嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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野分彩斗

デート 2-3

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 一通りの話を済ませた野分がテーブルに戻ってくる頃には、氷川は購ったばかりの新書本を二章半ばまで読み進め、野分の分だったコーヒーとチョコレートクッキーも綺麗に平らげてしまっていた。
「放っておいて悪かった」
 その言葉に、本を閉じて顔を上げる。
「お疲れさま。野分くんのコーヒー飲んじゃった。おかわり貰う? それとも、もう出る?」
「そうだな……氷川はまだ買いたい物や寄りたい所はある?」
「今日はいいかな」
 春物を買い足すとしてももう少し先でもいいし、何より、買い物を楽しみたい気分ではない。
 氷川の返答に野分は軽く眉を上げ、ふたつのマグを手近なトレイに並べた。
「ならおかわり貰ってくる。氷川もブレンドでいい?」
 当たり前のように取りに行こうとする野分に甘えて頷く。彼はわかったと言ってカウンターへ向かった。並んでいるのはほんの数人で、さほど待たされることなく彼はコーヒー二杯とブラウニーを手に戻ってきた。
「お待たせ。ブラックで良かったよな」
「ありがと、俺も何かお返ししたほうがいいのかな、これ」
 当たり前のように渡されたコーヒーとブラウニーの皿に、氷川は指で頬を撫でる。野分は唇だけでにやりと笑んだ。
「俺は飴よりマカロンのが好きだな」
「たまに女の子みたいなもの欲しがるよね……分かった、その頃までに見繕っとくよ。好みのフレーバーを教えておいてね」
「敢えて選ぶならピスタチオかな。氷川がくれるならなんでも嬉しいけど」
 潜めた声は口説くような響きを帯びていて、ついついテーブルの下で靴を軽く蹴ってしまう。
「ピスタチオね、了解。うっかり香辛料屋さんのピリ辛マカロンを調達しちゃわないように気を付けなきゃ。ピスタチオって山葵と似た色だし」
「おまえね……」
 野分が頬を引きつらせるが、別に彼は辛いものが苦手なわけでもない。まあ、甘いと思って食べたものが辛かったら衝撃を受けるだろうが。
「冗談だよ、ちゃんと美味しいお店を調べとく。茂木くんのほうは、話がついた?」
 問いかけ、熱いコーヒーを飲む。野分は持っていたマグを置いた。
「お陰様でな。ここまで面倒見てもらったんだ、なんとかするさ」
「俺は何もしてないよ」
「話を聞いてくれたし、背中を押して貰った。なんだか……俺はおまえに世話になってばっかりだな」
 野分が手を這うように伸ばし、氷川の指に触れる。その冷たさにはっとした。茂木と話すにあたり、緊張していた残滓だろう。形の良い指先が、愛撫するように爪を撫でる。氷川は慌てて手を引いた。昼日中の街中できわどい真似は慎んで欲しい。氷川の反応に楽しげに表情を緩め、野分が首を傾げた。
「そうそう、あいつの話を聞いてて思い出したけど、おまえの宿題はいつ提出して貰えんの?」
「宿題?」
 何かあったろうか、心当たりを探りつつ鸚鵡返しに問うと、野分は眉をひそめた。
「忘れてんの? おまえから俺にお願い事、決めといてって言っただろ、去年の……期末考査の勉強中に」
 曖昧な記憶を辿るように野分が言う。そういえばそんなこともあった気がする。直後には何度もせっつかれたが、特に思い浮かばなかったので保留にし、そのままになっていた。
「そっか、何も頼んでなかったっけ。でも別にもういいんじゃないの、野分くんの目的は達成したんだし」
 野分に頼みたいことを決める、そのために野分のことを考えろという命令だった。意識させたい、好意を持つように仕向けたいという思惑は見事に成され、現状を導き出した。強制権を持つ頼みごとなど、今更必要ないはずだ。そう考え断ると、野分は不服そうに口を曲げた。
