嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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橘祐也

MV撮影 3:トリガー

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 新品の鋏が、切れ味の良い音を立てて和紙を断ち切る。縦目に従って鋏を入れ、細長い紙を量産する。枚数が多いと手が痛くなるが、少ないと作業量が増えてそれはそれで効率が悪くなる。適切な枚数を探すのは、言葉を選ぶのと同じくらい難しい。
「何、と言われても……」
「最初は喧嘩でもしたのかと思ったけど、それにちゃあ氷川は落ち着いてるし」
「ええ、喧嘩は、してないつもりですし、怒らせた記憶もありません」
 細く切った紙に、斜めに鋏を入れる。はらはらと紙吹雪の元が、影に沈む箱に落ちた。三角形にすると滞空時間が長く、舞い方も美しいと教えてくれたのは映像制作会社の人だった。アドバイス通りに、不規則に三角形を作っていく。江上が新しく和紙を数枚、手に取った。
「だったらなおさら、祐也の様子は変だ。あんなにNG出すほどの演技でもないはずなのに……氷川は何も知らないのか? 何もないとは思えないんだけど」
 長方形の和紙が、はらりといびつな三角に変化して落ちる。手元から目をそらさないまま、氷川は重い息を吐いた。
 橘が何に戸惑い、ただ抱き縋るだけの演技に手こずっているのか、氷川にはわからない。
「すみませんが、何も……本当に、何もないんですよ」
 そのニュアンスに何かを読み取ったのか、江上が顔を上げた。
「それ、どういう意味の“何も”?」
「江上さんが考えていることは分かりませんけど、どういう意味でも何もない、と思います。喧嘩もしていませんし、悩み相談も受けていませんし、それ以外の何かもありません」
「何も分かんないってことか? お前らデキてんだろうが、それでその言い方はどうよ」
 江上の言い様に、氷川は目をまたたいた。ここにも社会通念を蔑ろにする人がいた、と思わなくもないが、他人のことを言える身分でもないのでそれは指摘しないでおく。代わりに、誤解を解くべく口を開いた。
「でき……て、ませんよ」
 いささかぎこちない否定に、江上が手にした鋏が斜めにずれる。縦の長い長方形の一辺が、いびつにゆがんだ。江上が常よりも低い声で、怪訝そうに問う。
「……あれで?」
「橘くんは、俺とそういう風になることはないそうですよ」
「そうは見えねえけど」
 溜息のような反駁に、氷川は苦笑を漏らした。江上は刃の軌道を修正して、また紙を切り始める。氷川も同じように作業を進めながら、出来るだけ温度のない声で応えた。
「メンバーとは、そういう関係にはなれないと」
「お堅いな」
「そうですね」
 はらり、三角片が落ちる。リバーブを掛けた柔らかみのあるスネアの隙間を縫うように足音が近付いてくる。視線だけで氷川の背後を窺った江上が、鋏を置いた。伸びてきた大きな手が、氷川の左手の手首を捉えた。
「だったら、俺にしとけば」
「はい?」
 脈絡のない発言に、氷川は間の抜けた声を上げて江上に視線を向けた。切りかけの和紙が箱の中に落下する。江上は感情の見えない、真剣な表情で氷川に視線を向けている。光が入ると、茶色い瞳の虹彩の端は濡れたような青みを帯びた。垂れた目尻を囲うアイラインは濃くて釣り気味で、普段よりも少し、きつい印象だ。
「俺ならそんな面倒言わねえし、そんなややこしい心労もかけない。手始めに、イメージシーンの配役変えるか。俺と祐也の役柄チェンジすれば、進行も滞らないしな。それでスムーズに進んだら、おまえ、俺にしとけよ」
「……無茶苦茶ですよ」
 どういう理屈だと、氷川は半眼で切り返す。いつの間にか足音は止まっていた。
「そうか? 進行に差し障りがあるかが重要ポイントだってんなら、役くらい変えればいい。撮り直しの手間もそこまでじゃないしな」
「そこはわかりますけど。そういう問題じゃなくて……っ!」
 不意に江上の指先が手首の内側を撫で上げ、氷川は言葉を途切れさせた。緩い袖口から侵入し、這い上がる爪の感覚に息を詰める。くすぐったいだけだが、笑っていい場面でもない。
「そういうことなら、遠慮いらないだろ」
「遠慮、してたんですか」
「相思相愛で出来上がってる奴に手出すほど無粋じゃねえよ。けど、祐也がいらないってんなら、俺が貰っていいだろ」
 俺は物じゃない、という反論を胸中に留め、氷川は俯き表情を隠した。江上の台詞は、氷川に向けられたものではない。
 江上の手が、氷川が持っていた鋏を攫って床に置いてしまう。そして掴んだままの腕をぐいと引かれた。箱の上ではなく、江上の膝の上に。
「そういうことで、こいつ貰うから」
 氷川の耳元で、江上がそう宣言する。先程から一言も発さず、ただ氷川の背後数メートルの位置にいた、橘に対して。
「あの」
 体勢のいたたまれなさに声を上げた氷川の後頭部を、江上が撫で、髪を梳く。ヘアメイク嬢に怒られそうだ、などと能天気なことを考えていられるのは、江上が本気ではないと察しているからだ。身じろぐ氷川に喉の奥で笑いを漏らし、江上は髪に埋もれた耳の裏をくすぐった。
