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第三章 芸術家と神の子
第4話 不思議な音
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深い木々に囲まれて、三階建ての屋敷がたっている。アンティーク調の建物はこの森に唐突に現れる人工物のはずなのに、周りの景色と調和がとれているから不思議だ。
「芸術家を支援しているライジェナ伯爵が、ディーテのために作らせたアトリエだそうよ」
それにしても凝った外装ね、とお嬢様はアトリエを見上げる。窓枠や門扉にも細かい装飾がこらされている。アトリエそのものが芸術品のようだった。
先日、宮廷の茶会をディーテが去ったあと、会場のどよめきはしばらく収まらなかった。彼が他人をアトリエに誘うことは滅多にないらしい。むしろ人に興味を示すこと自体が稀のようだ。それなのに、急に私に声をかけてアトリエに招いた。ただの使用人である私を――。
茶会の数日後、私はディーテに「お嬢様と共にアトリエに伺ってもいいか」と手紙を出した。了承の返事はすぐに届いた。ずいぶんと達筆な字で、その手紙ですら芸術的価値がつきそうだった。
「ごきげんよう。お招きに預かりましたリーフ・カインツと申します」
扉を叩くと、少ししてからディーテが微笑みを浮かべて現れた。白シャツと黒ズボン姿だ。それだけのラフな格好なのに、洗練された印象があるのはどうしてだろう。
「こんな格好で申し訳ない。あまり堅苦しいのが好きではなくて」
「いえ、構いません。この度はお招きありがとうございます。改めまして、私はリーフ・カインツ。こちらは主人のレイチェル・バルドでございます」
お嬢様は丁寧にお辞儀をした。ディーテもその長身を曲げて一礼する。
「先日はご挨拶もできず申し訳ございませんでした。私はディーテ、芸術好きのしがない人間です。どうかディーとお呼びください」
ディーテ、改めディーは私たちを客間へ案内して、いい香りの紅茶を振る舞ってくれた。お嬢様は一息ついてから、ティーカップを置いた。
「あなたがアトリエに人を呼ばないことは噂に聞いています。どうしてこのリーフのことをお誘いくださったのですか?」
「ああ――。彼女はとても不思議な音をもっているようだったので、興味がわいたのです」
「音、ですか?」
はい、とディーは微笑む。長い足を組んで、その上に指を重ねた。
「人は誰しもその人特有の音を持っています。誰かはそれを、魂の音だと呼んでいました。それぞれが奏でる音の違いは面白い。とくにリーフの音は、他の誰とも違って不思議です」
はあ、と私は自分の胸に手をあてた。音、とは。
「あなたの音は、誰よりも複雑な音がする。どうしてでしょうね。なにか特別な生い立ちでもあるのでしょうか」
私は驚いてディーを見る。ディーはただ穏やかに微笑んでいた。
魂の音。霊感とかオーラとか、そういうものだろうか。もし彼の言葉が嘘でないのなら――。
私の魂。それはたしかに特殊かもしれない。なんといっても前世の記憶をもっているのだから。前世の魂と今世の魂、そのどちらももつ私は、他の人間よりも複雑といえるかもしれない。それを、ディーは理解している?
