悪役令嬢の使用人

橘花やよい

文字の大きさ
45 / 52
第六章 因縁と家族

第3話 母のこと1

しおりを挟む
 レイチェルお嬢様とよく似た姿。お嬢様よりはほっそりとしていて、儚げなその女性。たしかに奥様で間違いがなかった。鏡に、その姿が映っている。

 慌てて実際の部屋を見回してみたが、そこに奥様の姿なんてない。鏡の中にだけ、その存在している。奥様は、ぼんやりと焦点の定まらない目を空間に向けている。幽霊らしいといえば、らしい姿だった。

「お母様――、本当にお母様なのですね」

 小さな声でお嬢様が呟いた。きっと、心のどこかで奥様が映らなければいいと、そんなことを思っていたのだろう。

 旦那様が一歩踏み出した。影のように真っ黒なその姿。頼りない蠟燭の光源しかないこの部屋では、ますます黒く見える。瞳は鋭く鏡を睨んだ。

「お前が――、アンナを殺して、ライラのことも殺そうとしているのか」
「おやめください、旦那様」

 鏡を掴もうとする旦那様の手を再びジルが制した。しかし鏡を見るジルの瞳も、冷たいものだった。奥様がライラ様の命を脅かしていることは、きっと間違いがない。ライラ様の母であるアンナ様が亡くなったのも、奥様が原因ということに……なるのだろう。

 ジルにとっては、アンナ様もライラ様も特別な人のはずだ。主人を呪い殺した幽霊は、彼にとっても憎むべき存在かもしれない。それは仕方のないことだと頭では分かっている。でも、奥様がそんな目で見られることが、辛い。

 奥様は、旦那様を見ても反応を示さない。その瞳からはなんの感情も読めない。精巧な人形のようだ。ディーは顎に手を添えた。

「器をもたぬ者は不安定なのでしょうね。感情までも生前のようには現れない」

 これでは見ることができたとしても、会話すらできないのではないか。旦那様が舌打ちをする。

「それで、どうするというのだ」

 お嬢様がゆっくりと鏡に近寄った。

「お母様」

 小さく呟く。ふと、奥様の赤い瞳が揺らいだ気がした。お嬢様は息をついて、振り返った。

「わたくし、ディーから話を聞いて、これはお母様が原因なのだとすぐに思いました。だからお母様について、もう一度考えてみたのです。お母様がどんな人生を送っていたのか。それを知らなければならないと思ったから」

 そうして、お嬢様は語りだす。

「お父様とお母様は政略結婚だった。決められた結婚です。そこには愛なんてなくて、ただ家を背負う者としての義務だけが存在したのかもしれない。とくにお父様には」

 旦那様は無言だった。

「それでもお母様はわたくしのことも、お父様のことも愛していたと思う。バルド家のことも大切に思って、わたくしを后にするための教育も自ら行ってくれた。――けれどお父様は、お母様ではなくアンナ様を愛した」

 ライラ様が身じろぎして、シーツがこすれる音がする。ライラ様にも、この話は辛いものだろう。お嬢様もそんなライラ様を見て、目を伏せた。

「きっと、お母様の最後の希望はわたくしが后になることだった。婚姻披露の場で、お母様はダンスを踊りたかったはずです」

 王家に令嬢が嫁ぐとき、その婚姻披露の場で王子と令嬢はダンスを踊る。そして次に、王子と令嬢の母がダンスを踊るのが慣わしだった。母として、最高の幸せの時間。

「けれど、わたくしは落ちぶれた。お母様の努力はなにも報われなかった。死んでも死にきれない気持ちは、分かる気がします」
「だから、アンナもライラも殺そうというのか」
「――お父様は、本当にライラたちを大切に思っているのですね」

 旦那様を見つめるお嬢様の表情は、あまりにも切ない。私はなにか声をかけようと口を開いたが、お嬢様が手で制す。

「お父様にとって、わたくしたちは重荷でしかなかったのかもしれません。権力者は自由を奪われる。政略結婚もしがらみの一つ。お父様は、アンナ様やライラと自由に生きたかったのでしょう。でも、あなたは家を捨てることもできなかった」
「哀れなことだな。貴殿も、その家族たちも」

 パッサン卿が捨てるように言った。

「お父様も――辛かったのかもしれませんわね。自分で選んだ方と添い遂げられないのは。でも、あなたのその態度のために、お母様が悲しんでいたことも事実です」

 そう言って、再び鏡に向き直る。鏡に映る奥様の姿は依然として変わらない。感情のない顔で、ただそこに存在している。

「でも、だからって、人を恨んで呪うだなんて、もうやめてください、お母様。そんなお母様を、わたくしは見たくない」

 慕っている母が、人を呪った。その結果、アンナ様は亡くなった。信じたくなんて、ないだろう。お嬢様は苦しそうな顔で訴えた。いつもの理知的な姿はない。悲痛で悲しい感情がお嬢様を支配している。とても見ていられなくて、私は目を逸らした。

 それでも、奥様は眉一つ動かさなかった。静かな瞳がお嬢様をみている。本当に、静かな――、寂しそうな瞳で。

 胸に、なにかがくすぶるのを感じた。
 奥様のその表情に、納得できないものがあった。
 違う気がする、そうじゃない気がする。

 私はじっと奥様を見つめた。それから記憶の中の奥様を思い出す。奥様の微笑みを思い出す。優しかった奥様。使用人の私にも手を差し伸べる、そんな女性だった。

「――呪いたいなんて、思っていないのではないでしょうか」

 視線が、私に集まった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上
恋愛
「カビ臭い地味女」と王太子に婚約破棄された王宮修復師のリディア。 彼女の芸術に関する知識と修復師としての技術は、誰からも必要性を理解されていなかった。 失意の中、嫁がされたのは皆から恐れられる強面辺境伯ジェラルドだった! しかし恐ろしい噂とは裏腹に、彼はリディアの不健康を見逃せない超・過保護で!? 絶品手料理と徹底的な体調管理で、リディアは心身ともに美しく再生していく。 一方、彼女を追放した王都では、貴重な物が失われたり、贋作騒動が起きたりとパニックになり始めて……。

王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした

由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。 無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。 再び招かれたのは、かつて母を追放した国。 礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。 これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。

処理中です...