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10、穏やかな日々
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オリヴェルの父親は、早々に爵位を息子に譲って海辺の別荘地で暮らしている。
ビーチに近い場所に建つ別荘は、庭に南国の棕櫚やオレンジの木が繁っている。
建物の中にいても、寄せては返す波の音が聞こえた。
エレオノーラが別荘を訪れたとき、元侯爵は、応接室でエレオノーラを一目見て、深い緑の瞳に涙を浮かべた。
オリヴェルに目もとがよく似た、穏やかな雰囲気の老紳士だ。
「まるでエリーカが戻ってきたかのようだ」
母と元侯爵は、幼なじみだったらしい。
政略結婚としての婚約者ではあったが、エリーカとその娘がつらい目にあっているのを見過ごすことができなかったらしい。
けれど援助の手を差し伸べようにも、伯爵家に嫁いだエリーカを助けることもできず。長女であるエレオノーラも社交界にデビューすらさせてもらえず、存在を隠されていたも同然だったので、どうにもできなかったという。
「もっと早くにあなたを見つけることができていれば」
「ありがとうございます。わたしがオリヴェルさまとラウラさまに出会えたのは幸運でした」
「おじいさまー、ラウラがね、まいごになったからなのよ」
えらいでしょ。と言いたげにラウラが胸を張る。
「ラウラの迷子も、たまには役に立つものだ。しかし異国で迷子とは、さすがに泣いただろう?」
「なかないよ?」
心細さにラウラが涙をこぼしていたことを、エレオノーラは胸にしまった。
元侯爵は、エレオノーラの実家の現状も教えてくれた。
王族主催の夜会を滅茶苦茶にしたダニエラは、社交界に顔を出すことができなくなった。
使用人は次々と仕事を辞め、 恥さらしな伯爵家で新たに勤めようという者もいない。
義母のイルヴァは父と離縁しようとしたが、離縁は成立しなかったそうだ。
両親もダニエラも世話をする者がいなくなり、自分の身の回りのことを自分でしなければならなくなった。
普通の人ならば当然のことでも、労働をしたことのない人間にはたいそう難しい。
至らぬ掃除に屋敷は荒れ、衣装のほころびを繕ってくれる者もいない。むろん、庭の手入れもされぬままに草は延び放題だ。
もはや伯爵家とは名ばかりの、ゴミ屋敷となった。
「仕方あるまい。伯爵には人を敬おうという気持ちがないのだから。落ちぶれたなら、使用人から見捨てられても無理はない」
元侯爵の声は厳しさを含んでいた。けれど、エレオノーラには「あなたが気にすることはないし、気にすべきではない」と優しく言ってくれた。
◇◇◇
別荘の庭は、光が降り注いでいた。
侯爵家よりも南に位置するからなのか、昼間は影がとても短い。棕櫚の葉がさわさわと風に鳴る木陰で、エレオノーラ達はお茶を飲んでいた。
テーブルに用意されたのは、こってりとした黄色いクリームとブラックベリーのジャムを添えたスコーン。ビスケットと柔らかなマシュマロをチョコレートでおおったティーケーキ。それに紅茶とラウラにはオレンジジュースだ。
「爽やかな味のするティーケーキですね」
「パッションフルーツが入っているんだよ。この辺りの名産だ」
エレオノーラの向かいの席に座るオリヴェルは、優雅な手つきで紅茶を飲む。
ラウラは「おじいさまのおうちのオレンジジュースはね、とってもおいしいの」と、すぐにおかわりを頼んでいた。
今日のエレオノーラは胸元に、スフェーンのブローチをつけている。
本当は、元侯爵に嫁ぐときに母がつけるはずだったブローチだ。
「母が見るはずだった景色をわたしと、このスフェーンが見ているんですね」
それは不思議な感覚だった。
お茶の後、オリヴェルの提案で浜辺を散歩した。
港には行ったことがあるが、エレオノーラは砂浜を歩くのは初めてだった。
「不思議な感覚です。足が沈みます」
「あとで靴を脱いで、払った方がいい。中に砂が入り込むからね」
オリヴェルに教えてもらって、確かに少し足の裏に違和感があることに気づいた。
海風は、少しべたつくことも。砂浜にはピンク色のデイライトと呼ばれる花が群れて咲くことも、波打ち際には砂糖をかけた飴のようにも見える硝子が落ちていることも初めて知った。
「ひゃー。あしがぬれるよぉ」
「ラウラ。君は自分から濡らしにいってるだろ」
寄せる波から逃げるラウラは、とうとうスカートの裾まで濡らしてしまった。濡れたスカートが足にまとわりついて「やだー」と顔をしかめている。
(あれも水遊びになるのかしら。楽しそう)
ふと、エレオノーラの左手に何かが触れる感触があった。
まずは指先に、ためらうように。次に、きゅっと手を握られた。
「ダメだよ、エレオノーラ。遊びたい気持ちは分かるが」
「ばれましたか?」
「そのわくわくした顔を見れば、気づくさ」
「大丈夫ですよ。波の来ないところにいますから」
そう話しても、オリヴェルは手を放してくれない。
いつまでもぎゅっとエレオノーラの手を握っているから。頬が熱くなる。
「あー、おとうさまとおかあさま、てをつないでる」
「うらやましいだろ。ラウラ」
「ラウラもー」
