伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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27.妾の心をかき乱すのは

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(今日は……一体何なのかしら……)

 琇華しゅうかは、ぼんやり霞掛かったような心地で、ふわふわと揺れていた。

 皇帝の側近、しゅ学綺がくきが『とっておきのお酒を献上致します』と差し出してくれたのは、とろりとした甘い花の香りの付いた酒だった。皇帝に勧められるがままに飲み進めていくと、頭の芯がぼうっとして、ふわふわした心地になってくる。

「ん……なんだか、心地が良いですわ」

 皇帝の腕の中で、甘えたような声を出しながら、琇華は言う。

「あなたは、お酒が好きなのだね……そうして、酔った姿は、可愛いよ」

 にやりと笑いながら言う皇帝に、琇華はむきになって反駁した。

「わ、妾は! 酔って居ませんわっ! ……酔う……なんて、見苦しい……」

「おや、そうかな……薔薇色の頬も、潤んだ瞳も……ろれつの回らない、可愛い舌も……どれもこれも酔っているようだけれど?」

 皇帝の言葉に、かーっと、琇華の頬が赤くなる。

「どうかしたの?」

「そんなこと……思っても、いないのに、仰せになるなんて……」

「思ってもいないのに?」

 琇華の薔薇色に染まった顔中に、皇帝は啄むような口づけを降らせる。

「あっ……陛下……っ」

「大丈夫だよ、これ以上は、今日は出来ないからね……。それより、なぜ、あなたは、私を嘘つき呼ばわりするの?」

 思っても見ないことを言う……というのに、皇帝は引っ掛かったようだった。

「あなたは、妾じゃなくて……愁月しゅうげつのような、美しい女が、好きなのでしょう? ……妾は……あんなに、美しくないし、妾にあるのは、黄金だけよ……あなたが、妾を必要とするのも、黄金だけ。
 妾は、あなたの間に、子供さえ望めない。愁月は、あなたに愛されて、あなたの子供も居るのに……、妾は、愁月が持っているものは、何にも持っていないの……妾に、愛をこいねがううと言ったくせに、嘘つき……大嘘つき……っ」

 涙声になった琇華の切ない訴えを聞いて「うん、それは……済まなかった」と皇帝が固く、琇華を抱きしめた。

「皇恩ならば。愁月に与えて差し上げて……妾は、あなたに、愛されない、哀れな皇后なのだもの、一時、あなたの、同情を引いても、……嬉しくないわ……っ」

 酒の力を借りて、琇華は、皇帝を詰りはじめた。

 ここに来て一月と少し。不満をため込んだまま、『良き皇后』を、続けてきたのだ。影では『黄金姫』などと揶揄されながら。胸の奥に、澱のように滞積しているはずだった。

「ああ……、そうだね……」

「妾は……ただの、金子なのだから……、もう、妾の心をかき乱すのは、やめて欲しいのよ……」

「かき乱す……?」

「そうよ……、妾は、あなたが好きなのに……ほんとうは、妾の母上みたいに、あなたを独り占めしたいのに、あなたは、妾に、心を許さないのですもの! だったら、なぜ、妾の心を奪ったの? あの時、妾に『伏して君に愛を冀《こいねが》う』なんて言ったの? 妾のような、何にも知らない小娘が、浮かれているのを見るのは、さぞや、滑稽だったでしょうね!
 でも、妾は、本気だったの! 本気で、あの時、あなたに恋したの! 妾は、あなたが好きなの! なのに、あなたは……」

 酒が、すぎたのだろう。顔を真っ赤にして皇帝に怒鳴りつけていることに、多分、気付いていない。

「……解ってるわよ……あなたに、好きな方が居ることくらい! でも、妾だって、あなたが好きなのに……っ!」

 皇帝の口唇が、そっと琇華の悲痛な叫びを吸い取った。

 甘い口づけを交わしているうちに、ぐにゃりと背骨が抜けるように琇華の身体が弛緩して、そのまま、気を失った。





 べべん、べべん……。

 どうにも拙い琵琶の音が聞こえてきて、琇華は顔を上げる。上げた瞬間、こめかみのあたりに、ズキンと鈍い疼痛が走る。

「……酷い琵琶……、物の怪でも取り憑いたみたいだわ」

 痛む頭を押さえながら呟くと、「物の怪とは酷いな」と声がした。皇帝のものだ。どうやら、酔って眠ったところを牀褥しょうじょくまで運ばれたらしい。

 皇帝はまだ眠らないらしく、琵琶を奏でていたが、酷い腕前だ。

「私は、そもそも、しつのほうが得意なんだ……そういうあなたの楽器の腕前はどうなんだい?」

「あなたよりましだわ」

 ゆっくりと身を起こして、琵琶を借りる。爪を五指に嵌め、弦をつま弾いて、琇華は顔を顰めた。

「陛下。……調弦も合っていませんわよ……ん……これならば、大丈夫でしょう」

 つま弾くのはなにが良いかと考えて、『蓮月夜文曲れんげつやぶんきょく』にした。月夜の蓮池の畔で、男が女に求愛するという曲だ。ゆったりとした美しい曲である。

 爪で琵琶に張られた金属の弦をはじく。ぽろん、ぽろんと、雨だれのような琵琶の音が寝所に満ちる。

「……あなたは、琵琶の名手だったのだな」

 嘆息混じりに、皇帝が呟く。

「楽器の練習は好きだったのです」

「この国には、あなたに並ぶ伶人れいじんは居ないだろうね」

「お世辞はよろしいですわ……」

 静かな琵琶の音を聞いているうちに、皇帝は眠気に襲われたらしい。しとねに転がって、琇華の膝に手を触れた。

「琵琶が弾けませんわ」

 詰るが、酔っていたこともあるのだろう、皇帝は、琇華の膝に甘えて琵琶を押しのけてしまった。そのまま、琇華の膝を枕にして、すやすやと寝入ってしまう。

「まあ……」

 呆れてしまうが、仕方がない。着衣のままなので、仕方がないから、帯を寛げて、冠をとって髪を解いた。極上の絹糸のような美しい髪だった。それをさらさらと手で弄びながら、琇華は、小さく、詰る。

「こんなことは、愁月にして貰えば良いじゃない」




 かくて翌日、愁月しゅうげつは、九嬪きゅうひんの二位である淑媛しゅくえんに封じられることとなった。

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