嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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神森竜義

三学期 2:神森の抱えているもの

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「構いませんよ」
「それなら、聞かせて。……と、その前に」
 鷹揚に応じた神森に答えてから、ふと思い出して氷川はスマートフォンを取り出した。片手でパイプ椅子をひとつずつ引き寄せ、九十度の角度に並べてから、片方に座る。
「授業出ないって連絡したほうが良いよね、なんて言い訳しようか」
「墨汁に酔ったことにしておいてください。氷川くんは付き添いです」
「それ、保健室行かないとまずいんじゃない?」
「あんな消毒じみた場所では、余計に気分が悪くなります、ということで」
 遠慮なくもう片方の椅子に腰掛け、神森が適当な言い訳を並べる。どう取り繕った所で、実質的にはサボタージュに過ぎないことは隠しようがないので、氷川はそれ以上言わずにスマートフォンを操作した。メールの宛先は文月だ。授業中だが、おそらく彼は気付いてくれるだろう。神森に言われた通りの連絡をすると、ほどなく返信があった。
「先生に伝えてくれたみたい。調子が良くなったら戻ってくるか、後でも良いから片付けに来るようにって」
「ありがとうございます。ですが、授業中はサイレントマナーにするものでは?」
「うん、いつもそうしてると思う。今日は俺と神森くんが出てったから、気にしてくれてると思って」
 文月はそういう人物だ。面倒見が良くて、気配りができる。転入してからこちら頼り切りで申し訳ない限りだ。
 神森はそうですかと、訊ねたわりに無関心そうな相槌を打った。
 座ったはいいものの、考え込むように黙ったままでいる神森の表情を伺って、氷川はちらりと時計を見た。六時間目はまだ始まったばかりだ。今日はもう授業に戻る気はないから、三十分は時間がある。それが長いか短いかは分からないが。
「何か飲み物でも買ってこようか」
 まだ肌寒い室内に、無自覚に指先をすり合わせていたと気付いて、そう提案する。温かいものを飲めば心も落ち着く。氷川の提案に少し迷って、神森は頷いた。
「僕も行きます」
「いいよ、神森くんは気分が悪いことになってるんだから、ここで待ってて。リクエストは?」
「それでは、加糖のミルクティーをお願いします」
「甘いミルクティーね、了解」
 制服の内ポケットに財布が入っていることを確かめて、氷川は軽い足取りで生徒会室を後にした。
 廊下は、暖まりきっていない生徒会室以上に寒く、ひどく静かだ。上履きの間抜けな足音を立てて、氷川は廊下を抜け、階段を下りる。校舎内には自動販売機はないが、学校が開いている時間はほぼ営業している購買がある。ノンアルコール飲料各種、弁当や軽食の類い、菓子類、ノート、筆記用具類の他に、書籍や雑誌も僅かだが置いてある。また、学用品の取り寄せなども対応しており、それなりに使える品揃えだ。
 ミルクティーを二種類購入し、来た道順をゆっくりと戻る。
 二学期の終わり、期末考査の結果を見た後の様子を考えれば、休暇中に何かあったのは確実だ。陽介は関係がないというなら、他の親族、あるいはそれに近しい人物から何か言われた可能性が高い。ただ、氷川は神森のプライベートはまるで知らないのだ。実家と本家の生業と、同学年の再従弟である陽介のことしか知らない。だから、彼の私的な部分でどのような出来事が起こりえるのかがわからない。
 陽介か、と思い出して首を傾げる。少し、神森を子供扱いしているような雰囲気はあったものの、気さくな好人物だった。あの宿泊券は無駄にしてしまいそうだと、年賀状とは別に葉書を送ったのにも、すぐに返信があった。気にしなくていい、来られそうな時があったら教えて欲しいと書かれていて、改めてまめな人物だとは思ったが、嫌味な風ではなかった。私情もあるが、神森の言う通り、他に原因があると考えるのが妥当だ。しかしそれにしては、その名前への反応の過剰さが気になる。