砂浜を吹き抜ける風が、デイライトのうすい花びらを揺らす。ラウラは両手を広げて、エレオノーラとオリヴェルに飛びついた。
ビーチに近い場所に建つ別荘は、庭に南国の棕櫚やオレンジの木が繁っている。
建物の中にいても、寄せては返す波の音が聞こえた。
エレオノーラが別荘を訪れたとき、元侯爵は、応接室でエレオノーラを一目見て、深い緑の瞳に涙を浮かべた。
オリヴェルに目もとがよく似た、穏やかな雰囲気の老紳士だ。
「まるでエリーカが戻ってきたかのようだ」
母と元侯爵は、幼なじみだったらしい。
政略結婚としての婚約者ではあったが、エリーカとその娘がつらい目にあっているのを見過ごすことができなかったらしい。
けれど援助の手を差し伸べようにも、伯爵家に嫁いだエリーカを助けることもできず。長女であるエレオノーラも社交界にデビューすらさせてもらえず、存在を隠されていたも同然だったので、どうにもできなかったという。
「もっと早くにあなたを見つけることができていれば」
「ありがとうございます。わたしがオリヴェルさまとラウラさまに出会えたのは幸運でした」
「おじいさまー、ラウラがね、まいごになったからなのよ」
えらいでしょ。と言いたげにラウラが胸を張る。
「ラウラの迷子も、たまには役に立つものだ。しかし異国で迷子とは、さすがに泣いただろう?」
「なかないよ?」
心細さにラウラが涙をこぼしていたことを、エレオノーラは胸にしまった。
元侯爵は、エレオノーラの実家の現状も教えてくれた。
王族主催の夜会を滅茶苦茶にしたダニエラは、社交界に顔を出すことができなくなった。
使用人は次々と仕事を辞め、 恥さらしな伯爵家で新たに勤めようという者もいない。
義母のイルヴァは父と離縁しようとしたが、離縁は成立しなかったそうだ。
両親もダニエラも世話をする者がいなくなり、自分の身の回りのことを自分でしなければならなくなった。
普通の人ならば当然のことでも、労働をしたことのない人間にはたいそう難しい。
至らぬ掃除に屋敷は荒れ、衣装のほころびを繕ってくれる者もいない。むろん、庭の手入れもされぬままに草は延び放題だ。
もはや伯爵家とは名ばかりの、ゴミ屋敷となった。
「仕方あるまい。伯爵には人を敬おうという気持ちがないのだから。落ちぶれたなら、使用人から見捨てられても無理はない」
元侯爵の声は厳しさを含んでいた。けれど、エレオノーラには「あなたが気にすることはないし、気にすべきではない」と優しく言ってくれた。
◇◇◇
別荘の庭は、光が降り注いでいた。
侯爵家よりも南に位置するからなのか、昼間は影がとても短い。棕櫚の葉がさわさわと風に鳴る木陰で、エレオノーラ達はお茶を飲んでいた。
テーブルに用意されたのは、こってりとした黄色いクリームとブラックベリーのジャムを添えたスコーン。ビスケットと柔らかなマシュマロをチョコレートでおおったティーケーキ。それに紅茶とラウラにはオレンジジュースだ。
「爽やかな味のするティーケーキですね」
「パッションフルーツが入っているんだよ。この辺りの名産だ」
エレオノーラの向かいの席に座るオリヴェルは、優雅な手つきで紅茶を飲む。
ラウラは「おじいさまのおうちのオレンジジュースはね、とってもおいしいの」と、すぐにおかわりを頼んでいた。
今日のエレオノーラは胸元に、スフェーンのブローチをつけている。
本当は、元侯爵に嫁ぐときに母がつけるはずだったブローチだ。
「母が見るはずだった景色をわたしと、このスフェーンが見ているんですね」
それは不思議な感覚だった。
お茶の後、オリヴェルの提案で浜辺を散歩した。
港には行ったことがあるが、エレオノーラは砂浜を歩くのは初めてだった。
「不思議な感覚です。足が沈みます」
「あとで靴を脱いで、払った方がいい。中に砂が入り込むからね」
オリヴェルに教えてもらって、確かに少し足の裏に違和感があることに気づいた。
海風は、少しべたつくことも。砂浜にはピンク色のデイライトと呼ばれる花が群れて咲くことも、波打ち際には砂糖をかけた飴のようにも見える硝子が落ちていることも初めて知った。
「ひゃー。あしがぬれるよぉ」
「ラウラ。君は自分から濡らしにいってるだろ」
寄せる波から逃げるラウラは、とうとうスカートの裾まで濡らしてしまった。濡れたスカートが足にまとわりついて「やだー」と顔をしかめている。
(あれも水遊びになるのかしら。楽しそう)
ふと、エレオノーラの左手に何かが触れる感触があった。
まずは指先に、ためらうように。次に、きゅっと手を握られた。
「ダメだよ、エレオノーラ。遊びたい気持ちは分かるが」
「ばれましたか?」
「そのわくわくした顔を見れば、気づくさ」
「大丈夫ですよ。波の来ないところにいますから」
そう話しても、オリヴェルは手を放してくれない。
いつまでもぎゅっとエレオノーラの手を握っているから。頬が熱くなる。
「あー、おとうさまとおかあさま、てをつないでる」
「うらやましいだろ。ラウラ」
「ラウラもー」
砂浜を吹き抜ける風が、デイライトのうすい花びらを揺らす。ラウラは両手を広げて、エレオノーラとオリヴェルに飛びついた。
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