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11月。
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11月1日の朝。
僕はいつも目覚まし時計の音より早く目が覚める。そんな僕が今年初めて目覚まし時計の音を聞いて目が覚めた。日常とは違う朝が来て僕は少し気分が悪くなる。僕はベッドから起き上がると、まずはいつも通りの朝にシフトチェンジすることにした。
机。洋服棚。手すり。扉の順番に手を当てながら歩く。扉を開くと手すりはないが体が覚えている感覚を元に歩く。
(…ここを左…)
左に曲がったところで微妙に空気が湿っている感覚。お風呂場と洗面台だ。顔を洗って歯を磨く。これだけで朝の気だるさが無くなるんだから人間の体はすごいものだなぁと思う。
洗濯機を鳴らし始めた所であることに気づいた。
「ぁ…ラジオ付けてない。」
壁を伝いながら歩いてリビングに出る。まるくて軽いスイッチを押して、人差し指の爪の長さぐらいダイヤルを回す。あとは音を聞きながらダイヤルを合わせた。
「今回のラジオは特別!本当に特別です!!」
一週間に何度聞いたかわからないこの文句。でも僕はこの人の話が好きだ。なんて言うんだろう。とても温かい気持ちになる。機会があれば話してみたいものだと思うし、ラジオを聞いた感想なんかを伝えてみたいものだと思う。もちろんハガキは送ったことはあるのだけど、まだ読まれたことがないのだから、本当にたくさんのハガキが送られているんだろう。
ぼんやりとそんなのを考えてコーヒーを飲んでいると、スピーカーから聞きなれたピアノのカバー曲が流れ出した。
「I'm ganna make a change~♪ for once my life~♪」
この曲も僕がすごく好きな曲だ。マイケル・ジャクソンのメンインザミラー。マイケル・ジャクソンを知るきっかけになった曲。初めて聞いた時に父さんから教えてもらった曲だから感慨深いものがある。そしてこの曲が鳴ったということは仕事に行かないといけない時間だ。
僕は立ち上がってラジオのスイッチを押した。音がプツンと止まって部屋が寂しくなった気がする。朝のこの時間だけはいつまで経ってもなれない。物心ついた時からこの時間だけは好きになれなかった。ふらふらと履物がある場所に歩いていくと、MA_1を着て、慣れた手つきでスニーカーを履いて杖を取るとドアノブを回した。
扉を開いた途端、ひやっとした風が扉から吹き込んでくる。とたんに体に力が入った。近頃は暖かくなったり寒くなったりすごく大変だ。僕は特に風を敏感に感じるから寒くて仕方がなかった。風が冷たくても冷たくても我慢して歩く。
カツカツカツカツカツカツ…
新宿駅に到着すると、人の声が沢山聞こえて嬉しい反面、少しだけ面倒でもあった。人を避けるのが難しいからだ。僕のような全盲の人間は杖を使用するので人は勝手に避けてくれることが多い。でもごく稀に会社員の方にぶつかって罵声を浴びせられることがある。僕は二ヶ月に一度くらい。多分多いほうだ。辛いとは思わないけど、なんだか腹が立つ。だから結局それを回避するには音を聞いて風を感じながら左右に避ける努力をしないといけない。朝なんかは特に人が多いから大変だ。
JR線の改札を抜けて山手線のホームまで歩いて、少し待ったら電車に乗るそこから移動して恵比寿に着いた。僕の仕事場は恵比寿にある。恵比寿から体感で5分ぐらい歩いた所にあるこじんまりとした貸家で、身体障害者向けのカウンセラーをしている。僕自身心理的に不安定なところがあるし、カウンセリングの知識なんて無かった。資格も持っていないし多分非合法で、バレたらまずい事は理解している。しかし僕達のような生き方をしている人は普段から普通の人間よりも辛い思いをしているんだから、そんな人たちの心の支えになるのならそれでもいいと思って、少しだけだが背伸びをして自身を持っているつもりだ。
カラカラカラ…
「おはようございまーす。海(うみ)くんはいつも通り時間ぴったりだね。」
