黒い鞄

瀬名川圭

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ーノルマ地獄ー

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バサッ…

「三橋?お前、俺をどれだけ怒らせればいいんだ?」
「…。」

平田課長の目の前におかれたノルマ達成表…

「すいません。」
「お前だけだぞ?今月、ノルマ達してないの…」

後ろに突き刺さる哀れみの視線…

「もういい。さっさと営業いってこい!!」
「はい。」

そんな時だった。
偶然、あかりで隣合わせた客の陣内さんと飲むようになって親しくなった時に聞かされた話。

「実はな、この鞄。人間と同じく意識を持ってるんだ…。」

最初は、嘘だと思ってたがある日偶然、街で陣内さんを見つけ、曲がり角でしゃがんでは鞄に話しかけているのをみてから、なんとなくその鞄が気になった。

その鞄が、今車の中にある…。


流石に、会社に遅刻する訳にもいかんから、鞄の中身を入れ換えて出社。

「さて、お嬢さん。仕事にでも行きますか?」

語りかけるように、鞄に必要な物を詰めていく。

「俺、別に出世したい訳じゃないんだ。今月になってまだ一件も新規の契約がとれないんだ。昔ながらの客はいるけど…。せめて、一件でもいいから、取りたい。手伝ってくれるか?」

なんの返事もしない鞄だが、一瞬だけ温度が変わった…。晴れてるし、陽の当たりがいいからか?

陣内さんがいう通り、この鞄は持つ人の手に合わせてくれるのか?かなり重い筈なのに重さを感じない…


「一軒屋とマンションか。どっちだろ?」

やり易いのは、マンションだったから、マンションのある右に曲がろうとした瞬間、重くなり一軒屋の方へ…

「よ、よし!行くぞ!!」

緊張しながらもチャイムを鳴らせば、応答なし…なんだが、物音がする。

『居留守か?』

そう思った時、中からなにかが割れる音がして、思わず中に入った。

「田中さんっ!!田中さんっ!!」

激しく玄関を叩き、ドアノブを鳴らした…

ガチャッ…

「開いた!!田中さんっ!!入りますよっ!!」

靴を脱ぎ、田中さんがいつもいる居間に足を運ぶと田中さんはいた!!

ロープで縛られ、猿ぐつわをされた状態で…

「田中さんっ!!大丈夫ですか?!」
「あんた…確か…」

更に奥の方で、激しく音がして、静かになった…

「ゲホッ…ご、強盗が…ゲホッ…わしの金を…」

慌てて110番と119に連絡して、数分後にパトカーと救急車がきた。

「田中さん。奥さんは?」
「あいつは…旅行じゃ。ゲホッ…」

だから、こんなに部屋が?いや、強盗がやったのか?わからん…。

田中さんに、怪我はなくすぐに救急隊員は帰っていったが、俺は、田中さんに頼まれて側にいた…。


「で、仕事の事を忘れてたんだな?」
「…。はい。」
「で、暫く怖いから、自分のアパートに…って、お前バカか?!それで、泊めて契約がとれれば万々歳だけどな!!」
「…。すいません。」

隣近所の話でも、田中さんは、頑固でケチと呼ばれてる。奥さんの花代さんは、もの静かで優しいが…

そんな田中さんが、いま俺のアパートにいる。大家には、一応事情は話してあるが…

ガチャッ…

重い足取りで、部屋のドアを開けると、今朝慌てて出てきたから、服とかも散らばってた筈なのに、部屋が綺麗に片付けられて?

