嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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神森竜義

冬期休暇 2

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 予想に反して、翌日の勉強会にも神森の姿はなかった。
 午後一時半、昼食を終えて生徒会室を訪れると、またしても迎えてくれたのは橘と野分の二人だった。
「連日ごめんね」
 申し訳なさそうにする橘に、氷川は首を横に振った。学校から寮までは徒歩五分もかからない。これが豪雪地帯だったり、雨雪に見舞われていたら遠慮したくなっただろうが、地面は乾いていて今日も心地良い冬晴れだ。
「寮の自習室も満員だし、学校は静かで丁度いいよ」
「そう言って貰えると助かる」
「でも、二人はわざわざ学校まで来るの面倒じゃないの?」
 課題を開きながら訊ねると、野分が首を横に振った。
「俺たちはどうせ学校は来なきゃならなかったからな、生徒会の仕事で」
「あ、そうだったんだ。あれ、ってことは、神森くんも来てたんだよね?」
 どうしていないのだろうと首を傾げると、橘が苦笑いで首肯した。
「うん、打ち合わせはちゃんと来てたよ。でもなんか、気分じゃないからって行っちゃったんだよね」
「また美術部か書道部あたりにいるんじゃないか」
「なるほどね。それにしても、休みなのに仕事なんて大変だね」
 勉強する気はない、ということか。先月はやる気があったのにと残念に思いながら、強引に話を戻すと、野分が鷹揚に頷いた。
「ああ、今月のボランティアの打ち合わせがあってさ」
「そうなんだ。俺は今回はお呼びが掛からない感じ?」
「今月は児童福祉施設だし、氷川に余裕があるなら立候補は大歓迎だよ」
「氷川くんも来てくれたら子供も職員さんも喜ぶと思うよ、六月に来てくれた時、感触良かったもん」
 シャープペンシルを持った橘が、楽しげに目を細める。学院に転入したばかりの頃、野分に誘われて、生徒会活動の児童福祉施設訪問に参加した。年少の子供たちと話したり、勉強を教えたりという今までしたことのない経験は、緊張したけれどそれなりに楽しくもあった。この学院に転入してからの時間の流れが濃密だったせか、僅か半年ばかり前なのに随分と昔のように感じる。
「日程が大丈夫そうなら、行かせて貰おうかな」
「なら、参加説明会の時、声かけるよ」
「うん、待ってるね。それじゃ、勉強始めようか」
 自分が脱線させたのをなかったことにして、氷川は二人を促す。橘と野分は素直に頷いて、課題に向き直った。
 人間の集中力はおおよそ九十分程度しか持続しないと言われている。無論もっと長時間でも机に向き合っていることは可能だが、ある程度で休憩を挟むほうが効率が良いように感じる。一時間ほど進めた所で、氷川は手を止めた。
「そろそろ休憩しようか?」
 そう声を掛けると、橘がシャープペンシルを転がした。野分は問題を解きながら小さく頷く。
「何か飲み物でも買ってくるよ。何がいい?」
「カフェオレ、甘いやつ」
「俺も行く」
 迷いなくリクエストを口にした橘と異なり、野分は同行を申し出る。まだ視線を落としたままの彼の、少し赤みを帯びた前髪を眺めて、氷川は鞄に触れた。今日は神森に会えるだろうと思って、彼宛の年賀葉書を収めてきたのだ。そう厳格になる必要はないかもしれないが、うっかりすると会わない内に松が開けてしまいそうだ。
「や、ちょっと……ついでに、美術部の部室でも覗いてみようかと思って」
「……神森か」
 野分が軽く眉をひそめる。困ったような表情に、彼もまた神森を気に掛けていることが伝わってくる。
「ま、今まで何とかなってたんだろうから、余計な世話だろうけど、関わっちゃったから気になるし」
 言い訳のように良いながら、氷川は頬を撫でた。今の台詞はまるでお節介な人物のようだ。自分はそういうタイプではないつもりでいたというのに。野分が肩をすくめた。
「そういうことなら、買い出しは俺がしとく。何がいい?」
「じゃあ、お言葉に甘えて、微糖のカフェオレで」
「わかった。コーヒーが冷める前に帰ってこい」
「うん、ありがとう」
 教材類を出して軽くなった鞄を手に、席を立つ。野分はまだ座ったまま、橘と二人揃ってひらひらと指を振って送り出してくれた。
 美術部が部室にしている美術室、書道部が部室にしている書道室、そして華道部と茶道部が交互に活動に使っている修身室は、いずれも特別教室棟の五階にある。高等科校舎棟五階にある生徒会室からは上下移動もなしですぐに行ける場所だ。神森に会ったとして、何を聞きたいのかも今ひとつはっきりしないうちに、氷川は美術室の前で足を止めた。
