嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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橘祐也

MV撮影 4:キスもできない

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「崩すと怒られるよ」
「ああ……うん」
 窘めると、橘は大人しく髪に差し込んだ指を下ろす。既に充分乱れてしまっているが、それは言っても仕方がない。下手に手を出して更に崩してしまうのも怖く、氷川はただ橘の顔を眺めていた。
 悔しげで苦しげな表情に、浮かれた気持ちはあっという間に沈んでしまった。先程の言葉が彼の本心だったとしても、引きずり出されるのは不本意だったのだろう。改めて考えるまでもない、容易に受け入れられるならば、はじめからそうしている。
 それでも謝る気にも、なかったことにするつもりなく、氷川は黙って紙吹雪の箱に向かい合った。和紙の束と鋏の一式をまず橘に渡し、次に自分の分を手に取る。話を促すことなく作業を再開すると、橘も溜息ひとつで鋏を使い出した。
 鋏が紙を裁ち切る、切れ味の良い音が不規則に鳴る。橘は氷川よりも手先が器用で、手際が良かった。そういえば江上もそうだったなと思い出す。どうやら弦楽器を弾く人間には器用な人物が多いらしい。
 やがて撮影現場の中心が慌ただしくなり始める。そろそろ撮影が再開されるのだろう。黙々と手を動かしたためか、材料の残りは少なくなってきた。箱は七割方、三角片で満ちている。最後の一束に手を伸ばすと、同じタイミングで橘もそれを掴んでいた。しばし動きを止め、半分程度の枚数を分け合う。縦に細長い紙を量産し終えた橘が、ふと手を止めた。息を吐いて、がくりと頭を垂れる。
「本当はわかってるんだ。俺が間違ってた。メンバーと付き合うなってのは、肩書きのことじゃなくて……好きな人と、一緒にはやれないって、まともにはできないって、それだけのことだった」
 苦い声が、相変わらずネガティブな言葉を紡ぐ。鋏を動かしながら、氷川は顔をしかめた。
「じゃあ、どうするの。俺が辞めれば、橘くんは上手くやれるの? それなら、それで良いよ。元々、俺は別にそこまで音楽に入れ込んでないし」
「嫌だ。俺は氷川くんだから組みたいって思ったのに」
「でも、俺とはできないっていうなら、他にないよ」
 意図的に狭めた選択肢は、橘を追い詰めるための罠のようなものだ。そして同時に、氷川には背水の陣でもある。彼が頷いてしまえば、全てが崩れ落ちる。それを恐れながら、言葉を重ねた。
「幸い、まだお披露目的なことはしてないし、ボーカルをすげ替えても大丈夫でしょ。誰か、いいメンバー探してよ。俺より上手くやれる人なんて、いくらでもいるからさ」
「無理だよ」
 橘が紙に鋏を入れる。その軌道はれて、がたついていた。氷川は見ない振りで、努めて明るい声を作る。
「大丈夫だって。あ、一応言っとくけど、橘くんが抜けるなんてのはないよ。俺は橘くんのギター以外で歌うつもりはないから」
 きっぱりと宣言すると、橘が緩くかぶりを振った。違う、と、ほとんど音にならない声が囁く。スピーカーから流れる音楽や、機材を動かす音、人の話し声や足音、そんな沢山の音に紛れて消えそうな声に、氷川は注意深く耳を澄ませた。
「そういうことじゃなくて……俺ね、自分で思ってたより、欲張りだったみたい」
 ぱらりと、いびつな直角三角形が舞い落ちる。氷川の手元からも、橘の手元からもこぼれ落ちるそれは、手間暇掛けて作っているという意味合いでは確かに時間の結晶に似ていた。作業の手は止めないまま、橘が静かに言葉を繋ぐ。
「どっちも諦めたくなくて、でも諦めなきゃって思ってたから、簡単なことも上手くいかなかったんだ。もう、開き直ることにした。バンドも続けるし、メンバーチェンジもしないし……氷川くんのことも、諦めない。ね、それでいいんでしょ」
 言い聞かせるような言葉に、氷川は目を見張った。鋏を置いて顔を上げる。こちらを見る橘の表情には、怒りも呆れもない。ただその瞳に、悟ったような静けさを湛えていた。手の内が読まれていたことを察して、氷川は苦笑を浮かべた。江上の扇動を利用して、もう一段階危機感を煽ったつもりだったが、この様子では効果の程は怪しい。
「もしかして、気付いてた?」
 訊ねると、彼は軽く肩をすくめた。
「誘導に? まあ、梨野さんからちょっと叱られたのもあるけど……少しは」
 橘が手を伸ばして、氷川の肩を引き寄せる。されるがままに抱き込まれて、氷川は目を伏せた。背を撫でて、小さく謝る。
「ごめん……梨野さんは、なんて?」
「俺が氷川くんを蔑ろにしてる、って言われた。未来なんて誰にも分かんない、不確かなものなのに、来ないかもしれない破局に怯えるのは馬鹿だって」
「辛辣だね」
「でも……間違ったら、俺が正してやる、なんて言われたら、勝てないよね」
「梨野さんって、見た目より男らしいね」
 面立ちといい髪型や雰囲気といい、ふわふわとした印象の人なのに、言動には弱々しさなどまるでない。氷川の評価に、そうだねと同意して、橘は大きく息を吐いた。俯くと、セットが崩れた髪が揺れる。
「それに、どうせ元々、他の途はなかったから」
 投げやりにも聞こえるとりなしは、言葉のわりに明るい。
「そうかな」
「そうだよ。欲張りで我儘な俺には、バンドを諦めるって選択はないし、そうしたら、まあ、理屈で片付くなら最初から困らないし、欲しいものは欲しいから、仕方ないよね」
 身体を離して、橘が氷川の顔を覗き込む。橘は悲観ではなく、あっけらかんとした諦観を背負って柔らかく頬を緩めていた。開き直りに近い、不敵で、自信に満ちた表情だ。自分自身だけでなく橘の退路をも断った負い目は、その顔を目にしただけで消散した。それでも胸に流しきれないものが残って、氷川は軽く目を伏せた。
「追い込むような真似して、ごめん」
「だから、いいんだって。むしろ、そんなことするくらい氷川くんが俺を好きでいてくれたんだと思えば嬉しいくらいだし?」
 ともすれば軽薄にも聞こえそうな台詞を平然と告げ、橘はアイラインで囲まれた目を細めた。そして、あ、と声を漏らす。
「まだ撮影あるから、キスもできない」
「ああ、口紅移るね」
「……生殺しだ」
 心底悔しそうな声で呻き、橘が肩を落とす。その様子と、橘の変わり身の早さに、氷川は喉の奥で笑いを漏らした。こっちはずっとそうだった、なんて恨み言を言う気にもならない。幸せで、嬉しくて、胸が満ちて――そのせいで更に二回、NGを喰らった。

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