「ない…。」

脱ぎ散らかしていた服は、綺麗に洗濯され畳まれて山積みになっていたし、キッチンもあれ放題だったのが綺麗に片付いていた…。

「ったくよ、お前さんの部屋汚くてしょうがねー。」
「…。
「礼は?」
「ありがとうございます。田中さん、夕飯は?」
「食うが、作れるのか?」

実は、料理すらまともに出来ず、いつも冷凍食品で済ませてる。

チンッ…

「これは、なんだ?」
「ハンバーグです。ここの美味しいですよ?」
「ハイカラなもんだな…。」

最初は、文句ばっか言ってた田中さんだったけど…

「最近の冷凍食品って、旨いんだな。今度、花代にやらせてみよう。」

田中さんが言うには、家事は分担してやってるらしく、田中さんは、洗濯と掃除を任されてるとか…。

「なーに、明日になったら花代も戻ってくるし。」
「でも、強盗ですよ?!お金だけで良かったです。」

田中さんを見てると田舎のじいちゃんを思い出す。

風呂上がりに、肩を揉みながら話す…

「あー、いい気持ちだ!じゃ、わしは寝るかな。」

で俺のベッドに入っていった…。

結局、クローゼットから毛布を引っ張り出し、くるまって寝て、朝を迎えた…


「いいか?今度こそ、契約取ってこいよ?」

という課長の棘の入った言葉を受け、車の中で鞄の中身を入れ換えた。

「今日こそ、とらせてくれよ?」

優しく撫でてから、車を出る。

目指すは、マンションなのに、また一軒屋の方向へと鞄が示す…

「こっちだな。」

この間の件もあるし、ここはひとつ慎重に橋本家のチャイムを鳴らした…

ピンポーンッ…

「やっぱ、留守かな?」

そう思い、立ち去ろうとしたら…

ガチャッ…

小さな女の子が、出てきて…

「ママー、正義のヒーローきたぁ!!」

といきなりそう叫んで奥に消えていった。

正義のヒーロー?この間のか?

どうしていいんだ?他にも行きたいが…

迷ってると、さっきの女の子と似てる顔立ちの女性が出てきて…

「ど、どうも…。」
「確か…この間の…」
「だよ!!変にオドオドしてるもん!!」
「…。」

そう見えるのか?

「はぁっ。どうも、初めまして。本日は、こちらの防犯グッズの…」
「なんだ、お前…」

いかにも人相の悪い男性が、女の子に手を引っ張られ…

「パパ!正義のヒーローだよっ!!」
「あぁ、あんたか…。あの田中さんを助けてくれたのは…」
「助けた…というか、まぁ偶然で…」

で、おそるおそる防犯グッズのパンフレットを渡す…

「千明、一応契約してやれ。俺が仕事で留守の時、お前達になんかあったら怖いからな!!じゃ、行ってくるよ。紗羅、あんまお母さん困らせるなよ?」
「はいっ!!」

と敬礼みたいなポーズをし、いかつい男性が出掛けていった。

「じゃ、中にお入りになって…。」

スリッパを出され、中に通される…。

綺麗な家だな。

リビングのソファも革で、座るとキュッと鳴る…

出されたお茶も普段飲んでる珈琲よりも旨く、ため息がでた。

「ごめんなさいね。驚いたでしょ?」
「はい。あ…」
「ママ!遊びに行ってきてもいい?」
「いいわよ。その変わり、これちゃんと持っていきなさいね。」

紗羅という女の子に母親が、小さな携帯を持たせていた。

「気を付けてね。」
「うん。ヒーローのおじさん、頑張ってね!!」
「ありがとう。」

紗羅ちゃんが、遊びに出掛けると、残ったのが俺と千明という女性…

「で、なんの話でしたかしら?」
「あの防犯グッズの…」
「あぁ、そうね。どういうのがいいのかしら?色々あって…」

簡単に説明がてら、パンフレットを見ながら説明していった。

「因みに、ご主人は…?」
「あっ、公務員かな?」
「刑事?」
「まっ、そうね。前は、刑事課だったけど…」
「はぁ…。」
「そうね…。この防犯カメラとライトお願い出来るかしら?」
「…。」
「あの…」
「あ、ありがとうございますっ!!」
「きゃっ…」

嬉しくて、思わず手を握ってしまった。

「す、すいません。つい、嬉しくて…」
「あっ、いえ…」

契約書に書いて貰ってる時も、ドキドキしていた。鞄の示すままに訪問して、2回目にして、新規の契約が取れた!!

「これで宜しいかしら?」

書いて貰った契約書に不備がないか確かめ…

「大丈夫です。助かりました!」

柴田家をあとにし、他の家に訪問するが、2軒目は、留守だった…


「さぁ、お嬢さん?次は、どっちかな?」

鞄を持ち、右に進むと、軽い…

「こっちか…。」

3軒目は、大きな犬がいる青山家。

吠える事はないが、妙に威圧感がある…

ピンポーンッ…ピンポーンッ…

『いないのか?』

「なにか?」

急に後ろから声がして、振り替えれば着物を着たご婦人が立っていた…

「あの本日は、防犯グッズの…」
「セールスの方?」
「あー、はい。なにかと最近は物騒ですし…」
「そうね…」

あまり乗り気ではない様子だった…

ワンッ…ワンッ…

「こら、スティーブ吠えないの!!」

ご婦人が言った途端、大きな犬は、大人しくなった…

「まぁ、ここではなんですし、お入りになる?」
「はぁ…」

ここらの人は、簡単に中に通すのか?

