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橘祐也
アンコール
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都合五曲を演奏し、アンコールでは更に二曲オリジナル曲を演り、加えて出演バンドから数人を呼んでコピーを演奏した。誰もが知っている洋楽の古典を選曲したのは、一番無難だろうと思ったからだ。一緒に練習していた先輩ボーカリストには、珍しい選曲だと言われたけれど。
そして二度目に戻ってきた楽屋で、氷川は会場の様子を映すモニターを前に座り込んでいた。
――アンコールが、止まない。
通常、この手のイベントはアンコール一回で幕を引く。既に終演後の物販を開始する用意もできている。それなのに、どういうイレギュラーかフロアの観客は手を叩き、声を上げることを止めようとしない。
「どう、しますか」
「どうって、これは……行くしかないんじゃないか」
氷川の問いに梨野が応じるが、彼の声にも困惑が滲み出ていた。江上がふらりと立ち上がる。
「時間的には余裕あるし、行こう。ハコの人と話してくる」
「戸田、行ける?」
「大丈夫です」
梨野の問いに、戸田が笑顔で席を立った。テーピングだらけの手を軽く握って掲げると、梨野がそれに拳を合せる。橘がギターを手にして、氷川に手を差し伸べた。
「行こ。待っててもらえる内が花だよ」
「うん」
引っ張られて立ち上がる。少々ふらついたが、立ってしまえば行ける気がした。
袖に戻り、スタッフにもう一回分頼んで、ステージの照明をつけて貰う。江上たちに選曲を任せ、氷川は場つなぎを兼ねてステージに上がった。アンコールが途切れ、短い歓声が上がる。
「えーと、呼んでいただいてありがとうございます。すみません、他のメンバーは今ちょっと準備と相談に時間がかかってます」
マイクを持ってステージをうろつきながら言うと、大丈夫?と声が掛かった。
「え、何がだろ。まあ何とかなりますよ、多分。でも、あの、準備してきた曲はもう全部やっちゃったんですけど、何がいいですか? 二回まわしになっちゃうんですけど。あの、タイトルが分かんないと思うんで、何曲目とか、どういうのとかで教えて貰えれば」
そう促すと、口々に要望が出始める。二曲目、四曲目、激しいの、バラード、と異口“異”音に叫ぶので、聖徳太子ではない氷川には実のところまったく聞き取れなかった。
「なんか全部言われた気がするんですけど……あ、そこのお嬢さん、どうぞ」
困惑をそのまま口にした後、ふと最前列の真ん中の女性が手を上げているのに気付いて指名する。どこかの司会者のような言い方になってしまったせいで、フロアが笑いさざめいた。彼女は少し照れた顔で頬に手を当て、氷川を見上げた。
「アメイジング・グレイス聞きたい」
その全く予想外の選曲に、氷川は首を捻った。
「賛美歌の?」
「前にストリートでやったやつ!」
「え、あれ、去年の時いた方? や、ちょっとそれは、皆に相談しないと……」
おろおろしていると、袖から橘が顔を出した。ぐるりと見回し、江上のマイクスタンドを勝手に調整して、会場と氷川に問いかける。
「どうしたの、この雰囲気。曲決まった?」
「割れてる」
端的に応じると、先程の観客がもう一度、アメイジング・グレイスやって! と声を上げた。こちらを振り向く橘に肩を竦めてみせると、彼は何か察した様子で苦笑した。
「あー……あれは基本アドリブだからなあ……」
セットされた髪を無造作に掻き崩し、橘がマイクに向き直った。
「静かなのと激しいの、どっちがいい? 静かなのがいい人、手上げて! じゃあ激しいのがいい人! ……圧倒的だね」
