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08.わたくし、まさしく、貞操の危機!!
しおりを挟む「と、東宮殿下……おやめ下さいませ……」
ようやく出せた声が上擦っている。
東宮殿下と言えば、私にのしかかるようにしていらっしゃるので、わたくしは、もう、逃げようもない。
わたくしは、床に寝転がって、手首を東宮殿下に縫い止められたまま。
「なぜ?」
東宮殿下は、心底不思議そうなお顔をして、わたくしにお尋ねになる。
「なぜって……わたくし、実敦親王と、結ばれる……予定ですのよ……その兄君が、こんなことをなさってはなりませんわ」
東宮殿下が、わたくしの耳に口づける。やわらかな唇の感触を耳朶に感じたと思ったら、そこを、東宮殿下が口唇で撫でているようだった。
「お、おやめ下さい………殿下っ……っ」
わたくしの声は、恥ずかしいことに涙声になって居て、みっともない。
「ヤダ、泣かないでよ……。ほら、何にも怖い事なんてないんだから……実敦のことだって、いろいろあって、父上から勅命が出てるから大丈夫よ? いつまでも泣いて居ないで、……アタシは、こう見えてもアンタのこと、結構好きなのよ? ……だから、大人しく、アタシの物になりなさいよ」
「お願いですから……わたくし、……殿下に入内したわけでも、ありませんし……こんな、日の高い内に……」
御簾の向こうには人の気配があるし、陽の光が差し込んでいて、殿舎の中は明るい。
「アタシってねぇ」
東宮殿下は、わたくしに言う。「割合慎重な性質なのよ。……だから、保証が欲しいわ」
「保証……?」
「そう。アンタが、アタシを裏切らないって言う保証。ついでに、アンタの実家が、味方に付いてくれたら最高だけどね」
東宮殿下の長い髪が、わたくしの頬に掛かる。
「それは、保証いたしますわ! ……わたくし、こう見えても、一度も嘘を吐いた事なんてありませんもの!」
「そう? なら良かったけど……」
東宮殿下の手が、わたくしの長袴の横から、するりと忍び込んで脚に触れた。
「きゃっ! ほ、本当に……これ以上はっ!」
身をよじろうとしても、東宮殿下の身体を押し返すことは出来なくて、わたくしは、怖くなってもう、震えているしか出来なくなった。
「そんなに恥ずかしがらないでよ。明るいところでするのが、そんなに怖いの?
ねぇ、知ってる? 高紀子………初夜の寝所は、明かりを灯しておくのよ? だから、予行練習とでも思えば良いわ」
東宮殿下は、私にゆっくりと覆い被さって口づけをしてくる。
柔らかな口唇に口を塞がれて、わたくしは、どうして良いのか解らずにいると、東宮殿下はくすっと笑った。
「口づけも初めてなのよね? 可愛いわぁ。……その可愛さに免じて、今日は、途中で止めて上げる」
東宮殿下の口唇が、わたくしの首筋に触れる。そこを、ぺろり、と生暖かい舌に撫でられて、私は、恐怖のあまりに、東宮殿下にしがみついてしまった。
「そうそう、良い子ね。アタシも、酷い男じゃないから……アンタが、ちゃあんと、アタシの言うことを何でも聞いてくれれば、ヒドいことはしないわよ?」
酷いこと……。とわたくしは、ぼんやり思う。この方の言っているのは、どこまでの『酷いこと』だろう。
勅許が出てしまった以上、この方の所に入内するのは、もう確定してしまった。そうしたら、わたくしには、これ以上の酷いことなんて、ないはずだわ。
「アラ、なによ」
「ヒドいことって……なんですか?」
涙が、知らずに流れていた。
「アンタの父上がやったらしいんだけどね……中宮様が元々入内予定だった皇太子って、島流しに遭ってるのよ。理由はよく解らないけどね。……島流しは、宮中でぬくぬくと育ってきた皇太子には、辛かったでしょうねぇ。もしかしたら、早々に死んでしまったかも知れないし、世をはかなんで自害してしまったかも知れないわ」
わたくしは、全身に鳥肌が立つのを感じていた。何を、仰有るの、この方は……。
「アタシは優しいから、実敦の命を賭けて上げる。アンタがアタシの所に入内しなければ、アタシの言いつけをちゃんと守らなければ、実敦の命を奪うなんてどう? ……アンタも、そのくらいされた方が、罪悪感無くアタシの所に嫁げるでしょ?」
優しいからだなんて、ぬけぬけと良く仰有る!
わたくしは、怒りに頭が沸騰しそうになりながら、東宮殿下を見た。
「ここで……殿下の仰せのままに、閨ごとを務めれば宜しいのですか?」
こえが、震えた。
「ここでは、全部はしないわよ。……全部は、初夜の時にちゃんと貰って上げる。安心して?」
ちっとも安心じゃないわよ! と文句を言いたくなったけれど、この方が、どこまで本気か解らないのが、怖ろしい。実敦親王を、裏切ることになるのが辛いけれど……、もう、わたくしには、どうしようもない。
「高紀子、アタシは、割合アンタのことは気に入っていたの。昔から、何度か逢っているのよ? ……アンタにしたって、やりとりも少ない実敦でもアタシでも、そんなに変わりはしないでしょ?」
ああ、……この方は、知らないのね。
わたくしと、実敦親王が、文を交わして、好き合っていたことを。
だったら、わたくしは、この想いだけは、この方に渡さない。いつの日か、万が一にも、この方に引かれることがあろうとも、私の心の奥に大切に大切に閉まっておいて、時々、わたくしは、こんなに美しい恋をしていたのよって、思い出すことにするわ。
それが、わたくしにできる、せめてものことだった。
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