嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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神森竜義

彼のご飯と、それから 4

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 スライスした玉ねぎと、千切りの人参、食べやすいサイズに刻んだ水菜をそれぞれ水にさらし、順番に水切りしていく。朝食の残りだろう食パンにマスタード入りのマヨネーズを塗り、野菜と惣菜のポテトサラダを挟んでラップで包み、重石をする。鍋に缶を空けて牛乳を注ぎ、くるくるとかき混ぜて火を付ける。手品のような手際の良さに、ついぼんやりと眺めていてしまった。視線に気付いたのか、神森が鍋から顔を上げる。
「ご両親とは連絡が取れましたか」
 唐突な問いかけに、氷川は目をまたたいた。巡らせた視界の端で、窓から陽射しが長く差し込んでいる。冬場の太陽は、正午に近い時刻でさえ低い位置にいる。そのきらめく光に導かれたように、問いの正体が形を成した。
「被害届の件だね、返信あったよ。出したほうがいいって」
 昨夜メールを送信しておいたところ、今日の午前中に母から返信が届いていた。警察に届け出をすることに賛成する旨と、事件と怪我の説明要求、そして氷川を案じる言葉で締められたメールは、おそらく出勤途中に作成したのだろう。昨夜か今朝か、両親で話し合ってくれたらしい。
 小鍋の火を止めた神森が、安堵の表情を見せる。
「そうですか、良かった」
「診断書のファックス送れって言われたんだけど、ファックスってどこかにあったっけ?」
 写真ではなく、スキャンした画像でもなく、ファックスという指定に失笑したあとで困ってしまった。企業では現役かもしれないが、学生寮にも校内のパソコン室にも置かれていない設備だ。
「事務室と職員室にありますよ。後ほど事務室で借りられてはいかががでしょう」
「そうする、教えてくれてありがとう」
「その際ついでに、コピーを取らせて頂いてもよろしいでしょうか」
「うん、弁護士の先生用?」
「はい。原本は氷川くんにお持ちいただくとして、資料としてあったほうがいいでしょうから」
 会話中でも神森は手を休めない。見る間にラップごと半分にスライスされたサンドウィッチの大皿と、スープカップがカウンターに供された。鍋で用意していたのは、コーンポタージュスープだったらしい。厨房から出てきた神森が氷川の隣に腰掛けた。
「簡単なものですみません、どうぞお召し上がりください」
「いや、充分すぎるくらいだよ。いただきます」
 フレンチドレッシングを絡めた野菜のサンドウィッチの瑞々しさに、思わず頬が緩む。氷川の表情を確かめてから、神森も食事に手をつけた。
「美味しい。なんでかな、買ったサンドウィッチと全然違う」
「野菜が新鮮だからでしょうね。ポテトサラダのほうは普通でしょう」
「んー、こっちも違う気がする……べしゃっとしてないし、ぱさぱさでもないし、バランスがいいのかな」
 考えながら話す氷川の言葉に耳を傾けていた神森が、指の背で頬を擦った。
「褒めても何も出ませんよ」
「そういうつもりじゃないよ、本当に美味しい。ありがとう」
「いえ……」
 困ったように目を伏せて、神森が食事の手を早める。こみ上げた笑いを噛み殺して、氷川はスープカップを持ち上げた。
 プレートとスープカップを空にしたあと、スマートフォンを確認した氷川は、手にしていたコーヒーマグを卓に戻した。
「母から……というか、母経由で父から追加連絡があるんだけど」
 そう声を掛けると、神森が怪訝そうに氷川に目を向けた。
「なんでしょうか」
「弁護士の先生の連絡先を教えて欲しいって」
「構いませんが、今回は僕が依頼人になりますけれど……」
「それも伝えた。でも、他にも頼みたいことが出てくる可能性があるかもしれないから、せっかくなら同じ先生がいいんだって」
「他にも、ですか?」
「神森くんも言ってたことだけど、慰謝料や転校費用を請求できるか検討したいみたいだよ。医師やカウンセラーに相談した実績もないし、転入先がここだと難しそうだけど、まあそれ含めて父も考えてるんだと思う。上手くいったら、接触禁止の誓約書くらいは作らせてくれると思うし」
 話しながら、スマートフォンを手渡す。液晶画面に視線を走らせて、神森が目を細めた。
「僕から返信を打ち込んでも?」
「お願いします」
「わかりました。失礼します」