中から調子のいい声が聞こえた。この人は橋守(はしもり)すばるさん。僕の父さんの会社の元同僚で、僕に凄く良くしてくれる優しい人だ。少し抜けたところがあるけど、僕にこの仕事のあらゆることを教えてくれた恩人だ。
「おはようございます。なんだか今日から急に寒くなりましたね…すばるさん朝苦手だからてっきり寝過ごしてるものだと思ってました。」
「いやいや、僕もそう思ってね。昨日はここに泊まったんだよ。何せここなら布団もあるしキッチンもあるしお風呂もある。なんでも揃っているから家よりも落ち着くんだよここは。」
「それにしたってここに泊まるのはちょっと心配ですよ。彼女さん怒ってるんじゃないですか?」
「んー…そこに関してはノーコメントだな。彼女は気まぐれなところがあるから家にいると厄介払いされることも多いんだよ。かと言っていないはいないで怒るから気難しい。どうせそう思われるなら過ごしやすい場所にいたいと思わないかい?」
イタズラっぽく笑っている声が聞こえて、僕も少し肩の力が緩んだ。
「まぁあんまり深刻じゃなくてよかったです。お茶飲みますか?」
「あぁいいよ。僕が入れるから上着脱いで座っててよ。」
「あ、すいません。ありがとうございます。」
「気にしなくていいよ。海くんは緑茶でいいよね?」
「はい。大丈夫です。」
すばるさんの足音が少し遠くなっていく。
「そういえば、お父さんから連絡は来てないかい?君のことで話があるって言ってたから家に行ってるか電話が来てると思ったんだけど。」
「あぁ。正式なここへの所属の件でしたっけ?」
「いやそこまでは聞いてないんだ。ただ君に話があるから、君が来たらそのことを伝えてほしいと言われてね。」
「そうだったんですか。でもすばるさんにも伝えてないなら仕事関連の話じゃないのかな。」
僕の父さんはかなり自由奔放な人だ。悪く言うと自分勝手な性格で、家に帰ってこないことは多かったし、ふいに海外に出掛けたくなったらなんの連絡もなくスペインに行って、空港から電話をしてくるなんてことはしょっちゅうだ。今は実家を出ているから昔ほど困ることは無かったけど、僕が家を出たことによってもっと自由になっている。でも昨日も普通にここで仕事してたから、もし連絡が来てたんだとしたら昨日の夜から今朝にかけてということになる。
「すばるさん。昨日の夜父さんと飲みに行ってたんですか?」
「ん?あぁいや、そういう訳じゃないんだ。新しく海外で美人患者が見つかったって連絡があって、うちの会社で請け負うと言ってアメリカまで飛んでいっちゃってね。」
(…はぁ……父さん…いい歳してそんな事のためにアメリカ行ったのか。)
すっかり呆れてしまった僕を見て、
「ははは…まぁ奥さんと離婚して随分経つからね。お父さんも新しい出会いが欲しいのかもしれないよ?」
「患者に手を出すのは流石に駄目でしょう…すばるさんからも言ってやって下さいよ。いい加減落ち着けって。」
「んー…でも、そんな自由奔放なあの人だからこんな会社を設立して、僕達みたいな身体障害者に働き口を生み出してくれたんだろうしねぇ。」
「まぁ…そりゃあそうなんですけど。」
かく言うすばるさんも身体障害者だ。見た目は障害者らしさは感じられないのだけど、心臓に障害を持っている。心臓機能障害だ。障害はひどさの具合によって級で分類される。すばるさんは4級の心臓機能障害で、通常の温和な日常生活にはあまり支障はない。でも通常の社会生活をするには壁が高い。以前務めていた会社も、上司からの圧力や空気感、そしてハードな営業回りが負担になり、心臓発作を起こしてしまったらしい。そこで当時の先輩だった僕の父さんがすばるさんを見てこの会社の設立に思い立った。
「…まぁいいか。あの人の自由奔放な性格は今に始まったことじゃないし。いつ帰ってくる気か知らないですけど、引き抜き次第また帰ってくるでしょう。」
「うん。そうだね。あの人どうしてだか、人望の塊のように尊敬されてるからね。」
スバルさんは呆れて、でも楽しそうな、何か楽しいことが始まる前のような声で笑った。この人の全てを楽しむ性格は、きっと父さん譲りだ。
すると、がたっ、という音がして僕は驚いた。
