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第2章 深海の檻が軋む時

第14変 お花畑的な世界でこんにちは

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(あれ? これって、夢? いや――もしかして、死後の世界……とか?)

 私は、思わず目の前に広がっている光景に呆然と立ち尽くしていた。

 だって……そこには、懐かしくも、もう手に入らないと分かっている日常のやり取りがあったのだから――

 天井からの明かりに照らされた台所の大きなテーブル。一番奥には祖父が座り、祖母が私の分のご飯を準備していて、兄が冷蔵庫からマヨネーズを取り出し(どうでもいい話だが兄はマヨラーだ。なのに、全然太らない。世の中理不尽だと思う)、母が仕事から帰ってきて手を洗っている。

 両親は私が産まれてまもなく離婚したので父はいない。だから、これが夕食時の我が家だった。

 そう、前世での――地球での……私の日常。

 この世界に来てから、決して戻ることは出来ないと諦めていた温かい日々。この世界での私を育ててくれた家族も、もちろん優しかったけど、それとはまた違う――でもやはり同じように感じる温かさ……。

 この温かさは、忘れたりなんかしない。

「ほら、ままけー」
(訳:ほら、ご飯食べなさい)

 祖母の独特のなまりを懐かしく思いながら席に着く。

「ばっちゃ……」

「んー? なした?」
(訳:んー? どうしたの?)

 たとえ前世であっても、もう聞くことができなくなっていたその声に、目頭が熱くなる。思わず、目の前にある祖母特性の煮付けを口一杯に頬張る。

 ゴホッ――ガハッ――

 ……案の定むせた。

「ああ、ほら、おが急ぐな」
(訳:ああ、ほら、あんまり急ぐな) 

 やはり独特のなまりのある祖父が背中をさすりながら、自分が飲もうとしていたブドウジュースを差し出してくる。

 ゴクゴクゴクッ――

「はあぁ、じっちゃありがとう」

 涙目になりながらもなんとか飲み込むと、祖父は目尻を下げながら本当に愛おしげに私の頭を撫でてくれた。この温かさも、幸せも、前世であったとしても手にできない。

 すでに故人となってしまった祖父の手が離れていってしまうのが嫌で、その温かさを忘れてしまうのが嫌で、私はその手をギュッと握った。

 たとえ、これが死後の世界だったとしても――もう、いい。皆にまた会えたんなら、それでいい。これがただの都合のいい夢だったとしても、私が感じる幸せに偽りはない。

(なら、伝えなきゃ――)

「本当に……い、つもありがとう。守ってくれ、て――ありがとう」

 本当はもっとずっとたくさん言いたいことがあるのに、死に際に間に合わなかった後悔やら、会えて嬉しいっていう喜びの感情やらで、胸がいっぱいで上手く言葉が出てこない。嗚咽に変わりそうになるのをこらえ、つっかえながらもなんとか言葉を発する。

「じっちゃ、ばっちゃ、私、ね。いっぱい、いっぱい、ごめんねとか、ありがとうって伝えたくて、それでね、それ――で」

 二人が生きているうちにもっと、二人にもらった分だけの幸せを、優しさを返したかった。生きているうちにもっと、もっと――

 本当に久々に涙が溢れてきた。そんな私にじっちゃもばっちゃも優しく微笑む。

 初の女の子ということもあり、祖父も祖母も孫の私にはめっぽう甘く、私は本当の本っっ当に大事にされた。

 そして、いまだに――いや、今だからこそ余計に思ってしまう。

 いつも甘えてばかりだった私は、二人のために何かしてあげられたのだろうか? いつも、もらってばかりで……頼ってばかりで……本当はもっとできることがあったのではないだろうか?

 伝えたい想いが――ゴチャゴチャな感情が――全て涙となり、頬を伝う。

 祖父は私の頭を優しく撫でてくれた。

「おめは今を生ぎでらんだべ? んだば、それでいい。オラだはみーんな分がってるがら。おめはおめの好ぎなよーに生ぎれ」
(訳:お前は今を生きてるんだろ? それなら、それでいい。俺達はみーんな分かってるから。お前はお前の好きなように生きなさい)