 景色が変わって、氷川は足を止める。堂々巡りの思考に落ち込んでいる間に、最上階へ戻ってきていたようだ。深呼吸を三回繰り返して、生徒会室へ進路を取った。
 ノックをしてから戸を引く。途端に、ふわりとした暖気が頬を撫でた。
「ただいま、ここは暖かいね」
「買い出しに行かせてしまってすみませんでした」
 部屋に入って、ぴったり扉を閉める。廊下と各室の間はあまり機密性が高くないため、気休め程度だ。レールや縦枠と戸の隙間から、暖房の熱は容赦なく逃げていく。
「行くって言い出したのも俺だしね。どっちにする?」
 有名メーカーの缶入りミルクティーを二本見せると、神森は少しだけ迷って袋に手を伸ばした。白と紺色を基調にした、似たような色合いのうちの片方を指先で取り、そのまま両手で握り込む。氷川は残ったほうを手に取った。
 缶の口を開けて、温かい液体を舐めるように飲む。まろやかでコクがあるが、既製品の味だ。同じように一口飲んだ缶を膝に降ろし、神森が息を吐く。
 ヒーターのファンが唸るように暖気を吐き出し、室内の空気を攪拌する。壁掛け時計の針が秒を刻む音が耳につく。人が生きる空間に完全な無音は成立しないが、会話がないだけで世界はこんなにも静かだ。人声の絶えた部屋で、神森は手元の缶を見つめて口を噤んでいた。ためらっているようにも、悩んでいるようにも、ただぼんやりとしているようにさえ見える。氷川は急かすことなく、紅茶の缶を軽くしていった。
 神森が口を開いたのは、あと十分足らずで授業が終わる頃合いになってからだった。
「僕の、前回の定期考査の結果を覚えていますか」
 凪いだ声で神森が問う。氷川は静かに肯定した。
「確か、順位が七十六位だったかな、ずっとこれならB組だねって話したし。頑張ってたよね」
「ええ、自分でもそれなりには、勉強もしたつもりでした。けれど……それに意味があったのかと、後になって考えてしまったんです。僕の進む道は決まっています。料理人に学は不要でしょう。それでも、目覚ましい成績を上げられたならまだしも、僕程度の凡百な人間では、結果もたかが知れていますから」
 淡々とした神森の言葉に、氷川は絶句した。
 失望したわけではない。似たような話はある。伝統工芸などの職人修行は、義務教育を終えてからの弟子入りでは遅いという声があるという。匠の技術は習得に年数を要するし、人間はどうしても幼い頃のほうが飲み込みが早い。最低限の読み書きと算術さえ出来れば生きては行ける。ややこしい学問や外国語などよりも、身体に仕事を覚えさせたいというのは、技術の継承という観点からだけ見れば間違ってはいない。しかしそれは、職人には教養など不要だという意味ではない。知識は後からいくらでも得ることが出来る。学校教育で時間を無為に浪費するくらいなら、もっと早く修行を始めさせたいという意味だ。それが分からない神森でもなかろうに、本気で言っているんだろうか。そも、そんな尤もらしい、いかにも取って付けたような理由で納得できるはずもない。自棄になったように、苛立ちを滲ませていた。内圧だけであんな風になる人物ではないと理解出来る程度には、神森のことを見てきたつもりだ。彼の心が折れるような外圧を、他者から加えられたとしか思えない。
 しかし、と氷川は視線を揺らす。ここまで促しても言わないならば、あえて踏み込むのは避けるべきだ。知りたいという我欲を優先させるのではなく。
 氷川の黙考をどのように捉えたのか、神森が肩を落とした。いつの間にか机に移動していた、すっかり冷めてしまっただろう紅茶の缶を指先で掴む。一口だけ呷って、缶は元の場所に戻された。
「すみません、僕から請うて教えていただいたのに、まるで無駄だったように言ってしまいました」
「や、そんなの全然、気にしないけど……神森くんは、凡百な人間なんかじゃないと思うだけ。美味しいご飯も作れるし、頭だって普通にいい」
「料理の腕は経験の結果でしかありませんが……貴方よりも成績が劣るのに?」
「俺は予復習もテスト勉強も欠かさないから」
 肩をすくめて、氷川は話を戻した。
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