「それはそれ、これはこれ。ある権利は正しく行使してくれないと」
「そんなこと言われても……今は特に困ってないし」
 そう、今は、特に、何も困ってはいない。
 自分で言った言葉が胸の中で反響し、腹の底に降り積もる。沸き上がる苦みを誤魔化すように口に運んだブラウニーは甘く、しかしカカオのほろ苦さが舌に残った。コーヒーを飲んだ野分が苦笑する。
「欲がないな」
「そんなことも、ないんだけどね……どうしてもっていうなら、そのうち、使わせて貰うよ」
「そのうち?」
 野分が首を傾げる。それに頷き、マグを口元に運ぶ。マグをテーブルに戻すと、ごとりと重い音がした。
「そのうち……いつか、野分くんが俺に飽きたら」
 その言葉に野分は二回、ゆっくりとまたたきをし、そして目を見張った。わなないた唇が、低く声を紡ぐ。
「飽きる、って」
「だって野分くんは普通に、女の子が好きでしょう」
 言ってから、前にも同じ台詞を言ったことがあると思い出した。きっとあの時点で既に、野分は氷川をそういう意味合いで好いてくれていたのだろうが、その時、彼は否定も肯定もしなかった。それこそが肯定であると、氷川にはよく理解できた。振る舞いを見ていればわかる。彼は普通に女性が好きで、そして場慣れした男だった。
「いじらしい恨み言、と言うにはちょっと、重い台詞だな。そんなに俺は信用ならない?」
 溜息を吐いた野分が困ったように言う。
「そんなことはないけど……でも、人の心なんて分からないものだし。俺自身もね」
「つまり、俺が捨てられる可能性もある、と……それは残念だ。ちょっと思い上がってたみたいだな。今の相手が最良だから迷うなって書いてあったのに」
「あの時はまだそういう風にちゃんと思ってすらいなかったし、それに俺にとって最良でも、野分くんにとってどうかは別でしょう」
 正月にひいたおみくじを引き合いに出されて、氷川は苦笑する。たかが紙切れ一枚というつもりはないが、印刷されたおみくじの言葉は真に受けるには軽すぎる。野分も冗談半分だったのか、軽く肩をすくめた。
「それは自分じゃ分かんないことだけどな。それでも、まあ……そうだな、いつか飽きると思われてたわけね」
「疑ってるわけじゃないよ」
「でも、信用してもいない」
 否定の言葉を、別の表現で躱される。氷川は困って目を伏せた。肯定しづらいが、否定すれば嘘になる。自分を誠実な人間だと思ったことはないが、ここで嘘をつきたくはなかった。黙した氷川に、野分が息を吐いた。
「残念だけど、俺にはおまえを安心させてやれるような約束はできない。家の外に女囲ってた男の孫が何言った所で説得力もないしな。まあ、それでも……そうだな。考えてたことはあるんだ。こんなこと言っていいものか、迷ってもいたんだけど」
 野分はコーヒーを一口飲み、氷川、と静かに名前を呼んだ。つられたように顔を上げると、彼は思いの外真剣な眼差しをこちらに向けていた。普段見ることの少ない真面目な表情に、拍動が乱れる。そっと呼吸を整え、そらした視線を戻す。こちらの聞く姿勢が整うのを待って、野分は話を再開した。
「まず始めに聞きたい、氷川の親父さんの事務所は、世襲でなければ駄目なのか、つまり、氷川が継ぐしかないのか」
 予想外の問いに氷川は首を捻る。そんなことは考えたこともなかった。自分が継ぐのが当たり前だと思っていたのだ。
「分かんないな、駄目ってこともないだろうけど……別に俺より優秀な人なんて世の中掃いて捨てるほどいるし、働いてる人もちゃんと資格持ってる人もいるから、なんなら任せられるとは思うよ」
「こんな人材が掃いて捨てるほどいてたまるかよ。まあ、でも、そうか、じゃあ、その人なり誰なりに任せて、氷川が一般企業に就職することも不可能じゃあないんだな」
「無理、ではないだろうけど……ただ、父は失望するだろうね、父の望んだ高校を卒業できない、父の望んだ道を歩けない俺を」
