伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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23. 皇后としての決断

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(生まれて初めて……汚物まみれになったわね)

 あたりは、もの凄い臭気だった。

 糞尿をため込んだ肥だめの匂いは、鼻が曲がるほど酷いし、気分が悪くなって酸っぱい胃液が上がってくるようで、吐き気がこみ上げてきたが、ぐっと堪えた。

「……掖庭えきてい宮の女官は、端女はしために至るまで、妾以外の者が、勝手をすることは許されないわ。皇帝陛下であっても、掖庭宮のことに関しては、口出しさせませんよ」

 顎を上げて、地面に平伏する女達を見下す。

「あなたたちには、覚えがあります。……そこのあなた、禎蘭ていらんというのではなくて?」

 一人の女が顔を上げた。口から出任せだったが、当たっていたらしい。

 禎蘭ていらん――――初めてここに来た日に、琇華しゅうか蕃国ばんこくの女と蔑んだ女官だ。

「あ、あ……っな、なぜっ……っ?」

「あたりまえのことですよ」

 横から口を挟んできたのは、瑛漣えいれんだった。

「掖庭宮の主であらせられる皇后さまは、端女一人に至るまで、名前や素性を把握なさっていますよ」

 と、こちらも、口からでまかせなのだろうが、女官達は、ひどく青ざめて、気の毒なくらい震えていた。しかし、琇華は、ここで容赦してはいけなかった。皇太后からも、釘を刺されたばかりだ。

(掖庭宮の主として……)

 琇華は、この者たちを、厳しく処分しなければならない。

「皇后さま、この者たちは、如何なさいましょうか」

 瑛漣が聞くので、琇華は躊躇いなく答えた。

「妾を糞尿まみれにしたのよ。影ながら妾を侮辱したに飽き足らず、このような振る舞いを許すわけには行かないわ。……即刻、首をねて頂戴」

「かしこまりました、皇后さま。……落とした首は、女官達の宿舎の前にしばらく飾っておきましょう」

 拱手して答える瑛漣の言葉を聞いて、女官達が悲鳴を上げる。

「そ、そんなっ! わたしたちは……っ!」

「ただの、端女に、少し注意しただけです!」

「あまりにも、酷すぎます!」

 抗議の声を上げる女官に、瑛漣は溜息を吐いた。

「お黙りなさい、見苦しい。
 これ以上見苦しいげんを続けるならば、陛下に奏上して、族滅ぞくめつに処して頂きましょうか? ほう国から遠路はるばるお輿入れした皇后さまに対して、あなたたちは、耐えがたい暴言を吐いていたのですから、不敬罪ですよ。あなた方の首一つで済むのはむしろ、皇后さまからの温情であると解るでしょう?」

 族滅――――。

 一族をすべて処刑する刑罰である。皇帝や皇后に対する不敬は、場合によっては、族滅になることもある。それを知っている女官達は、それきり黙りこんだ。

 瑛漣は自らの円領えんりょう上襦じょうじゅを脱いで、琇華に手渡した。瑛漣のほうも、内衣したぎ一枚になってしまうが、それよりも、琇華の衣装をおもんぱかったのだろう。

 だが、琇華はそれを自分には使わなかった。

 腕の中で青ざめた顔をしている、ほっそりとした女に、そっと掛けてやる。

「さあ、あなた……妾の殿舎へ参りますよ」

「い、いいえっ……っ! こ、これは……皇后さまに……」

 震える声でいう女に、琇華は笑う。

「妾は、上衣を脱いでしまえば、あまり汚れていないの……髪は汚れてしまったけれど。あなたも、汚れてしまったから、風呂を用意させるわ」

「けれど……わたくしは、こんなことをして頂く事は……」

 はらはらと涙を流して、女は、汚物に塗れた地面に平伏する。あっけにとられていると、そっと瑛漣が耳打ちした。

「この方が……愁月しゅうげつ殿です」

 一瞬。

 心臓が鷲づかみにされたような、衝撃を味わった。

 足許にいる、ほっそりとした、白い肢体を持つ、この儚げな女が―――古愁月。

(皇帝の想い人……)

 まさか、こんな形で出逢うとは思わなかったが、こうなれば仕方がない。遅かれ早かれ、古愁月の処遇は決めなければならない。もし、端女として過ごさせれば、こんな陰湿な苛めに毎日会うだろう。

(妾は、それをみて、喜ぶような、陰険な人間ではないわ)

 だから、精一杯の矜恃をもって、琇華は彼女に微笑みかけて、立たせてやる。

 皇帝の正室は、あくまでも皇后。それ以外の妃嬪は、皇后の管理下に置かれるめかけ―――使用人と言って過言でない。それを、ここで、琇華自身が覚悟する必要があった。

「参りましょう。……あなたは、妾にとっても、大切な方だわ。あなたは、将来、国母こくもになるかも知れない方なのよ。このような無礼を放って置くわけには行かないわ。
 ―――瑛漣。妾の殿舎から一番近い殿舎に、愁月を住まわせます。仕度をするように」

「けれど……殿舎は、妃嬪ひひんのみが使用できることになっておりますが」

「では、皇帝陛下には、妾から奏上しましょう。……皇子を上げた方が、端女などをしていてはなりません。妃嬪の位を与えるのが良いでしょう。愁月……気がつくのが遅くて、ごめんなさいね。妾は至らぬ皇后だけれど……皇帝陛下にお仕えするもの同士、仲良くやりましょう」

 胸が痛い。痛くて苦しくてたまらなかった。

 心にもないことを、笑顔で言いながら、琇華は愁月の手を取って、彼女を庇うようにして掖庭えきてい宮へと向かった。



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