伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

文字の大きさ
26 / 66

26. 古愁月の過去

しおりを挟む


 皇帝は、琇華しゅうかを抱き上げて運ぶことが多い。

(皇太后様の御殿に参上する特に、歩くのが遅かったせいかしら……)

 荷物のようにひょぃっと抱え上げられるのは困りものだったが、抱えられているときだけはぎゅっと皇帝にしがみつく言い訳が出来るので、嫌いではない。

(落ちそうだもの、怖いから、良いわよね?)

 何度も夜を過ごして慣れたはずの皇帝の身体だが、こうして運んでいる間は―――対外的に、仲睦まじい夫婦を演じているらしく、蕩けるような眼差しを向けてくれる。

(あなたは、妾の胸が、締め付けられるように切ないのを、知らない……)

 ましてや、琇華が皇帝に恋していることなど、知らないだろう。どんなに抱きしめても、思いは届かない。

(いっそ、愁月しゅうげつが、嫌な女だったらよかったのに)

 古愁月は、控えめで美しい女だった。妃嬪に上がるという野心など、露ほどもないのだろう。見事な裸身には嫉妬と眩暈を覚えたが、彼女を嫌うことも出来なかった。

「……少し、遠回りしようか」

 皇帝が何か思いついて、瓊玖ぎきゅう殿ではなく、別の場所へと向かった。向かった先は、東宮で、現在は主が居ないはずの宮だ。

「東宮? なぜ……?」

「去年までは、私はここで暮らしていたからね。……ここには池があって、畔には四阿あずまやもある。私は、そこが気に入っていたんだ」

 池ならば、太極殿にも、掖庭宮にもあるだろうに、わざわざ東宮に来た理由がわからず、琇華は戸惑ったが、長い間抱きついていられたのだけは嬉しかったから、なにも言わなかった。

 じわじわと汗ばむような陽気である。抱きついていたところも、汗で湿っていたが、構わなかった。

 四阿に連れられても、皇帝の膝上に座らされる。理由を目で問うと、皇帝は「内緒話だからね」と、微苦笑した。

 それでも池を渡る風は心地よい。蓮の花が咲くのだろう。池の畔には、大きくて丸い葉を広げた蓮が、浮かんでいた。

「あなたに、愁月のことを黙っていたのは、済まなかった」

 出し抜けに、皇帝は言う。解っていた話題だったので、琇華も驚きはしなかった。

(本当に胸が潰れるほど悲しかったのよ)

 本心は笑顔で上手に隠して、琇華は言う。

「もっと、早くに打ち明けて頂きとうございました」

「いや……それは、あなたは、堋国とは大分、事情が違うから……」

 しどろもどろになっていう皇帝陛下の顔が近い。姿絵通り―――姿絵よりも、数倍美しい顔が、目の前で、困り顔をしている。

「あなたが……妾の子を殺すなら、妾は、愁月を妃嬪に迎えて、その子を、手元で育てたい。愁月の子なら……あなたは、殺さないのでしょう?」

 言いながら、目頭が熱くなって目の前が滲む。

「いや、待ってくれ……愁月の子は……、皇太子にはしない。親王として遇することは、構わないが……、私は、庶人として生きた方が、あの子の為だと思っている」

「お幾つですの?」

「う……その……二歳になる」

 言葉に詰まりながら、皇帝は言った。

「二歳……可愛い盛りではありませんか」

「いや……あの子が生まれたことは、私が悪い。だが……だからこそ、あの子は……皇太子にはしないんだ」

「まあ……何故ですの?」

「あの子が……愁月の息子だからだよ。愁月は、元々、『』という姓だったのだが……あれの兄が、大罪を犯した為に、沽家は一族族滅、唯一、皇太后殿下の侍女として働いていた愁月だけが……生き残った」

「族滅……」

 一族郎党に至るまで、惨殺するという刑罰だ。あまりのおぞましさに、琇華は身震いして腕を抱く。その、琇華をまるで慈しむように、皇帝が優しく抱きしめた。

「この国は、水の守護を得ている。だから、姓は『さんずい』が付く家のほうが高貴とされる。……愁月は一人生き延びる事を許された代わりに、『沽』ではなく『さんずい』を奪われた『古』姓に落とされたんだ」

 姓にそんな区別があるとは、知らなかった。

 堋国は、『土』の守護を得た国だが、土の付く姓を尊ぶなどは聞いたことはない。現に、琇華の姓も、『えん』である。

「では、愁月は……家族も兄妹もなく、一人でここに居たのですね」

「兄の処刑と一族の族滅が、蓮花三十一年の頃だから三年前だ。……そして、私が、愁月を求めたのが、翌年の頭。その年の内に、男児が生まれたよ」

 頼る人もなく、一人で子供を産み育てたのだとしたら、どれだけ心細かっただろう。

「……その間、陛下は、愁月に心を配っておられたのですか?」

「そのころは、いずれ、妃嬪にするつもりだったから……東宮の端にね、あまり上等でない殿舎があって、そこに、住まわせていた」

 懐かしむように、皇帝が、東宮の一角を見遣る。

 もしかしたら、親子三人で、幸せに笑い合っていたささやかな日々があったのかも知れない。そう思ったら、切なくなって涙が出て来た。それは、琇華が切望するものだったし……望んでも得られないものだったからだ。