「さぁ!もう8時30分だ。それじゃあ仕事の準備を始めようか。そろそろみんな集まる頃だろうからね。」
「そうですね。今日は確か…えーっと……水曜日でしたから、予約が立て込んでると思いますしね。」
僕は立ち上がって壁伝いに部屋の端まで歩いていくと、静脈センサーを探り当てて手をかざす。ぴぴっ、という音がしてすばるさんが手首にバンドを巻いてくれた。
カラカラカラ…カツカツカツカツ…
僕達の他に二人分の靴の音と、きいきい、という車いすの音。
「ちぃーっす。おはよーっす。」
「…」
「おはようございます!急に寒くなりましたよねー!!」
残った三人が来たようだった。
「ん!三人ともおはよう。今日は水曜日だから早めに準備するようにね。」
最初の騒がしい声は都賀 春義(つが はるよし)くん。目が見えないから分からないけど、見た目は怖い人らしい。僕は話し方も怖いと思うけど、人が悲しむことは決してしないし、僕は目が見えないからと言ってよく食事やトイレを片手で手伝ってくれる。もう慣れたから大丈夫って言っても聞かなくて、失敗すると後が大変だからと言って不慣れに手伝ってくれる。
すると僕の頬に柔らかい指が触れた。黙っているから分かりにくいけど、僕のほっぺたを黙って突っついてここにいるよって教えてくれる文内 涼音 (ふみうち すずね)さん。僕が見えなくてもわかるように、点字までしっかり覚えて色んなことを僕に教えてくれる。でも彼女は黙っていてもどこにいるか何となく分かる。匂いとか、体温とか、空気とか、なんとなくこの人の周りは暖かい。すばるさんがいちばん気に入っている人らしくって、とても可愛らしいとか。
そして最後に元気よく入ってきたのが花丸 桜(はなまる さくら)さん。車椅子に乗っているのにどこからそんな声が出せるんだと思うくらい元気な人だ。そして春義くんの幼なじみ。これは僕もなんとなく感じてるけど、結構子どもっぽい人だから少しのことで怒ったり、泣いたり、喜んだり、感情の起伏が激しい人だ。僕は時々高いテンションについていけなくなっちゃうけど春義くんは凄く慣れているようで、彼女のテンションに上手く合わせているから、よくみんなから兄弟みたいってからかわれていた。すばるさんいわく、黙っていればただの可愛い女の子、との事だ。
それにしても、涼音さんが僕の頬を突っつくのをやめてくれない。その横から笑いをこらえる春義くんの声が聞こえた。桜さんはすばるさんと他愛もない話をしているらしい。
「…っ……おい海…涼音今すんげぇ顔してんぞ……っぷぁっははははは!!!」
そうしてようやく突っつくのをやめてくれた。ずっと頬を触られていたせいで少し頬が寂しくなった。
「…っ…そんな怖い顔すんなって……悪かったよ…」
急に笑い声が止まったかと思うと春義くんが謝り始めた。涼音さんの呼吸の深さが変わったからきっと怒っているんだろう。でもすぐに和解したようで涼音さんは僕の手に点字を打った紙を握らせた。
「えーっと…『き・ょ・う・は・げ・ん・き・?』と…うん、元気だよ。」
ふっ、と呼吸が変わる音。今ので笑ったんだとわかった。そこから何気ない雑談が始まりそうになった時、
「はーいはい!おしゃべりは終わり。朝礼を始めるよ。」
スバルさんが会話を切り上げさせる。空気がすっ、と変わってぴりりとした空気に変わる。
「それじゃあ唱和をしますよ。涼音さんは心の中でちゃんと言ってくださいね。『私達の出来ることは』」
「『人の心を癒すこと~』」
「『心はみんな平等に!!』」
「『…』」(傷付いて。癒されて。)
「『だから癒すことを誓います。』」
「はい。それじゃあまずお茶の準備しよっか。」
それぞれがお茶菓子、紅茶、座布団の準備、を始める。僕は壁伝いに3メートル歩いて、ブレーカーを上げた。
「すばるさん。外の電気ついてるか確認してもらえますか。」
「うん、問題なく点いてるよ。あとはみんなに任せて先に座敷に座ってて。」
軽く会釈をして僕は座敷へと歩いていく。いつも準備はみんなに任せきりだから少し罪悪感を感じる時間だ。でも以前その事を話したら春義が気を遣ってくれたのが逆に辛かったから、それからは何も言わずに座るようしている。