橘の誘導で行なわれた挙手による多数決は、数えるまでもなく勝敗を決した。橘がストラップの位置を直しながら氷川に歩み寄り、耳元に口を近づけて曲名を伝える。無難な選曲に、氷川は頷いた。
「それと、もうちょっと支度に掛かるから、せっかくだしアメイジング・グレイスやっとく?」
続けて囁かれた言葉に、氷川は目をまたたく。
「ここで? 俺はいいけど、大丈夫かな」
「ワンコーラスくらいならイケる、と思うよ。マイク貸して」
いささか不安の残る発言に戸惑いながら、橘にマイクを手渡す。一先ずその場を橘に任せ、まだ撤去されていなかったステージドリンクのペットボトルを手に取った。蓋に穴を空けて差されたストローをくわえ、ぬるい水で喉を潤す。背後では橘が雨だれのようにギターをつま弾いていた。
「オッケー、じゃあ準備の間、ワンコーラスだけ静かなの聞いて貰おうかな……ってヒロくんイケるよね?」
ステージに向き直ると、橘が振り返って訊いてくる。氷川は頷いて、手を差し出した。マイクを受け取り、照明が絞られたフロアに向き直る。橘が空間系のエフェクターを通したクリーンな音色で、前奏代わりにアルペジオを奏でると、フロアが静まり返った。背後でスタッフやメンバーが支度をしているのを感じながら、橘の奏でる音色に聴覚を集中させる。そして視線を交わすと、大きく息を吸って、歌い慣れた英詞を音に乗せた。
一番だけを歌い終え、メンバーとスタッフに視線を向ける。一人ひとり頷くのを確かめてから、BGMよろしくギターをつま弾いている橘に目を向ける。彼は唇だけで笑んで、エフェクターを切り替えた。
「今ここに、皆さんといられる奇跡に感謝して……――」
神妙な台詞の後に、ありがちな煽り文句を連ねると、フロアが笑いながら腕を上げる。橘が歪んだ音を鳴らし、そこに梨野が厚みを重ねた。氷川は唇に笑みを浮かべる。気分がいい。驚くほど、気持ちが良かった。その感覚のまま、会場を煽り立てる言葉を投げかける。反応の速度が上がるまで三回、コールアンドレスポンスを繰り返し、腕を上げて曲名を叫ぶ。間髪入れずにカウントが入った。
そして二度目に戻ってきた楽屋で、氷川は会場の様子を映すモニターを前に座り込んでいた。
――アンコールが、止まない。
通常、この手のイベントはアンコール一回で幕を引く。既に終演後の物販を開始する用意もできている。それなのに、どういうイレギュラーかフロアの観客は手を叩き、声を上げることを止めようとしない。
「どう、しますか」
「どうって、これは……行くしかないんじゃないか」
氷川の問いに梨野が応じるが、彼の声にも困惑が滲み出ていた。江上がふらりと立ち上がる。
「時間的には余裕あるし、行こう。ハコの人と話してくる」
「戸田、行ける?」
「大丈夫です」
梨野の問いに、戸田が笑顔で席を立った。テーピングだらけの手を軽く握って掲げると、梨野がそれに拳を合せる。橘がギターを手にして、氷川に手を差し伸べた。
「行こ。待っててもらえる内が花だよ」
「うん」
引っ張られて立ち上がる。少々ふらついたが、立ってしまえば行ける気がした。
袖に戻り、スタッフにもう一回分頼んで、ステージの照明をつけて貰う。江上たちに選曲を任せ、氷川は場つなぎを兼ねてステージに上がった。アンコールが途切れ、短い歓声が上がる。
「えーと、呼んでいただいてありがとうございます。すみません、他のメンバーは今ちょっと準備と相談に時間がかかってます」
マイクを持ってステージをうろつきながら言うと、大丈夫?と声が掛かった。
「え、何がだろ。まあ何とかなりますよ、多分。でも、あの、準備してきた曲はもう全部やっちゃったんですけど、何がいいですか? 二回まわしになっちゃうんですけど。あの、タイトルが分かんないと思うんで、何曲目とか、どういうのとかで教えて貰えれば」