 琇華の存在が、皇帝から、その甘い日々を奪ったのだとしたら、やりきれない。

「父が……なにか、口出しをしたのですね」

「まあ……あけすけに言えばそうなるかな」

「それは……詫びても取り返しのつかぬ事を……」

 伏して謝ろうとした琇華を、皇帝が止めた。

「いや、どのみち……愁月は、妃嬪には出来なかった。あれの兄の件があるのに、私が愁月を妃嬪にするわけには行かないだろう。すくなくとも、大臣達は許さない。だが、皇后であるあなたが許せば、大臣たちも黙らざるを得ない」

 皇帝は、琇華をながいすに座らせて、跪いた。

「陛下っ?」

「あなたの、叡慮えいりょに、心から感謝する。……おもえば、私は、ここに来てから、あなたに辛いことばかり強いていたのに、あなたは、なに一つ、不満も、言わなかった。愁月のことも本当は、不満があるのだとは思う……だが、それを飲んでくれたあなたの心の内を聞くのはやめる。その代わり、……私に、なにか、命じてくれ。あなたへの感謝の代わりに、どんな願いも一つ聞こう」

 黒水晶の瞳が煌めく。切れ長の、美しい眼差しが、愛を乞うように熱っぽく見上げてくる。

(違うのよ、勘違いしてはいけないわ。この方は……そう、役者のように、芝居がお上手なだけ)

 そう言い聞かせて、琇華は皇帝に答える。

「妾は、なにも、望みなど……」

 いいかけて、ふと、気がついた。今月。六月二十五日は、琇華の誕生日だったのを思い出した。

「……六月二十五日は、もし、ご公務などなければ、一緒に過ごして頂きたいわ」

 言いながら、琇華は、胸の高鳴りを押さえられなかった。ほう国の実家で過ごしていたような、優しくて甘い時間になるとは限らなかったけれど……出来れば、そんなかけがえのない幸せなひとときを過ごしたい。

 誕生日の記念に、それくらい許されても良いだろう……と、琇華は、切に願う。

「こんなことで良いのかい?」

「ええ。堋国式のお茶会をしたいの。仕度は、妾が致しますから、陛下は、どうぞいつも通りに、妾の殿舎へおいで下さいませ」

「お茶会が良いなんて……あなたは、欲がないのだね。私は、てっきり……」

 と皇帝は何か言いかけて、無理に微笑みを作ると、会話を打ち切った。

「そろそろ、冷えてきたから……瓊玖ぎきゅう殿へ行こうか。今日は、私の酒席に付き合ってくれるのだろう?」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

【完結】こっち向いて!少尉さん - My girl, you are my sweetest! - 

文野さと@書籍化・コミカライズ
恋愛
今日もアンは広い背中を追いかける。 美しい近衛士官のレイルダー少尉。彼の視界に入りたくて、アンはいつも背伸びをするのだ。 彼はいつも自分とは違うところを見ている。 でも、それがなんだというのか。 「大好き」は誰にも止められない! いつか自分を見てもらいたくて、今日もアンは心の中で呼びかけるのだ。 「こっち向いて! 少尉さん」 ※30話くらいの予定。イメージイラストはバツ様です。掲載の許可はいただいております。 物語の最後の方に戦闘描写があります。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

異国には嫁に行きたくないので、空を渡ることにしました

七宮叶歌
恋愛
 政略結婚が決まった王女・メヌエッタは、決められた未来に従うだけの人生を拒んで王宮を飛び出した。逃げ込んだのは、侯爵令息・アルフレッドの操る飛空船だった。  ところが逃亡の途中、「王女は事故死した」「アルフレッドは指名手配」という報道が流れ、二人は一転して国中から追われる立場になる。更にアルフレッドの父から提示された逃亡の手助けの条件は、逃げ切ることが出来たなら、アルフレッドと『契約結婚』するというものだった。  結婚から逃げてきたはずなのに、行きついた先もまた結婚。けれど、空の旅の中で触れ合う彼の優しさや弱さに、メヌエッタの心は少しずつ揺れ始める。  追手、暗殺の影、契約から始まる恋――。  二人は無事に逃げ切り、幸せを掴むことができるのか。ちょっぴりコミカルで、ときどき切ない空の逃避行恋愛ストーリーです。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

求婚されても困ります!~One Night Mistake~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」 隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。 歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。 お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。 鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。 ……唇を奪われた。 さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。 翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。 あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ! 香坂麻里恵(26) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業 サバサバした性格で、若干の世話焼き。 女性らしく、が超苦手。 女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。 恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。 グッズ収集癖ははない、オタク。 × 楠木侑(28) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長 イケメン、エリート。 あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。 仕事に厳しくてあまり笑わない。 実は酔うとキス魔? web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。 人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

処理中です...