お茶のいい香りを感じながら、僕は今日の患者さんのことを考え始めた。
僕はいつも目覚まし時計の音より早く目が覚める。そんな僕が今年初めて目覚まし時計の音を聞いて目が覚めた。日常とは違う朝が来て僕は少し気分が悪くなる。僕はベッドから起き上がると、まずはいつも通りの朝にシフトチェンジすることにした。
机。洋服棚。手すり。扉の順番に手を当てながら歩く。扉を開くと手すりはないが体が覚えている感覚を元に歩く。
(…ここを左…)
左に曲がったところで微妙に空気が湿っている感覚。お風呂場と洗面台だ。顔を洗って歯を磨く。これだけで朝の気だるさが無くなるんだから人間の体はすごいものだなぁと思う。
洗濯機を鳴らし始めた所であることに気づいた。
「ぁ…ラジオ付けてない。」
壁を伝いながら歩いてリビングに出る。まるくて軽いスイッチを押して、人差し指の爪の長さぐらいダイヤルを回す。あとは音を聞きながらダイヤルを合わせた。
「今回のラジオは特別!本当に特別です!!」
一週間に何度聞いたかわからないこの文句。でも僕はこの人の話が好きだ。なんて言うんだろう。とても温かい気持ちになる。機会があれば話してみたいものだと思うし、ラジオを聞いた感想なんかを伝えてみたいものだと思う。もちろんハガキは送ったことはあるのだけど、まだ読まれたことがないのだから、本当にたくさんのハガキが送られているんだろう。
ぼんやりとそんなのを考えてコーヒーを飲んでいると、スピーカーから聞きなれたピアノのカバー曲が流れ出した。
「I'm ganna make a change~♪ for once my life~♪」
この曲も僕がすごく好きな曲だ。マイケル・ジャクソンのメンインザミラー。マイケル・ジャクソンを知るきっかけになった曲。初めて聞いた時に父さんから教えてもらった曲だから感慨深いものがある。そしてこの曲が鳴ったということは仕事に行かないといけない時間だ。
僕は立ち上がってラジオのスイッチを押した。音がプツンと止まって部屋が寂しくなった気がする。朝のこの時間だけはいつまで経ってもなれない。物心ついた時からこの時間だけは好きになれなかった。ふらふらと履物がある場所に歩いていくと、MA_1を着て、慣れた手つきでスニーカーを履いて杖を取るとドアノブを回した。
扉を開いた途端、ひやっとした風が扉から吹き込んでくる。とたんに体に力が入った。近頃は暖かくなったり寒くなったりすごく大変だ。僕は特に風を敏感に感じるから寒くて仕方がなかった。風が冷たくても冷たくても我慢して歩く。
カツカツカツカツカツカツ…
新宿駅に到着すると、人の声が沢山聞こえて嬉しい反面、少しだけ面倒でもあった。人を避けるのが難しいからだ。僕のような全盲の人間は杖を使用するので人は勝手に避けてくれることが多い。でもごく稀に会社員の方にぶつかって罵声を浴びせられることがある。僕は二ヶ月に一度くらい。多分多いほうだ。辛いとは思わないけど、なんだか腹が立つ。だから結局それを回避するには音を聞いて風を感じながら左右に避ける努力をしないといけない。朝なんかは特に人が多いから大変だ。
JR線の改札を抜けて山手線のホームまで歩いて、少し待ったら電車に乗るそこから移動して恵比寿に着いた。僕の仕事場は恵比寿にある。恵比寿から体感で5分ぐらい歩いた所にあるこじんまりとした貸家で、身体障害者向けのカウンセラーをしている。僕自身心理的に不安定なところがあるし、カウンセリングの知識なんて無かった。資格も持っていないし多分非合法で、バレたらまずい事は理解している。しかし僕達のような生き方をしている人は普段から普通の人間よりも辛い思いをしているんだから、そんな人たちの心の支えになるのならそれでもいいと思って、少しだけだが背伸びをして自身を持っているつもりだ。
カラカラカラ…
「おはようございまーす。海(うみ)くんはいつも通り時間ぴったりだね。」
中から調子のいい声が聞こえた。この人は橋守(はしもり)すばるさん。僕の父さんの会社の元同僚で、僕に凄く良くしてくれる優しい人だ。少し抜けたところがあるけど、僕にこの仕事のあらゆることを教えてくれた恩人だ。