そう促すと、口々に要望が出始める。二曲目、四曲目、激しいの、バラード、と異口“異”音に叫ぶので、聖徳太子ではない氷川には実のところまったく聞き取れなかった。
「なんか全部言われた気がするんですけど……あ、そこのお嬢さん、どうぞ」
困惑をそのまま口にした後、ふと最前列の真ん中の女性が手を上げているのに気付いて指名する。どこかの司会者のような言い方になってしまったせいで、フロアが笑いさざめいた。彼女は少し照れた顔で頬に手を当て、氷川を見上げた。
「アメイジング・グレイス聞きたい」
その全く予想外の選曲に、氷川は首を捻った。
「賛美歌の?」
「前にストリートでやったやつ!」
「え、あれ、去年の時いた方? や、ちょっとそれは、皆に相談しないと……」
おろおろしていると、袖から橘が顔を出した。ぐるりと見回し、江上のマイクスタンドを勝手に調整して、会場と氷川に問いかける。
「どうしたの、この雰囲気。曲決まった?」
「割れてる」
端的に応じると、先程の観客がもう一度、アメイジング・グレイスやって! と声を上げた。こちらを振り向く橘に肩を竦めてみせると、彼は何か察した様子で苦笑した。
「あー……あれは基本アドリブだからなあ……」
セットされた髪を無造作に掻き崩し、橘がマイクに向き直った。
「静かなのと激しいの、どっちがいい? 静かなのがいい人、手上げて! じゃあ激しいのがいい人! ……圧倒的だね」
橘の誘導で行なわれた挙手による多数決は、数えるまでもなく勝敗を決した。橘がストラップの位置を直しながら氷川に歩み寄り、耳元に口を近づけて曲名を伝える。無難な選曲に、氷川は頷いた。
「それと、もうちょっと支度に掛かるから、せっかくだしアメイジング・グレイスやっとく?」
続けて囁かれた言葉に、氷川は目をまたたく。
「ここで? 俺はいいけど、大丈夫かな」
「ワンコーラスくらいならイケる、と思うよ。マイク貸して」
いささか不安の残る発言に戸惑いながら、橘にマイクを手渡す。一先ずその場を橘に任せ、まだ撤去されていなかったステージドリンクのペットボトルを手に取った。蓋に穴を空けて差されたストローをくわえ、ぬるい水で喉を潤す。背後では橘が雨だれのようにギターをつま弾いていた。
「オッケー、じゃあ準備の間、ワンコーラスだけ静かなの聞いて貰おうかな……ってヒロくんイケるよね?」
ステージに向き直ると、橘が振り返って訊いてくる。氷川は頷いて、手を差し出した。マイクを受け取り、照明が絞られたフロアに向き直る。橘が空間系のエフェクターを通したクリーンな音色で、前奏代わりにアルペジオを奏でると、フロアが静まり返った。背後でスタッフやメンバーが支度をしているのを感じながら、橘の奏でる音色に聴覚を集中させる。そして視線を交わすと、大きく息を吸って、歌い慣れた英詞を音に乗せた。
一番だけを歌い終え、メンバーとスタッフに視線を向ける。一人ひとり頷くのを確かめてから、BGMよろしくギターをつま弾いている橘に目を向ける。彼は唇だけで笑んで、エフェクターを切り替えた。
「今ここに、皆さんといられる奇跡に感謝して……――」
神妙な台詞の後に、ありがちな煽り文句を連ねると、フロアが笑いながら腕を上げる。橘が歪んだ音を鳴らし、そこに梨野が厚みを重ねた。氷川は唇に笑みを浮かべる。気分がいい。驚くほど、気持ちが良かった。その感覚のまま、会場を煽り立てる言葉を投げかける。反応の速度が上がるまで三回、コールアンドレスポンスを繰り返し、腕を上げて曲名を叫ぶ。間髪入れずにカウントが入った。
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