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9【〆】
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首都の裏街には館があった。
罪深いその建物は『巡礼者の宿』。
ホールには贖罪票を掲げ、自分たちこそは敬虔な信徒、ルーメニア神教を讃える者と高らかに申し立てる。
しかし、裏街の誰もが知っていた。
そんな札にはなんの意味もなく、教会は誰も助けてくれず、中に居る娼夫たちは『何』を裏切っているのかも分からずに身売りしていることを。
「あは、……誰も見ない。誰も」
ロゼルは一歩進むごとに鈴の音が鳴ってしまうからと、ジェダイトに背負われていた。
シーツを身体にかけた人間を背負う異国風の大男はどう見ても真っ当ではないはずだが、夜明けが近いこの街ではその程度で人目に付くことはなかった。
皆、飲み疲れ遊び疲れて周りに目を向けていないのだ。
他国への侵略戦争を繰り返し、年々課税額が吊り上がる暮らしに疲れて、明日を忘れたくて飲み明かしている。
街の一角で何が起きていても、自分たちには関係ない。そんな者の集まりだった。
ロゼルは、売られた最初の日以来久しぶりに見る裏街の大門を見上げる。シーツが頭から落ちないように少し直した。
ジェダイトの熱い背中は、ここまで動いていたことで更に火照って感じる。
「船乗りに話をつけてある。あと少しだ」
「水路で出るんですね。どこまで行くんですか?」
「海へ。ナムスウェルまで」
「貿易港がある街か……初めて行きます」
首都は要塞のように外壁で覆われている。この国がルーメニア神の加護を受ける前、戦に強い城塞都市であったためだ。
壁を越えるのは現実的ではないから、貿易船に紛れ込む。買収した水夫に、積荷の中に隠してもらう手筈だった。
「俺は昔、父親に連れられて行ったことがあるんだ。鍛治職人だったから、製鉄の仕事で」
「そうだったんですか……!……もっと聞きたいな、貴方の話」
「いくらでも聞かせてやる。面白いものはないが……ここを出たら」
「聞きたいことがたくさんあるんです。時間はあったのに、これまでどうして聞かなかったんだろう……」
街を抜ける唯一の道である水路は当然入出の管理が厳しい。王立軍の水色の軍服がそこかしこにいる関所を抜けるには、積荷の総改めが困難なほど大きな船でなければならない。
しかし大商人は小金では動いてくれないのだ。ジェダイトはいくら積んだのか、もう思い出せない。
「……一番に聞きたいことは?」
「ふふ……もう、聞いてもいいんですか?
そうだな……貴方の背中にある傷、あれはどこで?」
「あれは……それこそ、リンデンへルムで。矢傷だ」
「痛かった……?」
「痛くなかった。あの時は信念があったから」
ロゼルがジェダイトの背中を服の上から撫でた。労わるように手を当てて温められると、ジェダイトは鈍い痛みが残る引き攣れた古傷がたちどころに癒えるような心地だった。
「ずっと、戦ってきたんですね……」
「それしか気を晴らす方法がなかったんだ。戦争に出れば、他のことを考える余地がなくなる」
「それほどつらかったのに、ここまで生きてきてくれた」
「……君に会うためかな」
「あはは……!」
出会った頃からは考えつかないほど、歯の浮くような台詞を言うジェダイトに、ロゼルは嬉しそうに笑い声をあげた。少し咳き込みすらして、身体がずり落ちかけるのを慎重に背負い直される。
「ぼくもそうかもしれない。あなたに会いたくて、木の下で……ねていたのかも」
「だとしたら、大正解だ」
「でしょう?」
遠くで鐘の音が聞こえる。何度も何度も繰り返し鳴る短くて鋭いその音が、ロゼルの鈴の音を隠してくれて有難い。
しかしジェダイトは少し疎ましく思った。ロゼルの声が聞こえづらくなるからだ。
「もうすぐ船着き場だ」
まずは小舟で商船付近まで移動する。そこから乗り換えて、川を二日ほど下って海辺の街へ。
大海へ出れば、追手は撒ける。ナムスウェルまでの辛抱だ。人の多いあの街ならいくらでも隠れられる。
「あの子。……あの子は、つらかっただろうな」
ロゼルがぼんやりと言った。
いつだか、ロゼルに絡んできたあの娼夫だ。
本当に若い頃に売られ、高い値で買われることと金持ちに落籍されることだけが価値のすべてとなってしまった青年。
彼の馴染みの客は金持ちだったが、いつからかその財産も尽きていたらしい。ある日ぱったりと訪れなくなってから、あの娼夫は癇癪が抑えられず毎日暴れるようになった。
もうすぐ身請けされると言っていたのに。唯一の『価値』が目の前から零れ落ちて、どれほど辛かったことだろうと、ロゼルは思いやる。
「あそこがもえて、かなしいかな……よろこぶでしょうね」
「ロゼル」
「つぎはしあわせに……生まれて……」
「ロゼル!」
船着き場に見回りの兵がほとんど居ない。
多くは消火に駆り出されているのだ。
信心深き館、ドムス・クレドはまだ燃えている。
気狂いのように泣き暮らす娼夫が油を撒いて火を付けたのだ。
ロゼルたちはその混乱の隙に逃げ出した。
戦場をくぐってきたジェダイトは用心棒の一人二人をものともせず、ロゼルを抱えて街をすり抜けた。
意識のある裏街の住人は、黒煙が上がる方向を見上げてぼんやりと疲れていた。
「ロゼル、あと少しだ」
「ジェダイトさん……」
「あと少しなんだ……商船に乗れば医者がいる」
「……うん。つれていって」
ジェダイトがまた背負い直すために腕を動かした。
ロゼルの腿に回した手元が熱く濡れている。
汗が出てくる。手配していた船頭の元まで慎重に駆ける。
「……痛いだろう。もうすぐ船に乗れる」
「いたく、ない」
声がかすかになっていく。
えずくような気分の悪さがジェダイトを襲った。
ロゼルの腹には裂けた傷がある。
自分達を見咎めた耳番の男が喚きながら投げたナイフがロゼルを傷付けていた。
「……いたくない……あいしているから」
ロゼルの声に悲壮感は無かった。
幸福に溢れていた。
「あなたが、すき」
だって、自分たちはこの国を出るのだ。
遂に自由にジェダイトに恋することが出来る。
何も辛くなかった。
そう、ジェダイトに思わせなければいけなかった。
でなければ、ここまでしてくれた彼が、悲しすぎる。
「マルハへ行くんだろう」
焦りがジェダイトの足を速めた。
ようやく見付かった船頭を急かして小舟に飛び乗る。
面倒事を承知で高い金をせびって請け負った船頭は、血濡れたシーツの中の美しい男が揺り動かされる度に鈴の音を鳴らしても何も言わない。
「君と家を、っ、家を借りて」
もう少しだ。もう少し耐えれば。
「俺が稼いでくるから、君は……っ!君は、また、木漏れ日の下で、昼寝ができる」
傷口を押さえる。
血が滴るほどだったその場所は、今はもう、ジェダイトのマントを当ててもよわく命の色を滲ませるだけ。
「君を、迎えにいくから……どこにいても、……俺が、必ず」
影の色が濃くなる。
城壁の向こうで夜が明けようとしている。
街の隅で立ち上り続ける火事の煙だけが、朝日に照らされて白くぼんやり光っていた。
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