 祖父がニカッと笑い、トンと背中を叩く。

「で、でも、私、じっちゃ達に何も返せてな、い」

 自身のシャクリ上がった声に、小さい頃を思い出す。やはり、祖父母の前では子供に戻ってしまうらしい。

「おめがそさいる。おめが笑って楽しぐ生ぎでら。オラだはそれだげで充分だ」
(訳:お前がそこにいる。お前が笑って楽しく生きてる。俺達はそれだけで充分だ)

「じっちゃ――」

 思わず、今度は感動で涙腺が緩んだが、そこでハッとする。

「ど、どどど、どうしよう、じっちゃ! 私、もう二回目の人生――いや、獣人生か? まあ、どっちでもいいけど、そっちでも死んじゃったよ!! 笑って楽しく生きてるって現在形じゃなく、生きてたって過去形でも大丈夫!?」

 大慌てでそういう私に、祖父は一度キョトンとした顔をした後、自慢げに笑った。

「なーに言ってら。この世界じゃあ、アレぐれで死なね」
(訳:なーに言ってんだ。この世界じゃあ、アレくらいで死なない)

「え? 死んでないの? ここ、死後の世界じゃないの?」

「こごは世界の狭間はざまだ。まあ、三途の川みでったもんだ」
(訳:ここは世界の狭間だ。まあ、三途の川みたいなもんだ)

「ああ、なるほど、お花畑的なアレとかそういう感じね☆ って、それ死にかけてるってことだよね!?」

「んだな」
(訳:そうだな)

 祖父はナチュラルに私のツッコミに頷いた。

 さすが家族。私のツッコミがくるのが分かってたのか、待ってましたと言わんばかりに満面の笑みで対応された。久方ぶりの反応に、なんとなく気恥ずかしくなる。私は何十年経っても根本的な部分が変わっていないらしい……。

「死にかけだども、おめは死なね。おめはこの世界の神様さ愛されでらんだがらな」
(訳:死にかけだけど、お前は死なない。お前はこの世界の神様に愛されてるんだからな)

「は? 神様――に?」

 神様には会ったことすらないのに、愛されてるという。意味がわからない話だ。

 いや、もしかしたら、コッチの世界とやらに来た時に会っているのかもしれないが……正直記憶にない。

「んだ。アッチの世界じゃあ、神様はながなが介入でぎねがっだみでだが、コッチの神様は介入でぎるみでったし、なにより、さすがオラだの孫娘って感じだしな」
(訳:そう。アッチの世界じゃあ、神様はなかなか介入できなかったみたいだけど、コッチの神様は介入できるみたいだし、なにより、さすが俺達の孫娘って感じだしな)

「ええ、最後なんだかとんでも理論なんだけど――でも……もしかして、じっちゃ達がいる今のこの状況も神様のいきはからいってやつなの?」

「んだみでったな。なんかあっても、オラだがこごがらちゃーんと帰してやるがら頑張れな? このじっちゃの孫だ。強ぐ生ぎれ」
(訳:そうみたいだな。なにかあっても、俺達がここからちゃーんと帰してやるから頑張れな? このじいちゃんの孫なんだ。強く生きなさい)

 胸を張って笑う祖父の横で、祖母がニコニコと笑う。

「オラだはずっと傍さいるがら。母さんも兄さんもまあ、なんとかやってらし、おめもきばってげ」
(訳:私達はずっと傍にいるから。母さんも兄さんもまあ、なんとかやってるし、お前も頑張りなさい)

 いつの間にかいつもの食卓はなく、暗闇の中、背の高い祖父に背の小さい祖母が寄り添うように立ち、愛おしげにこちらを見つめていた。

「まあ、また来るってことは命の危機のような気がするから避けたいけど……そっか、お母さんも兄さんもアッチで頑張ってるんだね――うん、色々ツッコミどころ満載のような気はするけど、まだ死なないって言うんなら、私もコッチで頑張ってくる!」

「「ああ。んだば、まんず、きづげで」」
(訳:ああ。それじゃあ、気を付けていってらっしゃい)

「えへへ……いってきます!」

 そう言って元気よく駆け出そうとして、一度立ち止まり、今まで気恥ずかしくって直接は言えなかった言葉を精一杯伝えたいと思った。

「二人共、大大大~~~好きだよ!!」

 二人の優しい笑みをしっかりと目に焼き付け、私は暗闇の中の光を目指し、走り出す。

 もちろん、コッチの世界の神様にもしっかりと感謝をしつつ、私は目を覚ますべく、光を求めたのだった。
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