居間に通され、ご婦人がお茶を出す周りに、あのスティーブが…

「そのスティーブは、お母様がお好きなんですね…。」

とうっかり言ってしまった…。

「そうなのよぉ!!つい先日もね…」

で、始まり1時間みっちりスティーブの自慢話を聞かされたあげく…

「やっぱ、主人に聞いてみないとねぇ?ごめんなさいねぇ。」
「あっ、いえ。防犯グッズと言えど、そう簡単に決められる事ではありませんし…。」

頭を下げ、会社に戻ったが…


『なんだろう?この妙な空気…』

社内にいる奴等が、俺の顔を見ては、コソコソ話してる…

「おい、三橋。」

平田課長が、俺を呼んでるが妙に怖かった…

「な、何か?新規契約なら…」
「その事なんだがな…三橋。」
「はい…。」

まだ1本しか取れてないから、怒られるのだろうか?!

「良くやったな!三橋!!」
「えっ?なんか、しました?」
「これだ…。」

パラッ…

平田課長が見せてくれたのが、新規契約書なんだけど…

「橋本さん…しか、まだ…」
「良く見ろ。お前が、今月、トップになったんだ。」
「えっと…あの…」
「お前が、昨日助けた相手知ってるか?」
「はぁ。頑固な田中さん…」

昨日、飯を食いながら色々と話してくれてたが…

「名前、田中一。知ってるか?」
「いえ…。」
「中平区で一番大きな塾は知ってるよな?」
「はい。平田課長のお嬢さんが…」
「その桜台塾の設立者だ…。そこの建物全体に、防犯カメラをつける事が決まったんだ!!」
「…。」

嘘だろ、おい…。ただの頑固なお爺さんかと…

「あと…橋本家だろ。さっき、青山秀って男から電話あったが、その家と娘の家にも防犯グッズをつけたいってあったぞ。明日、紅と一緒に行ってこい。」
「はぁ…。」

わけがわからない…

「良かったですね。三橋さん!!」

席に着いてもボォッとしてたから、紅さんがお茶をくれたのにも気付かなかった。

「ありがとう。」
「もう少し自信もったらいかがです?」
「…。」

そう言われてもね。田中さんにも同じことを言われたが…

「じゃ、俺もう帰るから…。」


家に帰ったら、なぜかまだ田中さんがいて奥さんまでいたのには、驚いた…。

「本当にありがとうございました。」
「こ、こちらこそ!!ありがとうございますっ!!」
「だったら、もっと笑え。会話のひとつひとつが、お前は暗いんだ。もっと自信持て!男だろ!!」

他人なのに、親父みたいな感じに言ってくる…

懐かしい…

「ほら、やれば出来るじゃないか。」
「…。」
「そうだ、これ。お口に合うかわからないけど…」

伊豆名物のほのか饅頭…

「これ、俺好きです。」

「じゃ、あなた…。」
「うむ。花代の手料理が食いたい。」
「…。」
「何がいいかしらね?」
「ハンバーグじゃ。」

『おいおい…。食ったことあんじゃん。人には、ないとか言っといて…』

「また、遊びにこい。」
「ありがとうございます。」

頭を下げ、田中夫婦を見送った…。


翌日…

「昨日は、すまんかったな…。」
「あっ、いえ。とんでもない…」

ワンッ…

昨日は、ご婦人の周りにいたスティーブが、今日はなぜか俺と紅さんの間に座り込んだ。

「スティーブの奴、お前さんが気に入ったみたいだ…。これでいいか?うちと娘夫婦の契約書だ。」

俺が確認した後に、紅さんも確認…

「確かに。ありがとうございます。」
「お孫さんですか?あそこに飾られてるの…」

紅さんが、壁に飾られた写真を指差した…

「あぁ、今年の春に産まれたんだ。」
「可愛い!!」
「…。」

嫌な予感…

「でっしょぉ!!もう、ほんと可愛くてね…」

ご婦人の孫自慢が…

幸い、電話があったから30分で終わったが…

「ごめんなさい。まさか、ああなるとは…」
「いや、いいさ。話を聞くのは好きな方だし…」
「…。」
「どうかした?」

急に紅さんが、無言になった…

「いつも、そうやって笑ってくれると、嬉しいのに…」
「は?なんで?」
「…。」

で、また無言になって…

「い、いきますよ?!いいですか?!」
「ん?あぁ。」

この日は、紅さんの研修も兼ねて、挨拶周りがてら、その後の話を伺いにいった…

いつもは、一人だったから、ちょっと嬉しかったし、ドキドキもした…

でも、紅さんは社内で一番可愛いと評判で、噂ではもう彼氏がいるとか…

俺なんかには、到底無理な話…


「三橋さん、お腹空きません?」

いつの間にか、昼に近い時間になっていた…

「じゃ、どっか適当に…」
「駄目です!!」
「…。」

なぜ?!

