女神の導き

佐藤なつ

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6話:式典

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私自身の支度を終え、部屋から出る。
公爵家は今日という日のために飾り立てられ、
廊下の隅々まで薔薇と百合の香りが満ちている。
屋敷全体が香りに包まれているかのようだと思った。

私はゆるやかに歩きながら、大広間の方へ向かう。
最後の打ち合わせをしている使用人たちを見渡した。
誰もが真剣で浮き立つような表情をしている。


正装を纏った父も現れた。
鏡を見かけるたびに満足げに襟を整えたり袖口を直したりしている。
私の姿に気づくと
「見ろ、イレーネ。今日と特別な日が始まろうとしている。
 母の名を継ぐ花嫁が、ついに我が手に戻るのだ」

イレーネは穏やかに頷いた。
「はい。お父さま。すべて、女神の御導きです」

もう“エルヴァン”ではなく“エルヴィァーナ”となった花嫁。
昨日、何度も歩き方とお辞儀の練習を繰り返していた姿が、まだ目に焼き付いている。
姿勢、手の角度、視線の高さ――
家庭教師の扇が打ち下ろされるたび、彼女はわずかに震えて、それでも何も言わなかった。

完璧な夫人に仕立て上げられること。
それこそが、あの子に与えられた最後の生きる道、なのだ。

馬車に乗り教会に移動する。
少し前に私の婚約式が行われようとしていた場所だ。
半月もしない間に、まさか自分が花嫁になるなんて、思いもしなかっただろう。
会場に向かう道中は、大勢の人でごった返していた。

今日は平民にもお振る舞いをすることになっている。
私たちの馬車が通っていくのを見て、口々におめでとうございますと、祝福の声が沿道から上がった

到着すると、同時に式典の開始を告げる鐘が鳴る。
父は花嫁の手を引いて会場に入った。

大広間の扉が開かれた瞬間、光が溢れ、音楽が満ちた。

来賓たちの視線が、一斉に中央の花嫁へと注がれる。
エルヴィァーナは私が着るはずだった白いドレスに身を包み、静かに歩を進めていた。
その姿は確かに美しかった。
けれど――どこか、壊れ物のようにも見えた。

背筋を張り、強張った微笑を保ちながら歩くたび、裾が絨毯を擦る音が会場に響く。
「美しい……」と父が呟く。
その声には、愛と執着が入り混じっていた。

壇上に上がった父が、聖職者の前に立つ。
彼の手が花嫁の細い指を取る。
「神と女神の御前に誓おう。この者を我が妻とし、永遠の導きを共に歩む」

――妻。

その言葉を聞いた瞬間、イレーネの胸がひやりとした。
それと同時に何とも言えない屈折した喜びが湧き上がる。
けれども、表情には出さない。
かけらも出すわけにはいかない。

公爵家の娘として
この日を祝福の形で終わらせなければならない。
私はちゃんと自分の役割をわかっている。

花弁が舞い落ち、祝詞が響く。
列席者たちは笑い、拍手を送る。
ああ、完璧な光景――。
けれど、その中でただ一人、花嫁だけが息を潜めている。

彼女の頬が青ざめ、唇が震えていた。
それに気づいたのは、私だけだろう。

(ああ……やはり、無理をしているのね)

だが、止めることなどできない。
父の手がエルヴァーナの頬を撫で、頬に口づけを落とした。

「これ以上の事は人の目に触れさせたくない。
私だけが知っていれば良い姿だ。」
その言葉に参列者からどよめきか起きた。
「あのように愛されて。」
「それにしても、美しい」
「元男とはとても思えない」
「公爵家の跡継ぎもすぐ生まれそうですな。」
「体力もあるでしょうし、何人でも孕めるでしょう。」
だんだんと話が下卑ていく。
ヴィナは張り付いた笑顔を浮かべ、言われたことに。ただ静かにうなずくのみだった。
だが、それだけで式は成立した。
「これで、すべて整いました。女神の導きに感謝を」
司祭が宣言する。

その声のあと――花嫁が崩れ落ちた。
白い裾が音もなく床に広がる。
静寂が訪れた。

誰も動かない。
父ですらその場で呆然と見下ろしていた。

イレーネは一歩だけ前に出て、
祈るように目を閉じた。

可哀想に……でも、仕方ないわ。
 自業自得ですもの。
司祭に声をかけられ、我に帰った父がヴィナを抱き抱え、退出していく。
音楽が再び流れ出す。

拍手が戻り、式典は予定通り進められる。

“祝福の儀”は、これで終わりではない。
まだ始まったばかりなのだ。
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