「おはようございます。なんだか今日から急に寒くなりましたね…すばるさん朝苦手だからてっきり寝過ごしてるものだと思ってました。」
「いやいや、僕もそう思ってね。昨日はここに泊まったんだよ。何せここなら布団もあるしキッチンもあるしお風呂もある。なんでも揃っているから家よりも落ち着くんだよここは。」
「それにしたってここに泊まるのはちょっと心配ですよ。彼女さん怒ってるんじゃないですか?」
「んー…そこに関してはノーコメントだな。彼女は気まぐれなところがあるから家にいると厄介払いされることも多いんだよ。かと言っていないはいないで怒るから気難しい。どうせそう思われるなら過ごしやすい場所にいたいと思わないかい?」
イタズラっぽく笑っている声が聞こえて、僕も少し肩の力が緩んだ。
「まぁあんまり深刻じゃなくてよかったです。お茶飲みますか?」
「あぁいいよ。僕が入れるから上着脱いで座っててよ。」
「あ、すいません。ありがとうございます。」
「気にしなくていいよ。海くんは緑茶でいいよね?」
「はい。大丈夫です。」
すばるさんの足音が少し遠くなっていく。
「そういえば、お父さんから連絡は来てないかい?君のことで話があるって言ってたから家に行ってるか電話が来てると思ったんだけど。」
「あぁ。正式なここへの所属の件でしたっけ?」
「いやそこまでは聞いてないんだ。ただ君に話があるから、君が来たらそのことを伝えてほしいと言われてね。」
「そうだったんですか。でもすばるさんにも伝えてないなら仕事関連の話じゃないのかな。」
僕の父さんはかなり自由奔放な人だ。悪く言うと自分勝手な性格で、家に帰ってこないことは多かったし、ふいに海外に出掛けたくなったらなんの連絡もなくスペインに行って、空港から電話をしてくるなんてことはしょっちゅうだ。今は実家を出ているから昔ほど困ることは無かったけど、僕が家を出たことによってもっと自由になっている。でも昨日も普通にここで仕事してたから、もし連絡が来てたんだとしたら昨日の夜から今朝にかけてということになる。
「すばるさん。昨日の夜父さんと飲みに行ってたんですか?」
「ん?あぁいや、そういう訳じゃないんだ。新しく海外で美人患者が見つかったって連絡があって、うちの会社で請け負うと言ってアメリカまで飛んでいっちゃってね。」
(…はぁ……父さん…いい歳してそんな事のためにアメリカ行ったのか。)
すっかり呆れてしまった僕を見て、
「ははは…まぁ奥さんと離婚して随分経つからね。お父さんも新しい出会いが欲しいのかもしれないよ?」
「患者に手を出すのは流石に駄目でしょう…すばるさんからも言ってやって下さいよ。いい加減落ち着けって。」
「んー…でも、そんな自由奔放なあの人だからこんな会社を設立して、僕達みたいな身体障害者に働き口を生み出してくれたんだろうしねぇ。」
「まぁ…そりゃあそうなんですけど。」
かく言うすばるさんも身体障害者だ。見た目は障害者らしさは感じられないのだけど、心臓に障害を持っている。心臓機能障害だ。障害はひどさの具合によって級で分類される。すばるさんは4級の心臓機能障害で、通常の温和な日常生活にはあまり支障はない。でも通常の社会生活をするには壁が高い。以前務めていた会社も、上司からの圧力や空気感、そしてハードな営業回りが負担になり、心臓発作を起こしてしまったらしい。そこで当時の先輩だった僕の父さんがすばるさんを見てこの会社の設立に思い立った。
「…まぁいいか。あの人の自由奔放な性格は今に始まったことじゃないし。いつ帰ってくる気か知らないですけど、引き抜き次第また帰ってくるでしょう。」
「うん。そうだね。あの人どうしてだか、人望の塊のように尊敬されてるからね。」
スバルさんは呆れて、でも楽しそうな、何か楽しいことが始まる前のような声で笑った。この人の全てを楽しむ性格は、きっと父さん譲りだ。
すると、がたっ、という音がして僕は驚いた。
「さぁ!もう8時30分だ。それじゃあ仕事の準備を始めようか。そろそろみんな集まる頃だろうからね。」