「それなら親父さんには俺が口添えする。だから、違う道を考えてくれないか」
 野分は相変わらず氷川を過大評価しているなと考えていた氷川は、続けられた言葉に眉をひそめた。氷川は将来の会計顧問としてこそ価値を見出されたはずだ。事務所を離れれば仕事ができない。困惑そのまま、言葉もなく野分を見返す。無言の要請を受けて、彼はつまり、と噛み砕いた表現に変える。
「親父さんの事務所じゃなく、俺の側で働いて欲しいんだ」
 穏やかな声が告げた内容が、ゆっくりと脳に浸透する。野分はいずれ彼の実家の経営する企業に入るだろう。いくら同族企業とはいえ、それなりに名の通った小さくない会社だ。次男の彼は社長にはならないだろうが、相応の椅子は用意される。あるいは支社を任せられることもあるだろう。当然、身近には有能な人材はいくらでも欲しいだろう。法務や経理の専門家がいて悪いことは何もない。自分を、その一人にと望んでいるというのか。
 目を見張った氷川に、野分が軽く肩をすくめてみせる。
「そうなりゃ俺が倒れたら共倒れだ。信用できないなら断ってくれていい」
「その心配はしてないけど……」
「ああ、士業資格があれば潰しも利くか」
「そういうことじゃなくて、だって俺が監査をやったほうが都合がいいんでしょう」
 文化祭で顔を合わせた根津の態度は、要するに親しい相手がその役割を継ぐならば様々な意味合いで都合が良いという思惑が読み取れた。野分がそれを理解していないはずがない。彼の言葉はその意図に反するものだ。動揺した氷川に、野分が苦笑した。
「ああ、やっぱりそう思うよな、まあ、それはそれで間違っちゃいないけどね。でも俺はそんな都合なんてどうでもいいんだよ、真っ当にやってんなら誰に確かめて貰ったって変わんないんだから。だからさ、そういう面倒なことじゃなくて、だから俺が言いたいのは」
 言い止して、彼はコーヒーで唇を湿らせた。そしてケーキフォークでブラウニーを小さく切ると一片に突き刺し、持ち上げる。氷川の口元に甘くほろ苦いチョコレートケーキを寄せて、彼は微笑んだ。
「おまえの人生を俺にくれないかって、そう言ってんの」
 驚愕に開いた口を閉じさせるように、フォークが口に入ってくる。人前でなんて恥ずかしい真似をするんだと呆れたのは一拍後で、その瞬間は咄嗟に口を閉じてしまった。金属が抜き去られ、カカオとアーモンドの濃密で薫り高い風味が口の中を支配する。咀嚼もできずに固まる氷川に、野分が身を寄せて囁く。その声は、砂糖たっぷりのケーキよりもまだ甘かった。
「ずっと好きだとか言えなくて悪いけど、俺には絶対、一生、おまえが必要だから、一緒にいて欲しいんだ」
 懇願するような甘い誘いに思わず頷きそうになり、氷川は慌てて口の中のものを咀嚼し嚥下した。コーヒーで渇いた喉を湿らせ、ようやく声を出す余裕ができる。
「俺はそんなに有能な人材でもないよ、交渉ごとも不向きだし」
「充分向いてると思うが……まあそう言うならそれでもいい。でも書類関係は迅速で正確、下準備も的確で、数字にも強い。電卓叩かせるだけにしとくのは勿体ないのは確かだろ」
 指折り数える野分は至って冷静そうかつ自信に満ちていて、確かに人を見る目はあるのだろうと思わされる。何でも出来ると言わないところが彼のずるい所だ。そうかもしれないと思わされる。
「そこまで言って貰えて光栄だよ。だけど、少し、考えさせて貰っていいかな」
 考えたところで氷川はどうせ従いたくなってしまうだろうけれど、その決断をするならば両親とも話し合う必要がある。感情のままには動けない。それを理解しているのだろう、野分はもちろん、と首肯してから、だけどねと話を繋いだ。
「氷川の結論がどんなもので、どの道を選んでも、俺はおまえを手放してやる気はないから」
 その宣言がどのような意味合いか問い質す余裕は、少なくともその時の氷川には存在しなかった。

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