、野分には届かない。
 氷川は冷めきったコーヒーで唇を湿らせ、口を開いた。
「野分くんにとって、ずるいことは、悪いこと?」
 斜め方向からの問いに、野分が目を上げた。氷川を見返したのは一瞬だけで、すぐに視線をそらす。
「道義的に見て、いいこと、じゃあねえわな」
「そっか、じゃあ、変わらないといけないね」
 努めて何でもないことのように言うと、野分がぴくりと手を強張らせた。
 氷川自身、素直とは言い難い性格をしている自覚はある。最早それが自分だと開き直ってさえいるし、彼に正しくないと断罪されても早晩変われはしない。それくらい、性格や性質、考え方を変化させるのは困難なことだ。けれど、なにかひとつ行動するだけならな、そこまで難しくもない。
「茂木くんたちと、分割に関する話し合いってしてるの?」
 踏み込んだ問いに、野分が迷うように瞳を揺らした。そして小さく首を傾ける。
「俺は一度しか同席していないから詳しく知らないが、遺言の破棄には同意できないと言われたらしい」
 言われて思い出す。そうだ、そういう話だった。法定通りではない比率を指定されていたことが、野分の親族には受け入れられなかったという話だった。心情的にも受け入れがたいだろう。しかし、そのままでは平行線だ。
「部外者だから簡単に言っちゃうけど、今するべきことって多分、関係者皆さんで胆を割って話し合って、納得できる着地点をすり合わせることだと思う。そのための根回しができるのは、野分くんだけなんじゃないかな」
「根回しを、俺が?」
 野分が目を瞠る。それに頷き、先刻感じた違和感を言葉に直した。
「茂木くんがどう思ってるか、野分くんは知ったよね。親戚関係みたいに親しくなりたい、それって、沢山お金を受け取りたいってこととは違うんじゃないかな」
「だが……」
「遺言状には確か、茂木くん達を親族として迎え入れるように、みたいなことが書いてあったんでしょう? それだけが理由じゃないだろうけど、それも理由かもしれない」
「だとしても、それは難しいな」
「うん、それに、実際は違うかもしれないし。だからね野分くん、確かめてみるのが一番いいと思う。それで、思ってることに納得できるなら、仲介してあげたらどうかな。ほら、幸いにも当事者がまだいるし」
 氷川は首を巡らせ、カウンター席を確かめる。茂木はこちらに背を向けて座っていた。氷川の視線を辿ってそちらを見遣り、野分が眉根を寄せる。
「無責任にけしかけてごめん、でもどうするか決めるのは野分くんだし、俺は強制も強要もしない。野分くん自身が納得できるように、したいようにすればいいと思う」
「……ずるいな、氷川は」
「うん、そうだね」
「そんな風に言われたら逃げられない」
「気が進まないなら放っておいてもいいんじゃない?」
 穏やかに、誘うように言うと、野分が氷川を睨め付けた。
「本当、卑怯だ。むかつく」
 強く氷川の手を握ってから、野分は腰を上げる。触れていた体温がなくなり、急に冷えたような気がする手を引いた。彼は氷川の髪を軽く梳き、腕の付け根を軽く叩く。
「俺はまだおまえに愛想尽かされたくない」
 抑揚のない声で、独り言のようにそれだけ告げると、野分は茂木へと歩み寄った。声を掛け、隣に座る。話し始める従兄弟同士の姿から目をそらし、氷川は冷めたコーヒーを飲み干した。
 野分が、彼自身がやるべきだと思うことを放棄したとしても、それで愛想を尽かすことなどあり得ない。彼の言葉通り氷川は狡猾で、他者の弱さを断罪できる立場にないからだ。むしろ、愛想を尽かすとしたら野分のほうだろう。
 彼の好意が嘘ではないことは理解している。それでもなお恐れるのは、氷川自身が野分を失いたくないと考えてしまっているためだ。表層だけそれなりに取り繕った氷川の本質が、決して綺麗なものではないことは野分も知っているはずだ。今はそれでも好きだと言ってくれるが、その内にもっと善良な相手がいいと考え直す可能性は低くない。家庭を持たないなどという考えを翻すこともあるだろう。その時、氷川は過去の汚点として切り捨てられる。止める術はない。
 暗い思考を振り払うように深呼吸をして、氷川は気をそらすように本を開いた。テーブルの上では野分のコーヒーが、飲む人物もいないままただ冷め切るのを待っていた。
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