「そうですね。今日は確か…えーっと……水曜日でしたから、予約が立て込んでると思いますしね。」
僕は立ち上がって壁伝いに部屋の端まで歩いていくと、静脈センサーを探り当てて手をかざす。ぴぴっ、という音がしてすばるさんが手首にバンドを巻いてくれた。
カラカラカラ…カツカツカツカツ…
僕達の他に二人分の靴の音と、きいきい、という車いすの音。
「ちぃーっす。おはよーっす。」
「…」
「おはようございます!急に寒くなりましたよねー!!」
残った三人が来たようだった。
「ん!三人ともおはよう。今日は水曜日だから早めに準備するようにね。」
最初の騒がしい声は都賀 春義(つが はるよし)くん。目が見えないから分からないけど、見た目は怖い人らしい。僕は話し方も怖いと思うけど、人が悲しむことは決してしないし、僕は目が見えないからと言ってよく食事やトイレを片手で手伝ってくれる。もう慣れたから大丈夫って言っても聞かなくて、失敗すると後が大変だからと言って不慣れに手伝ってくれる。
すると僕の頬に柔らかい指が触れた。黙っているから分かりにくいけど、僕のほっぺたを黙って突っついてここにいるよって教えてくれる文内 涼音 (ふみうち すずね)さん。僕が見えなくてもわかるように、点字までしっかり覚えて色んなことを僕に教えてくれる。でも彼女は黙っていてもどこにいるか何となく分かる。匂いとか、体温とか、空気とか、なんとなくこの人の周りは暖かい。すばるさんがいちばん気に入っている人らしくって、とても可愛らしいとか。
そして最後に元気よく入ってきたのが花丸 桜(はなまる さくら)さん。車椅子に乗っているのにどこからそんな声が出せるんだと思うくらい元気な人だ。そして春義くんの幼なじみ。これは僕もなんとなく感じてるけど、結構子どもっぽい人だから少しのことで怒ったり、泣いたり、喜んだり、感情の起伏が激しい人だ。僕は時々高いテンションについていけなくなっちゃうけど春義くんは凄く慣れているようで、彼女のテンションに上手く合わせているから、よくみんなから兄弟みたいってからかわれていた。すばるさんいわく、黙っていればただの可愛い女の子、との事だ。
それにしても、涼音さんが僕の頬を突っつくのをやめてくれない。その横から笑いをこらえる春義くんの声が聞こえた。桜さんはすばるさんと他愛もない話をしているらしい。
「…っ……おい海…涼音今すんげぇ顔してんぞ……っぷぁっははははは!!!」
そうしてようやく突っつくのをやめてくれた。ずっと頬を触られていたせいで少し頬が寂しくなった。
「…っ…そんな怖い顔すんなって……悪かったよ…」
急に笑い声が止まったかと思うと春義くんが謝り始めた。涼音さんの呼吸の深さが変わったからきっと怒っているんだろう。でもすぐに和解したようで涼音さんは僕の手に点字を打った紙を握らせた。
「えーっと…『き・ょ・う・は・げ・ん・き・?』と…うん、元気だよ。」
ふっ、と呼吸が変わる音。今ので笑ったんだとわかった。そこから何気ない雑談が始まりそうになった時、
「はーいはい!おしゃべりは終わり。朝礼を始めるよ。」
スバルさんが会話を切り上げさせる。空気がすっ、と変わってぴりりとした空気に変わる。
「それじゃあ唱和をしますよ。涼音さんは心の中でちゃんと言ってくださいね。『私達の出来ることは』」
「『人の心を癒すこと~』」
「『心はみんな平等に!!』」
「『…』」(傷付いて。癒されて。)
「『だから癒すことを誓います。』」
「はい。それじゃあまずお茶の準備しよっか。」
それぞれがお茶菓子、紅茶、座布団の準備、を始める。僕は壁伝いに3メートル歩いて、ブレーカーを上げた。
「すばるさん。外の電気ついてるか確認してもらえますか。」
「うん、問題なく点いてるよ。あとはみんなに任せて先に座敷に座ってて。」
軽く会釈をして僕は座敷へと歩いていく。いつも準備はみんなに任せきりだから少し罪悪感を感じる時間だ。でも以前その事を話したら春義が気を遣ってくれたのが逆に辛かったから、それからは何も言わずに座るようしている。
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