メイドとして皇宮に潜入したら、皇太子殿下に気に入られました(旧タイトル:ひとつぶの星屑(エトワール))

葉山心愛

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潜入編

30.聖剣祭(一)

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朝から王都は熱気に包まれていた。年に一度の聖剣祭、その初日――予選の日だ。

受付とクロークを兼ねるステラは、すでに頭の中に膨大な情報を叩き込んでいた。エントリー済みの貴族は顔と名前を、平民は名前のみ。観客として入場する貴族も同様に似顔絵と合わせて覚えている。

平民は当日その場で名前を聞いて照合する形だが、引換券となる予約証を必ず提示してもらう必要があった。

観客数はすでに定員。新規の入場は認められない――それがこの日の厳しい決まりだった。

事前打ち合わせで、ステラは誘導係に任命された。貴族と平民はそれぞれ受付が分かれているため、列の混乱を防ぐには、顔と名前を瞬時に照合できる人間が必要だった。

その適任者として、メイド長グレタに推薦されたのだ。

普段のメイド服ではなく、品のある受付用の制服を着たステラは、凛とした表情で人波をさばいていく。

「ランベルト侯爵様、受付はこちらです」
「ハインリヒ男爵様、どうぞ」

その記憶に誤りは一切なく、作業は滞りなく進んだ。

やがて受付終了まで残りわずかとなったとき――

人混みの向こうから、ゆったりとした足取りで一人の男が現れた。身なりは明らかに高位の貴族。しかし、その顔も名前も名簿にはない。

(……この方は、ディートハルト・エッセン伯爵)

記憶の中から瞬時に引き出し、ステラは穏やかな声で呼びかけた。

「ディートハルト・エッセン伯爵様、こちらへどうぞ」

彼女が案内したのは三つ目の受付――予約なしの貴族用の窓口だった。そこでは侍女が丁寧に頭を下げながら告げる。

「恐れ入りますが、事前にご予約が確認できませんでした。空席が出次第ご案内いたします」

その瞬間、伯爵の眉が吊り上がった。

「何を言っておる! わしは確かに予約したはずだ!」

怒鳴り声に侍女の肩がびくりと震える。彼女は口を開こうとしたが、恐怖で声が出なかった。

ステラは一歩前へ出た。

「伯爵様、こちらではご予約のお手紙を受け取っておりません。確認のため、お手元の予約証――返信のお手紙を拝見してもよろしいでしょうか」

冷静で揺るぎない声音。だが、その一言が伯爵の逆鱗に触れた。

「……平民風情が、わしに指図するか!」

次の瞬間、乾いた音とともに視界が揺れた。鋭い痛みが頬に走り、ステラの身体がわずかによろめく。

周囲の空気が一瞬にして凍りついた。侍女も、並んでいた観客も、息を呑んで成り行きを見守っていた。

ステラは頬に手を添えながらも、視線を逸らさず、伯爵をまっすぐ見据えていた――。

「っ……!」

痛みに息が詰まり、視界が揺れる。時間が経つにつれ頬はじわじわと熱を帯び、腫れが広がっていく。勢いに押され、ステラはその場にしりもちをついた。

周囲の侍女やメイドたちは、恐怖で硬直していた。誰一人として声も出ない。その時、場を裂くような足音と共に――

「失礼いたします、伯爵様」

メイド長グレタが割って入った。背筋を伸ばし、ステラの前に立ちはだかる。その姿は壁のようで、伯爵の視線からステラを完全に隠す。

「申し訳ございません。しかし私どもは、名簿に記載のあるお客様以外をお通しすることはできません。許可なく入場をお認めする権限もございません」

低く、しかし揺るぎない声。淡々とした説明は、感情を交えずに事実だけを告げていた。

伯爵は鼻で笑い、ふんぞり返る。

「……まあ、まもなく中には入れるでしょう」

グレタがそう付け加えると、伯爵は当然だと言わんばかりの態度を取った。

その場の空気がさらに変わったのは、ユリウスが現れた瞬間だった。

「……またあなたですか」

呆れたように眉をひそめると、伯爵の顔がわずかに引きつる。

伯爵は、今回はしっかり予約をしたのだ、ただ手紙を持ってくるのを忘れただけだと主張する。「皇宮からの手紙もある!」と声を荒げるが、ユリウスは即座に切り捨てた。

「記録は残っていません。こちらから手紙を出した記録も」
「……私が嘘を言っていると?」
「事実を申し上げているだけです」

その一言で、伯爵は言葉を失い、悔しげに踵を返して去っていった。

場が静まり返る中、ユリウスはステラの元へ歩み寄る。差し出された手に、ステラは一瞬戸惑いながらもそっと自分の手を重ね、身体を起こした。

「今日はロイクが皇都の見回りで、あなたの護衛ができなかったのだ」

ユリウスは短く説明し、続けてぼそりと付け加える。

「あの方が、あなたに何かあれば黙ってはいませんからね……そうなれば被害を被るのは私です」

言い訳のようにも聞こえたが、その声色はどこか柔らかかった。ステラは腫れた頬に触れながら、小さく答えた。

「……ありがとうございます」
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