「不思議なお話ですね。わたくしにはリーフは他の子となんら変わらないように見えますが。ああ、でも、たまに年齢にそぐわない言動は見受けられますね。妙に老人染みている」
「お、お嬢様までそんなことを思っていたんですか」
これ以上ディーと向き合っては私の素性が知られる気がして、慌ててお嬢様に視線を移した。
前世の記憶を持っているなんて、知られない方がいいはずだ――。
○○○○
ディーは、今まで訪れた国の話を聞かせてくれた。
彼は気まぐれで飽き性だから、一つの場所に留まることができないらしい。それでも今はこのアトリエが気に入っているから、国を出ていく気はないようだ。
「実は今、新しい曲を書いているんです」
秘密を打ち明けるように囁いた。
「でも、どうにも行き詰っていまして。何か刺激がほしいと思っていたところに、リーフが現れた。不思議な音、あなたと一緒にいると創作意欲がわいてくる気がするんです」
ディーは笑った。新しい玩具を前にした子どものような微笑みだ。
「だからリーフ。曲が書き終わるまで、私に会いにきてくれませんか?」
え、と私とお嬢様の声が重なる。私たちは顔を見合わせた。お嬢様は真剣な表情で小さく頷く。私も頷いて、ディーに向き直った。
「それはもちろん、構いません。私も、ディーの曲作りにお力添えできるのであれば嬉しいです。けれど、交換条件ではないですが、一つ頼みを聞いていただけませんか?」
「なんでしょう?」
「レイチェルお嬢様に、演奏やダンスの指導をしていただきたいのです」
「指導、ですか」
今日ディーのアトリエを訪れたのはこれが目的だった。
パッサン卿のおかげでお嬢様の教養面の指導は受けられている。だから、今のお嬢様は次のステップに進む必要があった。それは芸術。芸術の才は令嬢にとっても必要なスキルだ。
そんな折に、天才と呼ばれる芸術家のディーと知り合うことができた。彼はその気まぐれな性格のために、どの貴族のお抱え芸術家でもない。この機会を利用する以外にないだろう。
「どうか、お嬢様に指導をしていただけませんか」
ディーは頭を下げる私をみて、困ったような顔をした。大変申し訳ないのですが、という前置きのあと、
「私は、人に何かを教えるのは苦手なんです」
やんわりとした拒絶だった。もちろん私たちだって、すぐに受け入れてもらえるなんて思っていなかったけれど、やはり落胆してしまう。しかし、ディーは言葉を続けた。
「でも、そうですね――。私だけがお願いを聞いていただくのは、フェアではないですね」
ディーは細い指をあごにあてて逡巡してから、微笑みとともに提案をした。
「それでは、曲が完成するまでの間、私は答えを出すのを保留にしましょう。その間に、私に心変わりをさせることができたのなら、そのお役目、引き受けます。ただし曲が完成してもまだ私の意志に変わりがなければ、それきりにしてください」
いかがでしょうか、と問うディーに私たちは頷いた。一蹴されることがないなら、上々だろう。曲が完成するまでにディーの説得をする。パッサン卿に引き続き、また私たちの交渉が始まるようだ。
「芸術家を支援しているライジェナ伯爵が、ディーテのために作らせたアトリエだそうよ」
それにしても凝った外装ね、とお嬢様はアトリエを見上げる。窓枠や門扉にも細かい装飾がこらされている。アトリエそのものが芸術品のようだった。
先日、宮廷の茶会をディーテが去ったあと、会場のどよめきはしばらく収まらなかった。彼が他人をアトリエに誘うことは滅多にないらしい。むしろ人に興味を示すこと自体が稀のようだ。それなのに、急に私に声をかけてアトリエに招いた。ただの使用人である私を――。
茶会の数日後、私はディーテに「お嬢様と共にアトリエに伺ってもいいか」と手紙を出した。了承の返事はすぐに届いた。ずいぶんと達筆な字で、その手紙ですら芸術的価値がつきそうだった。
「ごきげんよう。お招きに預かりましたリーフ・カインツと申します」
扉を叩くと、少ししてからディーテが微笑みを浮かべて現れた。白シャツと黒ズボン姿だ。それだけのラフな格好なのに、洗練された印象があるのはどうしてだろう。
「こんな格好で申し訳ない。あまり堅苦しいのが好きではなくて」
「いえ、構いません。この度はお招きありがとうございます。改めまして、私はリーフ・カインツ。こちらは主人のレイチェル・バルドでございます」
お嬢様は丁寧にお辞儀をした。ディーテもその長身を曲げて一礼する。
「先日はご挨拶もできず申し訳ございませんでした。私はディーテ、芸術好きのしがない人間です。どうかディーとお呼びください」
ディーテ、改めディーは私たちを客間へ案内して、いい香りの紅茶を振る舞ってくれた。お嬢様は一息ついてから、ティーカップを置いた。
「あなたがアトリエに人を呼ばないことは噂に聞いています。どうしてこのリーフのことをお誘いくださったのですか?」
「ああ――。彼女はとても不思議な音をもっているようだったので、興味がわいたのです」
「音、ですか?」
はい、とディーは微笑む。長い足を組んで、その上に指を重ねた。
「人は誰しもその人特有の音を持っています。誰かはそれを、魂の音だと呼んでいました。それぞれが奏でる音の違いは面白い。とくにリーフの音は、他の誰とも違って不思議です」
はあ、と私は自分の胸に手をあてた。音、とは。
「あなたの音は、誰よりも複雑な音がする。どうしてでしょうね。なにか特別な生い立ちでもあるのでしょうか」
私は驚いてディーを見る。ディーはただ穏やかに微笑んでいた。
魂の音。霊感とかオーラとか、そういうものだろうか。もし彼の言葉が嘘でないのなら――。
私の魂。それはたしかに特殊かもしれない。なんといっても前世の記憶をもっているのだから。前世の魂と今世の魂、そのどちらももつ私は、他の人間よりも複雑といえるかもしれない。それを、ディーは理解している?