 ノックをして取っ手に手を掛ける。予想に違わず、磨りガラスのはめられた木製の戸は簡単に開いた。失礼しますと声を掛けて中に入ると、油彩画特有の匂いが鼻をくすぐった。冬場で窓を閉めているせいか、油の匂いが強い。
「あれ、氷川くんじゃん。どうした?」
 目ざとくこちらを見つけて声を掛けてきたのは、美術部長の涌井だ。膝にデッサン帳を広げ、床に置かれた門松と向き合っている。まだ門扉や各玄関の門松は片付けられていないはずだが、どこで調達してきたのだろうか。
「こんにちは。休み中でも部活やってるんだね」
「ああ、講習は年内しかないから、年末からは一日中描いてられる。今やらずにいつやるんだってな」
 芯の柔らかい鉛筆を動かしながら、涌井が当然のように言う。もしかして彼は年末年始もずっと学院にいたのだろうか。事務員も休みのはずだが、様々な事情で帰省しない、あるいは帰省できない生徒のために寮にはいられるというし、通用口と美術室および美術準備室の鍵さえ入手できれば部活動は可能だろうが、だとしたら大した情熱だ。そうなんだ、凄いね、と曖昧に頷き、氷川は美術室の中に視線を巡らせた。ジャージ姿の生徒達の中に一人だけ、制服の生徒がいる。彼は不自然なまで頑なにこちらに背を向けたまま、隣の生徒と話をしていた。
「……岩根さんか?」
 何かに気付いた様子で、涌井が囁くように言う。氷川は唇の端を歪めた。
「いや……神森くん、昨日も来た?」
「神森くん? 来たけど」
「そっか、ありがとう」
 話をそこまでで切り上げて、氷川は神森と岩根の側へ歩み寄った。
 彼らは大判の書籍を覗き込みながら話をしている。構成や画法に関する話のようで、美術に造詣が深くない氷川にはよく分からない。話の切れ目に、岩根がこちらを振り向いた。
「よう、えーと……あけましておめでとう」
 少し考える間を置いて、岩根が新年の言祝ぎを告げる。氷川は苦笑を隠して会釈した。
「明けましておめでとうございます、岩根さん。二年の氷川です」
「ああ、そうだ、氷川くん。どうした、見学かな?」
「や、今日はそういうのじゃなくて、神森くんに少しだけ用事があって。いいですか?」
「いいよ、どうぞどうぞ」
 岩根が身振りで促してくれて、神森がようやく振り向いた。
「氷川くん、明けましておめでとうございます。僕に用事ですか?」
「明けましておめでとう、神森くん。知ってるかもだけど、今、野分くんと橘くんと、生徒会室借りて勉強会してるから良かったら来ないかなってのと、あとね、これ」
 昨日から鞄に入れたままの賀状を神森に差し出す。彼は両手で受け取って、目を丸くした。
「わざわざ書いてくださったんですか?」
「素人の手遊びだけどね。年賀葉書余っちゃって、せっかくだから」
 まじまじと見つめる神森の様子に気を惹かれたのか、岩根が脇から覗き込む。それが恥ずかしくて慌てて弁明すると、神森が硬かった表情を和らげた。
「氷川くんは毛筆も上手いですね。とても丁寧に書かれていますし、バランスも良くて美しい。僕のために書いていただけたと思うと嬉しいです。ただ……少し、自信がない文字に見えます」
「おい、講評頼まれたわけじゃないだろ」
 神森の言葉に、岩根が呆れたように口を挟む。神森が慌てたように顔を上げた。
「すみません、そういうつもりはありませんでした。お気を悪くされましたか?」
「ううん、全然。先生にもよく、もっと自信を持って伸び伸びと書くように言われるし、むしろ褒めて貰って嬉しいよ」
「……すみません」
 氷川の告げたことは本心だったが、神森は申し訳なさそうに謝罪を繰り返した。岩根がちらりと神森を見遣ってから、氷川に視線を向けた。取り繕うように世間話の水を向けてくる。
「氷川くんは年賀状は手書きなんだ?」
「普段はメールで済ませますね。今年はアナログのをいただいたので葉書買いに行ったんですけど、スーパーだと十枚パックしか置いてなくて」
「郵便局だとバラ売りしてるけどな。何、寮に来たの」
「はい。神森くんの親戚の方と知り合いになりまして、そちらから」
 岩根に応えて神森に目を向けると、彼はぴくりと眉を動かした。
「陽介さんですか……」
「うん。あ、それで神森くん、さっきも言ったけど、今、橘くんたちと課題の勉強してるんだけど、神森くんは今回は来ない?」
 陽介と何かあったのだろうか、浮かない表情が気に掛かったが、ここで訊ねるようなことではない。話を切り替えると、神森は僅かに眉を寄せた。そしてかぶりを振る。
「せっかくですが、今回はご遠慮します。少し出てきます。失礼」
 岩根に軽く会釈すると、神森は真っ直ぐ美術室を出て行ってしまった。
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