「寂しいんだろ。ガキよりは上手く慰めてやるよ」
 低い声がわざとらしい甘さを帯びる。濡れた響きがすぐ耳の側で聞こえて、氷川は肩をびくつかせた。気のせいか、頬が熱い気がする。少し離れた場所で、息を呑む気配がした。狭い視界の中で、耳が早足の足音を拾う。こんな時でも彼は走らない、それもまた、プロ意識のひとつなのだろうか。実際、何かの間違いで転びでもしたら大惨事ではある。
 胸に、腕が絡む。重いギターを持ち運び、演奏する彼は意外と腕力がある。硬い腕の感触は、何枚もの布越しで遠い。背中に体温を感じる前に、江上から引き剥がされた。
「駄目」
 怒声ではない。すぐ耳の側で、揺らぐような滲むような声が言う。懇願に似た声音だと、一拍あとに気付いた。強引に開かされた距離の先で、江上が手持ち無沙汰そうに腕を下ろした。
「何でだよ、いらないんだろ」
 鋭い声に、橘が怯んだように息を呑んだ。氷川は軽く顔をしかめた。いらない、とこうも何度も繰り返されると、自分が不要な人間のように思えて気が滅入りそうになる。無論、江上の意図する所も、言葉の真意も理解はしているのだが。
 結局の所、問題は橘にある。江上はどういう形でもいいから、それを片付けたいだけだ。そうしなければ、この撮影は上手くいかない。そして本当に配役を入れ替えるなら、今そう決めてしまわなければ進行に支障が出る。要するにそれだけの話だ。今はまだ、それだけの話で済んでいる。だからこそ今ここで処理しなければならない。
 氷川はそっと、橘の腕に触れた。びくりと、肩に置かれた指が跳ねる。
「橘くん」
 名前を呼ぶと、彼は小さく息を呑んだ。囲うように回された腕が、動揺を表して震える。それを宥めることもせずに、氷川はずっと温めていた問いを音にした。
「橘くんは、どうしたいの。早坂さんや向井さんの教訓じゃなくて、橘くんの意思は、どうなの」
 好かれていることは知っている。拒絶された理由も、意味合いもよく理解している。けれど、彼の意思は知らない。ただ、ありたがい訓戒ひとつで押さえ込めるものなら、こんな風に手間取ってはいないのではないかと、期待するだけだ。
 この腕が欲しい。この声が欲しい。彼の心が欲しい。わき上がる衝動が、自分だけの一方的なものだと思いたくない。
 強張る腕に手を当てる。厚みのある生成りの素材は滑らかで手触りがいいが、触れたいのはその下にある肌だ。何度か軽く叩くと、橘が肩口で息を吐いた。そして控えめな声量で、囁くように言う。
「俺は……氷川くんが、欲しい。江上さんには、あげたくない」
 一言一言、確かめるようにゆっくりと紡がれた言葉が、肩に沈むように落ちる。それは胸へと滲むように広がり、じわりと身体の内側に浸透した。腹の底が熱を持って、それが全身に広がる。足のつま先や、指の先まで落ち着かないような、浮き立つような心地。これは歓喜だ。
 息を吸い、熱を逃がすように吐き出す。それから、興奮を殺して茶化すように告げた。
「俺は物じゃないけどね」
 いらないだの、もらうだの、欲しいだの、人格を無視した扱いがまだ続くのかと、うんざりした声音を装う。真に受けたのか、橘が慌てて謝罪を紡いだ。
「え、あの、ごめん」
「本当だよ。もう……良かった」
 嫌味はまともな形になる前に、溜息に消えた。心臓はまだ駆け足で、耳の近くの血管が脈打つ音がうるさい。けれど同時に心からの安堵も覚えて、氷川は背後に体重をかけた。橘が慌てたように氷川を支えて座り直したのが分かって、笑いが漏れた。
 正面から呆れたような嘆息が聞こえて、そちらに視線を向ける。江上は疲れた顔で、密着したままの高校生二人を眺めていた。氷川は身じろぎもせずに、目だけを軽く伏せた。
「ええと、そういうことで。ご面倒をおかけしました」
「本当にな……祐也」
 名前を呼ばれた橘が、氷川を囲った腕に力を込めた。今の氷川の台詞で状況を把握してもいいだろうに、むしろ警戒が強まった気がするのは何故だろう。動物だったら威嚇のうなり声を上げそうな雰囲気で、背中に体温が密着した。
「何」
「抱きつく演技、問題なくできそうだな」
 さんざん挑発された反動か、問い返した橘の声には険があった。それを気にした気配もなく、にやりと笑んだ江上はふらりと立ち上がる。
「一服してくる。おまえら、出番までにそれ終わらせといて」
「は、え、え?」
「ああ、本当、損な役回りだわ」
 狼狽える橘を余所に、氷川は無言で頷く。対照的な二人に、江上は軽い口調で嫌味を言って、控え室のほうへ歩いて行った。おそらく、煙草を取りに行ったのだろう。氷川は橘の手を叩いて、腕を外させた。そして振り返ると、呆気にとられた表情の橘に笑いかける。
「江上さんって、演技派だね」
「……やられた」
 江上の台詞が演技だったことと、煽りに乗って行動してしまった自分にようやく気付いたのだろう。橘が苦い声で呻き、セットされた髪を掻き回した。
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