「不思議なお話ですね。わたくしにはリーフは他の子となんら変わらないように見えますが。ああ、でも、たまに年齢にそぐわない言動は見受けられますね。妙に老人染みている」
「お、お嬢様までそんなことを思っていたんですか」
これ以上ディーと向き合っては私の素性が知られる気がして、慌ててお嬢様に視線を移した。
前世の記憶を持っているなんて、知られない方がいいはずだ――。
○○○○
ディーは、今まで訪れた国の話を聞かせてくれた。
彼は気まぐれで飽き性だから、一つの場所に留まることができないらしい。それでも今はこのアトリエが気に入っているから、国を出ていく気はないようだ。
「実は今、新しい曲を書いているんです」
秘密を打ち明けるように囁いた。
「でも、どうにも行き詰っていまして。何か刺激がほしいと思っていたところに、リーフが現れた。不思議な音、あなたと一緒にいると創作意欲がわいてくる気がするんです」
ディーは笑った。新しい玩具を前にした子どものような微笑みだ。
「だからリーフ。曲が書き終わるまで、私に会いにきてくれませんか?」
え、と私とお嬢様の声が重なる。私たちは顔を見合わせた。お嬢様は真剣な表情で小さく頷く。私も頷いて、ディーに向き直った。
「それはもちろん、構いません。私も、ディーの曲作りにお力添えできるのであれば嬉しいです。けれど、交換条件ではないですが、一つ頼みを聞いていただけませんか?」
「なんでしょう?」
「レイチェルお嬢様に、演奏やダンスの指導をしていただきたいのです」
「指導、ですか」
今日ディーのアトリエを訪れたのはこれが目的だった。
パッサン卿のおかげでお嬢様の教養面の指導は受けられている。だから、今のお嬢様は次のステップに進む必要があった。それは芸術。芸術の才は令嬢にとっても必要なスキルだ。
そんな折に、天才と呼ばれる芸術家のディーと知り合うことができた。彼はその気まぐれな性格のために、どの貴族のお抱え芸術家でもない。この機会を利用する以外にないだろう。
「どうか、お嬢様に指導をしていただけませんか」
ディーは頭を下げる私をみて、困ったような顔をした。大変申し訳ないのですが、という前置きのあと、
「私は、人に何かを教えるのは苦手なんです」
やんわりとした拒絶だった。もちろん私たちだって、すぐに受け入れてもらえるなんて思っていなかったけれど、やはり落胆してしまう。しかし、ディーは言葉を続けた。
「でも、そうですね――。私だけがお願いを聞いていただくのは、フェアではないですね」
ディーは細い指をあごにあてて逡巡してから、微笑みとともに提案をした。
「それでは、曲が完成するまでの間、私は答えを出すのを保留にしましょう。その間に、私に心変わりをさせることができたのなら、そのお役目、引き受けます。ただし曲が完成してもまだ私の意志に変わりがなければ、それきりにしてください」
いかがでしょうか、と問うディーに私たちは頷いた。一蹴されることがないなら、上々だろう。曲が完成するまでにディーの説得をする。パッサン卿に引き続き、また私たちの交渉が始まるようだ。
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