「せっかくの誕生日なのに…」
「あっ、誕生日だったの?おめでとう。」
「なに言ってるんですか?私の誕生日は、X'mas!!今日は…三橋さんの…」
「あ…そか…忘れてた。」

仕事の事しか頭に無かったし、契約取れなかったらクビ?!とか思ってたから…

「だから、今日位…」

で、紅さんお薦めのレストランに来たんだけど…

「だ、大丈夫?ここ…」
「なにがです?美味しいですよ?」

ランチメニューな筈なのに、出てくる料理ひとつひとつが、俺には高く見えてきた…

「ほら、早く食べないと覚めちゃいますよ?」

味が、わからない…

それでも、なんとか胃に押し込んで、デザートの頃には…

「あーっ、この甘さがほっとするー。」

と言ってしまう程、デザートのショートケーキが美味しかった。

「でしょ?!」


コツンッ…

「いらっしゃいませ。どうでしたか?お味の方は…」

いきなりシェフが来て、驚いた。

「美味しかったです。ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
「良かったね。パパ!!」
「…。」

いま、なんと?パパ?!

「いつも娘が、お世話になってます。ごゆっくり…」
「…。」
「どうしたの?」
「パパ?」

俺の前で、ニコニコしてる紅さん…

「ほんとに、パパ?」
「うん。そうだけど?」
「でも、ここって…」
「ディナーだけで、10000円越えるけど、ランチは、3000円。安いでしょ?」
「…。」

俺のランチ、いつも1000円以下なんだけど…


暫くそこのお店で話して、車の中で…

「三橋さんて…」
「はい?」

エンジンを掛け、車を走らせる…

「最近の三橋さんて、そのかっこいいっていうか…」

また、なにを根拠に?

「好きな人とかいるんですか?」
「いや、いないし。俺モテないから…。」

昔からそう。好きになる相手には、他に好きな人がいて…告白する前に振られるケースだった…

「もし、三橋さんが嫌じゃなかったら…」
「うん…」
「私と付き合ってくれますか?!」
「うん……。えっ?!あっ!!」

センターライン真ん中を走るとこだった!!

「あっぶね!!な、なにをいきなり…」
「ダメですよね?私なんか…。」

あら?さっきまでのニコニコどこいった?!

車を近くのコンビニの駐車場に停めた。

「いや、別に嫌い…じゃない。好きです。」
「ほんと…に?」
「うん。紅さんが、うちの営業部に配属されてから、可愛いと思ってた。けど、彼氏がいるとか聞いて…」
「いませんよ。彼氏なんて…」

いままで何度か話してるけど、紅さん嘘はついてないと思う…

「本当に、俺なんかでいいの?」

不安はあった。仕事も失敗が多いし、面白い話も出来ないし、趣味らしい趣味すらない…

「いいんですっ!!三橋さん、意外と評判いいんですよ?知らないんですか?」
「うん…。初めて聞いた。」

誉められてるのか?

「だって、伊藤さんも言ってた。残業を良く変わってくれるとか、休日出勤も変わってくれるとか…」

そういや、そんなことあったな。伊藤さんとこ、赤ちゃん産まれたばっかだったし…

「この間の事件もあったでしょ?」
「うん。田中さんね。」
「そしたら、みんなして、田中さんは、のんびりしてそうだけど、いざって時は役に立つとか言ってて…」

誉められてる…んだよな?一応…

「で、その時に気付いたんです。」
「なにを?」
「三橋さんを好きなんだって!とられたくないです。」
「あー、はい。」
「付き合ってくれますか?!」
「はい。」

で、その車の中で…ちょっとだけキスしたんだ。

紅さん、妙に恥ずかしがってた。俺もだけど…


それからの俺は、仕事の契約は取れたり、取れなかったりだけど、毎月何本か契約は取れてて、紅さんとの付き合いも順調で…

プロポーズする前に、赤ちゃん出来てしまいました。


「お嬢さん?そろそろ、俺は君から離れた方がいいのかな?」

でも、譲る相手がいない…

「ねぇ、あなたー?!今度、市内の幼稚園でバザーがあるんだけど、この鞄出していいかな?」

光希が、持ってきたのは、紛れもなくあの鞄…

どうやら、お別れの時が来たのかも?!

「いいと思うよ…」

次にお嬢さんが、射止めるのは誰かな?
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