メイドとして皇宮に潜入したら、皇太子殿下に気に入られました(旧タイトル:ひとつぶの星屑(エトワール))

葉山心愛

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潜入編

9.にこにこ毒男

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静かに紙がめくられる音と、香袋こうぶくろの紐を結ぶ音が控えの間に響いていた。
手元の招待状に目を走らせながら、ステラは手際よく封入作業を進めていた。

そんな彼女の隣から、柔らかい声が届く。

「ステラさんは……どうやって文字を覚えたのですか?」

声の主はユリウス。
にこやかな微笑を絶やさず、まるで雑談のように自然に話しかけてくる。

(また始まった……)

ステラは顔を上げずに、さらりと答えた。

「……近所の教会で、少しだけ教わりました。両親が文字くらいは覚えろって」
「なるほど。ご両親は――?」

ステラは一瞬だけ手を止めた。だが、すぐに作業を再開しながら口を開く。

「数か月前に……土砂崩れがあって。家も、家族も、全部……なくなりました」

侍女たちが一斉にステラの方を見る。空気が少しだけ張り詰めた。

「そのあと、行き場がなくて……誘拐されて、王宮に売られて。今に至ります」

それは、ステラが用意していた“身の上話”だった。
嘘ではあるが、破綻のないよう練り上げてある。

「あまり、聞かないでください」

静かに言ったその声に、周囲の侍女たちは自然と沈黙した。
貴族出身の彼女たちにとって、それは遠い世界の話でも、胸を打つものだった。

「それは……つらかったでしょう」

ユリウスの声もまた、穏やかだった。
眉を下げ、まるで共感しているかのような目を向けてくる。

「でも、今あなたがこうして前を向いていること、きっとご両親も誇りに思っていますよ」

ステラは、作業の手を止めずに返す。

「……ありがとうございます」

口ではそう言ったが、心の中ではまったく別の言葉が浮かんでいた。

(その顔、よく作り込まれてるわね――にこにこ毒男どくお

完璧すぎる笑顔。タイミングの良すぎる言葉。
相手の心を溶かすように設計された“優しさ”。

(ああもう、そう呼ぶことに決めた。今日からあなたは、にこにこ毒男)

ユリウスがふっと笑みを深めた。
まるで心を読んだかのように。

午後の陽が差し込む控えの間に、甘い香りがふわりと広がった。

「お疲れさまです、皆さん。ちょっとした甘いものでもいかがですか?」

声の主は、いつもの笑顔――ユリウス・ヴェルナーだった。

白銀のトレイには、果物をふんだんに使ったタルトや焼き菓子、ほんのり香るハーブ入りの紅茶が整然と並んでいた。

「まぁ……」
「これって宮廷御用達ごようたしのお菓子では……?」

侍女たちがどよめき、さっそく手を伸ばす。

「どうぞ、ステラさんも。しっかり休まなければ、力は出ませんよ」

(にこにこ毒男……差し入れまでぬかりないのね)

目の前でにっこりと笑いかける彼に、ステラは何も言わず小さく頭を下げた。
その動作ひとつひとつが、どこか刺々しい。

――すでにステラの心の中では、彼の名前は完全に「にこにこ毒男」に定着していた。

(その顔、どこまでが本物で、どこまでが演技なのかしら)

ふと、視線を感じて顔を上げると、ちょうどユリウスと目が合った。
彼はにこやかに笑いながら、どこか楽しげにステラを見ていた。

――まるで、自分に別の呼び名をつけられていることすら気づいているような目で。

(……やっぱり性格悪い)

ステラがふいと視線を逸らすと、ユリウスはその反応すら愉快そうに受け止めた。

周囲の侍女たちは笑顔で談笑しながら、甘い菓子と紅茶を味わっていた。
格式高い侍女たちですら、ユリウスの振る舞いにごく自然に心を許しているようだった。

――だが、ステラだけは終始変わらない。むしろ、ますます警戒を強めていた。
その静かな抵抗こそが、ユリウスにとっては“新鮮な興味”の対象だった。

夕方になり、封入作業はすべて完了した。
招待状の山は整然と並び、最後の確認を終えたエレオノーラが静かにうなずいた。

「ご苦労さまでした。今日の作業はこれで終了とします」

皆がほっと息をつき、控えめに頭を下げる。
ステラもまた、立ち上がって黙礼した。

(にこにこ毒男との距離、これ以上縮まらなければいいけど)

だが、彼女のそんな願いが叶う日は――どうやら、遠いようだった。

王宮の西棟、皇太子専用の執務室には夜の静寂が漂っていた。

月明かりに照らされた書斎の机には、書類の山と銀のティーセット。
その奥で、レオナルド皇太子殿下が椅子に背を預けている。

「で?今日の“あの子”の様子はどうだった、ユリウス」

レオナルドの問いに、部屋の一角で紅茶を口にしていたユリウスが、目元を緩めた。

「ええ、完璧でしたよ。まるで仕分けの神様でも降りてきたように、間違いひとつなくこなしていました」
「ふーん、やっぱりすごいんだな、そのステラって子」

ロイクが窓辺に腰かけ、興味ありげに眉を上げる。
ユリウスはゆっくりとカップを置くと、軽く肩をすくめた。

「おまけに身の上話まで興味深くて……土砂崩れで家族を失って、誘拐されて売られたと。悲劇の少女ですね。もちろん、それが真実かどうかは……別の話ですが」

レオナルドがふと視線を向ける。その瞳はわずかに細められ、何かを見極めるような色を帯びていた。

「ずいぶん楽しそうに話すな。仮面じゃないぞ、その顔」

その一言に、ユリウスが「おや」と笑みを深める。

「……バレましたか。ええ、楽しかったんです、今日は」
「珍しいな。お前が本気で楽しそうにするなんて」

ロイクも呆れたように笑った。

「理由は簡単です。ステラさんは……私を“虫を見るような目”で見たんですよ」
「虫?」

レオナルドとロイクが同時に首をかしげた。
ユリウスは微笑を浮かべたまま、どこか楽しそうに言葉を続ける。

「他の女性たちが向ける憧れでも媚びでもなく、明確な警戒と不信。名前こそ呼ばれませんでしたが……心の中で変な呼び名で呼ばれているのではと、思わず推理したくなるほどに」

レオナルドの口元にはかすかな笑みが浮かぶ。

「……面白い子だ」
「でしょう? 私としては、ああいう反応をされるのも悪くないですね。久しぶりに……心が少し動きました」
「お前の心が動くとか、季節が変わるより珍しいな」

ロイクの茶化しにも、ユリウスは怒らず、むしろ楽しげに目を細めた。

レオナルドは静かに立ち上がり、窓辺に歩を進める。
そして月を見上げながら、低く呟いた。

「……見てみたくなったな、そのステラという娘を」

その声音には、ただの興味以上のものが滲んでいた。
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