 氷川のスマートフォンを受け取った神森が、慣れた風に文章を打ち込んでいく。使っているのは別の機種だが、製造会社が同じためか迷う様子もない。打ち込み終えた神森が、氷川にスマートフォンを返した。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ん、見せてね」
 スマートフォンの画面は文字で埋まっていた。お初にお目にかかります、氷川くんの友人の神森竜義と申します、から始まる文面はとても真面目なものだ。氷川の携帯電話を用いて文章を入力していること、氷川が絡まれていた際の説明と、怪我の程度、警察の対応、神森が弁護士に依頼する理由と目的、依頼先の弁護士事務所と弁護士の氏名およびウェブアドレス、そして勝手に行動を起こしたことへの謝罪で文章が結ばれていた。氷川があえて書き加える必要性は感じない。
「いいと思う。これで送信していい?」
「はい」
「あと、神森くんの連絡先を訊かれることがあったら教えてもいい?」
「構いません」
「わかった。色々面倒かけてごめんね」
 メールを送信して、スマートフォンをテーブルに置く。神森は神妙な顔で氷川の様子を窺っていた。
「どうかした?」
「いえ……お父様のことを信頼なさっているのですね」
 少し沈んだトーンの返答に、苦笑が浮かぶ。過日、父に顧みられなかったと吐露した氷川が、その父親に全幅の信頼を置いているがごとき発言をするのは、確かに奇妙に思えるだろう。だが結局の所、氷川の学費は親が貯めてくれた貯蓄から出ている。そのあたりの金銭的な問題は、今のところは父の問題だ。任せる他に選択の余地がない。それに氷川は別段、父に対する不信があるわけではない。家庭人としては問題があるとしても、親として不全だとしても、父は父なりに氷川のことを考えてくれてもいたと、理解はしている。
「理想的な父とは言えないけど……絵に描いたみたいな完璧な父親なんてそういないと思うし、極論、俺が今こうしていられるのも、父のお陰だから」
「ですが、お父様の勧めで進学した高校で、その……」
「うん、嫌な目に遭った。だから愛想よくしとくのが大事だって分かったんだ。嫌だったけど、無駄じゃなかったよ、俺にはね。ああ、でも」
 自分のことを話してから、思い出して付け加える。氷川が言ったのはあくまで氷川自身の経験であって、神森の過去はまた別だ。重なる部分があったとしても、本質的にまるで異なる。
「それはあくまで、俺の話だし、今がいい環境だからこそ、だけどね」
 念を押すように言うと、神森は思案げに目を伏せた。天板に置いた両手を、不安そうに握りしめる。そしてしばし逡巡の後、意を決したように氷川に目を向けた。
「氷川くんは、お父様を恨んだりはしなかったんですか?」
「そこまで関わりがなかった、かな。家にろくにいない人でさ、会わないのが当たり前だったんだよね。高度経済成長期や、コンビニのオーナーみたいに二十四時間戦えますかの世界でもないはずだけど、仕事の付き合いとかで」
 だから氷川は家族揃って遠出した経験もないし、父と遊んだ記憶もない。一般的な家庭では、休日や長期休暇には家族で出かけたりすることもあるらしいと知ったのは、それなりに分別がついてからだった。
 神森が目元を僅かに緩ませた。
「僕もです。子供の頃は、家族旅行なんて物語の中だけの出来事だと思っていましたから、友人たちの話を聞いて驚いたものです」
「だよね。皆で晩ご飯とか、ドラマや映画の演出だと思ってたし、だからクラスメイトとかと話が噛み合わなくて」
「困りますよね。一般的な家庭イメージの押し付けです」
 淡々とした声音には感情が滲んでいないが、子供の頃は本当に困ったのだろう。神森の口調には実感が読み取れたし、氷川にもその困惑は理解できた。
 コーヒーを飲み干した神森が、壁の時計に視線を走らせる。あと二十分ほどで午後の授業が始まる時刻だ。
「そろそろ行きましょうか。洗い物を済ませておきますので、氷川くんは事務室へどうぞ。もしお時間がありましたら、診断書のコピーを取って置いてください」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。よろしくお願いしますね」
 厨房に向かう神森に手を振って、食堂を後にする。ファックスの送信先は事務所でいいだろう。他の書類に紛れないよう祈りつつ診断書をファックスし、コピーを神森に預け、原本を自室に置いてから校舎へ戻った。

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